『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

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第3章王子と騎士と、異世界スパイス革命

第4話カレー誕生!? 異世界香辛料で革命を!

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 王都の朝は、けたたましい鐘の音とともに始まる。

 石畳の道を行き交う商人たちが店を開き、屋台の香ばしい焼きパンの匂いが風にのって漂ってくる……はずだった。

 

 けれど、今朝の空気はちょっと違っていた。

 

 「……くさっ! なにこの匂い!」

 「香辛料だってよ、昨日の騎士団の食堂から風に乗ってきたらしいぞ」

 「うちの婆ちゃん、気絶しかけてたぞ……」

 

 王都北区の住宅街では、あちこちで鼻をつまむ住人たちが騒いでいた。
 きっかけは、昨日の夕食。私――カスミアーナが、試作した“異世界スパイス入り肉じゃが”を、騎士団の夕飯に出したことからだった。

 

 その料理は大好評で、セイル王子も「これは戦場の力になる」と言ってくれたほど。

 でも、それと同時に、“香りの文化圧”という壁にもぶつかったのだった。

 

 この世界の貴族文化では「香り=下品」「香りの強い料理は野蛮」という認識が強く、香辛料は貧民街や辺境でのみ使われるものとされていた。

 つまり、今の私は「王都の中心で臭いをばらまく異邦人」ポジションに急浮上してしまったらしい。

 

「……はぁ~……」

 朝の仕込みをしながら、私は厨房の片隅でため息をついていた。

 昨日のメニューで盛り上がったのは騎士団の中だけ。街の声はむしろ逆風。なかなかうまくいかない。

 

 「おい、顔が曇ってるぞ」

 声をかけてきたのは、騎士団長のグラン。がっしりとした体格に、いかにもな“頼れる兄貴”って感じの人だ。

 

「……なんだか、ご迷惑かけちゃったかなって」

「いや、あれだけの反響があれば、むしろ成功だろ。反応があるってことは、それだけ衝撃だったってことだ」

「でも、文化ごと否定されちゃいそうで」

 

 グランは肩をすくめる。

「味ってのは、な。慣れなんだよ。騎士団だって最初は驚いてたが、今や毎日おかわり合戦だぞ?」

「うん、それは……確かに」

 

 実際、昨日の夜も厨房には「もっと食わせろ!」「スパイスってすげぇ!」の声が響いていた。
 でも、文化に染み付いた偏見を変えるのは簡単じゃない。

 

「そうだ。今日、王女様がいらっしゃる」

「……えっ?」

「王子の推薦で、あのスパイス料理を試してみたいんだとよ。正式に“宮中献上の可能性あり”ってことでな」

 

 いきなり来たビッグイベント。

 

「うわあ……やるしかない、やるしかないよ私!」

「気合い入れてくれよ。こっちは王子も団長も全力で後押しするつもりだ」

 

 ぐっと気合いを入れて、私は包丁を握りなおした。

 

 目指すは――異世界のカレー! スパイスで作る、熱くて、深くて、心も体も温まるごはん!

 

 そしてその先に、偏見と文化の壁を壊す、一皿があると信じて。

 

 今日の厨房は、今までにないほど熱く、香り高く、そして――希望に満ちていた。

✳✳✳✳

「というわけで――スパイス調達に、いってきます!」

 

 私は両手に旅支度を抱えて、王都の門をくぐった。目的地は、南の市場都市「ディランス」。
 そこは香辛料や特殊素材の集まる交易地として有名で、特に“赤の実”と呼ばれる辛味の強いスパイスが豊富に手に入るという。

 

 今回の旅は王子の手配で特別許可が出て、騎士団の護衛付きという超VIP待遇。
 でも、私はそんな仰々しい護衛より、買い物カゴのほうが落ち着くんだけどなぁ……。

 

「おい、カスミアーナ。馬車の中で寝てるぞ、ルークが」

「えっ、ルークくん来てたの!? ていうか、なんで!?」

「王都に仕入れに来たって言い張って、勝手に荷台に乗り込んできたらしい。もう出発してから気づいたんだ」

 

 まったく、どこまでも行動力のある少年だ。

 

「でもまあ、いっか。一緒にスパイスを選ぶの、楽しいかも」

「うんっ! 今日こそ、“くしゃみするやつ”を探すんだ!」

「……くしゃみ?」

「鼻にツンってくるやつ!」

「ああ、それはたぶん、ホースラディッシュ的ななにかだね」

 

 そんな会話をしていると、周囲の騎士たちがクスクス笑っていた。
 でも私は気にしない。だって、この旅には目的がある。

 

 “異世界カレー”に必要なスパイスを、ひとつ残らずそろえること!

