『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第3章王子と騎士と、異世界スパイス革命

第10話「王宮晩餐会、スパイス騒動!? カスミアーナ、貴 族の胃袋を救う!」

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 王都に来てから、もう数日が経った。
 市場を歩けば見たことのない食材が並び、道端で聞こえるのは地方ごとの訛りが混じった会話。大通りの先には白亜の城壁と尖塔がそびえ立ち、私は毎日「ここ、本当に異世界の首都なんだなぁ」としみじみしてしまう。

 ……まあ、その感傷は、だいたい荷物を抱えすぎて息を切らしている時にやってくるのだけど。

「カスミアーナ殿!」

 振り向くと、セイル王子が馬上から手を振っていた。きらびやかな衣装に王族の風格――なのに、手を振る姿は妙に庶民的で、通りすがりの人たちも「え? あれ王子だよな?」とざわついている。

「わざわざお迎えありがとうございます、王子殿下」

「今日は正式な用事で来たんだ。……これを受け取ってほしい」

 差し出されたのは、金色の封蝋で閉じられた分厚い書状。
 開いてみれば、そこには堂々とした文字でこう記されていた。

――『王宮料理顧問』任命状。

「……顧問、ですか?」

「うん。王都での料理活動を正式に後押しするための肩書きだ。君の作る料理は、兵の士気だけじゃなく、王宮の評判にも必要だからね」

 王子はそう言って、少しだけ照れたように笑った。

 あの戦の朝から、私はほぼ毎日、王都の厨房や市場を歩き回っている。けれど、こうして正式に“王宮付き”と言われると、背筋がぴんと伸びた。

「……責任、重そうですね」

「だからこそ、君に頼みたいんだ。実は――」

 王子の声が少し低くなり、次の言葉を待った瞬間。

「近々、王宮で大規模な晩餐会が開かれる。貴族だけでなく、他国からの使節も招かれる。……君には、その料理の監修をお願いしたい」

「晩餐会の、監修……ですか!?」

 頭の中で、きらびやかな食卓と、こちらを値踏みするような貴族たちの視線がよみがえる。

 緊張で胃がきゅっとなった――けど、そのすぐあと、心の奥が妙にワクワクしていることに気づいた。

(やるしかない……!)

✳✳✳

 王子の案内で王宮の厨房に入ると、そこは戦場さながらの光景だった。
 長い作業台に所狭しと並ぶ肉塊、山盛りの野菜、そして香り高いハーブの束。大鍋の湯気が立ちこめ、何十人もの料理人たちが右へ左へと走り回っている。

「……すごいですね。私、こんなに大きな厨房、初めてです」

「普段はここまでじゃないけど、晩餐会となるとね。人数も規模も桁違いだ」

 そう話している間にも、料理長らしき恰幅のいい男が近づいてきた。白いコック帽をぐっと被り直し、腕組みをしたままこちらをじろりと見る。

「あなたがカスミアーナ殿か。噂は聞いてますよ、王子殿下が直々に連れてきた“異国の料理人”だと」

「え、ええ……よろしくお願いします」

「……正直に言おう。晩餐会の監修を外部の者に任せるのは前代未聞だ。腕前を見せてもらわねば、現場の士気にも関わる」

 その目は、まるで試合前に相手を見極める剣士のようだった。
 けれど、私はこういう視線には慣れている。異世界に来たばかりの頃も、散々“何者だ?”という目で見られてきたのだ。

「わかりました。では、ひと品、今ここで作らせてもらえますか?」

 そう言うと、王子が小さくうなずき、料理長は「いいでしょう」と作業台の一角を空けた。

(さて、何を作ろうか……)

 異世界食材でも映えて、しかも貴族の舌にも合う。さらに、この場の空気を一気に掴むような――。

「あ、あれを使わせてください!」

 私は食材置き場の片隅にあった**“金花茸”**に手を伸ばした。
 金色の傘が美しく、加熱するとほのかな甘みと旨みが立つ高級茸だ。

「……金花茸のソテーか?」

「いえ、茸をメインにした――リゾットです!」

 貴族料理でも人気の米料理。ただし、私の作るリゾットはちょっと違う。スープのベースに、昨日市場で手に入れた海藻だしを加えるのだ。

 鍋にオリーブオイルをひき、刻んだ金花茸を炒めると、甘い香りが広がった。そこに米を加えて透き通るまで炒め、海藻だしを少しずつ注ぎながら煮ていく。

 料理人たちが手を止め、香りに釣られてこちらを見ているのがわかった。

(よし……もうひと押し!)

