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第四章 《第一部》ヒーラー 模索篇
第50話「『神』」
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青白く、神々しく輝く彼女は空に浮かんでいる。
俺の知る常識を超えたその光景は、ただ見上げるしかなかった。
「おいおい、空中魔法か……?」
『魔法なんかではありません。今の私は才能なんてありませんからね』
才能がない?じゃあなんなんだよこの力は。
彼女の瞳には明らかな怒りが宿っている。だが、その怒りの中に、殺意は全く感じられなかった。
『あなた方ももうお分かりでしょう』
「なにがだ……?」
『わたくしの正体ですよ』
信じられるはずがない。けど、エルザが全て話してくれた。
ミスタリスの女王エルザ・スタイリッシュが、祖父エルブレイド・スタイリッシュから聞いた話だと――。
「――神、だろ?」
『……やはり。エルザ、彼女でしたか』
アイリス……いや、この女神が微かに微笑んだ。
目の前の存在はただの王ではない。この世界に伝わる、遥か昔の伝説――神。今まで都市伝説とされてきた存在が、ここに実在しているというのか。
「やはり、アイリスが王だった……いや、神だったからこそ、ここのヤツらは王を知らなかったのか」
『……そうなりますね。確かにわたくしは王ではなく神です』
「なぜアイリスと名乗った」
『あなたには関係ありませんよ、アスフィさん』
その言葉と共に、彼女は掲げていた右手を振り下ろした。
――その瞬間、突如何も無いところから龍の形をした水が俺を襲ってきた。
「なに!?詠唱どころか呪文なしか……!『ハイヒール』!」
水の牙が腹を抉ったが、すぐさま回復魔法で傷を塞ぐ。だが――。
『やはりあなた……人間ではありませんね。どこの子ですか?』
「ある平凡な冒険者の、平凡な家庭で育った平凡な人間だよ」
『そうですか……答えないというのなら少し痛い目にあって貰いましょう』
アイリスの声には冷ややかさが混じる。彼女は再び両手を掲げ、それを振り下ろした。
『水よ』
その短い言葉と共に――街を飲み込むほどの水が、何もない空間から溢れ出し、『水の都フィルマリア』全体を覆い尽くした。
「な……!」
『水はあなた方人間の天敵でしょう』
(まずい……!息が出来ない……このままじゃ死ぬ!)
水は生物にとって欠かせないものだが、今の俺たちには致命的な脅威だった。
体は浮力に翻弄され、まともに動けない。ルクスとエルザも同様に水の中で必死にもがいている。
これは神の力――水を自由自在に操る存在に対して、俺たちは無力だった。
(まずい……!息ができ……ない!)
傷はヒールでいくらでも回復できる。だが、水は不可能だ。
水自体はダメージじゃない!俺にとって水は相性最悪だ……!
苦しみながらも杖を握り、俺はアイリスに向けて魔法を唱える。
「『消失する回復魔法(ヴァニシングヒール)』」
その瞬間、アイリスが俺に向かって静かに言った。
『……呼吸が出来なくても唱えられる魔法ですか』
(なに……!?効かないだと……マズイ息が………)
『お逝きなさい人間達よ』
完全に追い詰められた。喧嘩を売る相手を間違えた――そう思った瞬間だった。
俺の視界は水の中で暗転しかけ、心の奥底から後悔が沸き上がる。
――またか……また、守れないのか?
その時、俺の頭の中に声が響いた。
【それはお前じゃない】
誰だ、この声……?意識が朦朧とする中、その言葉の意味を考える余裕など無かった。
「――見つけたぞ、『神の子』よ」
突如として空から雷が落ちる。
雷の閃光がアイリスに直撃したのを、俺は確かに見た。
『うっ……この雷光……まさか』
「久しぶりだな、ポセイドン」
『……貴方でしたか、ゼウス』
俺たちを苦しめていた水は、突如として消え去った。
「ゲホッ、ゲホッ……な、何が起きたんだ」
水中で半ば意識を失いかけていた俺は、何とか息を整える。
目の前には黒のフードを被った者が浮かんでいた。――またアイツらか?
『ゼウス……貴方は凡人に成り下がり、力を失っているはずです。わたくしに勝てるとお思いですか?』
アイリスの声には余裕があったが、その体は確かにダメージを負っていた。
俺の魔法が全く効かなかった相手をここまで追い詰める――こいつも、神なのか?