 

 ディランスの街に着いたのは、午後すぎ。石造りの門を抜けると、広場いっぱいに香辛料の屋台が立ち並んでいた。

 

「うわあ……! すごい……」

 

 赤、黄、茶、緑――色とりどりの粉末や種子、乾燥した実が山のように盛られている。
 それだけでなく、香りも圧倒的。鼻の奥をツーンと刺激する辛味。ふわっと甘い香り。土のような渋み。

 

「ここなら……きっと見つかる」

 

 私は目を輝かせながら、一軒ずつ屋台を巡っていった。

 

「これは……ターメリック系統の香り。でもちょっと渋みが強いかな」

「これ、炒めたら香ばしくなりそう……!」

「おお、これは完全にクミン! やった、ついに見つけた!」

 

 はたから見たら、完全にただのスパイス狂だ。でも私は大真面目だ。料理研究家の血が騒ぐんだよ、これは!

 

 途中、何度か露店の商人と交渉して試食をしたり、異国の言葉で書かれた紙を読み解いたり、ルークくんと一緒にくしゃみしたりしながら、半日かけて買い集めた。

 

 クミン、コリアンダー、ターメリック、唐辛子、ガーリックチップ、乾燥オニオン、そして謎の“緑の種”――。

 

 帰りの馬車の中、私はスパイスに囲まれて、もう幸せいっぱいだった。

「よーし……これで準備はばっちり!」

 

 ただし、この香りが王都に戻った瞬間、また“匂いテロ”扱いされるのだけは注意しないとね。

 

 でも――それでも私は信じてる。

 香りは、異世界の壁を超える最初のひと匙になる。

 食文化は、きっと人の心を動かせる。

 

 次は、いよいよ――調理開始だ!

✳✳✳✳

「これだけあれば、いける……!」

 

 王都に戻ってきた私は、持ち帰ったスパイスたちをひとつずつ丁寧に並べ、にやりと笑った。
 香りはちょっと強烈だけど、調合しだいで素晴らしい料理ができる――そう確信していた。

 

 が、ここで一つ問題が。

「……鍋が、ない」

 

 私の持っていた収納ポーチには、旅用の調理器具しか入っていなかったのだ。

 

「王宮の厨房を借りれば……いや、スパイス使うと怒られるか……」

 

 あの“香り事件”以来、厨房スタッフたちの警戒がすごい。うっかり何か焼こうものなら、「異臭発生!」って叫ばれるのがオチ。

 

 というわけで、私は王都の外れにある“古道具屋”へと足を運ぶことにした。

 

 その店の店主は、かつて王国の料理人だったという“頑固親父”オルゴンさん。

 

 重たい扉を開けると、店の中には鍋やフライパン、火加減調節器、謎の調味料保管棚などが所狭しと並んでいた。

 

「いらっしゃい。……なんだ、あんたか」

 

 初対面なのに、なぜか既視感のある口ぶり。そして、目つきは鋭いが、なんとなく根は優しそうな空気がにじんでいた。

 

「……で、何を探してる?」

「大鍋! スパイス料理用に!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、オルゴンさんの表情がぴくりと動いた。

 

「……香りの強いもんか?」

「はい。でもちゃんと調合します。うま味と香ばしさを活かす感じで!」

 

 彼は黙って、奥からごつい鍋をひとつ持ってきた。まるで釜のようなそれは、手入れが行き届いていて、光沢すら感じる。

 

「これで試してみな。……ただし、まずいもん作ったら、返品は受け付けねぇぞ」

 

 ……それ、返品うんぬん以前に試食される前提なの!?