 仕上げに搾ったレモン果汁と刻みハーブを散らし、真っ白な皿に盛りつける。黄金色の茸が、緑のハーブと白い米の上で映えていた。

「どうぞ、召し上がってください」

 料理長がスプーンを手に取り、一口。
 数秒の沈黙のあと――ふっと口元が緩んだ。

「……これは、いい。茸の甘みと海藻の旨み、それにレモンの香りが……こんな組み合わせ、初めてだ」

 その場の空気が一気に変わった。料理人たちがざわめき、王子が満足げに笑う。

 ――こうして、私は晩餐会の料理監修を正式に任されることになったのだった。

✳✳✳

 正式に晩餐会メニューの監修が決まった瞬間、厨房の空気は一層熱を帯びた。
 私の前には山のような食材と、期待と不安が入り混じった視線が突き刺さる。

「それじゃ、まずは前菜からいきましょう!」

「はいっ!」

 手を挙げて返事をしたのは、見習いらしき少年二人。
 私が指示を出すと、彼らはすぐに野菜を洗い始めたが……片方がトマトを水桶に落とし、もう片方はレタスを逆さに持っていた。

「……あの、レタスは根元じゃなくて葉の方を上にして水を切るのよ」

「あ、すみません!」

 まだ慣れていないのだろう。でも、晩餐会は待ってくれない。
 私は笑って教えながらも、手は止めない。

(この感じ……ちょっと異世界に来たばかりの頃を思い出すな)

 何もかも初めてで、必死に真似して、失敗して――それでも誰かが笑って励ましてくれた。だから、今度は私がその役をやる番だ。

「カスミアーナ殿、このソースですが……」

 別のテーブルでは、年配の料理人が手を止めて私を呼んだ。
 覗き込むと、バルサ果のソースが少し焦げている。

「あらら、これは火加減が強すぎます。バルサ果は糖分が高いから、弱火でコトコト――こう、優しく、ですよ」

 そう言いながら木べらを動かすと、甘酸っぱい香りが立ちのぼった。

 王子はその様子を、作業台の向こうから眺めていた。
 きっと、私が“現場”に馴染んでいくのを確かめているのだろう。

「よし、いい感じ! 次はメインの肉料理です!」

 私は大きな牛肉の塊をまな板に置き、包丁を握る。
 肉の繊維に沿って薄く開き、ハーブと刻んだ茸を詰め、紐で巻いていく。

「なんだ、その包丁さばき……!」

 料理人の一人が思わず声を漏らす。
 地球の料理教室で何百回もやった動作。異世界でも、体はちゃんと覚えている。

(この調子で、晩餐会のメニュー……全部仕上げる!)

 厨房は熱気と香りに包まれ、小さな戦場と化していった。

✳✳✳

 昼を少し過ぎた頃、厨房の入り口がざわついた。
 顔を出したのは――見覚えのある面々。

「おーい、カスミアーナ! 味見に来たぞ!」

 騎士団のエリオ隊長だ。後ろにはセイル王子の側近や、訓練帰りらしい騎士たちがずらっと並んでいる。

「ちょ、ちょっと待ってください! まだ全部は出来てませんから!」

「構わん! 途中経過でも腹は減る!」

 ……完全に、戦場の補給所感覚だ。

 でも、このタイミングで試食してもらうのも悪くない。味の方向性が間違っていないか、率直な感想が聞けるはずだ。

「じゃあ、これ。前菜のサラダと、スープをどうぞ」

 皿を差し出すと、彼らは一斉にスプーンとフォークを構え――

「……おぉ、うまい!」

「このスープ、体が温まる……戦の前にいいな!」

「こっちの野菜、甘い! 何をかけたんだ?」

「特製のハーブオイルです。香りを楽しんでください」

 予想以上に好反応で、思わず笑みがこぼれた。

 ふと視線を向けると、セイル王子が少し離れた場所でその様子を眺めていた。
 私が目を合わせると、王子は静かに頷く。

(――よし、方向性は間違ってない)

