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第3章王子と騎士と、異世界スパイス革命
第8話「戦のあとに、食卓を王都か らの招待状!?」
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戦のあとに、食卓を――王都からの招待状!?
戦いの終わりを告げる朝日が、王都の街並みを優しく照らしていた。
あの戦――カレーで士気を上げて挑んだ騎士団の出撃から、まだ三日しか経っていないというのに、まるで数週間が過ぎたかのような感覚だった。
私は今、王都の騎士団宿舎の厨房にいる。
この数日、料理の依頼がひっきりなしに来て、気づけば王都に“滞在”しているような状況になってしまった。セイル王子の推薦と、王宮からの臨時許可もあって、厨房の一部を借りることができている。
「カスミアーナさん! これ、スパイス棚に補充しておきました!」
「ありがとう、リサちゃん。ナツァの粉、足りてた?」
「はいっ、ちゃんと確認しました!」
厨房には、いつもの仲間たちの声が響いていた。
エリクやリサ、若手の厨房スタッフたちも王都入りしており、今やちょっとした“出張フードチーム”状態になっている。
それだけ、この街にとって“ごはん”の持つ力が大きくなっていた。
戦いのあと、帰還した騎士団員たちはこぞって「カレーが食べたい!」と厨房に押しかけてきた。
その言葉に、どれほど救われたかしれない。誰もが無事だったわけではないけれど、みんなが“生きて帰った者”として、笑顔でごはんを食べてくれる――それだけで、料理人冥利に尽きる。
「よしっ、今日も元気に仕込み開始!」
私は声をかけ、鍋の蓋を開けた。
スパイスの香りがふわっと立ちのぼる。その香りを嗅いだ瞬間、気持ちがしゃんと引き締まるのを感じた。
でも、その直後――
「失礼しまーす! ……あれ? もう始めてる?」
ぱたぱたと軽い足音と共に、厨房に現れたのは、騎士団の補給担当の女性隊員だった。
「カスミアーナさん宛のお届けものです! 王宮の紋章付きでしたので、お早めにとのことです!」
「……王宮の、ですか?」
思わず手を止め、彼女の差し出した封筒を受け取る。
見覚えのある、きらびやかな金の封蝋。それは、セイル王子の姉君――王女アリーシャからのものだった。
私は息をのんで封を切る。
> 『戦勝の報、誠に喜ばしく存じます。
貴殿が調理された“特別な料理”の評判が王宮にも届きました。つきましては、近日開催される晩餐の席にて、料理を披露いただきたく――』
そこまで読んで、私は思わず厨房の壁に手をついた。
「……王女様から、正式な晩餐会の依頼……!」
そのとき、背後からぬっと現れた影がひとつ。
「……まさか、もう届いてしまったか」
見ると、いつの間にかセイル王子が、厨房の入り口で頭を抱えていた。
「王子……やっぱり、予想してたんですか?」
「いや、姉上のことだから……気になるだろうな、とは思ってたけど……!」
王子は肩を落としつつも、どこか観念したように苦笑していた。
「でも、来ちゃったものは仕方ないですよね」
私がそう言うと、彼は苦笑いのままこくりとうなずいた。
「……行くしかない、か。俺も付き添いに入るから、安心してくれ。厨房の使い方は、ちゃんと王宮に根回ししておく」
「心強いです!」
こうして、戦の終わりと共に、次なる舞台――王宮の晩餐会が、静かに幕を開けた。
✳✳✳
王都の厨房は、朝からまるでお祭りのように賑わっていた。
と言っても、楽しい祭りではなく、戦場のような意味で。
「カスミアーナ様っ、こっちのロースト用の肉、どの香草を合わせたら……!」
「焦げてるわよ、それ、温度が高すぎるの!」
「マリネ液ってこれで大丈夫ですか!? 昨日の分と色が違ってて……!」
――はい、見事に大混乱です。
「落ち着いて、順番に説明して! 肉はローリルとレモンミント、火を弱めて! マリネ液は昨日より果汁が少なかったのかも、酸味を足して調整して!」
てきぱきと指示を出しながら、私は半ば気合いで立ち回っていた。
(……どうしてこうなったのかしら)
振り返ること数時間前――
王都の貴族たちと、戦地から戻った騎士団を労う晩餐会。その料理を一手に引き受けることになったのは、他でもない私だった。
セイル王子から頼まれて断れなかった……というのもあるけど、なにより、あの戦いを生き延びた人たちに、美味しいものを食べてほしかったのだ。
それに、「王都の一流の厨房スタッフも加勢するから」と言われていたのに――
(……まさか、“全員私の指示待ち”状態だなんて聞いてない!)
どうやら、王都の料理人たちは“王族のお墨付きの料理研究家様”にビビってしまい、自分の判断で動けなくなっているらしい。
(こんなに人がいるのに、全員が私を見てるなんて……背中がムズムズするー!)
「カスミアーナ様っ!」
また一人、若い料理人が走ってきて、手に持ったソース鍋を差し出す。
「この“バーベルソース”、これで合ってますか? 色が思ったより濃くて……」
「これは……うん、大丈夫! でも、あとで“銀の葡萄酒”で香りをつけてみて」
――実は“バーベルソース”なんて、昨日考えたばかりのオリジナルソースである。
濃厚な肉料理に合わせるため、スパイスと干し葡萄、ナッツに地酒を合わせて煮詰めたものだ。名前は適当につけたけど、やたら高級そうに響くらしく、今では厨房の誰もが敬語で呼んでいる。
(これは……もう、ノリと勢いで乗り切るしかない!)