 

 でも私は負けなかった。むしろ、闘志がわいてきた。

 

「よーし、やってやろうじゃないの!」

 

 その場で鍋を借り、古道具屋の裏手にある小さな屋外調理場で即席キッチンを開設。

 

 スパイスをすりつぶし、炒めて香りを立たせ、玉ねぎ的な野菜と炒め合わせ、スープで煮込みながら素材を投入。

 なんちゃって“異世界カレー風スープ”を完成させた。

 

「……さて、オルゴンさん。試食、お願いします!」

 

 彼は眉をひそめながらスプーンを持ち、一口――

 

「……!」

 

 一瞬、沈黙。目が大きく見開かれ、しばらくのちに、ぼそっと呟いた。

 

「……お前、ほんとに異国の料理人か?」

「え? あっ、いや……遠い国から来たってことで」

 

 危ない、また転生バレするところだった。

 

「ま、うまいことは認めよう。……だが、素材の旨味をもっと引き出せる。たとえば、火加減をこうして……」

 

 そこから始まったのは、なんと“鍋職人vs料理研究家”の料理談義バトルだった。

 

 気づけば夕方まで延々と調整・改良が続き、鍋の中のカレーはどんどん進化していった。

 

 最終的に完成したスープカレーは、驚くほどまろやかで香り高く、口に入れた瞬間に世界が変わるような味わいになっていた。

 

「……悪くねぇ。いや、かなりいい。鍋にも馴染んでる」

 

 オルゴンさんが小さく笑った。

 

「使い込むごとに味が出る。こいつも、鍋職人としての喜びだ」

 

 私は深く頭を下げた。

 

「本当にありがとうございました。この鍋、大切に使います!」

 

 こうして、カレーの“鍋”問題も無事クリア。

 

 いよいよ次は――本番。
 “異世界初のカレーライス”に挑む時が来た!

✳✳✳

 香辛料調達の冒険から帰ってきた翌日――

 私は朝から厨房に立っていた。

「さて、いよいよ……異世界カレー、いってみようか!」

 自分で自分に気合いを入れながら、私は食材をずらりと並べていく。
 昨日の市場で手に入れたばかりの香辛料たち。名前はわからなくても、匂いと色、少し舐めた感覚から、だいたいの用途は見えてくる。

「うーん、この黄色い粉は……たぶんターメリック系かな。こっちはクミン? あ、これ唐辛子系、けっこう辛い……!」

 ひとつひとつ味見と確認をしてから、慎重に配合する。
 香りのバランスは重要だ。辛すぎてもダメ、香りが強すぎても食べづらい。
 少しずつ調合しながら、私は“異世界カレー粉”を創り上げていく。

 カレーのベースには、昨日手に入れた“ルシャ豆”という豆をペースト状にして使用。
 タマネギの代わりになる“ジーリ根”を炒めて、甘みを引き出し、香辛料とともに炒める。

「おおっ……スパイスの香りが立ってきた!」

 炒めたベースに肉と野菜、水を加えて煮込む。

 そして、仕上げに秘密の“うま味粉”をひとつまみ。
 地球の味と異世界の素材が、ここで手を取り合う。

 鍋の中でぐつぐつと煮込まれていく“異世界カレー”。

 香りが、厨房から廊下へ、そして外まで流れていく。

 

「ねえ、何の匂い?」

「お腹すいてきたぁ……!」

「またあのカスミアーナさんの料理?」

 

 食堂の外では、すでに人だかりができ始めていた。

 私は鍋の前で、しっかりと味見をする。

「うん……うんっ、これだ! 間違いない!」

 その瞬間、自分の中の何かが“カチッ”と噛み合った気がした。

 そう。これが、私の異世界での“カレー”。
 地球で慣れ親しんだ味でも、ただのコピーではない。

 この世界の素材とスパイスで、この世界の人に届ける、私だけの味。

 

「さあ、開店よ!」

 

 私は食堂の扉を開けると、列をなしていた人たちに声をかけた。

「今日は、新作料理よ。ちょっと辛いけど、びっくりしないでね?」

 

 最初に皿を手にしたのは、王子のセイルと副団長のユリウス。

「“カレー”か……名前からして不思議だな」

「この香り……うむ、なんだか身体が目覚めるようだ」

 

