『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

文字の大きさ
90 / 99
第6章女神の真意と、“料理の奇跡”

第2話 二つの都に四つの鍋

しおりを挟む
 謁見の間を出ると、廊下は朝の光を吸い込んで薄く金色に揺れていた。
 私たちは歩きながら、同時に息を吐く。十拍、ちょうど。

 

「……緊張した」

 

 私が漏らすと、隣でセイル王子が小さく笑った。

 

「君、緊張している顔じゃなかったよ」

 

「心は、鍋みたいにぐらぐらでした」

 

「鍋はぐつぐつでいい。焦げさえしなければね」

 

 グラド副長が前を歩きながら、肩越しに低く言う。
 騎士の足音が、石床に均等なリズムを打った。

 

「それで、二つの都に四つの鍋、配置はどうする?」

 

 王子が問う。私は《段取り最適化》を開き、頭の中に四つの丸鍋を置いた。

 

「魔都は、市中に二か所——大市広場の東端と、港門の市場。城内は謁見前の広間に一か所。
 王都は、常設鍋を広場に残し、城下の学び舎の前に新設。……人と話し合いが自然に生まれる“角”に置きたいです」

 

「学び舎に鍋か」

 

「湯気の高さを覚えるのに、子どもは最適です。大人は、子どもと同じ高さに顔を下げるから」

 

「理にかなっている」

 

 王子が頷くと、ルークが小走りで前に出た。

 

「ぼく、旗の高さ、覚え係やる!」

 

「頼んだよ。結び目は君の目の高さね」

 

「うん!」

 

 曲がり角を抜けると、魔都城の内庭がひらけた。低い噴水と薬草の畝。風向きを測る薄旗が控えめに揺れている。
 ラウモンドが両手に紙束を抱えて待っていた。後ろには、昨夜名前を告げた記録官カーディンの姿。

 

「配置図と在庫の鼻、持ってきた」

 

「助かります」

 

「旧棚の目録、まずは“柑根油”“黒角砂”“羊骨だし”から洗う。匂いの混線、起きやすい」

 

「調香庫は明朝に約束しました。——耳の鍋も用意します」

 

 カーディンがわずかに目を伏せ、頷いた。

 

「もう逃げない。鍋で話す」

 

「よし」

 

 グラドが短く笑う。
 ラウモンドが紙束を捲りながら、視線を私に投げた。

 

「魔王の“王の椀”、朝の一滴。あれは手順書にする価値がある」

 

「三行で書けます」

 

「三行?」

 

「一、旗は低く。
 二、湯気は胸。
 三、甘は二口。——以上」

 

「いい。本に入る」

 

 そう言ってラウモンドは口角をわずかに上げた。
 私は胸の内で小さくガッツポーズを作る。地球で書いた“家庭の味”に、こっちの世界の三行が並ぶ。夢みたいだ。

 


---

 

 魔都・大市広場の東端。
 石畳に白線を引いて鍋の陣をつくり、火力石を三つ、風よけ布を二重に結ぶ。
 旗は低く、湯気は胸。ルークの結び目は一回でぴたりと決まった。

 

「主は“骨付き柔煮”。副は“香葉の蒸し団子”。そして“橋の雑穀粥”——王都と同じ編成でいい?」

 

 セイル王子が確認する。

 

「はい。初日は『同じ香りが来た』と覚えてもらいたい。違いは“耳の鍋”」

「耳の鍋?」

 

「噂が熱くなりすぎたら、蓋を少しずらして静かにする、聞くための鍋です。——薄めの“和薬湯”を常に低火で」

 

「なるほど」

 

 準備が整うころ、広場の空気がざわりと動いた。
 魔族の行商、旅の楽師、黒印を肩から外した屋台夫、そして子どもたち。
 昨夜の大市で顔を合わせた人たちが、警戒と好奇心を半分ずつ抱えて寄ってくる。

 

「始まりの椀、どうぞ」

 