「カスミアーナ殿、晩餐会まであと三日だ。今日の仕上がりなら、きっと王宮の貴族たちも唸らせられる」

 王子の言葉に、胸の奥が熱くなる。

「必ず成功させます」

 そう答えると、厨房の空気がさらに引き締まった。

✳✳✳✳

 騎士たちが満足げに帰っていった後、厨房には一瞬だけ静けさが戻った。
 ……が、その静けさも長くは続かない。

「カスミアーナさん、あれ出します?」

 そっと耳打ちしてきたのは、助手のリサだ。
 “あれ”――そう、今回の晩餐会のためにこっそり温存していた、とっておきの食材。

「うん、そろそろ仕込み始めようか」

 私は収納袋から小さな木箱を取り出した。
 蓋を開けると、ふわりと甘く濃厚な香りが広がる。

「……なにこれ! 甘いのに、なんだか香ばしい?」

「地球でいう“バニラビーンズ”みたいな香草。王都じゃ滅多に手に入らないわ」

 今回は、メインの肉料理の後に出すデザート――“香草クリームのタルト”に使う予定だ。

 バニラ香草を刻み、温めたミルクにじっくり移し香りを抽出する。
 そこへ砂糖と卵黄を加え、滑らかなカスタードを作る。

「わぁ……なんだか、気持ちまで幸せになりますね」

 リサが目を細めて香りを吸い込む。
 厨房の中まで甘く、柔らかな空気に包まれた。

「この香り、晩餐会の場で漂わせたら、きっと貴族たちも黙りますよ」

「ふふ、それが狙い」

 甘い匂いは人を油断させる。
 料理は、味だけじゃなく“香り”でも勝負できるのだ。

✳✳✳

 夕刻、王都の大広間。
 天井から吊るされた無数のシャンデリアが、黄金色の光を放ち、長いテーブルには銀の食器と煌びやかなグラスが整然と並んでいた。

「うわぁ……緊張してきた」

 厨房から会場を覗き見ながら、私は深呼吸。
 招待客はすでに揃い、華やかなドレスや軍服姿の人々が談笑している。

 その中には、セイル王子の姿もあった。
 目が合うと、軽く頷いてくれる。――大丈夫、そう言われた気がして胸が少し軽くなった。

「カスミアーナ様、準備完了です!」

 エリクの声に頷き、私は第一陣の料理を運び出す合図を出した。

 最初の皿は、季節野菜のスープ。
 地味に見えるが、香草を効かせ、口に入れた瞬間にふわっと広がる香りで食欲を誘う。

「……おや、この香りは?」

「口当たりが軽やかだな」

 貴族たちのささやきが耳に入る。
 悪くない反応だ。

 次は肉料理――香草とスパイスで下味をつけ、低温でじっくり火を入れたロースト。
 切った瞬間に肉汁があふれ、皿の上で香りが立ち上る。

「この肉……柔らかい!」

「ソースが……何だ、この香りは?」

 想定通りのざわめき。
 そして、ここからが“隠し玉”の出番だ。

 私はリサに目配せし、あのバニラ香草を使ったカスタードタルトを運び込ませた。

 甘く濃厚な香りが広間を包んだ瞬間、空気が変わる。
 戦場のような緊張感が、一気にほどけていくのが分かった。

「……これは、まるで魔法だな」

 誰かが呟いた。

 私は心の中でガッツポーズを決めた。
 ――今夜は、勝てる。

✳✳✳✳

 デザートの皿がすべて下げられ、会場は心地よい満腹感と柔らかなざわめきに包まれていた。

「本日の料理は、王都の食卓に新たな風を吹き込みましたな」

「特にあの香草の甘味……忘れられん」

 貴族たちの賛辞が、あちこちで飛び交っている。
 その中心にいるのは、もちろん私――と言いたいところだが、私はまだ厨房の扉の影に隠れていた。

(いやぁ……なんか表に出るのは、やっぱり緊張する)

 そんな私の背を、エリクがそっと押す。

「カスミアーナさん、行ってきてください。みんな待ってます」

「……う、うん」

 恐る恐る会場に一歩踏み出すと、視線が一斉に集まった。
 けれど、そこにあったのは好奇や探るような眼差しではなく、純粋な興味と温かさだった。

「この方が、あの料理を?」

「若い……しかも笑顔が素敵だ」

 セイル王子が前に出て、私の肩に手を置く。

「今夜の成功は、彼女の功績だ。――カスミアーナ、ありがとう」

「い、いえ……皆さんのおかげです」

 そう答えたときだった。
 広間の扉が勢いよく開き、一人の男が駆け込んできた。

「王子! 大変です!」

 息を切らしたその兵士が告げた言葉に、会場の空気が一変する。

「王都の外れに……あの、魔物が現れました!」

 ざわめく貴族たち。
 王子は一瞬だけ私を見て、すぐに表情を引き締めた。

 ――平穏な晩餐会は、ここで終わりを告げた。


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