 彼らが一口食べた瞬間――

「っ! これは……刺激的だが、旨味がある! クセになるぞ!」

「……熱いのに、どんどん食べ進めたくなる。これは……不思議な感覚だな」

 

 それが合図になったのか、周囲の兵士たちも次々と手を伸ばす。

 笑顔、驚き、そして……感動。

「この料理、体があったまるー!」

「辛いけど、なんか元気出てきた!」

「もう一杯、いいですか!?」

 

 私は、心の奥がぽかぽかと温まっていくのを感じた。

「よし……これは、イケる!」

 新しい味。新しい反応。
 異世界でしかできない体験が、今ここにある。

 

 そのとき、私の脳内にステータスが表示された。

《スキル:料理付与【小バフ(活力)】発動》
《対象:摂取者全体》
《効果:一定時間、身体能力の向上・疲労軽減》

「ええっ、スキルついてたの!?」

 

 それもそのはず――私のスキル構成は、以前より少しずつ変化していたのだ。


---

【ステータス:カスミアーナ】

名前:カスミアーナ・ルシエール(元:香月かすみ)

年齢:15歳(転生後の肉体年齢)/前世38歳

種族:人間

職業:料理研究家(異世界登録職)

スキル:  - 【食材鑑定Lv3】  - 【調味再構成(地球由来)】  - 【無限収納(保存・時間停止機能付き)】  - 【料理効果付与(バフ・デバフ)】  - 【料理言語理解】

特性:親和力上昇/味覚共鳴/地球の料理記憶



---

 このスキル構成、完全に“異世界料理特化”だ。
 ちょっと笑えてくるけど……悪くない。ううん、かなり最強なのでは。

 

 ふと、厨房の隅で呆然としている料理長が目に入る。

「…………(目が点)」

「あの、料理長?」

「……わしの三十年、なんだったのだろうな……」

「だ、大丈夫です! 一緒にメニュー研究しましょう!」

 

 こうして、異世界カレーは――

 王都の一角に、ひとつの“革命”をもたらしたのだった。

 

 ……ただし、それはまだ“始まり”に過ぎなかったのだけど。

✳✳✳

 カスミアーナ特製・異世界カレーがついに完成した。

 スパイスは、独自に鑑定した香草「リーヴァの実」「クルモ草」「トアカ粉」「赤シスの実」などを組み合わせ、ベースは地元の肉と野菜をコトコト煮込んだもの。ルゥ代わりのトアカ粉を炒めてとろみを出し、うま味を重ねて深いコクを演出した。

