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第3章王子と騎士と、異世界スパイス革命
第4話カレー誕生!? 異世界香辛料で革命を!
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王都の朝は、けたたましい鐘の音とともに始まる。
石畳の道を行き交う商人たちが店を開き、屋台の香ばしい焼きパンの匂いが風にのって漂ってくる……はずだった。
けれど、今朝の空気はちょっと違っていた。
「……くさっ! なにこの匂い!」
「香辛料だってよ、昨日の騎士団の食堂から風に乗ってきたらしいぞ」
「うちの婆ちゃん、気絶しかけてたぞ……」
王都北区の住宅街では、あちこちで鼻をつまむ住人たちが騒いでいた。
きっかけは、昨日の夕食。私――カスミアーナが、試作した“異世界スパイス入り肉じゃが”を、騎士団の夕飯に出したことからだった。
その料理は大好評で、セイル王子も「これは戦場の力になる」と言ってくれたほど。
でも、それと同時に、“香りの文化圧”という壁にもぶつかったのだった。
この世界の貴族文化では「香り=下品」「香りの強い料理は野蛮」という認識が強く、香辛料は貧民街や辺境でのみ使われるものとされていた。
つまり、今の私は「王都の中心で臭いをばらまく異邦人」ポジションに急浮上してしまったらしい。
「……はぁ~……」
朝の仕込みをしながら、私は厨房の片隅でため息をついていた。
昨日のメニューで盛り上がったのは騎士団の中だけ。街の声はむしろ逆風。なかなかうまくいかない。
「おい、顔が曇ってるぞ」
声をかけてきたのは、騎士団長のグラン。がっしりとした体格に、いかにもな“頼れる兄貴”って感じの人だ。
「……なんだか、ご迷惑かけちゃったかなって」
「いや、あれだけの反響があれば、むしろ成功だろ。反応があるってことは、それだけ衝撃だったってことだ」
「でも、文化ごと否定されちゃいそうで」
グランは肩をすくめる。
「味ってのは、な。慣れなんだよ。騎士団だって最初は驚いてたが、今や毎日おかわり合戦だぞ?」
「うん、それは……確かに」
実際、昨日の夜も厨房には「もっと食わせろ!」「スパイスってすげぇ!」の声が響いていた。
でも、文化に染み付いた偏見を変えるのは簡単じゃない。
「そうだ。今日、王女様がいらっしゃる」
「……えっ?」
「王子の推薦で、あのスパイス料理を試してみたいんだとよ。正式に“宮中献上の可能性あり”ってことでな」
いきなり来たビッグイベント。
「うわあ……やるしかない、やるしかないよ私!」
「気合い入れてくれよ。こっちは王子も団長も全力で後押しするつもりだ」
ぐっと気合いを入れて、私は包丁を握りなおした。
目指すは――異世界のカレー! スパイスで作る、熱くて、深くて、心も体も温まるごはん!
そしてその先に、偏見と文化の壁を壊す、一皿があると信じて。
今日の厨房は、今までにないほど熱く、香り高く、そして――希望に満ちていた。
✳✳✳✳
「というわけで――スパイス調達に、いってきます!」
私は両手に旅支度を抱えて、王都の門をくぐった。目的地は、南の市場都市「ディランス」。
そこは香辛料や特殊素材の集まる交易地として有名で、特に“赤の実”と呼ばれる辛味の強いスパイスが豊富に手に入るという。
今回の旅は王子の手配で特別許可が出て、騎士団の護衛付きという超VIP待遇。
でも、私はそんな仰々しい護衛より、買い物カゴのほうが落ち着くんだけどなぁ……。
「おい、カスミアーナ。馬車の中で寝てるぞ、ルークが」
「えっ、ルークくん来てたの!? ていうか、なんで!?」
「王都に仕入れに来たって言い張って、勝手に荷台に乗り込んできたらしい。もう出発してから気づいたんだ」
まったく、どこまでも行動力のある少年だ。
「でもまあ、いっか。一緒にスパイスを選ぶの、楽しいかも」
「うんっ! 今日こそ、“くしゃみするやつ”を探すんだ!」
「……くしゃみ?」
「鼻にツンってくるやつ!」
「ああ、それはたぶん、ホースラディッシュ的ななにかだね」
そんな会話をしていると、周囲の騎士たちがクスクス笑っていた。
でも私は気にしない。だって、この旅には目的がある。
“異世界カレー”に必要なスパイスを、ひとつ残らずそろえること!
ディランスの街に着いたのは、午後すぎ。石造りの門を抜けると、広場いっぱいに香辛料の屋台が立ち並んでいた。
「うわあ……! すごい……」
赤、黄、茶、緑――色とりどりの粉末や種子、乾燥した実が山のように盛られている。
それだけでなく、香りも圧倒的。鼻の奥をツーンと刺激する辛味。ふわっと甘い香り。土のような渋み。
「ここなら……きっと見つかる」
私は目を輝かせながら、一軒ずつ屋台を巡っていった。
「これは……ターメリック系統の香り。でもちょっと渋みが強いかな」
「これ、炒めたら香ばしくなりそう……!」
「おお、これは完全にクミン! やった、ついに見つけた!」
はたから見たら、完全にただのスパイス狂だ。でも私は大真面目だ。料理研究家の血が騒ぐんだよ、これは!
途中、何度か露店の商人と交渉して試食をしたり、異国の言葉で書かれた紙を読み解いたり、ルークくんと一緒にくしゃみしたりしながら、半日かけて買い集めた。
クミン、コリアンダー、ターメリック、唐辛子、ガーリックチップ、乾燥オニオン、そして謎の“緑の種”――。
帰りの馬車の中、私はスパイスに囲まれて、もう幸せいっぱいだった。
「よーし……これで準備はばっちり!」
ただし、この香りが王都に戻った瞬間、また“匂いテロ”扱いされるのだけは注意しないとね。
でも――それでも私は信じてる。
香りは、異世界の壁を超える最初のひと匙になる。
食文化は、きっと人の心を動かせる。
次は、いよいよ――調理開始だ!