「ハンデにもならん」
その一言に込められた威圧感。
黒フードの者は浮かんだまま、まるでこの場全てを支配しているかのように振る舞う。
『ゼウスよ、わたくしの街から出ていってください』
「それはお前次第だ、ポセイドン」
『貴方は変わりませんね……いえ、変わらないように装っているだけなのでしょうか』
アイリスの言葉に含まれた苛立ち。それでも、彼女は小さく息を吐いて続けた。
『……分かりました。なにもしません、降参です』
アイリスが……降参した?
一瞬理解が追いつかなかった。彼女の力は圧倒的だったはずだ。それが――。
「…………大丈夫か?神の子よ」
突然、黒フードの者が俺に話しかけてきた。
「誰のことだ?神の子って……俺を指してるのか?」
混乱する俺に、男はただ静かに頷いた。
「そうか。我が誰だか分からないのも無理はないか。仕方ない、今日はここまでとしよう。過度な接触は控えるように言われているからな」
黒フードの者は、どこか寂しそうに呟くとアイリスに目を向けた。
「アイリス、いやポセイドンよ。我で良かったな。アイツならお前は――まあいい」
そう言うと、雷が再び彼の頭上に落ち、同時に姿を消した。
『…………マキナ』
アイリスのその呟きが、この場に不気味な静寂をもたらした。
『……さて皆さん、わたくしはやることがあります。早くこの街から立ち去りなさい』
「待て!どういう事だ!お前は何者で、この街はなんなんだ!」
俺の叫びも虚しく、アイリスは静かに俺を見つめるだけだった。
『………言ったでしょう、わたくしは神だと』
「水の神ポセイドン……か」
エルザがぽつりと呟いた。彼女の話によれば、この世界には遥か昔、複数の神々が存在していたという。
その中の一柱が、人間に『祝福』をもたらした――反対する他の神々を押し切り、その存在は消えたのだと。
「その神の一人が……お前ってことか?」
『ええ、そうなります』
その言葉を聞いた俺は、全身に寒気を覚えた。
目の前のアイリス――いや、ポセイドンはただの存在ではなかった。
「この街の住民はどうした?」
『わたくしが作りました。あなた達が出ていった後、また作り直しますが』
淡々と答えるアイリス。
その言葉の真意が、俺には一瞬理解できなかった。
「つまり、この街に純粋な住民は元々いなかった……ってことか?」
アイリスは頷き、衝撃的な事実を語り始めた。
『――この街は既に滅んでいます』
「なに……滅んでいる?」
『街は、民達は、わたくしが作り上げた幻想に過ぎません』
俺たちは言葉を失った。
ポセイドンは何の感情も浮かべず、ただ真実だけを告げる。
「つまりアイリス、君はこの街を………かつての『水の都フィルマリア』を再現していたってことか?」
『そうなります。話が早くて助かります……アスフィさん、〝アイリスの花言葉〟を知っていますか?……アイリスの花言葉は希望。わたくしはこの街をかつての『水の都フィルマリア』として復権させたいのです。その為に現在は出入りを禁止していました。まだ完成には至らぬ点が多かったものですから』
「……ここまでの力があって至らぬ点があるってのか?」
俺は純粋な疑問を彼女にぶつけた。
『あなた方が違和感を覚えた。それが答えです。……この街の民に感情はないのです』
彼女の瞳に宿るのは、怒りとも悲しみとも取れない光だった。
彼女は続ける――。
『十数年前、ある家族がこの街にやって来ました。息子と喧嘩をしたという彼らをわたくしは民として受け入れました。……しかしある時、その家族は何者かの手によって殺された。わたくしの造り上げた民以外誰も居ないというのに……そして先日、またわたくしの大事な民が何者かに殺されました』
「……門の前に居た兵か」
『ええ、彼はわたくしの正体を知って尚、アイリスとこの街を守ると言っていました』
「……そうか」
彼の顔が脳裏に浮かぶ。規則に厳しかったが、悪い奴ではなかった。
アイリスを慕い、忠義を尽くしていたあの兵士の姿が――。
「……それをやったのは恐らく『ゼウスを信仰する者(ユピテル)』だ。やつらは人を殺すことをなんとも思わない連中だ」
『……またゼウス……ですか。アスフィさん』
「なんだ?」
『わたくしはこの街を復権させたい思いでアイリスを名乗っていました……今日までは――』
アイリスの髪が再び輝きを放つ。
青白い光は神々しいほど美しく、だがどこか恐ろしい。
