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第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味
第8話 うどんの輪、手と手のリズムで
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紙市二日目の朝。
石畳にまだ露が残るうちに、私は粉の袋を台にどすんと置いた。
「今日は“輪”を作るよ。——うどんの日」
「輪!」
ルークとマリナが同時に丸を作る。横でセイル王子が袖をまくった。
「手順、復唱。塩水は冷やし、粉は息をさせ、こねは体重で」
「最後は生地を寝かせて“機嫌を直させる”」
綾菜(アヤ)が笑いながら続ける。
「機嫌?」
「生地も人も、寝かせると優しくなるの」
私は《段取り最適化》を開き、天幕の中に“香りの梯子(二段目)”の線を引く。出汁は昨日と同じ黄金。今日は“麺の湯気”をそこに橋渡しする。
「まずは塩水。王子、手、冷たいですか?」
「いつでも冷静だ」
「じゃあ塩を頼みます。私は粉、アヤは水、ルークは旗、マリナは器」
「はーい!」
---
大鉢に粉、塩水を少しずつ。
指で砂場の城を崩すみたいに、ぽろぽろを作っていく。
「焦らない。水は“足りない”くらいから」
「先生、ここで一息」
「うん。……今」
指先が一斉に“なめらか”へと切り替わる。
私は体重をのせ、アヤは隣でリズムを刻む。
「ひと押し、ひと息」
「ふた押し、ふた息」
子どもたちが小さく真似して数える。
グラドは入口で人の流れを肩で整え、仮面の味見役は無言のまま帳面を抱いて見ていた。
「次は踏みます」
「踏む?」
「衛生布ごしだよ。体重の均等配分がいちばん簡単」
布でくるんだ生地を板に置く。
私は草履に履き替え、リズムを口ずさむ。
「いち、に。いち、に」
「さん、し。さん、し」
王子まで一緒に踏み出して、思わず笑いが起きた。
踏むたび、天幕の外まで“コトン”という小気味いい音が広がる。
「よし、休ませる。——生地を怒らせない」
寝かせ時間で、私は出汁を温め直す。
昆布の息、花かつおの踊り、昨日と同じ黄金を、今日は少しだけ深めに。
「塩は外交量。みりんで角を丸く。最後に“輪の香り”——柑皮を針の先ほど」
「先生、それ好き」
「アヤもでしょ」
---
寝かせ終わり。
生地をのばす。棒は《無限収納》から“すりこぎ”を拝借。代用、十分。
「角を合わせて、たたむ」
「幅は……先生の親指二本ぶん」
「そう」
包丁が入る。
しゃっ、しゃっ、と小気味よく“うどん”が生まれていく。
「湯の準備完了!」
ルークが鍋の蓋を上げ、マリナが箸を構える。
「麺は驚かせず、泳がせる」
真っ白な線が湯にほどけ、ふわりと浮く。
湯気が一瞬、出汁の香りと重なった。——橋、成功。
「試食、いきます」
私は一杯を王子に、二杯目を仮面へ、三杯目を入口の老書匠へ。
「……うむ」
王子が頷く。
「背筋が伸びる。昨日の“背中”が、今日は“足”に降りた」
仮面の味見役は静かに麺を噛み、帳面に短い線。
「列、切るな。湯、濁すな。焦がすな。——許可、継続」
「ありがとうございます」
老書匠は嬉しそうに麺を見つめた。
「輪だ。……文字も輪っかから始まった」
「じゃあ今日は、喧嘩も輪で止まりますね」
「止まるとも」
---
その時、天幕の外で声が荒れた。
「おい! うちの客がみんな麺に流れるじゃねぇか!」
油の匂い。向かいの揚げ屋の親父さんが腕を組んで仁王立ち。
周りの空気がぴりっと硬くなる。
「ごめんなさい。今日は“輪”の日で」
「謝るだけじゃ腹は膨れねぇ!」
私はすぐに台を拭き、親父さんの前で短く頭を下げた。
「——いっしょに、やりませんか」
「は?」
「うちの麺に、あなたの“音”をのせたい。かき揚げ。薄衣、玉ねぎ多め、根菜少々。油は新しすぎないほうがいい」
「かき揚げは得意だが……」
