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第4章魔王様、ご飯で和解しませんか?
第22話 関所の朝、出汁ひと筋で道は開く
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北端交易路の関所は、朝日より先に怒鳴り声が立つ場所だった。荷車の列、角を持つ商人、鋲の兜を被った兵。風は冷たく、腹は固い。
「——本日の任務は鍋ひとつ、出汁のみ。条件は三つ」 私は自分に言い聞かせ、火床を組む。 「焦がさない。落とさない。のぼせさせない」
「旗は低く、湯気は目より下」 セイル王子が旅装の袖をまくった。
「王子玉は?」 「今日は持ってきてない。関所では出汁一本勝負だろう?」 「正解です。——仮免、進級の気配」
グラドは門柱の影、バライルは風見の下で香笛を構える。私は《小台所調律》で石畳の傾きを測り、鍋の脚に布を噛ませた。風の矢印は東から西。湯気は胸の高さで橋になる。
まずは共通出汁。骨と香葉、乾き茸、そしてほんの少しの生姜。湯が息を始めた瞬間、関所の詰所から鋲兜の隊長が現れた。
「ここは飲食を禁じて——」 「出汁は飲食ではなく、腹の思い出です」 私は笑ってお椀を差し出す。 「始まりの椀。いただきますは、ひとつ」
「……いただく、か」 隊長は一口すすり、兜の下の目が和らいだ。 「喉がほどけるな」
反対側の柵から、尖った耳の女官が歩み出る。魔都側の関守、名はシトラ。 「こちらにも同じ椀を」 「もちろん。同じ出汁です」
二人が同じ温度で息を吐いた時、列の奥で火花の匂いが跳ねた。鉄粉、焦げ砂、柑根を殺す臭膜—— (禁香樹脂……“灰鯨の手”、また来た)
「バライル、香笛低め。柑根は点。——王子、旗を一指下げ」 「了解」
私は鍋の縁を一瞬だけ《無限収納》で外す。空気に混ざった禁香膜は縁の外で行き場を失い、石へ落ちた。即座に戻す。焦げ、ゼロ。
「続行。塩は外交量で」
行列の端で揉み合いが起きかけた。税の札をめぐって、人と魔の商人が肩をぶつける。私は耳の鍋——蓋を少しずらして音の角を丸める。
「喧嘩は喉が渇く味です。——どうぞ」 小椀を二つ。二人は同時に飲み、同時に肩を落とした。
「……腹が落ちる」 「文句の温度が、下がる」
「いいですね、その温度」 私は《鑑定眼》を開く。 《体力回復:小/精神安定:中↑/交渉意欲:小↑/禁香影響:微→消》 よし、火は生きている。
◆
列の流れが整ってきた頃、荷車が一台、車軸を折って傾いた。積み荷は粉袋——もしこぼれれば湯気が死ぬ。
「グラド、楔! 王子、旗を風上へ二歩!」 「任せろ!」 「了解!」
私は鍋の取手を握り、《時間停止収納》で粉袋が落ちる刹那をひと欠片だけ抜き取り、その隙に台車の下へ木の端を滑り込ませた。時間が戻り、粉袋は音もなく楔の上へ。
「落ちない、焦げない、のぼせない。——続行です」
関守シトラが目を丸くする。 「台所の魔術師だな」 「料理研究家です。魔法は補助、主役は出汁」
私は立て札を一枚掲げた。 《星札一枚=優先検査/二杯目は星返却》 昨日“星係”に任命した少年が、胸を張って札を配って回る。
「星、重くなりました!」 「落とさないでね。——星は人の約束です」
◆
日の中刻、沈黙の間。出汁にひとかけの甘露を溶かし、十椀だけ配る。怒号は一息で丸くなった。
「詰所の告示、塩税の改訂、ここでも読めるよう貼り直そう」 私は出汁で濡らした布で古い紙の煤を落とす。 「文字は見えるほど、喧嘩が減ります」
鋲兜の隊長が咳払いを一つ。 「税は変わってない。——変わったのは、読み方だ」 「なら、読みやすく。湯気の高さで」
魔都側の関守がうなずく。 「両方の印章、並列で押そう。順番で揉めないように」 「いい出汁ですね、それ」
ふっと、風向きが変わった。東から北。私は旗を半指下げ、鍋を半歩回す。湯気の橋は崩れない。
◆
午後。列の最後尾に、布で顔を覆った男が立っていた。昨日、幕の裏で粥をすすった“旧棚の手”、カーディンだ。
