傲慢な伯爵は追い出した妻に愛を乞う

ノルジャン

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「ショーンを首にしたの?!」

「仕事中だ。後にしろ」

 たまった決済書の最終確認のため、書類を隅々まで読んでいたところにいきなり弟が殴り込むように執務室に現れた。

 朝方に待たせていた馬車は昼時には消えていた。それを確認してやっと仕事に集中してきたところだった。この集中力を途切れさせたくはない。俺はそのまま書類から目を離さなかった。

 ドタバタと騒がしく俺の執務室へと入ってきたと思ったら、取り乱した様子で俺のデスクを両手でバンと叩いた。

「兄さん!」

 俺は仕方なく顔を上げた。

 貴族らしく、いつも整えさせている髪はボサボサに乱れて、顔も真っ青になっていた。

 袖のボタンもとめられておらず、だらんと垂れ下がって見苦しい。ほつれて糸が出てきている。

 気が散るどころではない。書類を確認するどころではなくなった。仕事の邪魔をされたことに苛立ちがつのる。

「なんだ」

「ショーンだよ! なんで、……なんで首にしたんだっ。ショーンがいないなんて、僕は、……ぼくは……っ」

「いい加減にしろ」

「どこにいったの?!」

「さあな。紹介状も金も受け取らなかったから行き先は知らないな」

「なんで……いやだ。いやだ!」

 駄々をこねる子どものようにいやだいやだと繰り返す。アガトンは発狂したように髪をかきむしった。頬も爪でひっかいた跡が赤く伸びていた。
 
 ヒステリックに叫ぶ姿が、アガトンの母と重なりうんざりとする。

「いやだよ……ショーン……」

 アガトンは崩れ落ちて、床にぺたりと座り込む。

 さっさと出ていってもらわなければ、仕事が進まない。誰かを部屋に呼んで運び出してもらおうかと思った時だった。

 コンコン、と遠慮がちに執務室のドアが叩かれる音が響く。

「誰だ」

 ドアの外にいる相手へと尋ねた。

 ガチャリとドアが少しだけ開き、クリスティーナが顔を伏せながらドアの前に立っていた。

「ランドルフ様、新しい家庭教師の方がおみえです」

「もう来たか。通せ」

「かしこまりました」

 ドアが閉められて足音が遠のいていった。
 
「アガトン、学校にはもう行かなくていい」

 ふと伝え忘れていたことを思い出した。

「ど……どうして?」

 落ち着いてきたアガトンが座り込んだまま、俺におどおどと聞き返す。

「自主退学という形にした。学校にはもう伝えてある。これからは、屋敷で勉強をしろ」

「そんな……あとちょっとで卒業できるはずだったのに! どうして勝手に決めちゃうんだ」

「もともと休みがちだっただろう。自宅で勉強した方が効率がいい」

「それでも通うように言ったのは兄さんじゃないか! だから僕は……っ」

 ギリギリと歯軋りが耳元で聞こえてくるようだった。

「やめるにしても、僕に一言くらい相談してくれたって……っ」

 俺が決めたことに従うだけだった弟が、いつにも増して反抗的だ。
 これもきっと、あの追い出した男のせいだろう。早めに対処できてよかった。まだ、遅くはない。

 ドアが叩かれて「家庭教師の方をお通ししてよろしいでしょうか?」と、クリスティーナの声がした。

「ああ、通せ」

 ドアの向こうから入ってきたのは一人の立襟の祭服を身にまとう神父だった。人当たりの良さそうな目元の奥は、身につけている祭服よりも真っ黒に染まっている。いつ見ても底知れない黒さだ。

「なんで神父さまが……? 家庭教師って」

 困惑の顔でアガトンが怯えたように神父を見上げた。

「こんにちはアガトン様。改めまして、今日から家庭教師を務めます、トマスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 にっこりと穏やかに笑いかけられて、アガトンは少し警戒心を解いた。トマス神父は腰をおり、アガトンへ手を差し出していた。その差し出された手を、アガトンはゆっくりと取る。
 神父の補助により、アガトンは床から立ち上がった。