「売上は“半分こ”。列は“二列”。喧嘩は“ゼロ”。どうでしょう」
親父さんは鼻を鳴らし、私の鍋と自分の油を見比べた。
すこしだけ口の端が上がる。
「……やってやらぁ。おい、小僧! 音を上げろ、音を!」
「はい親方!」
次の瞬間、油が“しゃわわっ”と歌い、湯気のリズムに重なった。
かき揚げが揚がる音は、不思議と勇気が出る。
「“輪かき揚げうどん”、始めます!」
ルークが声を張り、マリナが器を並べ、アヤが麺を泳がせる。
王子は列を捌き、グラドは路地に目を光らせた。
「先生、衣は薄くて、端をわざと散らすやつ?」
「そう。——湯気と音を“結婚”させる」
「うわ、名言」
---
昼の山を越えた頃、路地の石畳が微妙にぬめった。
鼻に、いやな金属の線。
「水、撒かれた?」
「足、気をつけろ!」
グラドが低く唸る。
「打ち粉、塩、砂。——“滑り止めの即席ふりかけ”」
私は桶を掴み、粉と塩と砂を手早く混ぜて薄く撒く。
足音が安定し、列がふたたび前へ動いた。
「やめとけよ」
グラドが路地の影に向かって一言投げる。
影は空気に溶けた。
「先生、こういうの、日本でもあった?」
「似たようなのはね。——でも、今日の私たちなら大丈夫」
「うん」
---
午後の穏やかな時間。
うどんの輪は、子どもの笑い声と一緒に広がっていく。
親父さんの揚げ音はすっかり“紙市のBGM”になった。
「カスミアーナ殿」
カーディンが走ってきた。額に汗、手には回覧。
「常設鍋の条文、二つ追加。“音で争いを止めよ”“流れを止めるな”。——採決通過です」
「音と流れ。いい言葉」
「君の言葉だ」
カーディンは照れ隠しに咳払いした。
「それと、魔都からの飛脚。明日、夕刻。“予備献立の試食”を魔王が望む。場所は大市の奥、“黒の回廊”」
「来たね」
王子がうなずく。
「三日目の“茶漬け”を午前で締めて、夕刻に“魔王椀”。——時間は厳しいが、やれるか」
「やる。……やらせて」
アヤが前に出た。
目の奥、あの日の私にそっくりな火。
「先生、魔王椀は“帰る味”じゃなくて、“戻れる味”にしよう」
「定義の違いは?」
「帰る味は過去。戻れる味は、未来に行って帰ってこられる味」
私は、静かに息を吸った。
女神の匙が、また胸の内で鳴る。
「いいね。——“戻れる味”、作ろう」
---
片付けのあと、天幕の外に出た。
街の影が長く伸び、紙と油と出汁の匂いが薄い夕風に混ざる。
「先生」
アヤが小箱を差し出す。中には、薄い紙束。
「“先生の家庭の味”、ぜんぶ書き起こした。こっちの言葉に、私の鼻で訳した」
「……すごい」
「まだ穴だらけ。でも“縫い目”が近い時だけは、紙がふくらむの。だから、今日のうちに渡したかった」
私は受け取り、胸に当てた。
「ありがとう。——一緒に、穴を埋めよう」
「うん」
離れ際に、アヤがいたずらっぽく言った。
「踏みは、明日も私がやるからね」
「王子の出番が……」
「いや、私は“冷静担当”に戻ろう」
三人で笑う。
遠くで親父さんが油を落とし、鍋の音が静まった。
天幕に戻る前に、私は《ステータス》を開いた。
《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理 24→25/鑑定 8/嗅覚強化 8→9/段取り最適化 8→9/交渉 7→8》
《新特技:麺整形(輪)/称号:輪を結ぶ者》
《台所仲間:綾菜(弟子)—信頼:高》
「上がってる」
「当然だ」
王子が笑う。
「君が踏んで、皆が支えた結果だ」
「踏んだのは生地です」
「だから結果が柔らかい」
南から、微かな香りが上がった。
紙ではない、黒い石の冷たい匂い——“黒の回廊”。
「明日、午前は“茶漬け”。午後は、魔王椀の仕込み」
「焦がさず、流れを止めず、音で喧嘩を止める」
「合言葉、了解」
夜の紙市に灯がともる。
湯気は胸の高さ、輪は静かに広がって——三日目へ。
石畳にまだ露が残るうちに、私は粉の袋を台にどすんと置いた。