とにかく、料理の力を信じよう。
誰かの喜ぶ顔を想像して、私はまたフライパンを手に取った。
そこに――
「カスミアーナ!」
がちゃり、と扉が開いて入ってきたのは、エリクだった。フリーデン村の厨房で一緒に働いていた少年だ。
「エリク!? どうしてここに?」
「セイル王子の命令で、僕たちも“援軍”に来たんです!」
その後ろには、リサやマルタ、フリーデンの仲間たちがぞろぞろと。
「お手伝い、させてくださいっ!」
私は思わず笑ってしまった。
「もう……こんな心強い援軍が来るなんて、反則よ」
――晩餐会の準備は、波乱含みだったけれど。
それでも、笑顔が増えていくこの厨房に、少しずつ希望の匂いが広がっていった。
✳✳✳
晩餐会のメニューが大枠で決まり、厨房見習いたちや王都の補佐役も揃ったことで、厨房の空気はようやく落ち着いてきた――ように見えた。
だけど実際のところ、全然落ち着いてなんていなかった。
「バターが足りません!」「え、香草ってこっちの棚じゃないんですか!?」「あっ、鍋が焦げてるーっ!」
あっちで叫び、こっちで転び、調理器具がカンカン音を立てる。厨房はまるで戦場のようだった。
(いや、戦のあとはこれが日常なのかも……?)
私は思わず遠い目になりながら、焦げかけた鍋の底をヘラでこそげ落とした。うん、ギリギリセーフ。
「カスミアーナさん、玉ねぎ、どう切ればいいですか!? みじん切り? それとも薄切り!?」
「その料理は薄切りでお願い! あ、あとで油で炒めるから、ちょっと大きめでもいいよ」
「了解です!」
元気いっぱいに返事してくれたのは、見習いの少年トールくん。王都の厨房に憧れて修行中の少年で、まだ少し手際は悪いけど、真面目で素直なのがいいところ。
「トールくん、その包丁、研いであげるからちょっと貸してくれる?」
「えっ、ありがとうございますっ!」
厨房の片隅に用意していた砥石を使って、ささっと包丁を整える。その間にも他の作業は次々と進んでいく。
「魚の下処理、終わりましたー!」
「ありがとう、次はあの大鍋に材料入れて煮込んでいって!」
「はーい!」
王都の若手たちも、初めは戸惑っていたが、カスミアーナ流の“段取り重視”スタイルに慣れてきたのか、徐々に動きがスムーズになってきた。
(これなら、なんとかなるかも……?)
そう思ったのも束の間。
「すみません、火が強すぎてソースが飛びました!」
「キャベツの塩もみ、塩入れすぎちゃいました!」
「焼きすぎて、ちょっと黒いです……」
やっぱり甘くなかった。
でも、そのたびに私は声をかける。
「大丈夫、ソースは水で少し伸ばせば調整できるよ」
「キャベツは水にさらして塩抜きしよう」
「焼きすぎたのは……うーん、細かく刻んでサラダに混ぜようか!」
失敗は、次につながるチャンス。私の口癖でもある「料理は工夫と応用だよ」が、ここでも生きてくる。
「……カスミアーナさんって、ほんとすごいですね」
ぽつりと呟いたのは、王都の料理長補佐、ベイルさん。
整った顔立ちにキリッとした瞳。最初は冷たい印象だったけど、今ではずいぶん柔らかくなった。
「すごくなんてないです。ただ、たくさん失敗してきただけですよ」
「でも、どんな混乱にも動じないし、みんなの士気を下げない。……俺には到底真似できません」
「ふふ、それもスキルのうちなんです。料理研究家スキル、『厨房マネジメント』ってことで」
冗談まじりに返すと、ベイルさんが少し吹き出した。
「なるほど、それ、欲しいスキルですね」
そんなやり取りをしながら、私たちはまた調理に戻った。
***
夕方が近づくにつれ、厨房の温度はどんどん上がっていく。火と熱気と、やる気と、焦りと、いろんな感情が混じり合って、空気がぴりっと張り詰める。
「仕込み、順調です!」
「デザートの仕上げに入ります!」
「肉料理、焼き上がりました!」
報告の声が飛び交い、バタバタと足音が響く。
でも――その中に、確かな一体感があった。
「さあ、ラストスパートよ!」
私の掛け声に、全員がうなずく。
晩餐会はもうすぐ。厨房の“戦い”は、今が本番だった。
✳✳✳
晩餐会の時刻が迫り、厨房は最後の盛り付けと確認でてんやわんやだった。
「このソース、温め直しておいた方がいい?」
「皿のフチにソースが飛んでる、拭いてから出して!」
「肉、中心温度測りました! 完璧です!」
次々に飛び交う声。それに応じるように私も身をかがめ、あっちの鍋、こっちの皿と飛び回る。さっきまで汗でべったりだった前髪なんて、もう気にしてる暇もない。
「はい! 全皿、準備完了です!」
若手の見習いが満面の笑みで報告してくれる。私はにこりと微笑んでうなずいた。
「よく頑張ったね。じゃあ、出陣――じゃなかった、配膳開始!」
「おおおーっ!」
なぜか厨房から歓声が上がった。……うん、うちの厨房、なんか部活みたいになってきてる。
***
広間には、王族や貴族、それに軍の重鎮たちがずらりと並んでいた。
王宮の正式な晩餐会というだけあって、テーブルクロスも椅子も華やかな装飾が施され、控えめながらきらびやかな金の燭台が揺らめいている。お皿ひとつとっても、どこかの名窯の逸品らしい。
そんな中、私たちの料理が次々と運ばれていく。
「本日の先付けは、香草を使った“地鶏のサラダ仕立て”、スパイスの香るドレッシングでご用意しております」
「続いて、海鮮の冷製スープ、“潮風のジュレ”です」
「メインは、“森獣のグリルと香草のロースト”、特製スパイスソースを添えて……」
配膳係が、慣れた口調で料理を紹介していく。その様子に、私はドキドキしっぱなしだった。
(貴族って、どんな味の感想言うんだろう……)
どきどきしながら厨房の片隅から様子をうかがっていると――
「……うむ。見た目も良いが、香りも素晴らしい」
「この前菜、さっぱりしていてよいな。夏向けだ」
