『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第6章女神の真意と、“料理の奇跡”

第3話 学び舎の鍋、結び目は黒板の高さ

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 翌朝。王都の学び舎の前庭に、小さな台所を組んだ。
 白い黒板の横に風よけ布、低い旗竿、子どもでも届く高さの柄杓置き。黒板の中央にチョークで線を引く——“湯気はここ”。

 

「結び目は、黒板の線と同じ高さだよ」

 

 私はルークに紐を渡す。ルークは背伸びして、きゅっと結んだ。

 

「できた!」

 

「上手。——次、マリナ。火力石のつまみは“猫の歩き”。早く回さない」

 

「ねこの……よいしょ……できた!」

 

 庭の門から子どもたちがぞろぞろ。先生たちと、好奇心満々の親たちも集まる。
 セイル王子は袖をまくり、グラドは門の影で腕を組んだ。ラウモンドは黒板の端に「三行規則」を写す。

 

「一、旗は低く。
 二、湯気は胸。
 三、甘は二口。」

 

 先生が首をかしげた。

 

「……甘は、二口だけ?」

 

「長く喋ると授業が伸びますから」

 

 ちょっと笑いが起き、空気が柔らかくなる。


---

 主の鍋は“骨付き柔煮”。副は“香葉の蒸し団子”。
 学び舎限定で、新しい小鍋“朝の味噌湯”。ナミロ玉と海草を薄く、子どもの舌に合わせた。

 

「いただきますの前に、匂いの授業です」

 

 私は《鑑定眼》を開き、声に出してゆっくり読む。

 

「“体力回復:小、集中:上昇、眠気:減少”。——はい、この匂いは“勉強向き”」

 

「へえええ!」
 子どもたちの目が丸くなる。

 

「では始まりの椀。前から順番に——」

 

 そのとき、庭にきらきら光る靴が現れた。
 貴族区の指導師らしい男が鼻で笑う。

 

「授業を混乱させる匂いは、慎むべきだ。子どもは甘味で釣るものではない」

 

 グラドが一歩出かけたが、私は首を振った。

 

「では、実験しましょう。——“沈黙の間(短縮版)”」

 

 ぷりんは出さない。代わりに“甘露湯”を小盃で二口。
 子どもたちに配る前に、私は指導師へ差し出した。

 

「先生から、二口だけ」

 

「ふん……」

 

 一口。眉間のしわがほどける。
 二口。肩が落ちる。

 

「……で、では、静かに並ぶように」

 

 子どもたちが自然に列を作る。私は小声で王子に囁いた。

 

「“耳の鍋”は要りませんでした」

 

「見事だ」


---

 配膳が進む。
 湯気が胸でそろい、黒板の線とぴたり重なる。

 

「おいしい!」

「胸がぽかぽか!」

「先生、数字が読める匂い!」

 

「それは努力の匂いです」

 

 笑いが弾けたところへ、裏門から小走りの書記が紙束を差し出す。

 

「議会より通達案。“学び舎前の常設鍋、試行三十日”。条件は“焦げさせるな”」

 

「三十日。——十分に習慣になります」

 

 私は黒板にもう一本、細い線を引いた。

 

「これは“焦げ線”。ここを越えた匂いが出たら授業中止、鍋休止。誰でも指さして止めていい。先生も子どもも、親も」

 

 先生が真剣に頷く。指導師も、視線だけは線に吸い寄せられている。


---

 休み時間。
 私は簡易講座「香り文の書き方」を開いた。紙片と細筆、薄い蜜。

 

「“ありがとう”を二文字で書くなら、甘一、出汁一。——風は読める手紙が好き」

 

「ぼく、王都に風で手紙出す!」

 

「では胸の高さで振ってね。——結び目と同じ」

 

 子どもたちが紙片を揺らすと、南東の風が庭をふわりと渡った。
 女神の匙が、胸の奥であたたかく鳴る。

 

(届いてる。ちゃんと)


---

 午後、学び舎鍋は“耳の鍋”に切り替える。
 読み書きの授業と並行しながら、薄い和薬湯を少量ずつ。

 

「先生、眠い」

 

「じゃあ、和薬湯一口。——はい、数字の列に戻って」

 

 指導師が黒板の前で咳払いした。

 

「……本日の講義、“湯気の高さと礼儀”。結び目を見て、相手と目線を合わせること」

 

 私は思わず王子と目を見合わせ、肩をすくめる。
 ——仲間になった顔、ですね。

 

「カスミ」

 

 ラウモンドが小声で呼ぶ。

 

「調香庫、母の順番で並び替え完了。——カーディン、やりきった」

 

「見に行きます。——マリナ、留守のあいだ“甘は二口”見張り、お願い」

 

「まっかせて!」


---

 調香庫。
 棚に新しい札が等間隔で並び、古い角砂の箱には小さく“母の印”。
 カーディンが墨で黒くなった指のまま、深く頭を下げた。

 

「……腹で話す、って、本当にあるんだな」

 

「あります。匂いは嘘つけないから」

 

 私は箱を一つ取り、帳面に書き足す。

 

——在庫、母の順番で安定。
——“議場ぷりん”の甘、二日分確保。

 

 そのとき、薄い風。香り文が一枚、足元へ滑り込んだ。
 王都の広場からの便り——ルークの字だ。

 

“けつび、ぴったり! (※むすび)
 あしたもおなじたかさにする!”

 

 私は思わず笑い、短く返す。

 

“明日も胸。甘は二口。”


---

 夕刻、学び舎の片付け。
 旗を畳み、黒板の線を消す前に、私は《ステータス》を開いた。

 

《名:カスミアーナ/年齢15/職:料理研究家》
《場制御 11→12/教育調理 0→6(新)/嗅覚強化 9(維持)》
《称号:鍋の約束/特記:香り文作成(風伝達)》

 

「“教育調理”、上がってる」

 

「先生になったってことだな」

 

 グラドが不器用に親指を立てる。
 セイル王子は黒板に残した細い“焦げ線”を見て、小さく頷いた。

 

「この線が、都を守る日が来る」

 

「焦げさせません。——明日は議場の“沈黙の間”、明後日は魔都の大市ふたたび」

 

「忙しくなる」

 

「台所はいつも忙しいです」

 

 私たちは笑い合い、最後の鍋の火を落とした。
 夕風が黒板の粉をさらい、結び目の跡だけが金色に残る。

 

(女神さま。——私、ちゃんと“家庭の味”で世界をつないでますか)

 

 胸の匙が、ことり、と鳴った。
 答えは、湯気の高さにある。焦がさず、熱だけ。明日も同じように。

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