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第4章魔王様、ご飯で和解しませんか?
第25話 魔都行き前夜、鍋と心の火をそろえて
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夜明け前の王都は、まだ湯気の匂いが残っていた。私は調香庫の扉を開け、深く息を吸う。棚には瓶がずらり。古い香、若い香、間違った香。明日には魔都へ向かう。だから今夜のうちに全部、仕分ける。
「おはよう、カスミアーナ」
先に来ていたカーディンが、帳面を抱えて会釈した。
「“鼻が覚えた匂い”を、書き直そう。数字だけでは焦げが見えない」
「うん。今日は鼻と手で、帳面を洗う日だよ」
私は《鑑定眼》を開く。一本ずつ栓を抜き、香りと色を確かめた。柑根は焦げ寸前。香葉は乾き過ぎ。ソーヤ種は粒が小さいけれど生きている。棚を一段降りるたび、庫の空気が少し澄んでいく。
「置き場所、矢印で変えよう。鼻で探せる並びに」
「了解。番号順は端に残す。見習いにも読める帳面にする」
「“鍋は約束”って表紙に太字で」
「任せろ」
二人で笑った。笑いは鼻をひらく。焦げの影が、よく見える。
足音が二つ、外から近づいた。
「入るぞ」
グラド副長だ。続いてセイル王子が袖をまくって現れる。
「君が開けた扉の匂いで目が覚めた」
「じゃあ、朝一番は“帰り道の塩”から」
小鍋で和塩の湯をわかし、小さな椀を配る。ひと口すすれば背筋が伸びた。戻るべき場所を、舌が思い出す。
「倉の並びも見るが、もう一つ見に来た」
王子は真剣な声で続ける。
「君の“段取り”だ。魔都で走りながら焦がさない手順を共有したい」
「了解。荷車の積み方から話します」
私は“香りの地図・王都版”を広げた。湯気の高さは丸、火力は線、塩梅は点。そこへ動線の矢印を重ねる。積み荷の優先、落としてはいけない瓶、代替案。
「火力石は予備三つ。耳の鍋は二基。ぷりんの冷やし場は蓄氷箱の下段」
「補給列と交差しない道筋にしておこう」
グラドが地図へ道を引く。
「この路地は狭いが風が回る。香りが揉まれてちょうどいい」
「さすが副長。鈍い鼻は焦げの初手に強い」
「褒め言葉として受け取る」
扉の隙間から二つの頭がのぞいた。
「手伝いに来たよ!」
「来ました!」
ルークとマリナだ。私は手ビラを渡す。
「ルークは瓶の下から拭いて、ラベルを読めるように。マリナは空き瓶を洗って、乾きを香りで確かめて」
「はーい!」
「乾いた匂いって、どんな匂い?」
「紙が昼寝したみたいな匂い」
「わかったような気がする!」
仕分けは午前で半分を過ぎた。私は《ステータス》を開く。
《名:カスミアーナ/年齢十五/職:料理研究家》
《料理:三十八→三十九/鑑定:十六→十七/嗅覚強化:十七→十八/交渉:九/段取り最適化:十→十一》
《新技:香り索引(試)/旧在庫見分け表(作成中)》
「上がってる。……でも、まだ足りない」
「十分以上だ」
王子が笑う。瓶がかすかに鳴った気がした。
「昼は軽く。午後は試作に火を使うから」
蒸籠に“橋の雑穀団子”を並べ、香葉を一枚、湯気に立てる。噛めば甘みが出るよう、すり潰しすぎない。粗さは橋板。甘みは手すり。塩は釘。
「いただきます」
「いただきます!」
噛むほどに、みんなの顔がほどけた。これなら魔族の子も、歯が小さくてもいける。
「午後は“和香混ぜ飯・赤版”」
「赤?」
「辛さは控えめ、香りは前へ。出立を後押しする配合」
香辛粉を油で馴染ませ、干し肉と刻みナミロ玉をゆっくり炒める。雑穀飯を広げ、帰り道の塩をひと雨。そこへ“赤”を一筋、扇で薄く広げた。
「混ぜすぎない。半歩ずらす」
「行って、戻る味だ」