 そしてついに、厨房の大鍋からふんわりと立ちのぼる香りが、食堂中を包み込んだ。

「な、なんだこの匂いは……!? 鼻が……鼻が嬉しがってるぞ……!」

「お、おれ、腹が鳴ってる……この匂いだけで……」

「う、うまそう……! けどなんかちょっと……怖い……!」

 騎士たちは、目をまるくしながらもスプーンを手に取った。

 最初の一口――沈黙。

 そして。

「うっまっっっ!!!!!」

「な、なんだこれは! 舌が跳ねたぞ!」

「熱い、辛い、けど……うまい! これはうまい!!」

 まるで雷に打たれたかのような騎士たちの反応に、厨房の隅で見守っていた私はほっと胸を撫でおろす。

「うん、これは……カレー、ちゃんと異世界でも成立したってことかな」

 そのとき、厨房の扉が音を立てて開かれた。

「どうやら、例の新料理が完成したようだな」

 姿を現したのは、セイル王子と――その後ろに控えるのは、無表情を張りつけたままのヴァルト騎士長。

「ふむ……いい香りだ。……だが、辛い料理、というのは初めてだな」

 王子はカレーの説明を一通り聞き終えると、ためらいもなくスプーンを手に取った。

 一口。
 その目が、見開かれる。

「――これは……」

「……辛い。でも、奥深い。ひと匙ごとに、味が変わるような……これは、まさしく“料理”だ」

 セイル王子が初めて見せる、少年のような素直な笑顔に、私は思わず頬を緩めた。

 その横で、未だ表情を変えないヴァルト騎士長も、無言で一口。

 ……しばし沈黙。

「……っ!」

 ぶわっ。

「うお!? 騎士長、汗が!!」

「……辛味。刺激が……強い。しかし、悪くない」

 絞り出すようにそう言うと、ヴァルトは黙ってもう一匙すくった。

 場が一瞬静まり、そしてどっと笑い声が上がった。

 私は、ほっと息をついた。

 ――よかった。ちゃんと伝わった。

 この味も、この料理の楽しさも、この異世界で必要とされるものだったんだ。

 やがて食堂中が、カレーの香りと笑顔でいっぱいになっていった。

 その中で、私は思う。

 この料理が、誰かの“日常”になっていくのなら。

 私は、この世界で料理を作る意味が、きっとある。

✳✳✳

 夕焼けが空を朱に染める頃、騎士団詰所の中庭には、いつもとは違う高揚感が満ちていた。

 明日、魔獣討伐の部隊が王都を発つ。

 不安も緊張もある――でも今この場には、それを塗り替える熱気がある。

 その理由は――もちろん、カレーだ。

「お代わり三杯目、行ってきます!」

「こら、胃袋を壊すなよ! 明日が本番なんだからな!」

「でも、これを食べてると、身体があったかくなって、力が湧いてくるんだよ!」

 食堂のあちこちから飛び交う笑い声とスプーンの音。

 私・カスミアーナはというと、いつもより大きな寸胴鍋を前に、ひたすらスパイスをかき混ぜ続けていた。

 魔力のこもった料理――とはいえ、力の本質は「美味しさ」だ。

 だから、魔力量だけで決まるものじゃない。

 食べる人の体質、心の状態、そして――想い。

 私はひとつひとつの鍋に、心を込めてスパイスを加えた。

 少しでも明日、彼らが笑顔で帰ってこれますように。

 

「……すごいですね」

 不意に背後から声がした。

 振り返ると、セイル王子が控えめな表情で立っていた。

「ここまで場の空気を変えるとは、正直、驚きました」

「ふふ、カレーの力ですから」

「いや、あなたの力です」

 まっすぐな目でそう言われて、思わず赤面してしまった。

「……明日、王子も出陣されるんですか?」

「もちろん。副団長としての責務ですから」

 彼の口調は静かだったけれど、その目には固い決意が宿っていた。

 その横を、ヴァルト騎士長が無言で通り過ぎた。

 スプーンを手に、黙々と四杯目を盛りにいったのは、言うまでもない。

 

 夜が更けても、食堂には人が絶えなかった。

 普段無口な騎士たちが、「どの辛さが一番好きか」なんて話題で盛り上がる。

 手製の“ナン風パン”を使ってルーをすくう者や、白米を焦がし気味に炊いて香ばしさを楽しむ者。

 まるで、ここが戦場に向かう前夜の詰所とは思えないほど、温かくて笑いがあふれていた。

 

 やがて夜も深まり、最後の一鍋が空になった頃。

「カスミアーナ殿……本当に感謝している」

 ヴァルトが、珍しく自分から私に話しかけてきた。

「我らは、何度も出陣してきた。だが、今日ほど心が満たされた夜は初めてだ」

「……よかった。少しでも、力になれたなら」

「これは、ただの食事ではない。我らの“誓い”の一部だ」

 そう言って、ヴァルトは拳を胸に当てた。

 彼のその姿に、周囲の騎士たちも次々に立ち上がる。

「明日、生きて帰ってくる! そしてまた、この味を楽しむために!」

「カスミアーナ殿! あなたの料理は我らの盾だ!」

「必ず、勝ってきます!」

 

 私は思わず、胸が熱くなった。

 料理が、こんなふうに誰かの力になれるなんて――

 私は、ただの料理研究家だった。

 でも今、異世界で。

 彼らの“明日”を支える一皿を作れている。

 

「――また作りますから。何杯でも、おかわりしてくださいね!」

 

 こうして、決戦の前夜は更けていった。

 翌朝、王都を発った彼らを見送りながら、私は静かに手を合わせる。

 必ず、またこの食堂で。

 笑ってカレーを食べてもらえるように――

 