✳✳✳✳
「これだけあれば、いける……!」
王都に戻ってきた私は、持ち帰ったスパイスたちをひとつずつ丁寧に並べ、にやりと笑った。
香りはちょっと強烈だけど、調合しだいで素晴らしい料理ができる――そう確信していた。
が、ここで一つ問題が。
「……鍋が、ない」
私の持っていた収納ポーチには、旅用の調理器具しか入っていなかったのだ。
「王宮の厨房を借りれば……いや、スパイス使うと怒られるか……」
あの“香り事件”以来、厨房スタッフたちの警戒がすごい。うっかり何か焼こうものなら、「異臭発生!」って叫ばれるのがオチ。
というわけで、私は王都の外れにある“古道具屋”へと足を運ぶことにした。
その店の店主は、かつて王国の料理人だったという“頑固親父”オルゴンさん。
重たい扉を開けると、店の中には鍋やフライパン、火加減調節器、謎の調味料保管棚などが所狭しと並んでいた。
「いらっしゃい。……なんだ、あんたか」
初対面なのに、なぜか既視感のある口ぶり。そして、目つきは鋭いが、なんとなく根は優しそうな空気がにじんでいた。
「……で、何を探してる?」
「大鍋! スパイス料理用に!」
その言葉を聞いた瞬間、オルゴンさんの表情がぴくりと動いた。
「……香りの強いもんか?」
「はい。でもちゃんと調合します。うま味と香ばしさを活かす感じで!」
彼は黙って、奥からごつい鍋をひとつ持ってきた。まるで釜のようなそれは、手入れが行き届いていて、光沢すら感じる。
「これで試してみな。……ただし、まずいもん作ったら、返品は受け付けねぇぞ」
……それ、返品うんぬん以前に試食される前提なの!?
でも私は負けなかった。むしろ、闘志がわいてきた。
「よーし、やってやろうじゃないの!」
その場で鍋を借り、古道具屋の裏手にある小さな屋外調理場で即席キッチンを開設。
スパイスをすりつぶし、炒めて香りを立たせ、玉ねぎ的な野菜と炒め合わせ、スープで煮込みながら素材を投入。
なんちゃって“異世界カレー風スープ”を完成させた。
「……さて、オルゴンさん。試食、お願いします!」
彼は眉をひそめながらスプーンを持ち、一口――
「……!」
一瞬、沈黙。目が大きく見開かれ、しばらくのちに、ぼそっと呟いた。
「……お前、ほんとに異国の料理人か?」
「え? あっ、いや……遠い国から来たってことで」
危ない、また転生バレするところだった。
「ま、うまいことは認めよう。……だが、素材の旨味をもっと引き出せる。たとえば、火加減をこうして……」
そこから始まったのは、なんと“鍋職人vs料理研究家”の料理談義バトルだった。
気づけば夕方まで延々と調整・改良が続き、鍋の中のカレーはどんどん進化していった。
最終的に完成したスープカレーは、驚くほどまろやかで香り高く、口に入れた瞬間に世界が変わるような味わいになっていた。
「……悪くねぇ。いや、かなりいい。鍋にも馴染んでる」
オルゴンさんが小さく笑った。
「使い込むごとに味が出る。こいつも、鍋職人としての喜びだ」
私は深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました。この鍋、大切に使います!」
こうして、カレーの“鍋”問題も無事クリア。
いよいよ次は――本番。
“異世界初のカレーライス”に挑む時が来た!
✳✳✳
香辛料調達の冒険から帰ってきた翌日――
私は朝から厨房に立っていた。
「さて、いよいよ……異世界カレー、いってみようか!」
自分で自分に気合いを入れながら、私は食材をずらりと並べていく。
昨日の市場で手に入れたばかりの香辛料たち。名前はわからなくても、匂いと色、少し舐めた感覚から、だいたいの用途は見えてくる。
「うーん、この黄色い粉は……たぶんターメリック系かな。こっちはクミン? あ、これ唐辛子系、けっこう辛い……!」
ひとつひとつ味見と確認をしてから、慎重に配合する。
香りのバランスは重要だ。辛すぎてもダメ、香りが強すぎても食べづらい。
少しずつ調合しながら、私は“異世界カレー粉”を創り上げていく。
カレーのベースには、昨日手に入れた“ルシャ豆”という豆をペースト状にして使用。
タマネギの代わりになる“ジーリ根”を炒めて、甘みを引き出し、香辛料とともに炒める。
「おおっ……スパイスの香りが立ってきた!」
炒めたベースに肉と野菜、水を加えて煮込む。
そして、仕上げに秘密の“うま味粉”をひとつまみ。
地球の味と異世界の素材が、ここで手を取り合う。
鍋の中でぐつぐつと煮込まれていく“異世界カレー”。
香りが、厨房から廊下へ、そして外まで流れていく。
「ねえ、何の匂い?」
「お腹すいてきたぁ……!」
「またあのカスミアーナさんの料理?」
食堂の外では、すでに人だかりができ始めていた。
私は鍋の前で、しっかりと味見をする。
「うん……うんっ、これだ! 間違いない!」
その瞬間、自分の中の何かが“カチッ”と噛み合った気がした。
そう。これが、私の異世界での“カレー”。
地球で慣れ親しんだ味でも、ただのコピーではない。
この世界の素材とスパイスで、この世界の人に届ける、私だけの味。
「さあ、開店よ!」
私は食堂の扉を開けると、列をなしていた人たちに声をかけた。
「今日は、新作料理よ。ちょっと辛いけど、びっくりしないでね?」
最初に皿を手にしたのは、王子のセイルと副団長のユリウス。
「“カレー”か……名前からして不思議だな」
「この香り……うむ、なんだか身体が目覚めるようだ」
彼らが一口食べた瞬間――
「っ! これは……刺激的だが、旨味がある! クセになるぞ!」