「この肉……柔らかいな。どうやって焼いたのだ?」
「これは……ほう、甘味と辛味のバランスが良い。異国の味、だな?」
ひそひそとした声の中に、好意的な言葉がちらほら混じる。
(よかった……ちゃんと、伝わってる)
私はそっと、胸に手を当てて小さく息をついた。
***
その頃、広間の一番奥――玉座の隣に座っていたセイル王子が、ゆっくりと立ち上がった。
話題が自然と止まり、会場の視線が彼に集まる。
「皆の者、本日はご多忙の中、この晩餐の席に集まってくれて感謝する」
王子の声は落ち着いていて、それでいて芯が通っていた。
「今回の献立は、王都の若き料理人たち、そして我が王宮に招かれた“料理研究家”――カスミアーナ嬢の手によるものだ」
その名が出た瞬間、私はびくりと肩を震わせた。
「……彼女の料理は、我々の心と身体に“力”を与えてくれる。戦の後、今この時こそ、我々に必要な“癒し”であり、“希望”なのだ」
その言葉に、会場から小さなどよめきが起きた。
「私は、彼女の料理を“戦の味”とは呼ばない。“未来の味”と呼びたい」
しん……と、一瞬、空気が止まった。
そして、次の瞬間。
「……素晴らしい」「確かに」「未来の味、か……」
ぽつぽつと拍手が起き、やがてそれは広がっていった。
厨房の奥でそれを見ていた私は、涙が出そうになった。
(……認めてもらえた)
この異世界で、初めて本当に“自分の名前”が、この王都の真ん中で呼ばれた気がした。
***
そして――まだこの晩餐会には“秘密兵器”が控えていた。
そう、デザートタイムである。
(ふふふ……地球式プリンの威力、見せてあげる)
私は、次なる一手に、こっそり笑みを浮かべるのだった。
✳✳✳
食後の余韻に包まれる晩餐会の会場に、柔らかなベルの音が鳴り響いた。
「ただいまより、甘味の時間でございます」
給仕がそう告げると同時に、黄金色のスイーツが載ったトレーが、各テーブルへと運ばれていった。
それは、私――カスミアーナが異世界初導入を果たした、地球風“プリン”。
この世界にはゼラチンや寒天の文化はあったが、「とろける系スイーツ」という概念はまだ新しく、しかもカラメルの香ばしさと卵のコクを活かしたこの味は、絶対に未体験のはず!
(見た目は完璧。あとは反応次第……!)
私はドキドキしながら、厨房のカーテンの陰から貴族たちの様子をうかがう。
***
「……む?」
「この甘味、スプーンを入れた瞬間、とろける……?」
「口に入れたら……まろやかで……これは……!」
貴族たちは最初こそ慎重に一口を運んでいたが、すぐに表情を変えた。
難しい顔をしていた初老の侯爵が、思わず口元を緩ませ、
「うむ、これは……これまでにない味だな」
と漏らしたかと思えば、隣の令嬢は目をキラキラさせながらこう言った。
「わたくし……このスイーツと結婚したいですわ!」
(出た! お決まりの“スイーツプロポーズ”!)
まさか異世界でもこの反応が飛び出すとは……私は思わず笑いそうになった。
***
やがて会場のあちこちから拍手が起こり始める。美味に感謝するという、この世界独特の“甘味賛辞”らしい。
「カスミアーナ嬢は、どこに?」
「ぜひこの“ぷりん”とやらの作り方を……」
「この味、王都でもっと広めるべきだ!」
次々と飛び出す感想に、厨房の若手たちは顔を見合わせながら、じわりと感動を滲ませていた。
「な、なんか……泣けてきた……」
「俺、実家の親に言いてぇ……“料理人になって良かった”って……!」
うんうん、わかるよー。感想が直接届くって、ほんと、何よりのご褒美だよね。
***
そして、そこへ現れたのは――セイル王子。
彼は厨房に入ってくるなり、まっすぐ私の方へ歩いてきた。
「カスミアーナ」
「はいっ」
「君のプリンは、見事だった。あれはもはや……兵器だな」
「兵器!?」
思わず声を上げると、王子はにやりと笑った。
「人の心を撃ち抜く、最高級の甘味兵器だ」
「……それ、褒めてます?」
「もちろんだ。貴族たちの緊張もほぐれたし、胃袋で和平を結んだようなものだろう?」
うまいこと言ったつもりなのか、どこか得意げな顔。私は苦笑しながら、軽く一礼した。
「ありがとうございます。ですが……これはまだ、序章です」
「ほう?」
「いずれ、朝ごはんにも“甘味”を。スイーツは、一日を通して楽しまれるべきなんです!」
「……それはまた、戦いの日々になりそうだな」
二人で笑い合いながら、晩餐会の熱気に包まれる厨房の奥で、私はふと思った。
料理は、心をつなぐ。
この異世界でも、それはきっと変わらない。
そう信じて――私は、明日もまた“食卓”という名の戦場に立つのだった。
✳✳✳
晩餐会が終わり、厨房は一気に静けさを取り戻していた。
山のような食器はすでに洗い場で片付け中。見習いたちは達成感と疲労の混じった顔で、椅子にもたれてぐったりしている。
私もようやくエプロンを外し、深く息を吐いた。
「ふぅ……みんな、本当にお疲れさまでした!」
「カスミアーナさんこそ!」
「プリン、大勝利でしたね!」
ぱちぱちと拍手が巻き起こる。なんだか部活の打ち上げみたいで、こそばゆいけど嬉しい。
と、その時。
「カスミアーナ嬢、失礼します」
厨房の扉から、見慣れない中年の使用人が現れた。年配だが姿勢はピンと伸び、威厳のある物腰。手には銀縁の封筒が一通。
「……これは?」
「陛下よりの“親書”にございます。本日の料理に深く感銘を受けたとのことで、改めて陛下自ら、あなたにお話ししたいと」
「え、ええっ!?」
一同、びっくりして目を丸くする。
え、王様!? 本人が!? いまさらながら私の背筋にも冷たいものが走る。
「……いつ、どこで、ですか?」
「明朝、王宮・第三謁見室にて。陛下はあなたとの“食に関する未来”について、意見を交わしたいとおっしゃっておりました」
(未来って……まさか、料理改革とか!?)