『アイリスの花言葉にはもう一つあります。黄色いアイリスの花言葉は復讐です。わたくしは彼らを許しはしません』
その瞳の奥に潜むのは、明らかな怒りだった。
滅びた街と、その真実――それを聞く勇気は、今の俺には無かった。
『皆さんには悪いことをしました。申し訳ございません。用事を済ませたら、後日謝りに行きます。わたくしのホームで待っていて下さい。全てはそこで話しましょう』
そう言って、アイリス――いや、水の神ポセイドンは消えた。
「おーーーーーーい!アスフィ!」
「アスフィーーーー!」
遠くから声が聞こえた。
ルクスとエルザがようやく姿を現した。水中で何もできなかった彼女たちも、息を整えつつ駆け寄ってくる。
「びっくりしたぞ!急に辺りが水でいっぱいになって!あと少しで溺れ死ぬところだった!」
「私も焦りました……私泳げないので」
その言葉に少しだけ安堵する。こんな状況でも、二人が無事だったのが唯一の救いだった。
「まぁ……詳しい話は、その張本人がこの後話してくれるそうだ。とにかく、アイリスのホームへ戻ろう」
ルクスとエルザは、黙って俺の言葉に頷いた。
ポセイドン――いや、アイリスの真意を知るためには、彼女の言葉を待つしかない。
俺たちは静まり返った街の中を歩き、アイリスのホームを目指した。
広い街のあまりにも不気味な静けさが、ミスタリスの惨劇を思い出させる。
その記憶が、俺たち三人の歩調を無言のものにしていた。
「……ルクス、大丈夫か?」
「ええ、平気です。ただ、先ほどの水で……少し怖い夢を見ました」
「どんな夢だ?」
「そうですね……兄の様な人の夢、ですかね」
「なんだよそれ」
彼女は薄く笑ったが、その笑みは明らかに引きつっていた。
俺自身も、この静寂が不気味で仕方ない。
そしてついに、アイリスのホームに到着した。
戸を押し開けると、そこには――。
「――遅かったですね、皆さん。わたくしかなり待ちましたよ?」
椅子に腰掛けたアイリスが、いつものように呑気に茶を飲んでいた。
まるでさっきまでの出来事が幻だったかのように、穏やかな雰囲気が漂っている。
「アイリス……話してくれるんだよな」
『もちろんです。お待たせして申し訳ありません』
その瞳は、あの水の神としての威圧感を全く感じさせなかった。
だが俺の中にある疑念は、彼女の平静な態度では晴れなかった。
この街の真実、アイリスの真意。
全てを明かす準備が整ったようだ――。
俺の知る常識を超えたその光景は、ただ見上げるしかなかった。
「おいおい、空中魔法か……?」
『魔法なんかではありません。今の私は才能なんてありませんからね』
才能がない?じゃあなんなんだよこの力は。
彼女の瞳には明らかな怒りが宿っている。だが、その怒りの中に、殺意は全く感じられなかった。
『あなた方ももうお分かりでしょう』
「なにがだ……?」
『わたくしの正体ですよ』
信じられるはずがない。けど、エルザが全て話してくれた。
ミスタリスの女王エルザ・スタイリッシュが、祖父エルブレイド・スタイリッシュから聞いた話だと――。
「――神、だろ?」
『……やはり。エルザ、彼女でしたか』
アイリス……いや、この女神が微かに微笑んだ。
目の前の存在はただの王ではない。この世界に伝わる、遥か昔の伝説――神。今まで都市伝説とされてきた存在が、ここに実在しているというのか。
「やはり、アイリスが王だった……いや、神だったからこそ、ここのヤツらは王を知らなかったのか」
『……そうなりますね。確かにわたくしは王ではなく神です』
「なぜアイリスと名乗った」
『あなたには関係ありませんよ、アスフィさん』
その言葉と共に、彼女は掲げていた右手を振り下ろした。
――その瞬間、突如何も無いところから龍の形をした水が俺を襲ってきた。
「なに!?詠唱どころか呪文なしか……!『ハイヒール』!」
水の牙が腹を抉ったが、すぐさま回復魔法で傷を塞ぐ。だが――。
『やはりあなた……人間ではありませんね。どこの子ですか?』
「ある平凡な冒険者の、平凡な家庭で育った平凡な人間だよ」
『そうですか……答えないというのなら少し痛い目にあって貰いましょう』
アイリスの声には冷ややかさが混じる。彼女は再び両手を掲げ、それを振り下ろした。
『水よ』
その短い言葉と共に――街を飲み込むほどの水が、何もない空間から溢れ出し、『水の都フィルマリア』全体を覆い尽くした。
「な……!」
『水はあなた方人間の天敵でしょう』
(まずい……!息が出来ない……このままじゃ死ぬ!)