「今日は“輪”を作るよ。——うどんの日」
「輪!」
ルークとマリナが同時に丸を作る。横でセイル王子が袖をまくった。
「手順、復唱。塩水は冷やし、粉は息をさせ、こねは体重で」
「最後は生地を寝かせて“機嫌を直させる”」
綾菜(アヤ)が笑いながら続ける。
「機嫌?」
「生地も人も、寝かせると優しくなるの」
私は《段取り最適化》を開き、天幕の中に“香りの梯子(二段目)”の線を引く。出汁は昨日と同じ黄金。今日は“麺の湯気”をそこに橋渡しする。
「まずは塩水。王子、手、冷たいですか?」
「いつでも冷静だ」
「じゃあ塩を頼みます。私は粉、アヤは水、ルークは旗、マリナは器」
「はーい!」
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大鉢に粉、塩水を少しずつ。
指で砂場の城を崩すみたいに、ぽろぽろを作っていく。
「焦らない。水は“足りない”くらいから」
「先生、ここで一息」
「うん。……今」
指先が一斉に“なめらか”へと切り替わる。
私は体重をのせ、アヤは隣でリズムを刻む。
「ひと押し、ひと息」
「ふた押し、ふた息」
子どもたちが小さく真似して数える。
グラドは入口で人の流れを肩で整え、仮面の味見役は無言のまま帳面を抱いて見ていた。
「次は踏みます」
「踏む?」
「衛生布ごしだよ。体重の均等配分がいちばん簡単」
布でくるんだ生地を板に置く。
私は草履に履き替え、リズムを口ずさむ。
「いち、に。いち、に」
「さん、し。さん、し」
王子まで一緒に踏み出して、思わず笑いが起きた。
踏むたび、天幕の外まで“コトン”という小気味いい音が広がる。
「よし、休ませる。——生地を怒らせない」
寝かせ時間で、私は出汁を温め直す。
昆布の息、花かつおの踊り、昨日と同じ黄金を、今日は少しだけ深めに。
「塩は外交量。みりんで角を丸く。最後に“輪の香り”——柑皮を針の先ほど」
「先生、それ好き」
「アヤもでしょ」
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寝かせ終わり。
生地をのばす。棒は《無限収納》から“すりこぎ”を拝借。代用、十分。
「角を合わせて、たたむ」
「幅は……先生の親指二本ぶん」
「そう」
包丁が入る。
しゃっ、しゃっ、と小気味よく“うどん”が生まれていく。
「湯の準備完了!」
ルークが鍋の蓋を上げ、マリナが箸を構える。
「麺は驚かせず、泳がせる」
真っ白な線が湯にほどけ、ふわりと浮く。
湯気が一瞬、出汁の香りと重なった。——橋、成功。
「試食、いきます」
私は一杯を王子に、二杯目を仮面へ、三杯目を入口の老書匠へ。
「……うむ」
王子が頷く。
「背筋が伸びる。昨日の“背中”が、今日は“足”に降りた」
仮面の味見役は静かに麺を噛み、帳面に短い線。
「列、切るな。湯、濁すな。焦がすな。——許可、継続」
「ありがとうございます」
老書匠は嬉しそうに麺を見つめた。
「輪だ。……文字も輪っかから始まった」
「じゃあ今日は、喧嘩も輪で止まりますね」
「止まるとも」
---
その時、天幕の外で声が荒れた。
「おい! うちの客がみんな麺に流れるじゃねぇか!」
油の匂い。向かいの揚げ屋の親父さんが腕を組んで仁王立ち。
周りの空気がぴりっと硬くなる。
「ごめんなさい。今日は“輪”の日で」
「謝るだけじゃ腹は膨れねぇ!」
私はすぐに台を拭き、親父さんの前で短く頭を下げた。
「——いっしょに、やりませんか」
「は?」
「うちの麺に、あなたの“音”をのせたい。かき揚げ。薄衣、玉ねぎ多め、根菜少々。油は新しすぎないほうがいい」
「かき揚げは得意だが……」
「売上は“半分こ”。列は“二列”。喧嘩は“ゼロ”。どうでしょう」
親父さんは鼻を鳴らし、私の鍋と自分の油を見比べた。
すこしだけ口の端が上がる。
「……やってやらぁ。おい、小僧! 音を上げろ、音を!」
「はい親方!」