どうしよう……プレッシャーがすごい。でも、逃げるわけにはいかない。
「……はい。謹んでお受けいたします」
私は封筒を受け取り、一礼した。
***
その夜、宿に戻った私は一人、部屋のベッドに大の字になっていた。
「はぁぁぁああ~~~……!」
カーテンが揺れる音、窓の外の夜風。晩餐会の熱気は夢のようで、いまや疲労と緊張がどっと押し寄せてくる。
「王様って……なに話すんだろ……。もしかして、王都専属の料理人にとか? え、そうなったら朝昼晩三食作るの? 王子のも? 騎士団のも?」
脳内でどんどん過労ルートが展開されていく。私はベッドの上でじたばたと足をばたつかせた。
「いやいやいや! そんなの無理だから! 一人で回せるわけないじゃん!」
……と、そこへ部屋のドアがノックされた。
「……あ、カスミアーナ? 起きてる?」
開けると、そこにはセイル王子。パジャマ姿。どうして王子ってだけで、パジャマが高級ガウンに見えるのか不思議。
「すまない、遅くに。少しだけ話があるんだ」
「はい、どうぞ」
二人で小さなテーブルにつき、軽くハーブティーを淹れた。
「……明日の謁見のこと、聞いたよ」
「やっぱり、王子の差し金ですか?」
「ふふ、半分だけね。陛下が君の料理に感動して……正直、少し驚いたよ。父上が“料理で未来を語る”なんて言い出すとは思ってなかった」
どこか寂しげに微笑む王子に、私は思わず訊いた。
「……王様って、料理にあまり興味なかったんですか?」
「いや、むしろ“興味がなかったフリ”をしていたんだ。贅沢だと思ってたらしい。だが――君の料理は、“贅沢”じゃなくて、“必要”だったんだろうな」
――必要。
それは、この異世界に来てから、何度も私が望んだ言葉だった。
「ありがとう、王子」
「礼なら、明日直接父上に言ってくれ」
そう言って、彼はすっと立ち上がった。
「カスミアーナ。明日は……きっと、君の料理が“王都の未来”を変える日だ」
その言葉を残し、王子は静かに部屋を出ていった。
***
静かになった部屋に、ハーブティーの香りが漂う。
私は湯気の向こうで、明日の謁見を思い描いていた。
(……いよいよ、王様と対面)
緊張する。だけど、それ以上に――
(伝えたい)
この料理が、どれだけの人を救えるのか。
そのためなら、私は……胸を張って、“料理研究家”として立ち向かう。
✳✳✳
王宮・第三謁見室。
その空間は、煌びやかすぎず、かといって質素でもなく、歴史と威厳を感じさせる静謐な場所だった。
私は、昨日渡されたドレスコードに従い、控えめなグリーンのワンピース姿で立っていた。地味すぎず、派手すぎず。これがこの国の“謁見モード”らしい。
でも心の中は、もうドッキドキである。
(あぁぁぁ~……なんで私が、王様と二人きりで謁見なの!?)
ドアの前で案内役の侍女が一礼し、扉が音もなく開く。
そこにいたのは、威厳と包容力を感じさせる中年の男性――この国の王、アルヴァート陛下だった。
「カスミアーナ・カスミ嬢であったな。来てくれて、感謝する」
「は、はいっ! お招きありがとうございます!」
ぴしっと頭を下げながら、私は内心テンパっていた。目の前の人物は、この国のトップ。しかも、カレーとプリンに心を動かされた方である。
「まずは礼を言いたい。昨夜の料理、あれは“心を潤す力”があった」
「……お口に合ったようで、光栄です」
「“合った”どころではない。あの味は……剣でも魔法でも得られぬ、人の力を引き出すものだと感じた」
陛下の声は穏やかで、言葉ひとつひとつが丁寧だった。
緊張はするけれど、敵意や冷たさはまったくない。むしろ、どこか“父親”のような安心感さえある。
「……王都における食の在り方を、私も見直すべき時かもしれぬ。そなたはどう考える?」
「えっと……」
私は一呼吸おいて、ゆっくりと答えた。
「王都の料理は、確かに格式があり、美しさも一流です。でも、“日々を生きるためのごはん”としては、少し……遠い存在のように感じました」
正直に、でも失礼のないように。
陛下はしばらく黙り、ふっと目を細めた。
「まさに、その通りだ。貴族たちの“見栄”と“伝統”が、庶民の食を乖離させてしまったのかもしれぬ」
ゆっくりと、椅子に腰掛けた陛下は、手招きで私にも座るよう促してくれた。
「そなたの料理は、“人のために”作られている。それは、そなたの技術が素晴らしいからではなく……“心”がこもっているからだろう」
「……そんな、もったいないお言葉です」
「そう思わぬでよい。……カスミアーナよ。私は“食”の改革を本気で考え始めている」
「はい……!」
「そのために、王都に“庶民の台所”を設けたい。民のための料理、心を養う食事。それを広げる場所を、王都に」
目を見開く私に、陛下は微笑んだ。
「そなたに、その料理の監修者になってほしいのだ」
「……っ!」
思わず、両手をぎゅっと膝の上で握りしめる。
――それは、夢のような話だった。
料理で、人を笑顔にするだけでなく、国そのものの在り方を変えるかもしれない役割。
「お引き受けします!」
私は、迷いなく答えた。
***
謁見を終え、謁見室の外へ出た私は、ぼうっと天井を見上げた。
まるで夢みたいだった。でもこれは現実。これからきっと、忙しくなる。だけど、私は笑っていられる。
