『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第4章魔王様、ご飯で和解しませんか?

第15話 常設鍋・魔都支店、開店!——二都をつなぐ湯気

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 翌朝、香塔の東。石畳の広場に、黒い柱と白い布で“鍋場”を組む。旗は低く、湯気は胸の高さ。看板は大きく、文字はやさしく——「常設鍋・魔都支店」。

「台は水平、脚は三本で安定」
「了解!」ルークが木槌を振る。
「配膳路は“鼻の道”に沿って。逆流禁止」
「はーい!」リサが縄で通路を区切る。

 私は《対匙》を胸元で軽く合わせた。木と銀が小さく鳴り、広場に淡い輪がひろがる。

《対匙:共通最適域補正 起動(範囲50m)》
《副作用:空腹上昇/甘味消費効率↑》

「始めるよ。——香輪一、点火」

 湯気が立ちのぼる。粥の鍋は三つ——やわらか、中くらい、かため。柔煮は黒胡麻を香らせ、甘味は“沈黙ぷりん・極小”。そして今日の新顔は“香りの橋パン”。外は香ばしく、中は粥を受け止める。

「開店のあいさつ、いきます」
 私は杓文字を胸の前で立てた。
「いただきますは、ひとつ。旗は低く、湯気は胸の高さ。焦げさせません。——開店!」

 ぱちぱち、と小さな拍手。最初の客は角の小さな男の子と、丸い耳の少女——昨日のふたりだ。

「いらっしゃい。今日は“灯守り粥・中”がおすすめ」
「ぼく、中!」
「わたし、やわらか!」
「ありがと。——はい、一緒に」
「「いただきます!」」

 ふたりの声に、列の大人たちが思わず笑う。湯気がやわらかく回り始めた、そのとき——

「——無味の霧だ!」
 香塔の影から、白いもやが一筋すべり込む。昨日ほど濃くはないが、鼻の奥を鈍くさせる。

「来たね。湯気、下げて角度を変える。対匙、出力一割アップ」
「了解!」セイル王子が火床を調整。
「“耳の鍋”、入口へ」
「置いた!」グラドが音のする位置に移す。

 私は“香りの橋パン”を炙り、湯気の前へ掲げた。焼き面から立つ香りを“鼻の道”に乗せ、霧の筋を割る。

「——香りの橋、通します」

 霧が割れ、人の列が前へ進む。角の子も、丸耳の子も、笑ったまま一歩。列の後方では、黒衣の使いバライルが軽く指を鳴らし、霧の元を別路へ誘導する。

「カスミ、右後ろから強い香り!」
「ありがとう、リサ。香輪二、半回転」

 香りの傘が広がった瞬間——

「ふふ、朝から賑やかだね」
 軽い声。振り向けば、黒衣の裾。昨日よりさらに簡素な装いの来客。魔王、直々。

「陛下。——本日は“落ち着く朝”です」
「それは良い。わたしは“中寄り強”を」

 椀を渡すと、魔王はふっと笑みだけで味を褒め、すぐに人垣の外へ視線を投げた。そこには、灰色の外套——灰鯨の下請けと思しき三人が立っている。だが昨日のような棘はない。袖口は素手、手には紙束。

「カーディン」
「はい」記録官が一歩出る。
「彼らを“耳の鍋”へ。まずは一椀、それから書類」

「了解。——こちらへ。まず、一緒に『いただきます』」

 三人はぎこちなく椀を受け取り、湯気を吸ってから、紙束を差し出した。
「契約の破棄と、供給転換の相談を……」
「承りました。数字は“腹”から書き直します」
 カーディンの声が穏やかに落ちる。私は胸の奥でほっと息をついた。



 昼前、広場にはもう国籍も種族も混ざった列ができていた。私は《鑑定眼》で流れを見る。

《体力回復:小~中↑ 精神安定:中↑ 交渉意欲:上昇↑》
《異種混合卓での衝突:低下 沈黙ぷりん需要:点在》

「ぷりん、少し回そうか」
「はい、“沈黙の間”を一拍」
 リサが銀の匙を鳴らすと、ざわめきがふっと丸くなり、交渉卓の声が整理される。

「便利すぎる」とセイル王子が苦笑する。
「議会に常備される日が近いな」
「冷蔵庫の増設、承認してくださいね」
「努力する」

 そんな折、台の端でパンを頬張る小さな影がひとつ——

「ラウモンド!」
 私は思わず笑って手を振った。老人は相変わらず、風の匂いをまとっている。

「来たよ、橋の味を確かめにな」
「どうですか、“香りの橋パン”」
「——噛めば噛むほど、帰る道が見える」
 ラウモンドは木の匙で台をコトリと叩いた。
「教本、進めよう。『焦げは残り、熱は分ける』第一章だ」

「はい。図版は“香りの地図”で」
「よし」



 午後。最初の大波が落ち着いたころ、ひとりの老女が杖をついて近づいてきた。角も耳も見えない、素朴な衣。けれど湯気の中で、その歩幅だけがやけに軽い。

「おひとつ、どうぞ」
「ありがとうねえ。——“帰る粥”を」
「“帰る粥・中”、どうぞ。ご一緒に『いただきます』」
「いただきます」

 老女はひと口、そして二口。目尻に皺が増え、肩の力が落ちる。
「この粥は、不思議なね。食べると昔の匂いが立つ」
「昔の、匂い」
「ええ。——忘れたはずの、台所の声」

 私はふと、女神の笑い声を思い出した。匙の鳴る音、夜の光。
「また来てください。毎日、少しずつ違います」
「来るよ。鍋が焦げないうちはね」

 老女は杖をついて去っていく。足取りはやはり、やけに軽い。

 背中を見送った魔王が、ぽつり。
「“焦げないうち”とは、良い期限だな」
「はい。だから毎朝、火を見ます」



 夕暮れ。初日の鍋は、見事に空になった。私は柄杓を立て、最後のあいさつをした。

「本日も、ありがとうございました。明日も旗は低く、湯気は胸の高さ。いただきますは、ひとつ。」

 拍手。子どもたちの「またね!」。鍋の底を洗いながら、私は《ステータス》を開いた。

《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理:27→28/鑑定:10→10/嗅覚強化:10→10/交渉:11→12》
《新技:香りの橋パン/香路標(かおりじるし)運用》
《称号:二都の匙持ち/鍋場開業者(NEW)》

「——上がってる。でも、まだ足りない」
「十分以上だ」セイル王子が笑う。
「君がいる限り、魔都の渦でも湯気は迷わない」
「私がいる限り、焦げは出汁にします」
「強い」

 片付け終わりに、バライルが密やかに紙片を差し出した。
「香塔の上から。“灰鯨”の親玉、動きあり。明日、議会に押し込みの気配」
「——耳の鍋、二つに増設。甘味は多め。ぷりんの型、追加で」
「了解」

 魔王が踵を返しながら言う。
「明日も“焦げさせるな”。わたしは正面から湯気を受けに来る」
「はい。湯気、胸の高さでお待ちします」

 空は紫。香塔のてっぺんに、細い灯がともる。
 ——二都の匙は鳴った。明日は“議場の鍋”。
 台所外交、まだまだ続く。

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