「トマス神父とはいつも教会で顔を合わせているだろう。新しく家庭教師を雇うならば、顔見知りがいいと思って彼にお願いしたんだ」

 俺はアガトンの疑問に答えるように説明した。

「家庭教師を受け入れてくれて感謝する」

 俺はトマス神父に手を差し出した。ぐっと握手を交わす。

「こちらこそ、プロミネンス伯爵家の助けになれるなんて光栄です」

 トマス神父は握手を交わしていた手とは反対の手を俺の手の甲に添えた。

「神学だけでなく、他の分野にも明るく、大変優秀だと聞いているよ。貴族学校に通っていたころは首席だったというじゃないか。安心して弟のアガトンを任せられる」

 握手の手を離し、俺は彼の両肩をがしりと掴んだ。

「お褒めいただき大変恐縮ですが、貴族学校に通っていたのはもう何年も前のことなので……」

 トマス神父は謙遜しながら苦笑した。

「ですが、私に出来ることはじっくりと腰を据え、彼に向き合っていくことだと思っています」

「頼もしいな」

 自信に溢れるトマス神父に、俺は感心した。

「アガトン、トマス神父に屋敷を案内してやりなさい」

 俺は伯爵家をすぐに継ぐことになってしまい、貴族学校へ行くことはなかった。信仰心が厚いわけでもないので、トマス神父と共通の話題がない。軽い挨拶だけにとどめて、アガトンとの顔合わせを進めることにした。

「もちろんです。さぁ、アガトン様いきましょう。まずはアガトン様の部屋に案内していただけますか?」

「いや……僕は……」

「さっさと案内しないかアガトン。せっかくトマス神父が時間を割いて来てくれているのに、失礼だぞ。遠いところをわざわざこちらまで出向いてくださっているんだ」

 まだ執務室を出て行こうとしないアガトンを見て、俺は自分の組んだ腕にトントンと指が勝手に触れた。

 アガトンはトマス神父に背中を軽く押されて促され、やっと足をドアに向けた。
 ちらちらとこちは気にして中々出ていかなかった。

「ああそうだ、ランドルフ様。例の件はどうなりました?」

 思い出した、というようにこちらに顔を向けてトマス神父がたずねてきた。

「これから進めていく予定だ」

「それはよかったです」

 ふふ、と笑って、ドアの向こうへと2人の姿が消えて足音が遠のいていった。俺はやっと落ち着いたかと大きなため息が出た。

 トマス神父は、かの有名なトラピアス修道院で厳しい修行を耐え抜いた優秀な神学者だ。
 その上、元貴族だ。貴族学校に通っていた時もとても優秀な成績をおさめていたと聞いている。
 俺なんかよりも、アガトンに寄り添えるはずだ。それになにより同性愛の罪深さについてしっかりと教えてくれるはずだ。
 きっとアガトンも、トマス神父の教えによって目を覚ますだろう。

「失礼いたします旦那様」

 トマス神父たちと入れ違いにクリスティーナが部屋に入ってくる。
 
「こちらが例のリストでございます」

「ああ」

 クリスティーナが書類を渡してくれた。

 俺は頼んでいた書類にざっと目を通す。数名の女性の顔写真とともに簡単な経歴が書かれていた。

「旦那様、本当によろしいのですか?」

「もうアガトンもそういう年齢だ。早いことはない」

「そうではなく……」

「トマス神父もこの方法が一番いいとおっしゃっていた。この最初の若い女性にしておいてくれ」

 書類の一番上を指差してクリスティーナに書類を返した。

 早く今日の仕事にとりかからなければならない。ちらりとデスクの上に山積みになった書類に視線をやり、俺はこれからの仕事のスケジュールを頭の中でたてはじめた。
 もう何を言っても俺の耳には届かないとわかったのか、「……かしこまりました」と一言言い残して、クリスティーナは音もなく俺の執務室から消えた。

 数日後、俺の選んだ女性が屋敷を訪れた、アガトンの部屋に送り込んだ。嫌がるアガトンの叫び声が夜の屋敷に轟いた。
 
 閨教育をするには早すぎると思っていたが、むしろ遅かったのかもしれない。

 俺はアガトンが正常に戻ると信じていた
元に戻るはずだ。そうでなければならない。同性愛など、罪深い行いだ。嫌悪感しかなかった。
 大丈夫だ。早いうちに矯正すれば、弟は元に戻る。
 自分自身に言い聞かせた。

 戻さなければいけなかった。

 弟を正しい道へと辿らせねばならなかった。

 
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