『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味

第29話 湯気の地図、遠見台の講評

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 夜の片付けを終え、私は灯りの下で最後の一本線を引いた。
 丸は湯気の高さ、線は火力、点は塩梅。端には小さく——「耳の鍋・合図位置」。それが湯気の地図の完成版。

 夜明け。魔都の遠見台は、風の通りが良すぎて髪が少し踊る。
 御前と評定衆、匂い役三名、そして——一歩だけ後ろに“彼”。

「始めよ」

「はい。地図は一枚で二役です。
 ——昼は“列の流れ”、夜は“声の落ち着き”を見る」

 私は地図の左上を指した。

「ここが昨日、“揉め声”の起きた火口。湯気の丸が腰より上になってます。風の踏み台ができて、声が跳ねた」

「対処は?」

「“怒った角”の香りを一拍、そして火を腰まで。地図では、丸を胸まで下げ、線を一本抜く」

 匂い役の一人が鼻で五拍、ゆっくり頷いた。

「書いた通りの匂いがする」

 私は地図の中央へ指を滑らせる。

「ここが“家族鍋”。丸は常に胸。塩は角一粒。
 列が詰まるときは、この**点(二口握り)**で速度を合わせます。甘味は“沈黙の間”の鐘の合図で」

「鐘の響きだけで沈むのか?」

「甘味の期待が沈めます」

 評定衆の年長が笑った。

「理屈じゃが、腹に落ちるのう」

 カーディンが一歩前に出て、控えていた板を差し出した。

「“旧在庫手順”の追記、地図の凡例と合わせて掲示します。
 ——一、乳幼児と療養者は甘味優先。二、家族印は十拍を伸ばせる」

「よく通る文だ。書き手の鼻が変わったな」

 “彼”が短く言い、カーディンが耳まで赤くなった。

「次に、風の回り。遠見台から見て右の路地が逆巻きます。
 ここに香葉の旗を一本、低く。湯気が絡んで、列が自然に曲がる」

「旗を低く、湯気は胸の高さ……家族印の三箇条だな」

「はい。三つ目は“十拍”。
 十拍が乱れたら、耳の鍋で叩き直す」

 グラドが軽く柄杓を持ち上げた。

「昨日は二回だったな」

「ええ。今日は一回で済ませます」

 御前が地図の隅を指す。

「この丸印は何だ?」

「夜警の差し入れです。温度は低く、味は濃く。
 “仕事の終わり”の印を一つ、街に置いておきたい」

「よい。——大市は、終わりが大事だ」

 そこに、風の層が一つ、音もなく入れ替わった。
 鼻の奥がくすぐられ、私は思わず顎を上げる。

「乾いた砂糖と柑の皮……昨日の“金の粉”、配り直しに来ます」

 匂い役が素早く目配せする。
 私は地図の端に小さな×印をつけ、短く告げた。

「扱い:見本台の外。
 鼻で読めば分かります。角がない、約束が鈍る」

「通達しよう」

 “彼”の横顔が、少しだけ柔らかくなった。

「女神の匙よ。街の目盛りを、よく作った」

「ありがとうございます。
 料理は匙加減、街は目盛りです」

 御前が杖を鳴らす。

「本日の大市、地図どおりに運べ。
 評定は夕刻、鍋の前で行う」

「鍋の前で、承知しました」

 私たちは遠見台を降り、火口へ戻った。
 結衣が仕込みの手順を復唱し、凛が“香り見本”を並べる。
 私は鍋の底を撫で、火を胸まで上げる。

「——開けます」

 開場の鐘。
 人波は地図の線に沿って曲がり、丸の位置に湯気が立つ。
 耳の鍋は一度だけ“トン”。それで十分だった。

 昼下がり、御前と評定衆が鍋の前に立つ。
 私は器を三種——出汁、家族、甘味——順に渡す。

「まず、鼻で五拍。次に舌で一拍。
 角が立ちすぎたら、角塩はしまう。
 足りなければ、一粒だけ出す」

 御前が目を閉じ、十拍。
 “彼”は、湯気を肩で受け、ただ一言。

「——焦げがない」

「はい。焦がさないが、家族印の約束です」

 評定衆の一人が筆を止め、私を見た。

「最後に問う。
 家族印は、喧噪の街に何を残す?」

「帰り道です。
 十拍で息を合わせ、湯気で肩を並べ、甘味で言葉を置く。
 ——それが残れば、人はまた集まれます」

 静寂が一拍。
 次に、拍手の匂いが広場をゆっくり回った。

「評決。家族印、正式採用。
 大市の“終わりの鐘”は、鍋の前で鳴らす」

 私は深く頭を下げ、柄杓を胸に当てた。

「受けます。
 ——焦がさず、増やしていきます」

 夕暮れ。鐘を一つ。
 最後のぷりんは、子どもに二口、大人に一口。
 声は静かに、肩はほどけ、匂いは夜に溶けた。

 片付けのあと、私はようやく《ステータス》を開く。

《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《料理 24→25/鑑定 8→9/嗅覚強化 8→9/段取り最適化 8→9》
《新スキル:湯気調停(小)/称号:街の目盛り》

「——上がったね」

「十分以上だろう」

 グラドが笑い、結衣と凛が両手を上げた。

「明日は家族鍋の定着、明後日は王都への返書。
 そして近いうちに——地球の台所へ“もう一往復”」

 私は地図を丸め、胸に抱える。

「帰り道は増えた。
 次も、焦がさず、熱だけ——連れてくる」

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