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33. 公の場で
しおりを挟むそうしてとうとう約束の十日後――王城、とある広間にてフィガロの証言はテオバルトを含めた大勢の前で公開される。
その日、広間にはざわめきが満ちていた。しっかりと磨きあげられた大理石の床に赤絨毯が敷かれ、両脇には大司教、官僚や傍聴を希望した貴族達が列を成している。
中でも大司教は王族に関する不名誉な噂の事を聞きつけ、直接アリシアに傍聴を申し出たのだった。
本来であれば厳粛な場のはずなのに、熱のような好奇の目がそこここに光っていた。
(……なんて居心地の悪い空気)
体調が未だ万全ではないアリシアは胸元でそっと手を組み、深く息を吐いた。
今日、フィガロの証言が正式に開かれ、テオバルトの名誉を巡る判断が下される。まだ多くの民はこの事実を知らないとはいえ、王城中の注目が集まっていた。
アリシアの隣にはいつものようにテオバルトが控えていた。彼はまっすぐ前を見据え、鉄のような無表情で立っているが、アリシアには分かる。
呼吸が僅かに浅く、喉元の筋肉が緊張しているのが。
(テオバルトはこの十日間、私に黙っていた。そうやってずっと堪えていた。ならば、今こそ私が――)
玉座の前、証言台に呼び出された男――フィガロが一礼して立った。今日は軍服ではなく証人としての服を着ているが、その仕草には不自然な硬さがあった。アリシアはその様子を一瞬たりとも見逃さない。
「……私は、この目で見たのです。あの洞窟で、大佐がバジリスクを仕留める前、毒を刃に用いていたのを」
ざわめきが広がる。証言内容はすでに文書で提出されていたものとほぼ変わらない。
だがアリシアは静かに立ち上がり、穏やかに問いを投げかけた。
「ではフィガロ卿、あなたの証言によれば、毒刃は王国軍の正式な装備ではなく、個人の持ち込みによるものであった……そうですね?」
「……ええ、そうです」
「けれどあなたは、その『毒』の存在をその場で報告せず、随分と経ってからこの場で告発した。その間、誰かと話をしたり、何らかの報酬を受け取ったりした事は?」
フィガロは一瞬、目を泳がせた。
「いや……ありません。そのような事、あるわけがありません」
アリシアは微笑を浮かべた。
「では、こちらをご覧ください」
合図とともに、アリシア付きの女官の一人が一枚の書簡を差し出した。それはキャスリンの書きかけの手紙。筆跡は彼女のものと一致し、内容はこうだった。
『あの件、例の軍人に話をつけました。彼は英雄の座に憧れているようです。私が彼の正義感を刺激すれば、きっと口を開くでしょう』
広間が凍りついた。フィガロの顔から血の気が引く。
「これは、とある人物――女性の部屋にある暖炉の中で発見された紙片です。彼女に普段から不満を持つ侍女が灰の中から拾い上げ、文字の一部を復元しました。宛名や差出人の名は書かれていませんでしたが……」
アリシアは視線を巡らせ、視線の先を定める。
「この筆跡、そして内容から、誰が書いたものか……皆様には判断いただけるかと存じます」
宰相の娘として、知らない者などいない。茶会の招待状などで筆跡はすぐに分かってしまう。
キャスリンは席で震えながら顔を伏せた。だが、テオバルトの名誉を傷付けられたアリシアは、容赦しなかった。
「それにもう一つ。私が不審に思ったのは、フィガロ卿が『毒』の存在に気付いたという点。バジリスクの死体に残された、変色という異変です」
「えっ……」
「テオバルトの愛剣は特注で、魔物の血肉と交わると変色をきたす事があるそうです。これについては周知の事実ではないものの、『よくある』現象ではあるとの記録があります」
「えっと……それは……その……」
フィガロは口をパクパクと開けたまま、何も言えずにいた。
「あなたの主張はテオバルトが毒を使ったとの事ですが、現場には毒の痕跡が残っていませんでした。未だに薬品素材に使う為王城に眠る戦利品――バジリスクの血肉、鱗などからも、何も出なかった。バジリスクの死因は、斬られた事による出血性ショックに近い状態でした……これを検分したのは、第三者であり、中立の立場の学匠たちです」
(すべて、準備した。あの人のために)
アリシアは、深く礼をした。
「私の問いは以上です」
広間の沈黙の中、テオバルトが少しだけ彼女を見た。
