『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

文字の大きさ
73 / 99
第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味

第20話 手順書と再会、冷やしぷりんは握手の味

しおりを挟む
 常設枠の許可が下りた翌朝、私は王都の台所で紙と筆を広げた。
 表紙には、はっきりと大きく——『鍋の約束・初級編』。

「見出しは“旗は低く、湯気は胸の高さ”。次は“沈黙の十拍”、それから“耳の鍋”の三段階……」

「図は俺が描こう」

 グラドが木蓋の絵をさっと描く。角度ごとに“一指/二指/三指”と明記。横に私は短い説明を添えた。

「一、ざわめきを和らげる
 二、怒りを寝かせる
 三、沈黙を呼ぶ。——いずれも十拍厳守」

「硬い言葉より、鍋の語り口がいいな」

「はい。読み上げやすく、覚えやすく」

 セイル王子は隣で頷き、最後のページを指した。

「付録“沈黙の間に最適な甘味”。……ぷりんか」

「これが一番、口と心を同時に落ち着かせますから」

 笑いがこぼれ、台所の空気が柔らかくなる。そこへ、門番の少年が駆け込んだ。

「カスミアーナさん! “橋便(はしびん)”が届きました! 魔都経由の地球行き来の許可使です!」

「地球から?」

「はい。小型往還、今日の正午に試行だそうです!」

 私は思わず木杓子を握り直した。胸の奥が、ひゅっと熱くなる。

 

 正午。
 王都の広場、常設鍋の横に小さな円環が立った。薄い光が水面みたいに揺れ、向こう側に白い壁と銀色の台——地球の研究室の一角が見える。

「——聞こえる? カスミ」

「美緒(みお)! 聞こえるよ!」

 次の瞬間、光の縁をくぐって、ひとりの女性が現れた。短いポニーテール、両腕には保冷箱。私より少し背が高くて、目がきっぱりしている。

「先に言わせて。おかえり、師匠」

「……結衣(ゆい)?」

「うん。元・アシスタントの結衣です。一次試験、合格して会いに来た」

 保冷箱を差し出し、結衣はにやっと笑う。

「“再会の三点セット”。出汁、牛乳代替、そして卵——の代わりのゲル。ぷりん、作れるはず」

「持ってきてくれたんだ……!」

「師匠の“沈黙の間”、論文にして世界に投げよう。——いや、ちゃんと合意を取って、“鍋の約束”に沿う形で」

 そこまで言うと、彼女はぐるりと広場を見回し、低い旗と胸の高さの湯気に目を細めた。

「ほんとに、台所で外交やってるんだね」

「うん。焦がさず、熱だけ分けてる」

「最高だよ、師匠」

 

「まずは腹で話そう。——結衣、こっち手伝って」

「了解」

 私たちは並んで鍋に向かった。
 結衣は手を洗い、保冷箱のゲルを小鍋に落とす。私はナッツミルクを温め、ラウモンド印の砂糖を計る。火は弱く、混ぜる手は一定。湯気は、胸の高さ。

「王子、十拍の合図をお願いします」

「任せろ」

 “トン”。グラドが木蓋を軽く弾く。
 私はぷりん液を小椀に流し、急冷用の“風の箱”に入れた。
 沈黙の十拍が終わる頃、表面がゆるく固まりはじめる。

「試食は、混交列の先頭から」

 人と魔族の子が、同時に一口。
 舌に触れた瞬間、ふたりの肩から力が抜けた。

「……静かになる」

「甘いけど、喉が騒がない」

 広場に柔らかな笑いが広がる。
 結衣が私の横で、小さく息を吐いた。

「こっちでも、効く。——“沈黙の間”は、世界共通言語だ」

「言葉が通じなくても、十拍は共有できるからね」

 