水は生物にとって欠かせないものだが、今の俺たちには致命的な脅威だった。
体は浮力に翻弄され、まともに動けない。ルクスとエルザも同様に水の中で必死にもがいている。
これは神の力――水を自由自在に操る存在に対して、俺たちは無力だった。
(まずい……!息ができ……ない!)
傷はヒールでいくらでも回復できる。だが、水は不可能だ。
水自体はダメージじゃない!俺にとって水は相性最悪だ……!
苦しみながらも杖を握り、俺はアイリスに向けて魔法を唱える。
「『消失する回復魔法(ヴァニシングヒール)』」
その瞬間、アイリスが俺に向かって静かに言った。
『……呼吸が出来なくても唱えられる魔法ですか』
(なに……!?効かないだと……マズイ息が………)
『お逝きなさい人間達よ』
完全に追い詰められた。喧嘩を売る相手を間違えた――そう思った瞬間だった。
俺の視界は水の中で暗転しかけ、心の奥底から後悔が沸き上がる。
――またか……また、守れないのか?
その時、俺の頭の中に声が響いた。
【それはお前じゃない】
誰だ、この声……?意識が朦朧とする中、その言葉の意味を考える余裕など無かった。
「――見つけたぞ、『神の子』よ」
突如として空から雷が落ちる。
雷の閃光がアイリスに直撃したのを、俺は確かに見た。
『うっ……この雷光……まさか』
「久しぶりだな、ポセイドン」
『……貴方でしたか、ゼウス』
俺たちを苦しめていた水は、突如として消え去った。
「ゲホッ、ゲホッ……な、何が起きたんだ」
水中で半ば意識を失いかけていた俺は、何とか息を整える。
目の前には黒のフードを被った者が浮かんでいた。――またアイツらか?
『ゼウス……貴方は凡人に成り下がり、力を失っているはずです。わたくしに勝てるとお思いですか?』
アイリスの声には余裕があったが、その体は確かにダメージを負っていた。
俺の魔法が全く効かなかった相手をここまで追い詰める――こいつも、神なのか?
「ハンデにもならん」
その一言に込められた威圧感。
黒フードの者は浮かんだまま、まるでこの場全てを支配しているかのように振る舞う。
『ゼウスよ、わたくしの街から出ていってください』
「それはお前次第だ、ポセイドン」
『貴方は変わりませんね……いえ、変わらないように装っているだけなのでしょうか』
アイリスの言葉に含まれた苛立ち。それでも、彼女は小さく息を吐いて続けた。
『……分かりました。なにもしません、降参です』
アイリスが……降参した?
一瞬理解が追いつかなかった。彼女の力は圧倒的だったはずだ。それが――。
「…………大丈夫か?神の子よ」
突然、黒フードの者が俺に話しかけてきた。
「誰のことだ?神の子って……俺を指してるのか?」
混乱する俺に、男はただ静かに頷いた。
「そうか。我が誰だか分からないのも無理はないか。仕方ない、今日はここまでとしよう。過度な接触は控えるように言われているからな」
黒フードの者は、どこか寂しそうに呟くとアイリスに目を向けた。
「アイリス、いやポセイドンよ。我で良かったな。アイツならお前は――まあいい」
そう言うと、雷が再び彼の頭上に落ち、同時に姿を消した。
『…………マキナ』
アイリスのその呟きが、この場に不気味な静寂をもたらした。
『……さて皆さん、わたくしはやることがあります。早くこの街から立ち去りなさい』
「待て!どういう事だ!お前は何者で、この街はなんなんだ!」
俺の叫びも虚しく、アイリスは静かに俺を見つめるだけだった。
『………言ったでしょう、わたくしは神だと』
「水の神ポセイドン……か」
エルザがぽつりと呟いた。彼女の話によれば、この世界には遥か昔、複数の神々が存在していたという。
その中の一柱が、人間に『祝福』をもたらした――反対する他の神々を押し切り、その存在は消えたのだと。
「その神の一人が……お前ってことか?」
『ええ、そうなります』
その言葉を聞いた俺は、全身に寒気を覚えた。
目の前のアイリス――いや、ポセイドンはただの存在ではなかった。
「この街の住民はどうした?」
『わたくしが作りました。あなた達が出ていった後、また作り直しますが』
淡々と答えるアイリス。
その言葉の真意が、俺には一瞬理解できなかった。
「つまり、この街に純粋な住民は元々いなかった……ってことか?」
アイリスは頷き、衝撃的な事実を語り始めた。
『――この街は既に滅んでいます』
「なに……滅んでいる?」
『街は、民達は、わたくしが作り上げた幻想に過ぎません』
