『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味

第7話 出汁の橋、紙市の朝に

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 夜明け。紙市の石畳は露で濡れ、活版機が遠くでコトンと鳴った。
私は天幕の幕を半分だけ上げ、昨夜見つけた金属小箱をそっと台に置く。蓋には見慣れた刻印——「みりん」「かつお」。

「まずは“水”からだな」
セイル王子が水壺を持ってくる。

「ありがとう。冷たいままは×。一度だけ息をさせて……はい、そこで止め」

 火力石を指先で撫でて半段上げる。
鍋縁に昆布の板を寝かせ、時間を置く。空気が静かに澄んでいく。

「ルークは旗。胸の高さに」

「了解!」

「マリナは“沈黙ぷりん”の皿を片付けて。——“鼻と心の準備完了”の札に替えてね」

「はーい!」

 湯の肌がふわりと揺れたところで、私は昆布を引き、指先で“かつお”の小箱を開ける。
乾いた香りがはじけ、胸の奥が一気に熱くなった。

(……帰ってきた)

 音を立てず、花かつおを一気に泳がせる。
火は落とす。数息ののち、静かに漉す。——黄金。

「“橋の雑穀粥”、出汁仕様いきます!」

「はいっ!」

 木椀に一杯、塩は外交量、最後に“みりん”で縁を丸く。
最初の一椀を王子へ、次を通りの書匠へ、三つ目を門番へ。列が一歩、自然に前へ進んだ。

「……これは」
王子が目を細める。

「腹だけじゃなくて、背中が、伸びる味だ」

「字がまっすぐ読める……」
書匠が笑い、門番は器を胸に当てた。

「帰ってくる匂いだな」

 私の手が、少しだけ震えた。その時——

「それ、あなたの味だよね」

 低くかすれた声。振り向くと、フードを目深に被った旅装の女が立っていた。
肩から下げた小箱には、同じく見覚えの“ひらがな”の札。

「……誰、ですか?」

「その質問、先に返すよ。——カスミさん、でしょ」

 胸の奥で、時間が跳ねた。
地球で呼ばれていた名。転生してから、誰にも言っていない名前。

「……どうして、知ってるの」

「だって、私の先生だもの。——綾菜(あやな)だよ」

 フードが外れ、笑顔が現れる。
短く切った髪、少し日に焼けた頬。その目尻のしわの形まで、覚えている。

「アヤ……!」

 間合いが一歩で消える。鍋を挟んで抱き合いそうになり、私は慌てて止まった。

「鍋、焦げる」

「そこが先生……!」

 二人して笑って、すぐに火加減を確かめる。
グラドが、“よし続けろ”の顔で列を肩で整え、王子は空気を読んで半歩下がった。

「話は腹で。はい、これ」
私は出汁粥を椀ごと渡す。

 綾菜は一口すすって、目を閉じた。
次の瞬間、鼻に手を当てて小さく笑う。

「——帰ってきた。こっちでも、帰ってこれるんだ」

「アヤ、どうやってここに?」

「長い話は夜に。手短に言うと、“匂いの縫い目”に落ちた。女神のジョーク、センス良すぎ」

「あるあるですね」
私は肩で笑い、《鑑定眼》で彼女の体調を確認する。
——疲労:中。栄養:不足気味。精神:高揚/不安混在。

「まずごはん。話はそのあと」

「先生、私、先生の“家庭の味”、ぜんぶ覚えてる。だから、手伝わせて」

「うん。……帰ってきてくれて、ありがとう」

 綾菜が頷いたその時、天幕の陰から昨日の“仮面の味見役”が現れた。
肩の帳面が光る。

「本日、来賓増。規定、追加。——“再会の騒ぎは、鍋の外で”」

「了解。外で泣きます」
私はきっぱり答え、列を進める指で合図した。

「王子、午後は“出汁の橋”を公開でやります。工程、全部見せる」

「いいのか?」

「いい。——隠すより、香りで納得させる」

「それが君だな」

 王子が笑う。綾菜は袖をまくった。

「先生、昆布の戻しは水温四十五度くらい。ないから、指の“しわセンサー”で」

「言うようになったね」

「弟子ですから」

 ルークとマリナが目を輝かせて見ている。
マリナが小声で囁く。

「ねぇ、あの人が“先生さんの先生”?」

「先生の弟子だよ」
私は笑って訂正する。
「今日から、うちの“台所の仲間”」

「やった!」

 午後。
“出汁の橋・公開仕込み”の札を掲げると、人の輪が自然に広がった。
私は工程をひとつずつ声に出し、綾菜が手元でテンポを合わせる。

「水は静かに。昆布が息をするまで待つ」

「ここで焦らないのが、いちばんのコツ」

「花は踊らせて、見惚れない。すぐ退く」

「残したいのは香りだけ。エゴは置いていく」

 言葉に合わせて湯気が上下し、天幕の内外の呼吸が揃っていく。
“香りの梯子”が、また一段高くなった。

「おお……」
仮面の味見役が、帳面に素早く線を引く。
書匠は目を潤ませ、門番は背を伸ばす。王子は遠くの役人に小さく頷き、グラドは路地の影を目だけで抑えた。

「仕上げは——“ただいま”」

 私は最後の一滴を鍋に落とし、火を落とす。
一瞬の静寂。次いで、拍手が湧いた。

「先生、次は?」
綾菜が小声で問う。

「二日目に“うどん”。三日目に“茶漬け”。……それと、魔王の椀は別仕立て」

「魔王?」

「うん。直筆で“来い”って」

「うわ、それ先生向きの圧」

「ね」

 二人で笑い、私は《段取り最適化》の余白に“再会”の線を一本足した。
香りは橋。鍋は約束。甘味は喧嘩を止める。
——そして今日は、“ただいま”の一椀。

「閉店後、ちゃんと泣こうね」

「はい。鍋の外で」

 紙市の夕風が、湯気をやさしく撫でた。

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