「……さて! 帰って朝ごはん、考えなきゃ!」
そう、今日も“ごはん”は続いていくのだ。
戦いのあとも。涙のあとも。
それは、誰かの力になる。
戦いの終わりを告げる朝日が、王都の街並みを優しく照らしていた。
あの戦――カレーで士気を上げて挑んだ騎士団の出撃から、まだ三日しか経っていないというのに、まるで数週間が過ぎたかのような感覚だった。
私は今、王都の騎士団宿舎の厨房にいる。
この数日、料理の依頼がひっきりなしに来て、気づけば王都に“滞在”しているような状況になってしまった。セイル王子の推薦と、王宮からの臨時許可もあって、厨房の一部を借りることができている。
「カスミアーナさん! これ、スパイス棚に補充しておきました!」
「ありがとう、リサちゃん。ナツァの粉、足りてた?」
「はいっ、ちゃんと確認しました!」
厨房には、いつもの仲間たちの声が響いていた。
エリクやリサ、若手の厨房スタッフたちも王都入りしており、今やちょっとした“出張フードチーム”状態になっている。
それだけ、この街にとって“ごはん”の持つ力が大きくなっていた。
戦いのあと、帰還した騎士団員たちはこぞって「カレーが食べたい!」と厨房に押しかけてきた。
その言葉に、どれほど救われたかしれない。誰もが無事だったわけではないけれど、みんなが“生きて帰った者”として、笑顔でごはんを食べてくれる――それだけで、料理人冥利に尽きる。
「よしっ、今日も元気に仕込み開始!」
私は声をかけ、鍋の蓋を開けた。
スパイスの香りがふわっと立ちのぼる。その香りを嗅いだ瞬間、気持ちがしゃんと引き締まるのを感じた。
でも、その直後――
「失礼しまーす! ……あれ? もう始めてる?」
ぱたぱたと軽い足音と共に、厨房に現れたのは、騎士団の補給担当の女性隊員だった。
「カスミアーナさん宛のお届けものです! 王宮の紋章付きでしたので、お早めにとのことです!」
「……王宮の、ですか?」
思わず手を止め、彼女の差し出した封筒を受け取る。
見覚えのある、きらびやかな金の封蝋。それは、セイル王子の姉君――王女アリーシャからのものだった。
私は息をのんで封を切る。
> 『戦勝の報、誠に喜ばしく存じます。
貴殿が調理された“特別な料理”の評判が王宮にも届きました。つきましては、近日開催される晩餐の席にて、料理を披露いただきたく――』
そこまで読んで、私は思わず厨房の壁に手をついた。
「……王女様から、正式な晩餐会の依頼……!」
そのとき、背後からぬっと現れた影がひとつ。
「……まさか、もう届いてしまったか」
見ると、いつの間にかセイル王子が、厨房の入り口で頭を抱えていた。
「王子……やっぱり、予想してたんですか?」
「いや、姉上のことだから……気になるだろうな、とは思ってたけど……!」
王子は肩を落としつつも、どこか観念したように苦笑していた。
「でも、来ちゃったものは仕方ないですよね」
私がそう言うと、彼は苦笑いのままこくりとうなずいた。
「……行くしかない、か。俺も付き添いに入るから、安心してくれ。厨房の使い方は、ちゃんと王宮に根回ししておく」
「心強いです!」
こうして、戦の終わりと共に、次なる舞台――王宮の晩餐会が、静かに幕を開けた。
✳✳✳
王都の厨房は、朝からまるでお祭りのように賑わっていた。
と言っても、楽しい祭りではなく、戦場のような意味で。
「カスミアーナ様っ、こっちのロースト用の肉、どの香草を合わせたら……!」
「焦げてるわよ、それ、温度が高すぎるの!」
「マリネ液ってこれで大丈夫ですか!? 昨日の分と色が違ってて……!」
――はい、見事に大混乱です。
「落ち着いて、順番に説明して! 肉はローリルとレモンミント、火を弱めて! マリネ液は昨日より果汁が少なかったのかも、酸味を足して調整して!」
てきぱきと指示を出しながら、私は半ば気合いで立ち回っていた。
(……どうしてこうなったのかしら)
振り返ること数時間前――
王都の貴族たちと、戦地から戻った騎士団を労う晩餐会。その料理を一手に引き受けることになったのは、他でもない私だった。
セイル王子から頼まれて断れなかった……というのもあるけど、なにより、あの戦いを生き延びた人たちに、美味しいものを食べてほしかったのだ。
それに、「王都の一流の厨房スタッフも加勢するから」と言われていたのに――
(……まさか、“全員私の指示待ち”状態だなんて聞いてない!)
どうやら、王都の料理人たちは“王族のお墨付きの料理研究家様”にビビってしまい、自分の判断で動けなくなっているらしい。
(こんなに人がいるのに、全員が私を見てるなんて……背中がムズムズするー!)
「カスミアーナ様っ!」
また一人、若い料理人が走ってきて、手に持ったソース鍋を差し出す。
「この“バーベルソース”、これで合ってますか? 色が思ったより濃くて……」
「これは……うん、大丈夫! でも、あとで“銀の葡萄酒”で香りをつけてみて」
――実は“バーベルソース”なんて、昨日考えたばかりのオリジナルソースである。
濃厚な肉料理に合わせるため、スパイスと干し葡萄、ナッツに地酒を合わせて煮詰めたものだ。名前は適当につけたけど、やたら高級そうに響くらしく、今では厨房の誰もが敬語で呼んでいる。
(これは……もう、ノリと勢いで乗り切るしかない!)