 私は最初の粥をよそい、甘を一匙だけ送り込む。
 角持ちの少女が両手で器を抱え、恐る恐る一口。

 

「……あったかい」

 

「名前、教えてくれる?」

 

「ナア。……たぶん、また来る」

 

「いつでもどうぞ。旗の結び目の高さを、覚えて帰ってね」

 

「うん」

 

 少女は旗を見上げ、結び目に指を伸ばしてから、走り去った。
 湯気に笑い声が混ざり、緊張が一枚、空から剥がれて落ちる。

 

「カスミアーナ殿、城内の鍋も動き始めた。——副官シュラより伝令」

 

 グラドが耳に手を当て、短く告げる。

 

「“焦げ無し、湯気胸。甘二口、静寂十分”」

 

「合図は届いてる」

 

 私の胸の中で、女神の匙がじんと温かい。
 四つの鍋が、同じ高さの湯気で繋がっていく。見えないけれど、確かに。

 


---

 

 昼の手前。
 噂が熱を帯びる前に“耳の鍋”の蓋を少しずらす。
 薄い和薬湯を配ると、わっとしていた声が一拍で落ち、笑いと会釈に置き換わる。

 

「議会の書記です。……この甘味、二口という規定、不思議だ」

 

「舌が言葉を削るんです。甘いと長く喋れない。けれど機嫌はよくなる」

 

「議場に導入したい」

 

「冷やす場所、作ってからにしてください」

 

「むむ……検討します」

 

 書記が去ると、今度は黒印屋台の男が帽子を胸に抱え、列の最後尾に並んだ。
 昨日までの尖った空気は、少し鈍い。けれど目は逃げない。

 

「一椀、ください」

 

「橋の粥でよろしいですか」

 

「はい」

 

 彼は一口すすり、深く息を吐いた。

 

「……腹が、帰るって言葉。あれ、好きです」

 

「私もです」

 

 言葉はそれだけ。器が返る手は、わずかに震えていた。
 噂は熱い。けれど、腹は静かだ。それでいい。

 


---

 

 日が傾き始めたころ。
 私たちはいったん鍋を落ち火にし、城内の鍋の様子を見に戻る。
 通路の角で、カーディンが帳面を抱え、待っていた。

 

「調香庫、旧在庫の洗い出し、仮の順番を作った。——鼻でなく、手で並べ替えた。最後に、君の鼻で確かめてほしい」

 

「今からいきましょう」

 

 調香庫は、香りの層でできた洞窟みたいだった。
 柑根、黒角砂、羊骨、古麦、香葉。
 空気を、横に押すように歩く。

 

「ここに“古い冬”の匂いが残っています。——昔の配合、誰かが守ってましたね」

 

「……母だ」

 

 不意にカーディンの声がかすれた。
 彼は棚の小さな印を指さす。角砂の箱の底、幼い字で、母の名。

 

「外注に手を出したのは、書類のためだった。……母の手が消えるのが怖かったのに、早さを優先した。
 だから、今日は並べる。母の順番で」

 

「いい並びになります。焦がさず、熱だけ渡せる棚に」

 

 私は角砂の箱をひとつ取り、蓋を開けた。
 甘い。けれど、ふくらみが上に逃げない甘さだ。二口で足りる。
 ああ、これは。——静けさの甘味。

 

「“議場のぷりん”に使いましょう」

 

「ぷりん?」

 

「沈黙の間の、王都版。二口で喧嘩を止めます」

 

 カーディンがやっと笑った。
 涙を、笑いで蓋する大人のやり方で。

 


---

 

 城の広間に戻ると、セイル王子が配膳台の前で腕を組んでいた。
 グラドは出入り口に、ラウモンドは伝令の傍。
 私は合図の香をふっと焚く。

 

「本日の“締めの椀”を、四つの鍋、同時に配ります」

 

「同時?」

 

「はい。魔都二つ、城内一つ、王都一つ。——湯気の高さを合わせます」

 

