『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味

第13話 王都倉庫、香りの棚卸し

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 黒都を出た帰り道、石の色はだんだん明るくなり、風の匂いが乾いていく。
 馬車の荷台で、私は小さな携行鍋を抱えたまま、火力石を指先で温めた。

「お昼は“旅茶漬け”。湯は半歩手前で止めるよ」

「はーい!」

 ルークが器を並べ、マリナが梅と干し魚をちょこんと置く。
 アヤは塩を一粒ずつ摘(つま)み、セイル王子は手練れの所作で風よけ布を押さえた。

 湯が鳴る。

“ざざっ”

「……帰ってきた感じ、するね」

「音は道だから」

 私は笑い、木杓子をそっと鍋から上げる。
 ひと息の昼を挟んで、馬車は王都の門を抜けた。

 

 迎えてくれたのは、見慣れた石壁と、食堂の暖かい空気。
 けれど今日の主戦場は、台所ではない。

「調香庫、開けるぞ」

 グラドが鍵束を鳴らし、カーディンが記録板を抱え直した。
 扉が重く軋(きし)む。中は棚の迷宮。樽、箱、封筒、瓶。
 そして——手書きの注意札がいくつもぶら下がっている。

『開けるな』『開けたら泣く』『王室印確認』

「泣く前に、嗅ぎます」

「頼む」

 私は《鑑定眼》を開き、《嗅覚強化》を重ねる。
 鼻先に薄い香の層が揺れ、視界の端に数字が浮いた。

《柑皮:劣化度 22/混入 0》《魚醤:劣化度 35/混入 5(灯油系)》
《香油(小瓶):劣化度 12/混入 18(鉄・脂)》

「……混ざってる。鉄と脂。——灯り用の油が紛れてる」

「やっぱりか」

 グラドの眉間が、ほんの一線だけ深くなる。
 カーディンは記録板に震える字で書き足した。

「十か月前、外注の搬入……俺の決裁だった。早さを優先した」

「今日から“遅いを早く”にします。——棚卸しは三段でいきましょう」

「三段?」

「一段目、鼻だけ。二段目、鼻と湯。三段目、鼻と舌と紙」

 私は指を三本立て、棚の手前に小机を三つ据えた。
 アヤが湯の番、ルークとマリナは札を書き、王子が封蝋の確認係に回る。

「鼻だけで“変”を外す。湯に通して“隠れ焦げ”を浮かす。最後に紙——“鼻のしおり”で覚える」

「鼻の……しおり?」

「香りを短冊に写すの。紙ごとに基準の匂いを一筋。引けば戻れる“帰り道”になる」

「帰れる!」

 ルークが目を輝かせ、マリナは小筆を握った。

 

 作業は流れた。
 壺の蓋を開けては閉め、湯の湯気を一滴だけ通す。
 鉄。脂。埃。時々、古い蜜のいい影。

「この柑皮、影が強い。——日向と混ざってる」

「仕分けて、影は塩系へ。日向は甘味に」

「了解」

「こっちは“魚醤”。灯油の影が浅い。——紙に逃がして、上澄みだけ」

「逃がす……すげえ発想だな」

 グラドが短く笑い、王子が封の印を素早く付け替える。
 カーディンは黙々と“出入りの手”の名を洗い出し、怪しい経路に赤線を引いた。

 

「一息いれよう。——“鼻のリセット粥”いきます」

「そんなのあるの?」

「生姜(しょうが)と葱(ねぎ)と少しの蜂蜜。鼻の中の“前の客”を優しく退室させるやつ」

「前の客……」

 皆がふっと笑い、湯気が軽くなる。
 粥をすすれば、鼻の内側が広がり、音が澄む。

「よし、後半戦」

 

 奥の棚。鍵付きの小部屋に入る。
 ラウモンドの筆跡で『古道具扱い無用』の札。
 開けた瞬間、空気が変わった。静かで、長い匂い。

「師匠の棚だ」

 私は無意識に背筋を伸ばす。
 瓶のひとつを《鑑定眼》にかけ、短冊に薄く移す。

《黒葡萄酢:劣化度 12/混入 0/骨の下支え:高》

「これ、明日から“骨付き柔煮”の下支えに。——崩れず柔らかいが出せる」

「覚えた」

 王子が即答し、カーディンが二重枠で記す。

 

 夕方、棚卸しは最深部まで到達。
 最後に、例の“香油(小瓶)”を湯に一滴。
 立ちのぼる匂いに、全員が同時に顔をしかめた。

「これは、捨てる」

 私は短冊に×を記し、瓶口を布で封じる。
 次の瞬間、扉の外で足音。届け出を受けた衛兵が来た。

「搬入経路、押さえた。——灯油屋と香油屋の二重請け」

「ありがとう。……“焦げは残る”を、見せずに済んだ」

「見せていい焦げと、見せちゃいけない焦げがある」

 グラドがぽつりと落とし、みんなが頷いた。

 

 片付けに入る。
 私は“鼻のしおり”を束ね、カーディンに手渡した。

「これが“帰り道”。——迷ったら、ここへ戻る」

「……ありがとう。俺の“手”を、まだ使わせてくれるのか」

「うん。鼻は、直る。手も、直る」

「直す」

 彼は短く言い、深く頭を下げた。

 

 夜、食堂で軽い賄いを作る。
 出汁巻きと薄粥、それから小さな甘味をひと匙ずつ。

「“沈黙の間”、つくる?」

 アヤが目で聞いてくる。

「うん、短く」

 灯りがやわらぎ、音が一拍で静まる。
 みんなの肩の力が、同時に抜けた。

 

 部屋に戻ると、窓辺に置いた香箱から、微かな風。
 紙が一枚——ほんの少しだけ、温度を持って揺れた。

「……蒼生?」

「見た。向こうが鼻を近づけた。返事じゃない。けど、道は太くなってる」

「続けるだけだね」

「うん。一月に一枚。急がない。でも止めない」

 

「《ステータス》、見る?」

 ルークが期待で目を輝かせる。
 私はそっと開いた。

《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理 28/鑑定 11/嗅覚強化 11/湯音制御 5/段取り最適化 11》
《新特技:鼻のしおり作成 0→1》
《称号:倉の湯気番》

「上がってる。……でも、まだ足りない」

「十分以上だ」

 セイル王子が、いつもの優しい声で言う。

「君が仕分けた匂いは、王都の道をまっすぐにした。——明日は“常設鍋・王都”の再開だな」

「旗は低く、湯気は胸の高さ。……焦がさずに」

「うむ」

 皆が笑った。
 窓の外、夜風が静かに丸くなって、どこか遠い台所の湯気と重なる。
 私は柄杓の柄を握り直し、小さくつぶやいた。

「明日も帰り道、鳴らします。“ざざっ”と」

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