とにかく、料理の力を信じよう。
誰かの喜ぶ顔を想像して、私はまたフライパンを手に取った。
そこに――
「カスミアーナ!」
がちゃり、と扉が開いて入ってきたのは、エリクだった。フリーデン村の厨房で一緒に働いていた少年だ。
「エリク!? どうしてここに?」
「セイル王子の命令で、僕たちも“援軍”に来たんです!」
その後ろには、リサやマルタ、フリーデンの仲間たちがぞろぞろと。
「お手伝い、させてくださいっ!」
私は思わず笑ってしまった。
「もう……こんな心強い援軍が来るなんて、反則よ」
――晩餐会の準備は、波乱含みだったけれど。
それでも、笑顔が増えていくこの厨房に、少しずつ希望の匂いが広がっていった。
✳✳✳
晩餐会のメニューが大枠で決まり、厨房見習いたちや王都の補佐役も揃ったことで、厨房の空気はようやく落ち着いてきた――ように見えた。
だけど実際のところ、全然落ち着いてなんていなかった。
「バターが足りません!」「え、香草ってこっちの棚じゃないんですか!?」「あっ、鍋が焦げてるーっ!」
あっちで叫び、こっちで転び、調理器具がカンカン音を立てる。厨房はまるで戦場のようだった。
(いや、戦のあとはこれが日常なのかも……?)
私は思わず遠い目になりながら、焦げかけた鍋の底をヘラでこそげ落とした。うん、ギリギリセーフ。
「カスミアーナさん、玉ねぎ、どう切ればいいですか!? みじん切り? それとも薄切り!?」
「その料理は薄切りでお願い! あ、あとで油で炒めるから、ちょっと大きめでもいいよ」
「了解です!」
元気いっぱいに返事してくれたのは、見習いの少年トールくん。王都の厨房に憧れて修行中の少年で、まだ少し手際は悪いけど、真面目で素直なのがいいところ。
「トールくん、その包丁、研いであげるからちょっと貸してくれる?」
「えっ、ありがとうございますっ!」
厨房の片隅に用意していた砥石を使って、ささっと包丁を整える。その間にも他の作業は次々と進んでいく。
「魚の下処理、終わりましたー!」
「ありがとう、次はあの大鍋に材料入れて煮込んでいって!」
「はーい!」
王都の若手たちも、初めは戸惑っていたが、カスミアーナ流の“段取り重視”スタイルに慣れてきたのか、徐々に動きがスムーズになってきた。
(これなら、なんとかなるかも……?)
そう思ったのも束の間。
「すみません、火が強すぎてソースが飛びました!」
「キャベツの塩もみ、塩入れすぎちゃいました!」
「焼きすぎて、ちょっと黒いです……」
やっぱり甘くなかった。
でも、そのたびに私は声をかける。
「大丈夫、ソースは水で少し伸ばせば調整できるよ」
「キャベツは水にさらして塩抜きしよう」
「焼きすぎたのは……うーん、細かく刻んでサラダに混ぜようか!」
失敗は、次につながるチャンス。私の口癖でもある「料理は工夫と応用だよ」が、ここでも生きてくる。
「……カスミアーナさんって、ほんとすごいですね」
ぽつりと呟いたのは、王都の料理長補佐、ベイルさん。
整った顔立ちにキリッとした瞳。最初は冷たい印象だったけど、今ではずいぶん柔らかくなった。
「すごくなんてないです。ただ、たくさん失敗してきただけですよ」
「でも、どんな混乱にも動じないし、みんなの士気を下げない。……俺には到底真似できません」
「ふふ、それもスキルのうちなんです。料理研究家スキル、『厨房マネジメント』ってことで」
冗談まじりに返すと、ベイルさんが少し吹き出した。
「なるほど、それ、欲しいスキルですね」
そんなやり取りをしながら、私たちはまた調理に戻った。
***
夕方が近づくにつれ、厨房の温度はどんどん上がっていく。火と熱気と、やる気と、焦りと、いろんな感情が混じり合って、空気がぴりっと張り詰める。
「仕込み、順調です!」
「デザートの仕上げに入ります!」
「肉料理、焼き上がりました!」
報告の声が飛び交い、バタバタと足音が響く。
でも――その中に、確かな一体感があった。
「さあ、ラストスパートよ!」
私の掛け声に、全員がうなずく。
晩餐会はもうすぐ。厨房の“戦い”は、今が本番だった。
✳✳✳
晩餐会の時刻が迫り、厨房は最後の盛り付けと確認でてんやわんやだった。
「このソース、温め直しておいた方がいい?」
「皿のフチにソースが飛んでる、拭いてから出して!」
「肉、中心温度測りました! 完璧です!」
次々に飛び交う声。それに応じるように私も身をかがめ、あっちの鍋、こっちの皿と飛び回る。さっきまで汗でべったりだった前髪なんて、もう気にしてる暇もない。
「はい! 全皿、準備完了です!」
若手の見習いが満面の笑みで報告してくれる。私はにこりと微笑んでうなずいた。
「よく頑張ったね。じゃあ、出陣――じゃなかった、配膳開始!」
「おおおーっ!」
なぜか厨房から歓声が上がった。……うん、うちの厨房、なんか部活みたいになってきてる。
***
広間には、王族や貴族、それに軍の重鎮たちがずらりと並んでいた。
王宮の正式な晩餐会というだけあって、テーブルクロスも椅子も華やかな装飾が施され、控えめながらきらびやかな金の燭台が揺らめいている。お皿ひとつとっても、どこかの名窯の逸品らしい。
そんな中、私たちの料理が次々と運ばれていく。
「本日の先付けは、香草を使った“地鶏のサラダ仕立て”、スパイスの香るドレッシングでご用意しております」
「続いて、海鮮の冷製スープ、“潮風のジュレ”です」
「メインは、“森獣のグリルと香草のロースト”、特製スパイスソースを添えて……」
配膳係が、慣れた口調で料理を紹介していく。その様子に、私はドキドキしっぱなしだった。
(貴族って、どんな味の感想言うんだろう……)
どきどきしながら厨房の片隅から様子をうかがっていると――
「……うむ。見た目も良いが、香りも素晴らしい」
「この前菜、さっぱりしていてよいな。夏向けだ」