俺たちは言葉を失った。
ポセイドンは何の感情も浮かべず、ただ真実だけを告げる。
「つまりアイリス、君はこの街を………かつての『水の都フィルマリア』を再現していたってことか?」
『そうなります。話が早くて助かります……アスフィさん、〝アイリスの花言葉〟を知っていますか?……アイリスの花言葉は希望。わたくしはこの街をかつての『水の都フィルマリア』として復権させたいのです。その為に現在は出入りを禁止していました。まだ完成には至らぬ点が多かったものですから』
「……ここまでの力があって至らぬ点があるってのか?」
俺は純粋な疑問を彼女にぶつけた。
『あなた方が違和感を覚えた。それが答えです。……この街の民に感情はないのです』
彼女の瞳に宿るのは、怒りとも悲しみとも取れない光だった。
彼女は続ける――。
『十数年前、ある家族がこの街にやって来ました。息子と喧嘩をしたという彼らをわたくしは民として受け入れました。……しかしある時、その家族は何者かの手によって殺された。わたくしの造り上げた民以外誰も居ないというのに……そして先日、またわたくしの大事な民が何者かに殺されました』
「……門の前に居た兵か」
『ええ、彼はわたくしの正体を知って尚、アイリスとこの街を守ると言っていました』
「……そうか」
彼の顔が脳裏に浮かぶ。規則に厳しかったが、悪い奴ではなかった。
アイリスを慕い、忠義を尽くしていたあの兵士の姿が――。
「……それをやったのは恐らく『ゼウスを信仰する者(ユピテル)』だ。やつらは人を殺すことをなんとも思わない連中だ」
『……またゼウス……ですか。アスフィさん』
「なんだ?」
『わたくしはこの街を復権させたい思いでアイリスを名乗っていました……今日までは――』
アイリスの髪が再び輝きを放つ。
青白い光は神々しいほど美しく、だがどこか恐ろしい。
『アイリスの花言葉にはもう一つあります。黄色いアイリスの花言葉は復讐です。わたくしは彼らを許しはしません』
その瞳の奥に潜むのは、明らかな怒りだった。
滅びた街と、その真実――それを聞く勇気は、今の俺には無かった。
『皆さんには悪いことをしました。申し訳ございません。用事を済ませたら、後日謝りに行きます。わたくしのホームで待っていて下さい。全てはそこで話しましょう』
そう言って、アイリス――いや、水の神ポセイドンは消えた。
「おーーーーーーい!アスフィ!」
「アスフィーーーー!」
遠くから声が聞こえた。
ルクスとエルザがようやく姿を現した。水中で何もできなかった彼女たちも、息を整えつつ駆け寄ってくる。
「びっくりしたぞ!急に辺りが水でいっぱいになって!あと少しで溺れ死ぬところだった!」
「私も焦りました……私泳げないので」
その言葉に少しだけ安堵する。こんな状況でも、二人が無事だったのが唯一の救いだった。
「まぁ……詳しい話は、その張本人がこの後話してくれるそうだ。とにかく、アイリスのホームへ戻ろう」
ルクスとエルザは、黙って俺の言葉に頷いた。
ポセイドン――いや、アイリスの真意を知るためには、彼女の言葉を待つしかない。
俺たちは静まり返った街の中を歩き、アイリスのホームを目指した。
広い街のあまりにも不気味な静けさが、ミスタリスの惨劇を思い出させる。
その記憶が、俺たち三人の歩調を無言のものにしていた。
「……ルクス、大丈夫か?」
「ええ、平気です。ただ、先ほどの水で……少し怖い夢を見ました」
「どんな夢だ?」
「そうですね……兄の様な人の夢、ですかね」
「なんだよそれ」
彼女は薄く笑ったが、その笑みは明らかに引きつっていた。
俺自身も、この静寂が不気味で仕方ない。
そしてついに、アイリスのホームに到着した。
戸を押し開けると、そこには――。
「――遅かったですね、皆さん。わたくしかなり待ちましたよ?」
椅子に腰掛けたアイリスが、いつものように呑気に茶を飲んでいた。
まるでさっきまでの出来事が幻だったかのように、穏やかな雰囲気が漂っている。
「アイリス……話してくれるんだよな」
『もちろんです。お待たせして申し訳ありません』
その瞳は、あの水の神としての威圧感を全く感じさせなかった。
だが俺の中にある疑念は、彼女の平静な態度では晴れなかった。
この街の真実、アイリスの真意。
全てを明かす準備が整ったようだ――。
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