王子が目を細める。
「うん。“二色の声”は喧嘩しない」
その時、カーディンが帳面を掲げた。
「旧在庫、洗い出し完了。補給の流れも描いた。明日の荷車、これで焦げない」
「ありがとう。ねえ、カーディン」
「なんだ」
「“鼻が覚えた匂い”は数字に書ける?」
「書ける。比喩で」
「比喩?」
「雨上がり。乾いた紙。陽だまりで眠った木。——読む者の鼻を起こす言葉だ」
「最高の帳面になる」
「完成は、魔都から帰ってきてからだ」
夕方、荷車が三台並んだ。鍋、火力石、蓄氷箱、香辛料、木の匙、柄杓、包丁、布、旗。私は一つひとつ《鑑定》で印を付け、積み順の矢印を重ねる。
「ぷりんの型は?」
「蓄氷箱の影、左奥。揺れが少ない」
「副長、完璧」
「ぷりんのためならな」
笑いが起きた。笑いは荷台の隙間を埋める。
その頃、広場の風が少し向きを変えた。南東。魔都へ誘う風だ。
「出発式は短くいこう」
王子が輪の真ん中に立つ。
「焦がさず、熱を絶やさず。腹で話し、耳で聞く。二十日の常設鍋を、我らで橋にする」
「おう」
グラドが短く吠え、ルークとマリナが手を上げる。私も胸に手を当てた。
「行こう。魔都の火加減、必ず合わせます」
「私は鼻で焦げを拾う」
「ぼくは旗を低く結ぶ!」
「私は甘味の順番を守る」
返事が、一つずつ台所の道具みたいに収まっていく。
夜。私は《無限収納》から古い“家庭の味”の帳を取り出し、最後のページに一行だけ書き足した。
——鍋は約束。甘味は静寂。塩は帰り道。香は出立。焦げは、誰の急かしにも渡さない。
灯りを落とす前に、もう一度《ステータス》を開く。
《称号:台所外交官/鍋の約束/市の橋守》
湯気みたいに文字が揺れ、静かに落ち着いた。
「おやすみ、王都の台所」
遠くで鐘が一つ鳴る。明日、出発。柄杓の柄を握る指を、そっと緩めた。
寝所に戻ったはずの王子が、再び扉をノックする。
「少し、外へ出ないか」
「夜風、冷たいですよ?」
「君のスープが温かい」
見張り台から王都の屋根を見下ろす。東の空だけが薄く白んでいた。
「魔都で言葉が行き違ったら?」
「鍋を置きます。誰でもすくえる高さで。旗は低く。喋らなくても、湯気は登る」
「それで十分だ、と言える自分でありたい」
「王子は、十分以上にちゃんとしてます」
「君がそう言うなら、信じよう」
私はポケットから飴玉を二つ取り出した。
「蜂蜜しょうが。喉の鍋です」
「ありがたい」
二人で飴を舐める。甘さがほどける音は、いつも少し希望に似ている。
「忘れないうちに、荷札を」
私は束を開いた。
「柄杓は八本。多くないですか?」
「足りないぐらいです。魔都は大市。人は鍋の数より多い」
「包丁は?」
「三本。一本は“話す用”。見せて、置いて、安心させるため」
「武器ではなく道具だと伝えるために。いい考えだ」
城壁の風が弱まり、足元に落ちた。私は胸の内で女神に礼を言う。(焦げを渡さない知恵を、少し借ります)
台所に戻ると、ルークが布団から飛び出してきた。
「出発の合図の言葉、決めた?」
「決めてない。何がいいかな」
「“いって、おいで、おかえり”」
「……最高」
私は頭を撫で、布団をかけ直した。
最後に火の番を確認し、灯りを落とす。積み荷の影が静かに並んでいた。柄杓の輪。布の折り目。瓶の光。どれも、誰かの明日を運ぶ形だ。
(鍋は約束。明日も、焦がさない)
眠りに落ちる直前、短い夢を見た。小さな台所。幼い私に、誰かが木の匙を握らせる。
「困っている人には、温かいものをね」
目が覚めると、無限収納の奥で女神の匙がほんのり温かかった。
私は最後のチェックリストを指でなぞる。
「旗、低く。鍋、三。耳の鍋、二。塩は帰り道。甘味は“沈黙の間”の後」
声にすると、不安が一歩退く。
