『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第4章魔王様、ご飯で和解しませんか?

第14話 魔王厨房、女神の匙の試験(テイスティング)

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 夜明け。魔都の中心、黒曜の塔に寄り添う巨大な厨房に、私は柄杓を抱えて立っていた。天井は高く、換気の魔法陣が幾重にも回る。火床は三十、釜は二十、包丁は壁に百。音は多いのに、うるさくない——よく整えられた台所だ。

「ようこそ、魔王府の厨房へ」
 声の主は総料理長のアストラ。銀の角を布で包み、黒い前掛けをきゅっと結んでいる。

「本日は、お邪魔します。焦がしません」
「それが一番だ」

 横でセイル王子とグラドが頷く。バライルは入口に立ち、いつでも“耳の鍋”を動かせる位置。ルークとリサは器具の最終点検だ。

「まずは“試し炊き”からやらせてください」
「ほう、人の子の流儀か」
「世界が違えば舌も違う。だから最初は、三つの塩——弱・中・強。湯気の高さは胸、旗は低く」

 アストラが口角だけで笑った。
「良い合図だ。——火、三番、五番、七番。人の子に任せる」

 小鍋を三つ、同じ出汁で満たす。弱塩は“生まれたての灯”、中塩は“帰る灯”、強塩は“戦う灯”。それぞれ湯気の柱を合わせ、厨房にいる者たちにひと口ずつ配った。

「弱は、香りがひろい」
「中、落ち着く」
「強、うちの兵にはちょうどいいかもな」

 魔族の舌と人の舌、反応の分布が見える。私は《鑑定眼》を開き、数字に置き換える。

《魔族:強>中>弱/人族:中>弱>強/共通快適域=中寄り強-0.5》
「——見えました。今日の基準は“中寄り強”。でも香りは弱塩の広がりで包む」

「やってみせろ」アストラが顎を引く。



 本番の献立は三品。
一、“橋の雑穀粥・魔都版”——骨の香を浅く、香葉を長く。
二、“黒胡麻香る柔煮”——噛むと香りが強くなる肉の料理。
三、“沈黙ぷりん・極小”——議論が熱くなったら一拍だけ落とすための甘味。

「ぷりんですって?」
 背後から低い声。振り向くと、黒衣の裾が視界の端をかすめた。魔王だ。昨日よりも軽装、台所に馴染む革の靴。

「はい。今日は“沈黙の間”用にごく薄く」
「期待している」

 緊張で手が固くなる。それでも、火加減は落とさない。釜の底の泡が丸から楕円に変わる瞬間、胡麻をいれる。香りが立ったところで、弱塩の出汁を一筋。湯気がやわらぐ。

「カスミ、右の湯気が鋭い」
「ありがとう、リサ。——《火加減制御》、一割下げ」

 同時に、耳の端をくすぐる“違和感”。柑根の残り香……と、鉄? そして——布が擦れる音。

「バライル、奥の階段」
「了解」

 彼が影に溶ける。私はあえて湯気を一段高くして、香りの幕を伸ばす。疑わしいものがいれば、匂いに引っかかるはず。

 コトン、と“耳の鍋”が鳴った。戻ってきたバライルの袖に、小瓶が一本。

「無味露。薄めだが、鍋が死ぬ」
「ありがとう。——『鍋の外で』が台所の掟です」

 バライルは無言で頷き、処理へ走った。セイル王子は何も聞かなかったふりで柄杓を洗い、グラドは入口で客の流れを自然に変える。厨房が、息を合わせる。



 いよいよ“試食(テイスティング)”。
 まずは粥。魔王、アストラ、セイル王子、そして記録官カーディンの順に配す。

「——いただきます」
「いただきます」

 ひと口。魔王の瞼がわずかに震え、角の根元がほどけるように落ちた。

「灯が、胸の奥で増えた」
 短い言葉なのに、厨房の火がいっせいに明るくなる。

「二品目、“黒胡麻香る柔煮”。噛むほど香りが強くなる構成です」

 アストラが箸(に似た二本の銀棒)でひと切れ口に運び、頷いた。
「戦の前なら強塩だが、今日はこれが良い。——戻る場所の味がする」

「三品目、“沈黙ぷりん・極小”。議論が熱を持ちすぎたら、一拍だけ」

「そんなに効くのか?」
「効かせます」

 銀の匙が小さく鳴り、ぷりんが舌でほどける。次の瞬間、厨房全体が“すん”と静まった。重くない静けさ。言葉が整理されるための、短い間。

「……これは危険だな」魔王が笑う。
「議会に常備を申請しそうだ」

「冷蔵庫が増えます」セイル王子が真顔で返す。
 笑いが湧いた。緊張がほどける良い笑いだ。



「さて——約束していた“匙”の話だ」
 魔王が片手を上げると、奥の棚から黒い箱が運ばれてきた。開けば、そこには細長い銀の匙。柄の根元に小さな円環。見覚えのある紋。

「それは……女神の——」
「“匙”だ。半分だけの」

 半分。私は胸元から、ラウモンドが削ってくれた木の匙を取り出す。形は違う。けれど、手に馴染む角度と重心が、どこか呼応している。

「女神はかつて『二つの厨房に一つずつ置け』と言った。——人の都と、魔の都。匙は対で、湯気をつなぐ」

「対……」
「今日、おぬしの鍋は“渦”を整えた。試す価値はある」

 魔王は銀の匙を持ち、私の木の匙と軽く触れ合わせる。
 ——チリン。音が、厨房ではなく胸の内側で鳴った。銀の柄に淡い紋が走り、木の匙の節目に同じ紋が灯る。

《新連携:**対匙(ついさじ)**起動条件を達成》
《効果:異種味覚の共通最適域を自動補正(範囲:半径50m・時間:半刻)》
《副作用:使用後“空腹”増大/甘味の消費効率上昇》

「……見たか、アストラ」
「見ました。——厨房にとって、有用です」

 魔王は匙を箱に戻し、静かに言った。
「この匙は魔都に置く。ただし“対”は動く。おぬしが持つ木の匙が共鳴する限り、湯気は橋になる」

「お預かりします。焦がしません」
「よろしい」



 終わりかけに、思わぬ客が厨房の扉をくぐった。角の小さな少年と、丸い耳の少女。手には小さな木札。

「“常設鍋”、ここにも来ますか?」
「来るよ。旗は低く、湯気は胸の高さ」
「いただきます、いっしょに言っていい?」
「もちろん」

 私は二人に、薄い粥をよそいながら言った。
「ここで“いただきます”が揃えば、鍋は約束になる」

 二人は顔を見合わせ、深呼吸して——
「いただきます!」

 厨房に、もう一度良い笑いが広がった。



 片付けののち、魔王が短く告げる。
「明日、香塔の東に“常設鍋”を開け。護衛は付ける。条件は——」
「“焦げさせるな”」
「話が早い」

 私は《ステータス》を開いた。

《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理:26→27/鑑定:9→10/嗅覚強化:9→10/交渉:11→11》
《新技:対匙連携/味覚共通域補正/沈黙ぷりん(局所運用)》
《称号:渦中の湯気/二都の匙持ち(NEW)》

「上がってる。……でも、まだ足りない」
「十分以上だ」セイル王子が笑う。
「君がいる限り、二つの都の湯気はつながる」
「私がいる限り、鍋は——」
「焦げない」グラドが先に言って、珍しく口角を上げた。
「うん、焦げない」

 厨房の小窓から、夕焼け色の湯気が一筋のぼる。
 ——女神の匙は、橋の真ん中で鳴った。
 明日は香塔の東、“常設鍋・魔都支店”開店だ。

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