「……熱いのに、どんどん食べ進めたくなる。これは……不思議な感覚だな」
それが合図になったのか、周囲の兵士たちも次々と手を伸ばす。
笑顔、驚き、そして……感動。
「この料理、体があったまるー!」
「辛いけど、なんか元気出てきた!」
「もう一杯、いいですか!?」
私は、心の奥がぽかぽかと温まっていくのを感じた。
「よし……これは、イケる!」
新しい味。新しい反応。
異世界でしかできない体験が、今ここにある。
そのとき、私の脳内にステータスが表示された。
《スキル:料理付与【小バフ(活力)】発動》
《対象:摂取者全体》
《効果:一定時間、身体能力の向上・疲労軽減》
「ええっ、スキルついてたの!?」
それもそのはず――私のスキル構成は、以前より少しずつ変化していたのだ。
---
【ステータス:カスミアーナ】
名前:カスミアーナ・ルシエール(元:香月かすみ)
年齢:15歳(転生後の肉体年齢)/前世38歳
種族:人間
職業:料理研究家(異世界登録職)
スキル: - 【食材鑑定Lv3】 - 【調味再構成(地球由来)】 - 【無限収納(保存・時間停止機能付き)】 - 【料理効果付与(バフ・デバフ)】 - 【料理言語理解】
特性:親和力上昇/味覚共鳴/地球の料理記憶
---
このスキル構成、完全に“異世界料理特化”だ。
ちょっと笑えてくるけど……悪くない。ううん、かなり最強なのでは。
ふと、厨房の隅で呆然としている料理長が目に入る。
「…………(目が点)」
「あの、料理長?」
「……わしの三十年、なんだったのだろうな……」
「だ、大丈夫です! 一緒にメニュー研究しましょう!」
こうして、異世界カレーは――
王都の一角に、ひとつの“革命”をもたらしたのだった。
……ただし、それはまだ“始まり”に過ぎなかったのだけど。
✳✳✳
カスミアーナ特製・異世界カレーがついに完成した。
スパイスは、独自に鑑定した香草「リーヴァの実」「クルモ草」「トアカ粉」「赤シスの実」などを組み合わせ、ベースは地元の肉と野菜をコトコト煮込んだもの。ルゥ代わりのトアカ粉を炒めてとろみを出し、うま味を重ねて深いコクを演出した。
そしてついに、厨房の大鍋からふんわりと立ちのぼる香りが、食堂中を包み込んだ。
「な、なんだこの匂いは……!? 鼻が……鼻が嬉しがってるぞ……!」
「お、おれ、腹が鳴ってる……この匂いだけで……」
「う、うまそう……! けどなんかちょっと……怖い……!」
騎士たちは、目をまるくしながらもスプーンを手に取った。
最初の一口――沈黙。
そして。
「うっまっっっ!!!!!」
「な、なんだこれは! 舌が跳ねたぞ!」
「熱い、辛い、けど……うまい! これはうまい!!」
まるで雷に打たれたかのような騎士たちの反応に、厨房の隅で見守っていた私はほっと胸を撫でおろす。
「うん、これは……カレー、ちゃんと異世界でも成立したってことかな」
そのとき、厨房の扉が音を立てて開かれた。
「どうやら、例の新料理が完成したようだな」
姿を現したのは、セイル王子と――その後ろに控えるのは、無表情を張りつけたままのヴァルト騎士長。
「ふむ……いい香りだ。……だが、辛い料理、というのは初めてだな」
王子はカレーの説明を一通り聞き終えると、ためらいもなくスプーンを手に取った。
一口。
その目が、見開かれる。
「――これは……」
「……辛い。でも、奥深い。ひと匙ごとに、味が変わるような……これは、まさしく“料理”だ」
セイル王子が初めて見せる、少年のような素直な笑顔に、私は思わず頬を緩めた。
その横で、未だ表情を変えないヴァルト騎士長も、無言で一口。
……しばし沈黙。
「……っ!」
ぶわっ。
「うお!? 騎士長、汗が!!」
「……辛味。刺激が……強い。しかし、悪くない」
絞り出すようにそう言うと、ヴァルトは黙ってもう一匙すくった。
場が一瞬静まり、そしてどっと笑い声が上がった。
私は、ほっと息をついた。
――よかった。ちゃんと伝わった。
この味も、この料理の楽しさも、この異世界で必要とされるものだったんだ。
やがて食堂中が、カレーの香りと笑顔でいっぱいになっていった。
その中で、私は思う。
この料理が、誰かの“日常”になっていくのなら。
私は、この世界で料理を作る意味が、きっとある。
✳✳✳
夕焼けが空を朱に染める頃、騎士団詰所の中庭には、いつもとは違う高揚感が満ちていた。
明日、魔獣討伐の部隊が王都を発つ。
不安も緊張もある――でも今この場には、それを塗り替える熱気がある。
その理由は――もちろん、カレーだ。
「お代わり三杯目、行ってきます!」
「こら、胃袋を壊すなよ! 明日が本番なんだからな!」
「でも、これを食べてると、身体があったかくなって、力が湧いてくるんだよ!」
食堂のあちこちから飛び交う笑い声とスプーンの音。
私・カスミアーナはというと、いつもより大きな寸胴鍋を前に、ひたすらスパイスをかき混ぜ続けていた。
魔力のこもった料理――とはいえ、力の本質は「美味しさ」だ。
だから、魔力量だけで決まるものじゃない。
食べる人の体質、心の状態、そして――想い。
私はひとつひとつの鍋に、心を込めてスパイスを加えた。
少しでも明日、彼らが笑顔で帰ってこれますように。
「……すごいですね」
不意に背後から声がした。
振り返ると、セイル王子が控えめな表情で立っていた。
「ここまで場の空気を変えるとは、正直、驚きました」
「ふふ、カレーの力ですから」
「いや、あなたの力です」
まっすぐな目でそう言われて、思わず赤面してしまった。
