『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味

第22話 出発前夜、色は罪にせず印を換える

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 朝一番、文庫に“橋便”が届いた。
 厚手の紙束に、新しいインクの香り。地球の研究所で刷られた『鍋の約束・初級編』の増刷だ。

「図がきれい。旗が先、文字が後ろ。——ね、師匠」

 結衣が表紙を撫でる。

「うん。身体が先に覚える順番」

「王都分十、魔都分二十、予備五。了解」

 カーディンが受領印を押し、鼻先でインクの香りを確かめた。

「……この香り、読める匂いだ」

「読みすぎると酔います。十拍で換気を」

「心得た」

 

 台所では、倉の“染め直し”が続いていた。
 偽刻の箱から取り出した“染め粉”は、罪ではなく資源。私はラウモンドの指示で比率を調整し、清い印泥(いんでい)へと仕立て直す。

「赤は強すぎる。——一滴、黒で落とせ」

 ラウモンドが匙を差し出す。

「はい、“香ばし一滴”理論の応用ですね」

「名前は勝手につけるな」

「じゃあ“記憶香(メモリーアロマ)補正”で」

「もっと勝手だ」

 口では渋いが、手元は楽しそうだ。
 出来上がった印泥は、カーディンの真新しい刻印で“交換”され、偽の箱が正しい箱へ生まれ変わる。

「色は罪にしない。印を換える」

「……助かる」

 カーディンが短く頭を下げる。
 彼の耳の後ろの強張りが、少しだけ緩んだ。

 

 昼前、警護打ち合わせ。
 副官シュラが、地図の上に指を置く。

「大市は“香路(こうじ)”が風上。魔王の閲覧席は南側。——常設鍋は東端に」

「湯気が胸の高さで、目線を遮らない配置に」

「護衛は内側に立たない。“旗は低く”が見えるように」

 グラドが木蓋を掲げる。

「耳の鍋は二枚持って行け。合図は王都と同じ“トン”。」

「了解。十拍は世界共通です」

 セイル王子が、最後に私を見た。

「結衣は……連れていくのか?」

 結衣が半歩、前へ出た。

「はい。地球側の調整は研究所チームに任せました。私は“初級編”の実地検証を」

「危険は承知の上で、だな」

「——はい。でも、湯気を胸の高さにすれば、目は合います」

 王子はわずかに笑って頷いた。

「ならば、守るのは我々の役目だ」

 

 午後は、魔都用の“橋の雑穀粥”の試作。
 魔族の子が喉を詰まらせないよう、粘度を一段落とす。塩は角を丸く、香りは後から。器は持ち歩きやすい耳付き。

「師匠、スプーンはこっちの形で?」

 結衣が無垢材の匙を見せる。

「うん。——あと、ひとつだけ工夫」

 私は柄の端に小さな切り込みを入れた。

「“十拍刻み”。子どもでも、黙って数えやすいように」

「すき」

「ありがとう」

 そこへ、ルークとマリナが駆け込む。

「ぼくも行く!」

「わたしも!」

「王都の留守番、重要任務です」

「え——」

「“沈黙のぷりん”の管理者は、二人だけ」

「……任務、受けます!」

「立派」

 ふたりは胸を張り、木蓋の角度練習に戻っていった。

 

 夕刻、常設鍋を早仕舞い。
 台所に戻って、私は《無限収納》の中身を最終確認した。

「大鍋一、浅鍋一、耳の鍋二。風の箱、保冷箱。香袋、十。旗、低いのを三枚」

「匙は?」

「ラウモンド印を五十。——それから、約束の木杓子」

 壁の時計が、低く二度鳴る。
 私は《ステータス》を一度だけ開いた。

《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理 24→25/鑑定 8→9/嗅覚強化 8→9/交渉 17→18/段取り最適化 18》
《技能:湯音制御10/耳鍋運用4/中立香線5》
《補助:記憶香(懐旧+)/十拍刻み(沈黙維持+)》
《称号:往還の鍋》

「——準備、できた」

「こっちも」

 結衣が“初級編”の束を抱え、軽く持ち上げてみせる。

「王都は任せたぞ」

 王子がグラドと並び、私たちに手を差し出した。
 私は木杓子の柄で“こつん”と返す。握手の代わり、約束の合図。

「焦がさず、熱だけ」

「旗は低く、湯気は胸の高さ」

「十拍は、世界共通」

 

 出発前夜の風は、南東。
 台所の窓を半分だけ開けると、香りが地図の上で丸く回った。

「魔都の火加減、借りますよ」

「地球の印刷、広げておく」

「——行こう、鍋の約束を持って」

 灯りを落とす。
 耳の鍋が、月明かりに薄く光った。
 明朝、私たちは大市へ向けて、胸の高さの湯気を連れて出発する。

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