「この肉……柔らかいな。どうやって焼いたのだ?」
「これは……ほう、甘味と辛味のバランスが良い。異国の味、だな?」
ひそひそとした声の中に、好意的な言葉がちらほら混じる。
(よかった……ちゃんと、伝わってる)
私はそっと、胸に手を当てて小さく息をついた。
***
その頃、広間の一番奥――玉座の隣に座っていたセイル王子が、ゆっくりと立ち上がった。
話題が自然と止まり、会場の視線が彼に集まる。
「皆の者、本日はご多忙の中、この晩餐の席に集まってくれて感謝する」
王子の声は落ち着いていて、それでいて芯が通っていた。
「今回の献立は、王都の若き料理人たち、そして我が王宮に招かれた“料理研究家”――カスミアーナ嬢の手によるものだ」
その名が出た瞬間、私はびくりと肩を震わせた。
「……彼女の料理は、我々の心と身体に“力”を与えてくれる。戦の後、今この時こそ、我々に必要な“癒し”であり、“希望”なのだ」
その言葉に、会場から小さなどよめきが起きた。
「私は、彼女の料理を“戦の味”とは呼ばない。“未来の味”と呼びたい」
しん……と、一瞬、空気が止まった。
そして、次の瞬間。
「……素晴らしい」「確かに」「未来の味、か……」
ぽつぽつと拍手が起き、やがてそれは広がっていった。
厨房の奥でそれを見ていた私は、涙が出そうになった。
(……認めてもらえた)
この異世界で、初めて本当に“自分の名前”が、この王都の真ん中で呼ばれた気がした。
***
そして――まだこの晩餐会には“秘密兵器”が控えていた。
そう、デザートタイムである。
(ふふふ……地球式プリンの威力、見せてあげる)
私は、次なる一手に、こっそり笑みを浮かべるのだった。
✳✳✳
食後の余韻に包まれる晩餐会の会場に、柔らかなベルの音が鳴り響いた。
「ただいまより、甘味の時間でございます」
給仕がそう告げると同時に、黄金色のスイーツが載ったトレーが、各テーブルへと運ばれていった。
それは、私――カスミアーナが異世界初導入を果たした、地球風“プリン”。
この世界にはゼラチンや寒天の文化はあったが、「とろける系スイーツ」という概念はまだ新しく、しかもカラメルの香ばしさと卵のコクを活かしたこの味は、絶対に未体験のはず!
(見た目は完璧。あとは反応次第……!)
私はドキドキしながら、厨房のカーテンの陰から貴族たちの様子をうかがう。
***
「……む?」
「この甘味、スプーンを入れた瞬間、とろける……?」
「口に入れたら……まろやかで……これは……!」
貴族たちは最初こそ慎重に一口を運んでいたが、すぐに表情を変えた。
難しい顔をしていた初老の侯爵が、思わず口元を緩ませ、
「うむ、これは……これまでにない味だな」
と漏らしたかと思えば、隣の令嬢は目をキラキラさせながらこう言った。
「わたくし……このスイーツと結婚したいですわ!」
(出た! お決まりの“スイーツプロポーズ”!)
まさか異世界でもこの反応が飛び出すとは……私は思わず笑いそうになった。
***
やがて会場のあちこちから拍手が起こり始める。美味に感謝するという、この世界独特の“甘味賛辞”らしい。
「カスミアーナ嬢は、どこに?」
「ぜひこの“ぷりん”とやらの作り方を……」
「この味、王都でもっと広めるべきだ!」
次々と飛び出す感想に、厨房の若手たちは顔を見合わせながら、じわりと感動を滲ませていた。
「な、なんか……泣けてきた……」
「俺、実家の親に言いてぇ……“料理人になって良かった”って……!」
うんうん、わかるよー。感想が直接届くって、ほんと、何よりのご褒美だよね。
***
そして、そこへ現れたのは――セイル王子。
彼は厨房に入ってくるなり、まっすぐ私の方へ歩いてきた。
「カスミアーナ」
「はいっ」
「君のプリンは、見事だった。あれはもはや……兵器だな」
「兵器!?」
思わず声を上げると、王子はにやりと笑った。
「人の心を撃ち抜く、最高級の甘味兵器だ」
「……それ、褒めてます?」
「もちろんだ。貴族たちの緊張もほぐれたし、胃袋で和平を結んだようなものだろう?」
うまいこと言ったつもりなのか、どこか得意げな顔。私は苦笑しながら、軽く一礼した。
「ありがとうございます。ですが……これはまだ、序章です」
「ほう?」
「いずれ、朝ごはんにも“甘味”を。スイーツは、一日を通して楽しまれるべきなんです!」
「……それはまた、戦いの日々になりそうだな」
二人で笑い合いながら、晩餐会の熱気に包まれる厨房の奥で、私はふと思った。
料理は、心をつなぐ。
この異世界でも、それはきっと変わらない。
そう信じて――私は、明日もまた“食卓”という名の戦場に立つのだった。
✳✳✳
晩餐会が終わり、厨房は一気に静けさを取り戻していた。
山のような食器はすでに洗い場で片付け中。見習いたちは達成感と疲労の混じった顔で、椅子にもたれてぐったりしている。
私もようやくエプロンを外し、深く息を吐いた。
「ふぅ……みんな、本当にお疲れさまでした!」
「カスミアーナさんこそ!」
「プリン、大勝利でしたね!」
ぱちぱちと拍手が巻き起こる。なんだか部活の打ち上げみたいで、こそばゆいけど嬉しい。
と、その時。
「カスミアーナ嬢、失礼します」
厨房の扉から、見慣れない中年の使用人が現れた。年配だが姿勢はピンと伸び、威厳のある物腰。手には銀縁の封筒が一通。
「……これは?」
「陛下よりの“親書”にございます。本日の料理に深く感銘を受けたとのことで、改めて陛下自ら、あなたにお話ししたいと」
「え、ええっ!?」
一同、びっくりして目を丸くする。
え、王様!? 本人が!? いまさらながら私の背筋にも冷たいものが走る。
「……いつ、どこで、ですか?」
「明朝、王宮・第三謁見室にて。陛下はあなたとの“食に関する未来”について、意見を交わしたいとおっしゃっておりました」
(未来って……まさか、料理改革とか!?)
