『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味

第12話 黒都大市、香りで道をつくる

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 黒都の朝は、昨日より人の音が濃い。石畳に屋台の足が打たれ、看板の鎖が鳴る。私は露店許可札を胸に、広場の一角に“常設鍋・黒都版”を組み上げた。旗は低く、湯気は胸の高さ。風向きは南東、香りは右手の通りへ逃がす。

「合図の香、弱め。——今日は“道づくり”優先で」

「了解」

 アヤが香袋を半分だけ開き、ルークとマリナは番号札を配る。番号札は香葉に押した小さな印。並ぶ位置も香で線を描いた。

「グラドさん、風下の見張りをお願いします」

「鼻は任せろ。……鉄と柑皮、今日も嗅ぐかもしれん」

「焦がさず、乱さず、止めません」

 

 鍋に湯を張り、出汁を落とす。
 最初の音は、いつもと同じ。

“ざざっ”

 列の端にいた角の少年がぴくりと耳を動かした。

「この音、知ってる。——孤児院と同じだ」

「“ただいま”の音だよ。今日は市場でも帰れるからね」

 

 開店一品目は「黒穀おにぎり・一口」。握りは小さく、外は香ばしく、芯はやわらかい。二品目は「橋の粥・屋台仕様」。立ち食いでもこぼれない濃さに整え、辛味は別添えの“香油(こうゆ)”で調整。三品目は「蒸し団子・取交ぜ」。甘いのと塩の二種、蒸籠ごと湯気を見せる。

「いただきます、は——」

「——みんなで揃えて」

 セイル王子が笑って言い、最初の客の前で軽く会釈した。金の瞳の書吏がひそひそとメモを取る。噂はすぐ隣へ、香りは列の先へ。

「次の方、どうぞ」

「香油は強めで!」

「了解。——一滴で“挨拶”、三滴で“握手”、五滴で“挑戦”です」

「じゃ、握手で」

 客が笑い、鍋の前の空気が柔らかくゆれる。

 

 中盤、混み始めた。列が重なり、呼気と声で風が乱れる。私は《段取り最適化》を開き、香線(こうせん)をもう一本足した。甘い線を子どもの列へ、塩の線を急ぎの商人へ。辛味の線は、風上から短く。

「カスミ、行列が押してる!」

「アヤ、二番鍋を“粥専用”に切り替え。王子、呼び込みは一呼吸置いて。——“今の一杯は帰り道、次の一杯は出発の道”って」

「承知した」

 セイル王子の声が落ち着いた低さで広場を渡り、列がふっと伸び直る。ルークは番号札を上手に回し、マリナは器を一歩先に置いて待たせない。

 

 そこへ、香りがひとつ、濁った。
 鉄。柑根。昨日の“におい泥棒”の系統。風下の角で、布がねじられる音。

「グラドさん、右角——」

「見えてる」

 副長は一歩も動かず、声の角度だけ変えた。

「そこだ。布を置け。今は“腹で”話す日だ」

 ごそ、と音。
 私は鍋の火を一段落とし、鎮静の香を湯気に溶かした。強い匂いは薄まり、人の息が戻る。

「……邪魔、しない」

「なら、一杯」

 私は“橋の粥”を小さくよそい、布の影に差し出した。
 男は黙って受け取り、一口で表情をほどいた。

「腹に落ちる。——今日は見てる」

「ありがとう。見る人がいると、道がまっすぐになる」

 

 昼の鐘。
 鍋は最大出力、でも焦げない。
 蒼生(ソウセイ)が調香師の腕章で現れ、香りの流れを目でなぞる。

「子ども列の“甘い線”、一尺手前に。大人列の“塩の線”を一尺後ろへ」

「了解」

 香袋の口を指で弾くと、空気に見えない罫線が引かれる。
 列は乱れず、笑いが重なる。

「——うまい!」

「この粥、喉が怒らない」

「団子の塩、喧嘩を忘れさせる」

 

 ひと息ついたところで、王子がそっと近づいた。

「カスミアーナ。魔王からの使い、来ている」

「今?」

「見ているだけだ。——焦げはないか、流れは止まっていないか、音は乱れていないか」

「全部、大丈夫。……鍋が教えてくれる」

 

 鍋の底、木杓子の手触り。
 私は《火加減制御》を少し上げ、湯の音を整えた。

“ざざっ”

 広場のどこにいても分かる、小さな帰り道。
 使いは無言で頷き、黒い封の短札を置いた。

「“月次(つきなみ)許可、暫定”。——次回も、焦がすな」

「承りました」

 胸の奥で、そっと拍手が鳴る。

 

 終盤、最後の鍋を薄粥に切り替え、“沈黙の間”をつくる。
 ざわめきがやさしく沈み、ぷりんを親指の先で配る。
 黒都の書吏が真顔で囁いた。

「議場の秩序に有効だ」

「だから冷蔵庫が必要なんです」

 王子の顔は真剣で、周りがどっと笑う。

 

 片付け。
 私は売上と配膳数の記録をつけ、最後に《ステータス》を開いた。

《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理 27/鑑定 10/嗅覚強化 10/湯音制御 5/段取り最適化 10/文香作成 1》
《新スキル:香線(こうせん)誘導 0→1》
《称号:市の湯気番》

「上がってる。——でも、まだ足りない」

「十分以上だ」

 グラドが短く笑う。

「今日の列は一度も“喧嘩”にならなかった。湯気の勝ちだ」

「蒼生、文香の“重さ”は?」

「少し軽くなった。向こうに吸われてる。——返事は一月先、でも道は生きてる」

「なら、続けるだけ」

 

 客舎へ戻る路地、夕餉の匂いが交差する。
 ルークが跳ね、マリナがあくびをかみ殺す。
 アヤが肩の力を抜き、王子が空を見上げる。

「明日は王都に戻る手筈だ。——倉の旧在庫、洗えるか」

「洗えます。カーディンの“手”で」

「任せてくれ」

 記録官が静かに頷いた。

 

 扉を閉める直前、風が一枚の香りを運んだ。
 懐かしい出汁の影。紙の繊維が陽を飲んだ匂い。
 ——まだ返事ではない。けれど、確かに“向こう”がこちらを見た気配。

「次は王都で“道”を続ける。……焦がさずに」

「はい、料理長!」

 皆が笑い、私も笑った。
 鍋は片付いたのに、胸の中の湯気は、まだあたたかい。

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