 異世界の厨房は、明日へと続く匂いに包まれていた。

✳✳✳

 朝靄の中、王都の門がゆっくりと開く音が響いた。

 鎧をまとった騎士団が整列し、魔獣討伐隊が列をなして進み出す。
 彼らの顔には不思議と不安がない。あるのは、昨日のカレーが残した“温かさ”と、確かな団結力だった。

 私はその列の端で、炊き出し道具の点検をしながら、そっとエールを送る。

 ――この匂いが、また彼らを迎える日まで。

 

「……いってらっしゃい」

 

 セイル王子とヴァルト騎士長がそれぞれ馬を走らせ、朝の空気を切って消えていく。

 そして、門が閉ざされたあとの静寂の中――

「さて、こっちも始動ですね!」

 

 私は両手をぱん、と叩いて振り返る。

 今日から、王都の一角にある古い商業地区で、新しい食堂を仮開店することになっていたのだ。

 その名も――《異世界ごはん亭》!

「仮って言いながら、やる気満々じゃないですか、カスミアーナさん!」

「そりゃあ、準備してきましたからね! 設備は最低限だけど、あとは腕とスパイスで勝負です!」

 

 そう、今日は私の“初開店日”。

 実は、昨日の騎士団向けカレーが評判になり、王都の食通たちの間で噂が広まり、朝から食堂の前には行列ができていた。

 異世界初・本格スパイス料理の登場に、期待が膨らむのも無理はない。

「おはようございますー! まだですかー?」

「“魔法のスープ”出すってほんと?」

「カレーって何だ!? 呪文か!?」

 集まった人々の中には、貴族風の婦人や、街の兵士たち、さらには旅商人まで。

 私はエプロンを締め直して、大きくうなずいた。

「それでは――《異世界ごはん亭》、開店です!」

 

 鍋に火を入れ、香辛料を炒める。ジュウッという音とともに、鼻をつく刺激的な香りが立ち上る。

「なんだ、この匂いは……!」

「香りだけでおなかが鳴る……」

 

 まずは定番の“中辛カレー”から提供。

 スパイスの風味を効かせたルーに、やわらかく煮込んだ鳥肉と地元野菜をたっぷり使用。白米の代わりに“スチル麦”を炊いて添える。

「う、うまっ……なんだこれ……身体が熱くなる!」

「朝から元気出るわ、これ!」

 

 客席では、次々と驚きと歓声があがる。

「これが“料理の魔法”か……!」

「魔法じゃなくて、ただのスパイスです!」

 

 ――でも、確かにそれは、魔法に似ていた。

 食べることで心がほどけ、言葉が弾み、笑顔がこぼれていく。

 異世界の人々が、ひとつの料理を通じてつながっていく。

 それは、まさに私がずっと目指してきた光景だった。

 

「カスミアーナさん、追加注文いいですか?」

「おかわり! さっきの、もう一杯!」

「次は違う辛さのがいいなぁ!」

「プリンって言ってたの、まだですか?」

 

 厨房は、てんやわんやの大騒ぎ。でも、そのすべてが楽しくて、私はひたすら笑っていた。

 ――これが、私の居場所。

 

 その日の閉店後。

 食堂の片隅で、小さな声がした。

「……あの、これ、落とし物でしょうか」

 振り向くと、見慣れない旅人風の少年が、何かの紙を差し出していた。

 それは、古びた地図の切れ端だった。

「これ、さっき席に置いてあったんです。見覚え、あります?」

「いえ……」

 手に取った瞬間、脳裏に奇妙な感覚がよぎった。

 地図には、“忘れられた祠”と呼ばれる地点が、赤く印をつけられていた。

 その隣に、小さく文字が書かれている。

《料理の源泉に近づく者よ、試練の門を越えよ》

 

「これって……」

「何かの冒険のきっかけ、かもしれませんね」

 少年はにっこりと笑って去っていった。

 なんだろう、この胸騒ぎ――

 

「……明日は、ちょっと遠出、してみようかな」

 

 そう呟いた私の手の中には、香辛料の香りが、まだほのかに残っていた。

 異世界ごはん亭は、今日も笑顔で満席。

 でも、まだ見ぬ味が、きっと世界のどこかにある――

 その香りに導かれて、私はまた、旅に出る。

 

 そしてきっと、また誰かを、笑顔にできるはずだから。
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