「……明日、王子も出陣されるんですか?」
「もちろん。副団長としての責務ですから」
彼の口調は静かだったけれど、その目には固い決意が宿っていた。
その横を、ヴァルト騎士長が無言で通り過ぎた。
スプーンを手に、黙々と四杯目を盛りにいったのは、言うまでもない。
夜が更けても、食堂には人が絶えなかった。
普段無口な騎士たちが、「どの辛さが一番好きか」なんて話題で盛り上がる。
手製の“ナン風パン”を使ってルーをすくう者や、白米を焦がし気味に炊いて香ばしさを楽しむ者。
まるで、ここが戦場に向かう前夜の詰所とは思えないほど、温かくて笑いがあふれていた。
やがて夜も深まり、最後の一鍋が空になった頃。
「カスミアーナ殿……本当に感謝している」
ヴァルトが、珍しく自分から私に話しかけてきた。
「我らは、何度も出陣してきた。だが、今日ほど心が満たされた夜は初めてだ」
「……よかった。少しでも、力になれたなら」
「これは、ただの食事ではない。我らの“誓い”の一部だ」
そう言って、ヴァルトは拳を胸に当てた。
彼のその姿に、周囲の騎士たちも次々に立ち上がる。
「明日、生きて帰ってくる! そしてまた、この味を楽しむために!」
「カスミアーナ殿! あなたの料理は我らの盾だ!」
「必ず、勝ってきます!」
私は思わず、胸が熱くなった。
料理が、こんなふうに誰かの力になれるなんて――
私は、ただの料理研究家だった。
でも今、異世界で。
彼らの“明日”を支える一皿を作れている。
「――また作りますから。何杯でも、おかわりしてくださいね!」
こうして、決戦の前夜は更けていった。
翌朝、王都を発った彼らを見送りながら、私は静かに手を合わせる。
必ず、またこの食堂で。
笑ってカレーを食べてもらえるように――
異世界の厨房は、明日へと続く匂いに包まれていた。
✳✳✳
朝靄の中、王都の門がゆっくりと開く音が響いた。
鎧をまとった騎士団が整列し、魔獣討伐隊が列をなして進み出す。
彼らの顔には不思議と不安がない。あるのは、昨日のカレーが残した“温かさ”と、確かな団結力だった。
私はその列の端で、炊き出し道具の点検をしながら、そっとエールを送る。
――この匂いが、また彼らを迎える日まで。
「……いってらっしゃい」
セイル王子とヴァルト騎士長がそれぞれ馬を走らせ、朝の空気を切って消えていく。
そして、門が閉ざされたあとの静寂の中――
「さて、こっちも始動ですね!」
私は両手をぱん、と叩いて振り返る。
今日から、王都の一角にある古い商業地区で、新しい食堂を仮開店することになっていたのだ。
その名も――《異世界ごはん亭》!
「仮って言いながら、やる気満々じゃないですか、カスミアーナさん!」
「そりゃあ、準備してきましたからね! 設備は最低限だけど、あとは腕とスパイスで勝負です!」
そう、今日は私の“初開店日”。
実は、昨日の騎士団向けカレーが評判になり、王都の食通たちの間で噂が広まり、朝から食堂の前には行列ができていた。
異世界初・本格スパイス料理の登場に、期待が膨らむのも無理はない。
「おはようございますー! まだですかー?」
「“魔法のスープ”出すってほんと?」
「カレーって何だ!? 呪文か!?」
集まった人々の中には、貴族風の婦人や、街の兵士たち、さらには旅商人まで。
私はエプロンを締め直して、大きくうなずいた。
「それでは――《異世界ごはん亭》、開店です!」
鍋に火を入れ、香辛料を炒める。ジュウッという音とともに、鼻をつく刺激的な香りが立ち上る。
「なんだ、この匂いは……!」
「香りだけでおなかが鳴る……」
まずは定番の“中辛カレー”から提供。
スパイスの風味を効かせたルーに、やわらかく煮込んだ鳥肉と地元野菜をたっぷり使用。白米の代わりに“スチル麦”を炊いて添える。
「う、うまっ……なんだこれ……身体が熱くなる!」
「朝から元気出るわ、これ!」
客席では、次々と驚きと歓声があがる。
「これが“料理の魔法”か……!」
「魔法じゃなくて、ただのスパイスです!」
――でも、確かにそれは、魔法に似ていた。
食べることで心がほどけ、言葉が弾み、笑顔がこぼれていく。
異世界の人々が、ひとつの料理を通じてつながっていく。
それは、まさに私がずっと目指してきた光景だった。
「カスミアーナさん、追加注文いいですか?」
「おかわり! さっきの、もう一杯!」
「次は違う辛さのがいいなぁ!」
「プリンって言ってたの、まだですか?」
厨房は、てんやわんやの大騒ぎ。でも、そのすべてが楽しくて、私はひたすら笑っていた。
――これが、私の居場所。
その日の閉店後。
食堂の片隅で、小さな声がした。
「……あの、これ、落とし物でしょうか」
振り向くと、見慣れない旅人風の少年が、何かの紙を差し出していた。
それは、古びた地図の切れ端だった。
「これ、さっき席に置いてあったんです。見覚え、あります?」
「いえ……」
手に取った瞬間、脳裏に奇妙な感覚がよぎった。
地図には、“忘れられた祠”と呼ばれる地点が、赤く印をつけられていた。
その隣に、小さく文字が書かれている。
《料理の源泉に近づく者よ、試練の門を越えよ》
「これって……」
「何かの冒険のきっかけ、かもしれませんね」
少年はにっこりと笑って去っていった。
なんだろう、この胸騒ぎ――
「……明日は、ちょっと遠出、してみようかな」
そう呟いた私の手の中には、香辛料の香りが、まだほのかに残っていた。
異世界ごはん亭は、今日も笑顔で満席。
でも、まだ見ぬ味が、きっと世界のどこかにある――