どうしよう……プレッシャーがすごい。でも、逃げるわけにはいかない。
「……はい。謹んでお受けいたします」
私は封筒を受け取り、一礼した。
***
その夜、宿に戻った私は一人、部屋のベッドに大の字になっていた。
「はぁぁぁああ~~~……!」
カーテンが揺れる音、窓の外の夜風。晩餐会の熱気は夢のようで、いまや疲労と緊張がどっと押し寄せてくる。
「王様って……なに話すんだろ……。もしかして、王都専属の料理人にとか? え、そうなったら朝昼晩三食作るの? 王子のも? 騎士団のも?」
脳内でどんどん過労ルートが展開されていく。私はベッドの上でじたばたと足をばたつかせた。
「いやいやいや! そんなの無理だから! 一人で回せるわけないじゃん!」
……と、そこへ部屋のドアがノックされた。
「……あ、カスミアーナ? 起きてる?」
開けると、そこにはセイル王子。パジャマ姿。どうして王子ってだけで、パジャマが高級ガウンに見えるのか不思議。
「すまない、遅くに。少しだけ話があるんだ」
「はい、どうぞ」
二人で小さなテーブルにつき、軽くハーブティーを淹れた。
「……明日の謁見のこと、聞いたよ」
「やっぱり、王子の差し金ですか?」
「ふふ、半分だけね。陛下が君の料理に感動して……正直、少し驚いたよ。父上が“料理で未来を語る”なんて言い出すとは思ってなかった」
どこか寂しげに微笑む王子に、私は思わず訊いた。
「……王様って、料理にあまり興味なかったんですか?」
「いや、むしろ“興味がなかったフリ”をしていたんだ。贅沢だと思ってたらしい。だが――君の料理は、“贅沢”じゃなくて、“必要”だったんだろうな」
――必要。
それは、この異世界に来てから、何度も私が望んだ言葉だった。
「ありがとう、王子」
「礼なら、明日直接父上に言ってくれ」
そう言って、彼はすっと立ち上がった。
「カスミアーナ。明日は……きっと、君の料理が“王都の未来”を変える日だ」
その言葉を残し、王子は静かに部屋を出ていった。
***
静かになった部屋に、ハーブティーの香りが漂う。
私は湯気の向こうで、明日の謁見を思い描いていた。
(……いよいよ、王様と対面)
緊張する。だけど、それ以上に――
(伝えたい)
この料理が、どれだけの人を救えるのか。
そのためなら、私は……胸を張って、“料理研究家”として立ち向かう。
✳✳✳
王宮・第三謁見室。
その空間は、煌びやかすぎず、かといって質素でもなく、歴史と威厳を感じさせる静謐な場所だった。
私は、昨日渡されたドレスコードに従い、控えめなグリーンのワンピース姿で立っていた。地味すぎず、派手すぎず。これがこの国の“謁見モード”らしい。
でも心の中は、もうドッキドキである。
(あぁぁぁ~……なんで私が、王様と二人きりで謁見なの!?)
ドアの前で案内役の侍女が一礼し、扉が音もなく開く。
そこにいたのは、威厳と包容力を感じさせる中年の男性――この国の王、アルヴァート陛下だった。
「カスミアーナ・カスミ嬢であったな。来てくれて、感謝する」
「は、はいっ! お招きありがとうございます!」
ぴしっと頭を下げながら、私は内心テンパっていた。目の前の人物は、この国のトップ。しかも、カレーとプリンに心を動かされた方である。
「まずは礼を言いたい。昨夜の料理、あれは“心を潤す力”があった」
「……お口に合ったようで、光栄です」
「“合った”どころではない。あの味は……剣でも魔法でも得られぬ、人の力を引き出すものだと感じた」
陛下の声は穏やかで、言葉ひとつひとつが丁寧だった。
緊張はするけれど、敵意や冷たさはまったくない。むしろ、どこか“父親”のような安心感さえある。
「……王都における食の在り方を、私も見直すべき時かもしれぬ。そなたはどう考える?」
「えっと……」
私は一呼吸おいて、ゆっくりと答えた。
「王都の料理は、確かに格式があり、美しさも一流です。でも、“日々を生きるためのごはん”としては、少し……遠い存在のように感じました」
正直に、でも失礼のないように。
陛下はしばらく黙り、ふっと目を細めた。
「まさに、その通りだ。貴族たちの“見栄”と“伝統”が、庶民の食を乖離させてしまったのかもしれぬ」
ゆっくりと、椅子に腰掛けた陛下は、手招きで私にも座るよう促してくれた。
「そなたの料理は、“人のために”作られている。それは、そなたの技術が素晴らしいからではなく……“心”がこもっているからだろう」
「……そんな、もったいないお言葉です」
「そう思わぬでよい。……カスミアーナよ。私は“食”の改革を本気で考え始めている」
「はい……!」
「そのために、王都に“庶民の台所”を設けたい。民のための料理、心を養う食事。それを広げる場所を、王都に」
目を見開く私に、陛下は微笑んだ。
「そなたに、その料理の監修者になってほしいのだ」
「……っ!」
思わず、両手をぎゅっと膝の上で握りしめる。
――それは、夢のような話だった。
料理で、人を笑顔にするだけでなく、国そのものの在り方を変えるかもしれない役割。
「お引き受けします!」
私は、迷いなく答えた。
***
謁見を終え、謁見室の外へ出た私は、ぼうっと天井を見上げた。
まるで夢みたいだった。でもこれは現実。これからきっと、忙しくなる。だけど、私は笑っていられる。
「……さて! 帰って朝ごはん、考えなきゃ!」
そう、今日も“ごはん”は続いていくのだ。
戦いのあとも。涙のあとも。
それは、誰かの力になる。
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