その眼差しは、いつになく深かった。感情を押し殺した男のまなざしではなかった。まるで、言葉では言い尽くせぬものが、その瞳に宿っているようで。
そして、先に声をあげたのはテオバルトだった。
「……女王は多忙だ。いつまでもこんな茶番に付き合う暇はない。フィガロとやら、まだ言うことがあるのなら俺の目を見て言え」
テオバルトの低い声に促され、フィガロはついに膝をついた。
「……頼まれたんです……自分が……英雄になれるって……あの人に、キャスリンに……そそのかされて……」
傍聴する貴族達の中からキャスリンが悲鳴をあげた瞬間、広間は混沌に包まれる。
だがアリシアは、テオバルトの傍に立ち続けた。その手が、そっと彼の指を包む。誰も見ていないところで彼の指が、震える小さな手を強く握り返した。
大広間の空気が、一気に重たく沈む。
誰もが息を飲み、次の瞬間を待っていた。悲鳴の後、キャスリンはその場から逃げ出そうとした――が、その前に衛兵達が静かに道を塞ぐ。
「キャスリン・ ド ・ブルゴワン、汝の罪――虚偽の流布および名誉毀損、国家転覆を企てた策謀――明白なり」
アリシアが声を発したわけではなかった。代わって、この国において女王に次ぐ力を持つ大司教が、その重々しい声を響かせたのだった。
キャスリンは、目を大きく見開いていた。だがその瞳はどこか虚ろで、信じたくない現実に、心がついていっていないようだった。
「ま、待って……私は……ただ……」
「ただ……何ですか? もしかして、あなたの背後には誰か他に?」
アリシアの問いに、キャスリンは顔を白くして首を横に振る。
「い、いいえ! 私は……私のみの判断で今回の事を起こしました……!」
アリシアは静かに歩み出て、キャスリンの正面に立った。テオバルトがそっと腕を伸ばそうとしたのを、優しく制して。
「では、あなたは自分の勝手な思いでフィガロという一人の軍人を騙し、王配の名誉を穢し、王国軍全体をも疑いの渦に巻き込もうとした。それが望みだったと?」
この時のアリシアの言葉は静かで、しかし刃のようだった。誰一人、言葉を挟む者はいなかった。
「この罪の重さ、貴女自身が一番よくわかっているはずです。捕縛後、調査ののちに然るべき裁きを受けてください」
その言葉と同時に、左右から二人の衛兵がキャスリンの腕を取った。
「お父様……っ、お父様! 私は……っ、私は……!」
彼女は宰相に向かって助けを求め、抵抗しようとしたが、もはや無駄だった。貴族であるにもかかわらず、周囲の誰も助けようとはしなかった。
そう、父親である宰相は貴族達よりもアリシアの近くに控えていたが、一言も口を開かずにただ冷たい眼差しをキャスリンに向けていたのだった。
「ねぇアリシア、どうしてわからないの!? 私がどれほど――!」
悲痛な叫び声がこだましたが、アリシアはもう彼女を見なかった。ただ、後ろに控えるテオバルトの方へと戻る。
(嫉妬も、執着も、権力欲も……人の心を狂わせる。けれど、それを他人のせいにすることはできない)
手を握り返してくれた温もりを思い出す。濡れたような熱に包まれたあの指先。アリシアはそっとテオバルトの隣に戻ると、声を潜めて彼にだけ告げた。
「……終わりました。ただ、黒幕だけは……」
テオバルトは眉ひとつ動かさなかった。ただ、ごく小さく息を吐き、ぽつりと呟いた。
「……いや、よくやった。また機会は訪れるさ」
その言葉だけで、アリシアの胸がいっぱいになった。張り詰めていたものがふっと緩み、思わず目元に熱がにじむ。
それでも、公の場で涙を見せることはしなかった。ただ、誇り高く背を伸ばし、凛とした声で皆に告げる。
「この証言と記録は、王国の法に則り文書として残します。また本件において誤った情報を拡散し、王配の名誉を傷付け、軍人達の士気を乱した者達への処罰も順次行われるべきだと考えます」
そう述べたとき、かつてアリシアを軽んじていた者達の表情が、一斉に強張った。
だがそれを見ても、彼女の心に澱はない。これはテオバルトの為だけでなく、女王としての自分の責務なのだと、胸に刻んでいたから。
(この人と共に歩むと決めた。ならば私は、どこまででも強くなれる)
そう静かに心の中で誓いながら、アリシアはテオバルトの横顔を見つめた。
戦いはまだ終わらない。だが、最初の壁は超えた――その実感が今、確かな強さとなって彼女の中に根を下ろしていた。
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