「大丈夫。——ごはんで行く。ごはんで帰る」
夜はきちんと暗く、明ける準備だけをしていた。
「明日の最初のひと言は——『いただきます』。それだけでいい。」
「うん。がんばろう。」
---
「おはよう、カスミアーナ」
先に来ていたカーディンが、帳面を抱えて会釈した。
「“鼻が覚えた匂い”を、書き直そう。数字だけでは焦げが見えない」
「うん。今日は鼻と手で、帳面を洗う日だよ」
私は《鑑定眼》を開く。一本ずつ栓を抜き、香りと色を確かめた。柑根は焦げ寸前。香葉は乾き過ぎ。ソーヤ種は粒が小さいけれど生きている。棚を一段降りるたび、庫の空気が少し澄んでいく。
「置き場所、矢印で変えよう。鼻で探せる並びに」
「了解。番号順は端に残す。見習いにも読める帳面にする」
「“鍋は約束”って表紙に太字で」
「任せろ」
二人で笑った。笑いは鼻をひらく。焦げの影が、よく見える。
足音が二つ、外から近づいた。
「入るぞ」
グラド副長だ。続いてセイル王子が袖をまくって現れる。
「君が開けた扉の匂いで目が覚めた」
「じゃあ、朝一番は“帰り道の塩”から」
小鍋で和塩の湯をわかし、小さな椀を配る。ひと口すすれば背筋が伸びた。戻るべき場所を、舌が思い出す。
「倉の並びも見るが、もう一つ見に来た」
王子は真剣な声で続ける。
「君の“段取り”だ。魔都で走りながら焦がさない手順を共有したい」
「了解。荷車の積み方から話します」
私は“香りの地図・王都版”を広げた。湯気の高さは丸、火力は線、塩梅は点。そこへ動線の矢印を重ねる。積み荷の優先、落としてはいけない瓶、代替案。
「火力石は予備三つ。耳の鍋は二基。ぷりんの冷やし場は蓄氷箱の下段」
「補給列と交差しない道筋にしておこう」
グラドが地図へ道を引く。
「この路地は狭いが風が回る。香りが揉まれてちょうどいい」
「さすが副長。鈍い鼻は焦げの初手に強い」
「褒め言葉として受け取る」
扉の隙間から二つの頭がのぞいた。
「手伝いに来たよ!」
「来ました!」
ルークとマリナだ。私は手ビラを渡す。
「ルークは瓶の下から拭いて、ラベルを読めるように。マリナは空き瓶を洗って、乾きを香りで確かめて」
「はーい!」
「乾いた匂いって、どんな匂い?」
「紙が昼寝したみたいな匂い」
「わかったような気がする!」
仕分けは午前で半分を過ぎた。私は《ステータス》を開く。
《名:カスミアーナ/年齢十五/職:料理研究家》
《料理:三十八→三十九/鑑定:十六→十七/嗅覚強化:十七→十八/交渉:九/段取り最適化:十→十一》
《新技:香り索引(試)/旧在庫見分け表(作成中)》
「上がってる。……でも、まだ足りない」
「十分以上だ」
王子が笑う。瓶がかすかに鳴った気がした。
「昼は軽く。午後は試作に火を使うから」
蒸籠に“橋の雑穀団子”を並べ、香葉を一枚、湯気に立てる。噛めば甘みが出るよう、すり潰しすぎない。粗さは橋板。甘みは手すり。塩は釘。
「いただきます」
「いただきます!」
噛むほどに、みんなの顔がほどけた。これなら魔族の子も、歯が小さくてもいける。
「午後は“和香混ぜ飯・赤版”」
「赤?」
「辛さは控えめ、香りは前へ。出立を後押しする配合」
香辛粉を油で馴染ませ、干し肉と刻みナミロ玉をゆっくり炒める。雑穀飯を広げ、帰り道の塩をひと雨。そこへ“赤”を一筋、扇で薄く広げた。
「混ぜすぎない。半歩ずらす」
「行って、戻る味だ」
王子が目を細める。
「うん。“二色の声”は喧嘩しない」
その時、カーディンが帳面を掲げた。
「旧在庫、洗い出し完了。補給の流れも描いた。明日の荷車、これで焦げない」
「ありがとう。ねえ、カーディン」
「なんだ」
「“鼻が覚えた匂い”は数字に書ける?」
「書ける。比喩で」
「比喩?」