 王子が目を細めた。

 

「遠い鍋の湯気を、どうやって合わせる?」

 

「香り文で」

 

 私は香袋を取り出し、糸で結んだ。
 “甘二口”“塩半月”“出汁一滴”を細い紙に染み込ませ、合図の順に三枚。
 ラウモンドが身を乗り出す。

 

「それは……手紙になる」

 

「はい。風に読ませます」

 

 私は窓を少し開け、旗の結び目と同じ高さに香り文をかざした。
 風がひとひら、紙を撫でていく。
 女神の匙が、ふっと熱を帯びる。

 

「——今です」

 

 合図の旗が左右の調理台で同時に下がり、湯気が胸の高さでそろった。
 遠く王都の広場でも、きっと同じ高さの湯気が立っている。
 見えないけれど、わかる。胸の火が、静かに答えた。

 

「いただきます!」

 

 四つの場所で同じ声が重なった気がした。
 私は思わず、空へ小さく手を振った。

 


---

 

 夜。
 鍋を洗い、旗を畳み、台所の戸を閉める。
 今日の振り返りを三行で手帳に記す。

 

——鍋は約束。
——湯気は橋。
——甘味は静寂。

 

 その下に、もう三行、書き足す。

 

——耳に鍋。
——母の順番。
——香り文は風の手紙。

 

「カスミ」

 

 戸口にセイル王子が立っていた。
 “王の椀”のときと同じ、静かな目。

 

「ありがとう。……二つの都が、同じ高さで息をした」

 

「こちらこそ。王子が旗を低くしてくれるから、湯気が迷いません」

 

「明日は、学び舎の鍋だな」

 

「はい。子どもたちに、結び目の高さを伝えます」

 

「子どもに伝われば、大人もわかる」

 

「そう信じています」

 

 王子は少し考え、それから言った。

 

「いつか——地球の学び舎にも、鍋を置ける日が来るだろうか」

 

 胸の奥で、女神の匙がやさしく熱を返した。
 まだ遠い。でも、道は香りで描ける。

 

「そのときは、“家庭の味”から始めましょう。ぷりんと味噌汁と、白いごはん」

 

「いいね」

 

 王子が笑う。
 私は《ステータス》を開いた。

《場制御 11(維持)/段取り最適化 9→10/嗅覚強化 9(維持)》
《称号:鍋の約束/追加特記:香り文作成(風伝達)》

 少しだけ、火が強くなる。
 でも焦がさない。焦がさず、熱だけ。

 

「おやすみなさい、王子。——明日は子どもと同じ目線で」

 

「おやすみ、家族印の匙」

 

 扉を閉めると、台所は静かになった。
 私は窓を少し開け、夜風に一枚だけ香り文を流す。

 

“甘二口。——よく眠れますように。”

 

 風がそれを連れていく。
 遠くで鐘が一つ鳴り、世界が同じ高さで、息をした。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

異世界ほのぼの牧場生活〜女神の加護でスローライフ始めました〜』

チャチャ
ファンタジー
ブラック企業で心も体もすり減らしていた青年・悠翔(はると)。 日々の疲れを癒してくれていたのは、幼い頃から大好きだったゲーム『ほのぼの牧場ライフ』だけだった。 両親を早くに亡くし、年の離れた妹・ひなのを守りながら、限界寸前の生活を続けていたある日―― 「目を覚ますと、そこは……ゲームの中そっくりの世界だった!?」 女神様いわく、「疲れ果てたあなたに、癒しの世界を贈ります」とのこと。 目の前には、自分がかつて何百時間も遊んだ“あの牧場”が広がっていた。 作物を育て、動物たちと暮らし、時には村人の悩みを解決しながら、のんびりと過ごす毎日。 けれどもこの世界には、ゲームにはなかった“出会い”があった。 ――獣人の少女、恥ずかしがり屋の魔法使い、村の頼れるお姉さん。 誰かと心を通わせるたびに、はるとの日常は少しずつ色づいていく。 そして、残された妹・ひなのにも、ある“転機”が訪れようとしていた……。 ほっこり、のんびり、時々ドキドキ。 癒しと恋と成長の、異世界牧場スローライフ、始まります!

