『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味

第11話 文香一枚、帰り道の約束

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 黒都の朝は、石が冷たく澄んでいる。
 客舎の台所に、私は小さな机をもう一台運び込み、紙と香袋を並べた。

「今日は二本立て。——孤児院の“朝の椀”講習と、文香(ふみこう)づくり、第一号」

「わくわくする」

 アヤが湯の番に立ち、ルークとマリナは器を磨く。
 セイル王子は許可状の確認、グラドは扉際で鼻だけで空気を読む。

「文香の紙、どれを使う?」

 アヤが指で紙端を持ち上げる。

「薄くて、繊維がまっすぐなもの。——墨より“匂い”が乗る紙」

「王都の紙市で買った“楮薄葉”、あるよ」

 カーディンが包みを出す。

「助かる。糊は米のり、香は三段。土台は出汁の記憶、二段目に柑皮の影、最後に甘味で“帰り道”を結ぶ」

「帰り道、結びます」

 アヤが小さく復唱した。

 

 まずは孤児院。
 黒都西の路地を抜け、背の低い建物に入ると、子どもたちの視線が一斉に集まる。
 片方だけ角のある子、尻尾が落ち着かず揺れる子、緊張で背筋が伸びすぎている子。

「おはよう。今日から“ざざっ”を覚えます」

「ざざっ?」

 小さな声が重なる。

「お腹に帰ってくる音。——湯の音です」

 

 私は携行鍋を据え、火力石を半段。
 昆布を沈めてすぐ引く。
 黄金がひと筋、窓明かりを飲んだ。

「まずは音の練習。器に米をちょっと。具は梅、昆布、干し魚。——順番は自由」

「自由!」

 尻尾の子が嬉しそうに跳ね、角の子が真剣に頷く。

「湯は“沸騰一歩手前”で止める。ここがポイント」

「ポイント!」

 ルークが胸に手を当て、マリナが口元で“しー”の合図。

“ざざっ”

 最初の一杯。
 子どもたちが一斉にすすり、部屋に小さくため息が落ちる。

「……あったかい」

「胸が、ひらく」

「お腹が“ただいま”って言った」

 私は笑って、二杯目を勧める。
 音はそろい、目がほどけ、椀が空く。
 セイル王子は端で黙って見守り、グラドは扉の外で往来に耳を置いた。

「明日からは、君たちが“音”を鳴らす番。三つ守る。——焦がさない、流れを止めない、音を乱さない」

「守る!」

 小さな手が一斉に上がった。

 

 客舎に戻ると、蒼生(ソウセイ)が香箱を抱えて待っていた。
 フードは外し、淡い笑み。
 昨日の“再会の熱”は、静かな芯になっている。

「文香、一枚。——やってみよう」

「お願い」

 私は机に紙を置く。
 蒼生が香を三つに分け、指先でほんの少しずつ染み込ませる。

「土台は“ここ”。先生の出汁の余韻」

「うん。……ここ、“影”が強い。柑皮、半分に」

「了解」

 香を置き、薄め、乾かす。
 最後に甘みを一点。
 香は目に見えない糸になって、紙の繊維にまっすぐ走った。

「次は——文を」

「うん」

 私は筆を取り、息を整える。
 文字は少なく。香りが主役で、言葉は糸。

『ただいまは、湯の音から。
 あなたの台所へ、音が届きますように。——カスミ』

 書き終えた瞬間、紙がほんの少しだけ温かくなる。
 蒼生が目を細めた。

「通る。……今日は“出すだけ”。返事は一月先」

「大丈夫。一枚目は、こっちの合図のための一枚」

「届け先は?」

「——地球の台所。私の古い教室の、窓辺」

 蒼生は頷き、文香を香箱の奥に収めた。

「夕刻、“影路(かげじ)”が開く。そこに置けば、向こうに流れる」

「任せる」

 

 その時、扉を叩く音。
 黒都の書吏が慌ただしく入ってきた。

「報。——回廊の東端で“におい泥棒”が出た。香袋を抜き取って逃走。明日の市に影響の恐れ」

「香袋……」

 アヤが一瞬、私の香箱を見る。
 蒼生がすでに動いていた。

「先生、箱は私が。王子、回廊の許可は?」

「出す。——グラド、追跡は?」

「鼻で追える。鉄の匂いと柑皮の残り。——子どもではない」

「私たちは“流れ”を守る。——鍋は止めない」

「了解」

 

 私は携行鍋に火力石を一欠片。
 湯を鳴らし、香を起こす。
 黒都の風に“帰り道の音”を重ねる。

「泥棒は“におい”を背負ってる。——戻ってくる」

「戻る?」

 ルークが首を傾げる。

「強い匂いは、帰り道を作る。……だから“茶漬け”は、帰れる」

「帰れる!」

 

 グラドが路地に消え、王子は回廊へ連絡に走る。
 蒼生は香箱を抱えたまま、静かに窓辺に立った。

「先生。もし箱が狙われたら、どうする」

「香りを分ける。——“耳の鍋”みたいに、蓋をずらす」

「つまり?」

「レシピを半分“音”に移す。紙だけでは盗めないように」

「いい考え」

 

 夕刻、影路の時刻。
 文香を窓辺に置き、蒼生が指先で空をなぞる。
 細い線がひと筋、紙から夜へと伸びた。

「——行った」

「行った」

 胸の奥で、何かがほどけた。
 遠い台所の空気と、こちらの湯気が、一瞬だけ重なる。

 

 そこへ、足音。
 グラドが息も乱さず戻ってきて、短く報告した。

「捕った。——香袋は無事。犯人は“香りの転売屋”。背中に“鉄”の匂い」

「香袋は?」

「一つだけ中身が抜かれていた。だが、影は浅い」

「被害は最小。……よかった」

 王子が安堵の息を落とし、蒼生が香袋を受け取る。

「明日の市は予定通り。“常設鍋・黒都版”、開ける」

「開ける!」

 

 夜更け、小さな打ち上げ。
 茶漬け一杯、梅と干し魚。
 湯の音は柔らかく、皆の顔も柔らかい。

「先生、《ステータス》見よっか」

 アヤがいたずらっぽく笑う。
 私はそっと開いた。

《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理 26/鑑定 9/嗅覚強化 9/湯音制御 3→4/段取り最適化 9→10/文香作成 0→1》
《称号:影で鳴らす者/新特技:文香作成》

「上がってる。——でも、まだ足りない」

「十分だ」

 セイル王子が穏やかに笑う。

「君の“ざざっ”は、橋を渡した。……あとは回数だ」

「回数は味の筋トレだからね」

 蒼生が茶を置き、静かに続ける。

「一月に一枚。急がない。でも止めない」

「止めない」

 私は薬缶を持ち直し、もう一杯だけ注いだ。

“ざざっ”

 湯の音が、遠い窓辺にまで届くことを願いながら。

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