 そこへ、議会の書記官カーディンがやって来た。
 以前、旧在庫の件で腹を割った相手だ。今日は肩の力が抜けている。

「文書、拝見した。“鍋の約束・初級編”。記録官席に登録してよいか?」

「もちろん。ただし追記を一つ」

「追記?」

「“旗は低く、湯気は胸の高さ”を、図の最初に。文字より先に目に入るよう、大きく」

「了解した。……地球の方だね?」

「元アシスタントの結衣です。初日は皿洗いからやります」

「頼もしい」

 カーディンは小さく頭を下げ、去っていく。
 結衣がすぐ横で囁いた。

「この距離で、文書の話ができる街。いいね」

「この街にしてもらったんだよ、みんなに」

 

 休憩。
 私は結衣と並んで腰を下ろし、鍋から立つ湯気を眺めた。

「ねぇ、師匠」

「ん?」

「“耳の鍋”の理屈、地球側に伝えるときの名前……“ラーメン屋の湯切り理論”とかにしたら伝わるかな」

「それ、誤解を生むやつ。ちゃんと“蓋角三段法”って書こう」

「はいはい、真面目」

「あと、“沈黙の間”は十拍。絶対に変えない」

「わかってる。——約束、ね」

 結衣は空を見上げ、ぽつりと付け足した。

「師匠、私、あの時、辞め方が下手だった。忙しいに負けて、ちゃんと話さずに飛び出した。ずっとそれを料理で埋めてきたけど……やっと、言える」

「今、言ってくれたから、もう大丈夫」

「……うん。ありがとう」

 横顔が少し幼く見えて、胸がきゅうとなった。
 私は《ステータス》をそっと開く。小さな欄に、細い文字が増える。

《交渉 16→17/段取り最適化 16→17/耳鍋運用 2→3》
《新特記:弟子再会補正(沈黙の間+一拍の余裕)》

 たぶん、私のほうこそ救われている。

 

 夕刻。
 魔都側の鍋も無事に閉店したと連絡が入った。アヤと蒼生は、光の縁の向こうで親指を立てている。
 王子が私と結衣の間に歩み寄り、静かに言った。

「“初級編”の配布、明朝から始めよう。王都三十部、魔都三十部。——地球にも、同数送る」

「印刷は研究所で引き取るよ。図版はこのまま使っていい?」

「もちろん。ただし、最後に一行つけて」

「何を?」

「“鍋は約束、焦げは記憶、甘味は休戦”。——責任の行を」

 結衣がゆっくり頷き、私と目を合わせた。

「守る。絶対に」

 

 片付けが終わる頃、子どもたちが寄ってきた。

「ねぇ、明日もぷりんある?」

「“沈黙の間”の分だけね。——喧嘩の時にも使うから」

「じゃあ、喧嘩しない!」

「そうして!」

 笑い声が湯気に混ざる。
 私は木蓋を撫で、鍋の底を覗いた。焦げは、ない。

 

 夜。
 結衣と肩を並べて寝床へ向かう途中、彼女が小声で言った。

「師匠。——いつか、“上級編”も書こう」

「書こう。耳だけじゃない、目と鼻と手の“蓋”。」

「うん。私、今度は逃げない」

「私も、焦がさない」

 ふたりで、約束の言葉をゆっくり噛んだ。
 湯気は胸の高さ、旗は低いまま。
 握手の代わりに、そっと木杓子を合わせた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

異世界ほのぼの牧場生活〜女神の加護でスローライフ始めました〜』

チャチャ
ファンタジー
ブラック企業で心も体もすり減らしていた青年・悠翔(はると)。 日々の疲れを癒してくれていたのは、幼い頃から大好きだったゲーム『ほのぼの牧場ライフ』だけだった。 両親を早くに亡くし、年の離れた妹・ひなのを守りながら、限界寸前の生活を続けていたある日―― 「目を覚ますと、そこは……ゲームの中そっくりの世界だった!?」 女神様いわく、「疲れ果てたあなたに、癒しの世界を贈ります」とのこと。 目の前には、自分がかつて何百時間も遊んだ“あの牧場”が広がっていた。 作物を育て、動物たちと暮らし、時には村人の悩みを解決しながら、のんびりと過ごす毎日。 けれどもこの世界には、ゲームにはなかった“出会い”があった。 ――獣人の少女、恥ずかしがり屋の魔法使い、村の頼れるお姉さん。 誰かと心を通わせるたびに、はるとの日常は少しずつ色づいていく。 そして、残された妹・ひなのにも、ある“転機”が訪れようとしていた……。 ほっこり、のんびり、時々ドキドキ。 癒しと恋と成長の、異世界牧場スローライフ、始まります!