「雨上がり。乾いた紙。陽だまりで眠った木。——読む者の鼻を起こす言葉だ」
「最高の帳面になる」
「完成は、魔都から帰ってきてからだ」
夕方、荷車が三台並んだ。鍋、火力石、蓄氷箱、香辛料、木の匙、柄杓、包丁、布、旗。私は一つひとつ《鑑定》で印を付け、積み順の矢印を重ねる。
「ぷりんの型は?」
「蓄氷箱の影、左奥。揺れが少ない」
「副長、完璧」
「ぷりんのためならな」
笑いが起きた。笑いは荷台の隙間を埋める。
その頃、広場の風が少し向きを変えた。南東。魔都へ誘う風だ。
「出発式は短くいこう」
王子が輪の真ん中に立つ。
「焦がさず、熱を絶やさず。腹で話し、耳で聞く。二十日の常設鍋を、我らで橋にする」
「おう」
グラドが短く吠え、ルークとマリナが手を上げる。私も胸に手を当てた。
「行こう。魔都の火加減、必ず合わせます」
「私は鼻で焦げを拾う」
「ぼくは旗を低く結ぶ!」
「私は甘味の順番を守る」
返事が、一つずつ台所の道具みたいに収まっていく。
夜。私は《無限収納》から古い“家庭の味”の帳を取り出し、最後のページに一行だけ書き足した。
——鍋は約束。甘味は静寂。塩は帰り道。香は出立。焦げは、誰の急かしにも渡さない。
灯りを落とす前に、もう一度《ステータス》を開く。
《称号:台所外交官/鍋の約束/市の橋守》
湯気みたいに文字が揺れ、静かに落ち着いた。
「おやすみ、王都の台所」
遠くで鐘が一つ鳴る。明日、出発。柄杓の柄を握る指を、そっと緩めた。
寝所に戻ったはずの王子が、再び扉をノックする。
「少し、外へ出ないか」
「夜風、冷たいですよ?」
「君のスープが温かい」
見張り台から王都の屋根を見下ろす。東の空だけが薄く白んでいた。
「魔都で言葉が行き違ったら?」
「鍋を置きます。誰でもすくえる高さで。旗は低く。喋らなくても、湯気は登る」
「それで十分だ、と言える自分でありたい」
「王子は、十分以上にちゃんとしてます」
「君がそう言うなら、信じよう」
私はポケットから飴玉を二つ取り出した。
「蜂蜜しょうが。喉の鍋です」
「ありがたい」
二人で飴を舐める。甘さがほどける音は、いつも少し希望に似ている。
「忘れないうちに、荷札を」
私は束を開いた。
「柄杓は八本。多くないですか?」
「足りないぐらいです。魔都は大市。人は鍋の数より多い」
「包丁は?」
「三本。一本は“話す用”。見せて、置いて、安心させるため」
「武器ではなく道具だと伝えるために。いい考えだ」
城壁の風が弱まり、足元に落ちた。私は胸の内で女神に礼を言う。(焦げを渡さない知恵を、少し借ります)
台所に戻ると、ルークが布団から飛び出してきた。
「出発の合図の言葉、決めた?」
「決めてない。何がいいかな」
「“いって、おいで、おかえり”」
「……最高」
私は頭を撫で、布団をかけ直した。
最後に火の番を確認し、灯りを落とす。積み荷の影が静かに並んでいた。柄杓の輪。布の折り目。瓶の光。どれも、誰かの明日を運ぶ形だ。
(鍋は約束。明日も、焦がさない)
眠りに落ちる直前、短い夢を見た。小さな台所。幼い私に、誰かが木の匙を握らせる。
「困っている人には、温かいものをね」
目が覚めると、無限収納の奥で女神の匙がほんのり温かかった。
私は最後のチェックリストを指でなぞる。
「旗、低く。鍋、三。耳の鍋、二。塩は帰り道。甘味は“沈黙の間”の後」
声にすると、不安が一歩退く。
「大丈夫。——ごはんで行く。ごはんで帰る」
夜はきちんと暗く、明ける準備だけをしていた。
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「うん。がんばろう。」
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