次の瞬間、油が“しゃわわっ”と歌い、湯気のリズムに重なった。
かき揚げが揚がる音は、不思議と勇気が出る。
「“輪かき揚げうどん”、始めます!」
ルークが声を張り、マリナが器を並べ、アヤが麺を泳がせる。
王子は列を捌き、グラドは路地に目を光らせた。
「先生、衣は薄くて、端をわざと散らすやつ?」
「そう。——湯気と音を“結婚”させる」
「うわ、名言」
---
昼の山を越えた頃、路地の石畳が微妙にぬめった。
鼻に、いやな金属の線。
「水、撒かれた?」
「足、気をつけろ!」
グラドが低く唸る。
「打ち粉、塩、砂。——“滑り止めの即席ふりかけ”」
私は桶を掴み、粉と塩と砂を手早く混ぜて薄く撒く。
足音が安定し、列がふたたび前へ動いた。
「やめとけよ」
グラドが路地の影に向かって一言投げる。
影は空気に溶けた。
「先生、こういうの、日本でもあった?」
「似たようなのはね。——でも、今日の私たちなら大丈夫」
「うん」
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午後の穏やかな時間。
うどんの輪は、子どもの笑い声と一緒に広がっていく。
親父さんの揚げ音はすっかり“紙市のBGM”になった。
「カスミアーナ殿」
カーディンが走ってきた。額に汗、手には回覧。
「常設鍋の条文、二つ追加。“音で争いを止めよ”“流れを止めるな”。——採決通過です」
「音と流れ。いい言葉」
「君の言葉だ」
カーディンは照れ隠しに咳払いした。
「それと、魔都からの飛脚。明日、夕刻。“予備献立の試食”を魔王が望む。場所は大市の奥、“黒の回廊”」
「来たね」
王子がうなずく。
「三日目の“茶漬け”を午前で締めて、夕刻に“魔王椀”。——時間は厳しいが、やれるか」
「やる。……やらせて」
アヤが前に出た。
目の奥、あの日の私にそっくりな火。
「先生、魔王椀は“帰る味”じゃなくて、“戻れる味”にしよう」
「定義の違いは?」
「帰る味は過去。戻れる味は、未来に行って帰ってこられる味」
私は、静かに息を吸った。
女神の匙が、また胸の内で鳴る。
「いいね。——“戻れる味”、作ろう」
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片付けのあと、天幕の外に出た。
街の影が長く伸び、紙と油と出汁の匂いが薄い夕風に混ざる。
「先生」
アヤが小箱を差し出す。中には、薄い紙束。
「“先生の家庭の味”、ぜんぶ書き起こした。こっちの言葉に、私の鼻で訳した」
「……すごい」
「まだ穴だらけ。でも“縫い目”が近い時だけは、紙がふくらむの。だから、今日のうちに渡したかった」
私は受け取り、胸に当てた。
「ありがとう。——一緒に、穴を埋めよう」
「うん」
離れ際に、アヤがいたずらっぽく言った。
「踏みは、明日も私がやるからね」
「王子の出番が……」
「いや、私は“冷静担当”に戻ろう」
三人で笑う。
遠くで親父さんが油を落とし、鍋の音が静まった。
天幕に戻る前に、私は《ステータス》を開いた。
《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理 24→25/鑑定 8/嗅覚強化 8→9/段取り最適化 8→9/交渉 7→8》
《新特技:麺整形(輪)/称号:輪を結ぶ者》
《台所仲間:綾菜(弟子)—信頼:高》
「上がってる」
「当然だ」
王子が笑う。
「君が踏んで、皆が支えた結果だ」
「踏んだのは生地です」
「だから結果が柔らかい」
南から、微かな香りが上がった。
紙ではない、黒い石の冷たい匂い——“黒の回廊”。
「明日、午前は“茶漬け”。午後は、魔王椀の仕込み」
「焦がさず、流れを止めず、音で喧嘩を止める」
「合言葉、了解」
夜の紙市に灯がともる。
湯気は胸の高さ、輪は静かに広がって——三日目へ。
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