その香りに導かれて、私はまた、旅に出る。
そしてきっと、また誰かを、笑顔にできるはずだから。
石畳の道を行き交う商人たちが店を開き、屋台の香ばしい焼きパンの匂いが風にのって漂ってくる……はずだった。
けれど、今朝の空気はちょっと違っていた。
「……くさっ! なにこの匂い!」
「香辛料だってよ、昨日の騎士団の食堂から風に乗ってきたらしいぞ」
「うちの婆ちゃん、気絶しかけてたぞ……」
王都北区の住宅街では、あちこちで鼻をつまむ住人たちが騒いでいた。
きっかけは、昨日の夕食。私――カスミアーナが、試作した“異世界スパイス入り肉じゃが”を、騎士団の夕飯に出したことからだった。
その料理は大好評で、セイル王子も「これは戦場の力になる」と言ってくれたほど。
でも、それと同時に、“香りの文化圧”という壁にもぶつかったのだった。
この世界の貴族文化では「香り=下品」「香りの強い料理は野蛮」という認識が強く、香辛料は貧民街や辺境でのみ使われるものとされていた。
つまり、今の私は「王都の中心で臭いをばらまく異邦人」ポジションに急浮上してしまったらしい。
「……はぁ~……」
朝の仕込みをしながら、私は厨房の片隅でため息をついていた。
昨日のメニューで盛り上がったのは騎士団の中だけ。街の声はむしろ逆風。なかなかうまくいかない。
「おい、顔が曇ってるぞ」
声をかけてきたのは、騎士団長のグラン。がっしりとした体格に、いかにもな“頼れる兄貴”って感じの人だ。
「……なんだか、ご迷惑かけちゃったかなって」
「いや、あれだけの反響があれば、むしろ成功だろ。反応があるってことは、それだけ衝撃だったってことだ」
「でも、文化ごと否定されちゃいそうで」
グランは肩をすくめる。
「味ってのは、な。慣れなんだよ。騎士団だって最初は驚いてたが、今や毎日おかわり合戦だぞ?」
「うん、それは……確かに」
実際、昨日の夜も厨房には「もっと食わせろ!」「スパイスってすげぇ!」の声が響いていた。
でも、文化に染み付いた偏見を変えるのは簡単じゃない。
「そうだ。今日、王女様がいらっしゃる」
「……えっ?」
「王子の推薦で、あのスパイス料理を試してみたいんだとよ。正式に“宮中献上の可能性あり”ってことでな」
いきなり来たビッグイベント。
「うわあ……やるしかない、やるしかないよ私!」
「気合い入れてくれよ。こっちは王子も団長も全力で後押しするつもりだ」
ぐっと気合いを入れて、私は包丁を握りなおした。
目指すは――異世界のカレー! スパイスで作る、熱くて、深くて、心も体も温まるごはん!
そしてその先に、偏見と文化の壁を壊す、一皿があると信じて。
今日の厨房は、今までにないほど熱く、香り高く、そして――希望に満ちていた。
✳✳✳✳
「というわけで――スパイス調達に、いってきます!」
私は両手に旅支度を抱えて、王都の門をくぐった。目的地は、南の市場都市「ディランス」。
そこは香辛料や特殊素材の集まる交易地として有名で、特に“赤の実”と呼ばれる辛味の強いスパイスが豊富に手に入るという。
今回の旅は王子の手配で特別許可が出て、騎士団の護衛付きという超VIP待遇。
でも、私はそんな仰々しい護衛より、買い物カゴのほうが落ち着くんだけどなぁ……。
「おい、カスミアーナ。馬車の中で寝てるぞ、ルークが」
「えっ、ルークくん来てたの!? ていうか、なんで!?」
「王都に仕入れに来たって言い張って、勝手に荷台に乗り込んできたらしい。もう出発してから気づいたんだ」
まったく、どこまでも行動力のある少年だ。
「でもまあ、いっか。一緒にスパイスを選ぶの、楽しいかも」
「うんっ! 今日こそ、“くしゃみするやつ”を探すんだ!」
「……くしゃみ?」
「鼻にツンってくるやつ!」
「ああ、それはたぶん、ホースラディッシュ的ななにかだね」
そんな会話をしていると、周囲の騎士たちがクスクス笑っていた。
でも私は気にしない。だって、この旅には目的がある。
“異世界カレー”に必要なスパイスを、ひとつ残らずそろえること!
ディランスの街に着いたのは、午後すぎ。石造りの門を抜けると、広場いっぱいに香辛料の屋台が立ち並んでいた。
「うわあ……! すごい……」
赤、黄、茶、緑――色とりどりの粉末や種子、乾燥した実が山のように盛られている。
それだけでなく、香りも圧倒的。鼻の奥をツーンと刺激する辛味。ふわっと甘い香り。土のような渋み。
「ここなら……きっと見つかる」
私は目を輝かせながら、一軒ずつ屋台を巡っていった。
「これは……ターメリック系統の香り。でもちょっと渋みが強いかな」
「これ、炒めたら香ばしくなりそう……!」
「おお、これは完全にクミン! やった、ついに見つけた!」
はたから見たら、完全にただのスパイス狂だ。でも私は大真面目だ。料理研究家の血が騒ぐんだよ、これは!
途中、何度か露店の商人と交渉して試食をしたり、異国の言葉で書かれた紙を読み解いたり、ルークくんと一緒にくしゃみしたりしながら、半日かけて買い集めた。
クミン、コリアンダー、ターメリック、唐辛子、ガーリックチップ、乾燥オニオン、そして謎の“緑の種”――。
帰りの馬車の中、私はスパイスに囲まれて、もう幸せいっぱいだった。
「よーし……これで準備はばっちり!」
ただし、この香りが王都に戻った瞬間、また“匂いテロ”扱いされるのだけは注意しないとね。
でも――それでも私は信じてる。
香りは、異世界の壁を超える最初のひと匙になる。
食文化は、きっと人の心を動かせる。
次は、いよいよ――調理開始だ!