「来ましたね。——腹は?」 「減っている」 私は椀を渡す。彼は一口すすり、ゆっくりと顔布を外した。
「……旧在庫の洗い出し、明朝には数字が揃う。灰鯨の手は、古い穴から入っていた」 「塞ぎましょう。鍋の蓋で」 「蓋の位置は任せる」
「では——耳の鍋の蓋を、あなたに」 カーディンは小さく笑った。 「鈍い耳は、焦げの初手に強い」
◆
日が傾き始めた頃、黒衣が音もなく関所の梁に影を落とした。魔王だ。誰も気づかぬ距離で、湯気の高さを見ている。
「関所は、口が先に動く場所だ。——今日は腹が先だった」
「出汁のみ、鍋ひとつ。条件は三つ、守りました」 「よい。交易二市ごとに“出汁番”を常設せよ。費用は王都と魔都の折半。星は相互通用」 「承知しました。星は重く、湯気は低く」
魔王は一椀分の出汁を飲み干し、ふっと笑んだ。 「のぼせたら、蓋をずらせ。今日はずらさずに済んだな」
「はい。焦がさず、落とさず、のぼせさせず」
セイル王子が横で小声。 「王子玉、やはり持ってくればよかったかな」 「今日の主役は出汁です。——仮免据え置き」 「厳しい」
列の最後の子どもが、両手で椀を抱えて言った。 「いただきますは、ひとつ?」 「ひとつ」
二人で声を合わせる。 「「いただきます」」
関所の空気が、ほんの少しだけ広くなった。
◆
片付け終わり、私は《ステータス》を開く。
《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理:34→35/鑑定:13→13/嗅覚強化:13→14/交渉:18→19》
《新技:関所運用/星札互換/耳の鍋(委任)》
《称号:台所外交官/大市料理長/小台所番/関所番(NEW)》
「上がってる。……でも、まだ足りない」
「十分以上だ」 グラドが短く笑い、バライルが香笛をケースにしまう。
私は手帖に三行。 ——出汁は関を越える。星は約束を重くする。旗は低いほど、湯気は橋になる。
風が止み、関所の鐘が一つ鳴った。鍋は冷え、柄杓は温かい。私は胸に当て、次の段取りを口にする。
「明朝、旧在庫の封じ。明後日、魔都の城下市で“二鍋合同”。——いただきますは、ひとつ」
「——本日の任務は鍋ひとつ、出汁のみ。条件は三つ」 私は自分に言い聞かせ、火床を組む。 「焦がさない。落とさない。のぼせさせない」
「旗は低く、湯気は目より下」 セイル王子が旅装の袖をまくった。
「王子玉は?」 「今日は持ってきてない。関所では出汁一本勝負だろう?」 「正解です。——仮免、進級の気配」
グラドは門柱の影、バライルは風見の下で香笛を構える。私は《小台所調律》で石畳の傾きを測り、鍋の脚に布を噛ませた。風の矢印は東から西。湯気は胸の高さで橋になる。
まずは共通出汁。骨と香葉、乾き茸、そしてほんの少しの生姜。湯が息を始めた瞬間、関所の詰所から鋲兜の隊長が現れた。
「ここは飲食を禁じて——」 「出汁は飲食ではなく、腹の思い出です」 私は笑ってお椀を差し出す。 「始まりの椀。いただきますは、ひとつ」
「……いただく、か」 隊長は一口すすり、兜の下の目が和らいだ。 「喉がほどけるな」
反対側の柵から、尖った耳の女官が歩み出る。魔都側の関守、名はシトラ。 「こちらにも同じ椀を」 「もちろん。同じ出汁です」
二人が同じ温度で息を吐いた時、列の奥で火花の匂いが跳ねた。鉄粉、焦げ砂、柑根を殺す臭膜—— (禁香樹脂……“灰鯨の手”、また来た)
「バライル、香笛低め。柑根は点。——王子、旗を一指下げ」 「了解」
私は鍋の縁を一瞬だけ《無限収納》で外す。空気に混ざった禁香膜は縁の外で行き場を失い、石へ落ちた。即座に戻す。焦げ、ゼロ。
「続行。塩は外交量で」
行列の端で揉み合いが起きかけた。税の札をめぐって、人と魔の商人が肩をぶつける。私は耳の鍋——蓋を少しずらして音の角を丸める。
「喧嘩は喉が渇く味です。——どうぞ」 小椀を二つ。二人は同時に飲み、同時に肩を落とした。