追放された公爵令息、神竜と共に辺境スローライフを満喫する〜無敵領主のまったり改革記〜

たまごころ
ファンタジー
無実の罪で辺境に追放された公爵令息アレン。 だが、その地では神竜アルディネアが眠っていた。 契約によって最強の力を得た彼は、戦いよりも「穏やかな暮らし」を選ぶ。 農地改革、温泉開発、魔導具づくり──次々と繁栄する辺境領。 そして、かつて彼を貶めた貴族たちが、その繁栄にひれ伏す時が来る。 戦わずとも勝つ、まったりざまぁ無双ファンタジー!

異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい

ボナペティ鈴木
ファンタジー
異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。 強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。 ただただ森の中で静かに暮らしていきたい。

異世界配信始めました~無自覚最強の村人、バズって勇者にされる~

たまごころ
ファンタジー
転生したら特にチートもなく、村人としてのんびり暮らす予定だった俺。 ある日、精霊カメラ「ルミナスちゃん」で日常を配信したら──なぜか全世界が大騒ぎ。 魔王を倒しても“偶然”、国家を救っても“たまたま”、なのに再生数だけは爆伸び!? 勇者にも神にもスカウトされるけど、俺はただの村人です。ほんとに。 異世界×無自覚最強×実況配信。 チートすぎる村人の“配信バズライフ”、スタート。

公爵家次男はちょっと変わりモノ? ~ここは乙女ゲームの世界だから、デブなら婚約破棄されると思っていました~

松原 透
ファンタジー
異世界に転生した俺は、婚約破棄をされるため誰も成し得なかったデブに進化する。 なぜそんな事になったのか……目が覚めると、ローバン公爵家次男のアレスという少年の姿に変わっていた。 生まれ変わったことで、異世界を満喫していた俺は冒険者に憧れる。訓練中に、魔獣に襲われていたミーアを助けることになったが……。 しかし俺は、失敗をしてしまう。責任を取らされる形で、ミーアを婚約者として迎え入れることになった。その婚約者に奇妙な違和感を感じていた。 二人である場所へと行ったことで、この異世界が乙女ゲームだったことを理解した。 婚約破棄されるためのデブとなり、陰ながらミーアを守るため奮闘する日々が始まる……はずだった。 カクヨム様 小説家になろう様でも掲載してます。

転生令嬢の食いしん坊万罪!

ねこたま本店
ファンタジー
   訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。  そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。  プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。  しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。  プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。  これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。  こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。  今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。 ※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。 ※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。

『ひまりのスローライフ便り 〜異世界でもふもふに囲まれて〜』

チャチャ
ファンタジー
孤児院育ちの23歳女子・葛西ひまりは、ある日、不思議な本に導かれて異世界へ。 そこでは、アレルギー体質がウソのように治り、もふもふたちとふれあえる夢の生活が待っていた! 畑と料理、ちょっと不思議な魔法とあったかい人々——のんびりスローな新しい毎日が、今始まる。

転生の水神様ーー使える魔法は水属性のみだが最強ですーー

芍薬甘草湯
ファンタジー
水道局職員が異世界に転生、水神様の加護を受けて活躍する異世界転生テンプレ的なストーリーです。    42歳のパッとしない水道局職員が死亡したのち水神様から加護を約束される。   下級貴族の三男ネロ=ヴァッサーに転生し12歳の祝福の儀で水神様に再会する。  約束通り祝福をもらったが使えるのは水属性魔法のみ。  それでもネロは水魔法を工夫しながら活躍していく。  一話当たりは短いです。  通勤通学の合間などにどうぞ。  あまり深く考えずに、気楽に読んでいただければ幸いです。 完結しました。

処理中です...