✳✳✳✳
「これだけあれば、いける……!」
王都に戻ってきた私は、持ち帰ったスパイスたちをひとつずつ丁寧に並べ、にやりと笑った。
香りはちょっと強烈だけど、調合しだいで素晴らしい料理ができる――そう確信していた。
が、ここで一つ問題が。
「……鍋が、ない」
私の持っていた収納ポーチには、旅用の調理器具しか入っていなかったのだ。
「王宮の厨房を借りれば……いや、スパイス使うと怒られるか……」
あの“香り事件”以来、厨房スタッフたちの警戒がすごい。うっかり何か焼こうものなら、「異臭発生!」って叫ばれるのがオチ。
というわけで、私は王都の外れにある“古道具屋”へと足を運ぶことにした。
その店の店主は、かつて王国の料理人だったという“頑固親父”オルゴンさん。
重たい扉を開けると、店の中には鍋やフライパン、火加減調節器、謎の調味料保管棚などが所狭しと並んでいた。
「いらっしゃい。……なんだ、あんたか」
初対面なのに、なぜか既視感のある口ぶり。そして、目つきは鋭いが、なんとなく根は優しそうな空気がにじんでいた。
「……で、何を探してる?」
「大鍋! スパイス料理用に!」
その言葉を聞いた瞬間、オルゴンさんの表情がぴくりと動いた。
「……香りの強いもんか?」
「はい。でもちゃんと調合します。うま味と香ばしさを活かす感じで!」
彼は黙って、奥からごつい鍋をひとつ持ってきた。まるで釜のようなそれは、手入れが行き届いていて、光沢すら感じる。
「これで試してみな。……ただし、まずいもん作ったら、返品は受け付けねぇぞ」
……それ、返品うんぬん以前に試食される前提なの!?
でも私は負けなかった。むしろ、闘志がわいてきた。
「よーし、やってやろうじゃないの!」
その場で鍋を借り、古道具屋の裏手にある小さな屋外調理場で即席キッチンを開設。
スパイスをすりつぶし、炒めて香りを立たせ、玉ねぎ的な野菜と炒め合わせ、スープで煮込みながら素材を投入。
なんちゃって“異世界カレー風スープ”を完成させた。
「……さて、オルゴンさん。試食、お願いします!」
彼は眉をひそめながらスプーンを持ち、一口――
「……!」
一瞬、沈黙。目が大きく見開かれ、しばらくのちに、ぼそっと呟いた。
「……お前、ほんとに異国の料理人か?」
「え? あっ、いや……遠い国から来たってことで」
危ない、また転生バレするところだった。
「ま、うまいことは認めよう。……だが、素材の旨味をもっと引き出せる。たとえば、火加減をこうして……」
そこから始まったのは、なんと“鍋職人vs料理研究家”の料理談義バトルだった。
気づけば夕方まで延々と調整・改良が続き、鍋の中のカレーはどんどん進化していった。
最終的に完成したスープカレーは、驚くほどまろやかで香り高く、口に入れた瞬間に世界が変わるような味わいになっていた。
「……悪くねぇ。いや、かなりいい。鍋にも馴染んでる」
オルゴンさんが小さく笑った。
「使い込むごとに味が出る。こいつも、鍋職人としての喜びだ」
私は深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました。この鍋、大切に使います!」
こうして、カレーの“鍋”問題も無事クリア。
いよいよ次は――本番。
“異世界初のカレーライス”に挑む時が来た!
✳✳✳
香辛料調達の冒険から帰ってきた翌日――
私は朝から厨房に立っていた。
「さて、いよいよ……異世界カレー、いってみようか!」
自分で自分に気合いを入れながら、私は食材をずらりと並べていく。
昨日の市場で手に入れたばかりの香辛料たち。名前はわからなくても、匂いと色、少し舐めた感覚から、だいたいの用途は見えてくる。
「うーん、この黄色い粉は……たぶんターメリック系かな。こっちはクミン? あ、これ唐辛子系、けっこう辛い……!」
ひとつひとつ味見と確認をしてから、慎重に配合する。
香りのバランスは重要だ。辛すぎてもダメ、香りが強すぎても食べづらい。
少しずつ調合しながら、私は“異世界カレー粉”を創り上げていく。
カレーのベースには、昨日手に入れた“ルシャ豆”という豆をペースト状にして使用。
タマネギの代わりになる“ジーリ根”を炒めて、甘みを引き出し、香辛料とともに炒める。
「おおっ……スパイスの香りが立ってきた!」
炒めたベースに肉と野菜、水を加えて煮込む。
そして、仕上げに秘密の“うま味粉”をひとつまみ。
地球の味と異世界の素材が、ここで手を取り合う。
鍋の中でぐつぐつと煮込まれていく“異世界カレー”。
香りが、厨房から廊下へ、そして外まで流れていく。
「ねえ、何の匂い?」
「お腹すいてきたぁ……!」
「またあのカスミアーナさんの料理?」
食堂の外では、すでに人だかりができ始めていた。
私は鍋の前で、しっかりと味見をする。
「うん……うんっ、これだ! 間違いない!」
その瞬間、自分の中の何かが“カチッ”と噛み合った気がした。
そう。これが、私の異世界での“カレー”。
地球で慣れ親しんだ味でも、ただのコピーではない。
この世界の素材とスパイスで、この世界の人に届ける、私だけの味。
「さあ、開店よ!」
私は食堂の扉を開けると、列をなしていた人たちに声をかけた。
「今日は、新作料理よ。ちょっと辛いけど、びっくりしないでね?」
最初に皿を手にしたのは、王子のセイルと副団長のユリウス。
「“カレー”か……名前からして不思議だな」
「この香り……うむ、なんだか身体が目覚めるようだ」
彼らが一口食べた瞬間――
「っ! これは……刺激的だが、旨味がある! クセになるぞ!」
「……熱いのに、どんどん食べ進めたくなる。これは……不思議な感覚だな」