「……腹が落ちる」 「文句の温度が、下がる」
「いいですね、その温度」 私は《鑑定眼》を開く。 《体力回復:小/精神安定:中↑/交渉意欲:小↑/禁香影響:微→消》 よし、火は生きている。
◆
列の流れが整ってきた頃、荷車が一台、車軸を折って傾いた。積み荷は粉袋——もしこぼれれば湯気が死ぬ。
「グラド、楔! 王子、旗を風上へ二歩!」 「任せろ!」 「了解!」
私は鍋の取手を握り、《時間停止収納》で粉袋が落ちる刹那をひと欠片だけ抜き取り、その隙に台車の下へ木の端を滑り込ませた。時間が戻り、粉袋は音もなく楔の上へ。
「落ちない、焦げない、のぼせない。——続行です」
関守シトラが目を丸くする。 「台所の魔術師だな」 「料理研究家です。魔法は補助、主役は出汁」
私は立て札を一枚掲げた。 《星札一枚=優先検査/二杯目は星返却》 昨日“星係”に任命した少年が、胸を張って札を配って回る。
「星、重くなりました!」 「落とさないでね。——星は人の約束です」
◆
日の中刻、沈黙の間。出汁にひとかけの甘露を溶かし、十椀だけ配る。怒号は一息で丸くなった。
「詰所の告示、塩税の改訂、ここでも読めるよう貼り直そう」 私は出汁で濡らした布で古い紙の煤を落とす。 「文字は見えるほど、喧嘩が減ります」
鋲兜の隊長が咳払いを一つ。 「税は変わってない。——変わったのは、読み方だ」 「なら、読みやすく。湯気の高さで」
魔都側の関守がうなずく。 「両方の印章、並列で押そう。順番で揉めないように」 「いい出汁ですね、それ」
ふっと、風向きが変わった。東から北。私は旗を半指下げ、鍋を半歩回す。湯気の橋は崩れない。
◆
午後。列の最後尾に、布で顔を覆った男が立っていた。昨日、幕の裏で粥をすすった“旧棚の手”、カーディンだ。
「来ましたね。——腹は?」 「減っている」 私は椀を渡す。彼は一口すすり、ゆっくりと顔布を外した。
「……旧在庫の洗い出し、明朝には数字が揃う。灰鯨の手は、古い穴から入っていた」 「塞ぎましょう。鍋の蓋で」 「蓋の位置は任せる」
「では——耳の鍋の蓋を、あなたに」 カーディンは小さく笑った。 「鈍い耳は、焦げの初手に強い」
◆
日が傾き始めた頃、黒衣が音もなく関所の梁に影を落とした。魔王だ。誰も気づかぬ距離で、湯気の高さを見ている。
「関所は、口が先に動く場所だ。——今日は腹が先だった」
「出汁のみ、鍋ひとつ。条件は三つ、守りました」 「よい。交易二市ごとに“出汁番”を常設せよ。費用は王都と魔都の折半。星は相互通用」 「承知しました。星は重く、湯気は低く」
魔王は一椀分の出汁を飲み干し、ふっと笑んだ。 「のぼせたら、蓋をずらせ。今日はずらさずに済んだな」
「はい。焦がさず、落とさず、のぼせさせず」
セイル王子が横で小声。 「王子玉、やはり持ってくればよかったかな」 「今日の主役は出汁です。——仮免据え置き」 「厳しい」
列の最後の子どもが、両手で椀を抱えて言った。 「いただきますは、ひとつ?」 「ひとつ」
二人で声を合わせる。 「「いただきます」」
関所の空気が、ほんの少しだけ広くなった。
◆
片付け終わり、私は《ステータス》を開く。
《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理:34→35/鑑定:13→13/嗅覚強化:13→14/交渉:18→19》
《新技:関所運用/星札互換/耳の鍋(委任)》
《称号:台所外交官/大市料理長/小台所番/関所番(NEW)》
「上がってる。……でも、まだ足りない」
「十分以上だ」 グラドが短く笑い、バライルが香笛をケースにしまう。
私は手帖に三行。 ——出汁は関を越える。星は約束を重くする。旗は低いほど、湯気は橋になる。
風が止み、関所の鐘が一つ鳴った。鍋は冷え、柄杓は温かい。私は胸に当て、次の段取りを口にする。
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