追放された公爵令息、神竜と共に辺境スローライフを満喫する〜無敵領主のまったり改革記〜

たまごころ
ファンタジー
無実の罪で辺境に追放された公爵令息アレン。 だが、その地では神竜アルディネアが眠っていた。 契約によって最強の力を得た彼は、戦いよりも「穏やかな暮らし」を選ぶ。 農地改革、温泉開発、魔導具づくり──次々と繁栄する辺境領。 そして、かつて彼を貶めた貴族たちが、その繁栄にひれ伏す時が来る。 戦わずとも勝つ、まったりざまぁ無双ファンタジー!

異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい

ボナペティ鈴木
ファンタジー
異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。 強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。 ただただ森の中で静かに暮らしていきたい。

異世界配信始めました~無自覚最強の村人、バズって勇者にされる~

たまごころ
ファンタジー
転生したら特にチートもなく、村人としてのんびり暮らす予定だった俺。 ある日、精霊カメラ「ルミナスちゃん」で日常を配信したら──なぜか全世界が大騒ぎ。 魔王を倒しても“偶然”、国家を救っても“たまたま”、なのに再生数だけは爆伸び!? 勇者にも神にもスカウトされるけど、俺はただの村人です。ほんとに。 異世界×無自覚最強×実況配信。 チートすぎる村人の“配信バズライフ”、スタート。

公爵家次男はちょっと変わりモノ? ~ここは乙女ゲームの世界だから、デブなら婚約破棄されると思っていました~

松原 透
ファンタジー
異世界に転生した俺は、婚約破棄をされるため誰も成し得なかったデブに進化する。 なぜそんな事になったのか……目が覚めると、ローバン公爵家次男のアレスという少年の姿に変わっていた。 生まれ変わったことで、異世界を満喫していた俺は冒険者に憧れる。訓練中に、魔獣に襲われていたミーアを助けることになったが……。 しかし俺は、失敗をしてしまう。責任を取らされる形で、ミーアを婚約者として迎え入れることになった。その婚約者に奇妙な違和感を感じていた。 二人である場所へと行ったことで、この異世界が乙女ゲームだったことを理解した。 婚約破棄されるためのデブとなり、陰ながらミーアを守るため奮闘する日々が始まる……はずだった。 カクヨム様 小説家になろう様でも掲載してます。

転生令嬢の食いしん坊万罪!

ねこたま本店
ファンタジー
   訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。  そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。  プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。  しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。  プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。  これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。  こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。  今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。 ※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。 ※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。

『ひまりのスローライフ便り 〜異世界でもふもふに囲まれて〜』

チャチャ
ファンタジー
孤児院育ちの23歳女子・葛西ひまりは、ある日、不思議な本に導かれて異世界へ。 そこでは、アレルギー体質がウソのように治り、もふもふたちとふれあえる夢の生活が待っていた! 畑と料理、ちょっと不思議な魔法とあったかい人々——のんびりスローな新しい毎日が、今始まる。

転生の水神様ーー使える魔法は水属性のみだが最強ですーー

芍薬甘草湯
ファンタジー
水道局職員が異世界に転生、水神様の加護を受けて活躍する異世界転生テンプレ的なストーリーです。    42歳のパッとしない水道局職員が死亡したのち水神様から加護を約束される。   下級貴族の三男ネロ=ヴァッサーに転生し12歳の祝福の儀で水神様に再会する。  約束通り祝福をもらったが使えるのは水属性魔法のみ。  それでもネロは水魔法を工夫しながら活躍していく。  一話当たりは短いです。  通勤通学の合間などにどうぞ。  あまり深く考えずに、気楽に読んでいただければ幸いです。 完結しました。

処理中です...