それが合図になったのか、周囲の兵士たちも次々と手を伸ばす。
笑顔、驚き、そして……感動。
「この料理、体があったまるー!」
「辛いけど、なんか元気出てきた!」
「もう一杯、いいですか!?」
私は、心の奥がぽかぽかと温まっていくのを感じた。
「よし……これは、イケる!」
新しい味。新しい反応。
異世界でしかできない体験が、今ここにある。
そのとき、私の脳内にステータスが表示された。
《スキル:料理付与【小バフ(活力)】発動》
《対象:摂取者全体》
《効果:一定時間、身体能力の向上・疲労軽減》
「ええっ、スキルついてたの!?」
それもそのはず――私のスキル構成は、以前より少しずつ変化していたのだ。
---
【ステータス:カスミアーナ】
名前:カスミアーナ・ルシエール(元:香月かすみ)
年齢:15歳(転生後の肉体年齢)/前世38歳
種族:人間
職業:料理研究家(異世界登録職)
スキル: - 【食材鑑定Lv3】 - 【調味再構成(地球由来)】 - 【無限収納(保存・時間停止機能付き)】 - 【料理効果付与(バフ・デバフ)】 - 【料理言語理解】
特性:親和力上昇/味覚共鳴/地球の料理記憶
---
このスキル構成、完全に“異世界料理特化”だ。
ちょっと笑えてくるけど……悪くない。ううん、かなり最強なのでは。
ふと、厨房の隅で呆然としている料理長が目に入る。
「…………(目が点)」
「あの、料理長?」
「……わしの三十年、なんだったのだろうな……」
「だ、大丈夫です! 一緒にメニュー研究しましょう!」
こうして、異世界カレーは――
王都の一角に、ひとつの“革命”をもたらしたのだった。
……ただし、それはまだ“始まり”に過ぎなかったのだけど。
✳✳✳
カスミアーナ特製・異世界カレーがついに完成した。
スパイスは、独自に鑑定した香草「リーヴァの実」「クルモ草」「トアカ粉」「赤シスの実」などを組み合わせ、ベースは地元の肉と野菜をコトコト煮込んだもの。ルゥ代わりのトアカ粉を炒めてとろみを出し、うま味を重ねて深いコクを演出した。
そしてついに、厨房の大鍋からふんわりと立ちのぼる香りが、食堂中を包み込んだ。
「な、なんだこの匂いは……!? 鼻が……鼻が嬉しがってるぞ……!」
「お、おれ、腹が鳴ってる……この匂いだけで……」
「う、うまそう……! けどなんかちょっと……怖い……!」
騎士たちは、目をまるくしながらもスプーンを手に取った。
最初の一口――沈黙。
そして。
「うっまっっっ!!!!!」
「な、なんだこれは! 舌が跳ねたぞ!」
「熱い、辛い、けど……うまい! これはうまい!!」
まるで雷に打たれたかのような騎士たちの反応に、厨房の隅で見守っていた私はほっと胸を撫でおろす。
「うん、これは……カレー、ちゃんと異世界でも成立したってことかな」
そのとき、厨房の扉が音を立てて開かれた。
「どうやら、例の新料理が完成したようだな」
姿を現したのは、セイル王子と――その後ろに控えるのは、無表情を張りつけたままのヴァルト騎士長。
「ふむ……いい香りだ。……だが、辛い料理、というのは初めてだな」
王子はカレーの説明を一通り聞き終えると、ためらいもなくスプーンを手に取った。
一口。
その目が、見開かれる。
「――これは……」
「……辛い。でも、奥深い。ひと匙ごとに、味が変わるような……これは、まさしく“料理”だ」
セイル王子が初めて見せる、少年のような素直な笑顔に、私は思わず頬を緩めた。
その横で、未だ表情を変えないヴァルト騎士長も、無言で一口。
……しばし沈黙。
「……っ!」
ぶわっ。
「うお!? 騎士長、汗が!!」
「……辛味。刺激が……強い。しかし、悪くない」
絞り出すようにそう言うと、ヴァルトは黙ってもう一匙すくった。
場が一瞬静まり、そしてどっと笑い声が上がった。
私は、ほっと息をついた。
――よかった。ちゃんと伝わった。
この味も、この料理の楽しさも、この異世界で必要とされるものだったんだ。
やがて食堂中が、カレーの香りと笑顔でいっぱいになっていった。
その中で、私は思う。
この料理が、誰かの“日常”になっていくのなら。
私は、この世界で料理を作る意味が、きっとある。
✳✳✳
夕焼けが空を朱に染める頃、騎士団詰所の中庭には、いつもとは違う高揚感が満ちていた。
明日、魔獣討伐の部隊が王都を発つ。
不安も緊張もある――でも今この場には、それを塗り替える熱気がある。
その理由は――もちろん、カレーだ。
「お代わり三杯目、行ってきます!」
「こら、胃袋を壊すなよ! 明日が本番なんだからな!」
「でも、これを食べてると、身体があったかくなって、力が湧いてくるんだよ!」
食堂のあちこちから飛び交う笑い声とスプーンの音。
私・カスミアーナはというと、いつもより大きな寸胴鍋を前に、ひたすらスパイスをかき混ぜ続けていた。
魔力のこもった料理――とはいえ、力の本質は「美味しさ」だ。
だから、魔力量だけで決まるものじゃない。
食べる人の体質、心の状態、そして――想い。
私はひとつひとつの鍋に、心を込めてスパイスを加えた。
少しでも明日、彼らが笑顔で帰ってこれますように。
「……すごいですね」
不意に背後から声がした。
振り返ると、セイル王子が控えめな表情で立っていた。
「ここまで場の空気を変えるとは、正直、驚きました」
「ふふ、カレーの力ですから」
「いや、あなたの力です」
まっすぐな目でそう言われて、思わず赤面してしまった。
「……明日、王子も出陣されるんですか?」
「もちろん。副団長としての責務ですから」
彼の口調は静かだったけれど、その目には固い決意が宿っていた。
その横を、ヴァルト騎士長が無言で通り過ぎた。
スプーンを手に、黙々と四杯目を盛りにいったのは、言うまでもない。
夜が更けても、食堂には人が絶えなかった。
普段無口な騎士たちが、「どの辛さが一番好きか」なんて話題で盛り上がる。
手製の“ナン風パン”を使ってルーをすくう者や、白米を焦がし気味に炊いて香ばしさを楽しむ者。
まるで、ここが戦場に向かう前夜の詰所とは思えないほど、温かくて笑いがあふれていた。
やがて夜も深まり、最後の一鍋が空になった頃。
「カスミアーナ殿……本当に感謝している」
ヴァルトが、珍しく自分から私に話しかけてきた。
「我らは、何度も出陣してきた。だが、今日ほど心が満たされた夜は初めてだ」
「……よかった。少しでも、力になれたなら」
「これは、ただの食事ではない。我らの“誓い”の一部だ」
そう言って、ヴァルトは拳を胸に当てた。
彼のその姿に、周囲の騎士たちも次々に立ち上がる。
「明日、生きて帰ってくる! そしてまた、この味を楽しむために!」
「カスミアーナ殿! あなたの料理は我らの盾だ!」
「必ず、勝ってきます!」
私は思わず、胸が熱くなった。
料理が、こんなふうに誰かの力になれるなんて――
私は、ただの料理研究家だった。
でも今、異世界で。
彼らの“明日”を支える一皿を作れている。
「――また作りますから。何杯でも、おかわりしてくださいね!」
こうして、決戦の前夜は更けていった。
翌朝、王都を発った彼らを見送りながら、私は静かに手を合わせる。
必ず、またこの食堂で。
笑ってカレーを食べてもらえるように――
異世界の厨房は、明日へと続く匂いに包まれていた。
✳✳✳
朝靄の中、王都の門がゆっくりと開く音が響いた。
鎧をまとった騎士団が整列し、魔獣討伐隊が列をなして進み出す。
彼らの顔には不思議と不安がない。あるのは、昨日のカレーが残した“温かさ”と、確かな団結力だった。
私はその列の端で、炊き出し道具の点検をしながら、そっとエールを送る。
――この匂いが、また彼らを迎える日まで。
「……いってらっしゃい」
セイル王子とヴァルト騎士長がそれぞれ馬を走らせ、朝の空気を切って消えていく。
そして、門が閉ざされたあとの静寂の中――
「さて、こっちも始動ですね!」
私は両手をぱん、と叩いて振り返る。
今日から、王都の一角にある古い商業地区で、新しい食堂を仮開店することになっていたのだ。
その名も――《異世界ごはん亭》!
「仮って言いながら、やる気満々じゃないですか、カスミアーナさん!」
「そりゃあ、準備してきましたからね! 設備は最低限だけど、あとは腕とスパイスで勝負です!」
そう、今日は私の“初開店日”。
実は、昨日の騎士団向けカレーが評判になり、王都の食通たちの間で噂が広まり、朝から食堂の前には行列ができていた。
異世界初・本格スパイス料理の登場に、期待が膨らむのも無理はない。
「おはようございますー! まだですかー?」
「“魔法のスープ”出すってほんと?」
「カレーって何だ!? 呪文か!?」
集まった人々の中には、貴族風の婦人や、街の兵士たち、さらには旅商人まで。
私はエプロンを締め直して、大きくうなずいた。
「それでは――《異世界ごはん亭》、開店です!」
鍋に火を入れ、香辛料を炒める。ジュウッという音とともに、鼻をつく刺激的な香りが立ち上る。
「なんだ、この匂いは……!」
「香りだけでおなかが鳴る……」
まずは定番の“中辛カレー”から提供。
スパイスの風味を効かせたルーに、やわらかく煮込んだ鳥肉と地元野菜をたっぷり使用。白米の代わりに“スチル麦”を炊いて添える。
「う、うまっ……なんだこれ……身体が熱くなる!」
「朝から元気出るわ、これ!」
客席では、次々と驚きと歓声があがる。
「これが“料理の魔法”か……!」
「魔法じゃなくて、ただのスパイスです!」
――でも、確かにそれは、魔法に似ていた。
食べることで心がほどけ、言葉が弾み、笑顔がこぼれていく。
異世界の人々が、ひとつの料理を通じてつながっていく。
それは、まさに私がずっと目指してきた光景だった。
「カスミアーナさん、追加注文いいですか?」
「おかわり! さっきの、もう一杯!」
「次は違う辛さのがいいなぁ!」
「プリンって言ってたの、まだですか?」
厨房は、てんやわんやの大騒ぎ。でも、そのすべてが楽しくて、私はひたすら笑っていた。
――これが、私の居場所。
その日の閉店後。
食堂の片隅で、小さな声がした。
「……あの、これ、落とし物でしょうか」
振り向くと、見慣れない旅人風の少年が、何かの紙を差し出していた。
それは、古びた地図の切れ端だった。
「これ、さっき席に置いてあったんです。見覚え、あります?」
「いえ……」
手に取った瞬間、脳裏に奇妙な感覚がよぎった。
地図には、“忘れられた祠”と呼ばれる地点が、赤く印をつけられていた。
その隣に、小さく文字が書かれている。
《料理の源泉に近づく者よ、試練の門を越えよ》
「これって……」
「何かの冒険のきっかけ、かもしれませんね」
少年はにっこりと笑って去っていった。
なんだろう、この胸騒ぎ――
「……明日は、ちょっと遠出、してみようかな」
そう呟いた私の手の中には、香辛料の香りが、まだほのかに残っていた。
異世界ごはん亭は、今日も笑顔で満席。
でも、まだ見ぬ味が、きっと世界のどこかにある――
その香りに導かれて、私はまた、旅に出る。
そしてきっと、また誰かを、笑顔にできるはずだから。
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