亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃

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Main story ¦ リシェル

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 言葉はなくとも、明らかに拒絶の空気を漂わせている彼に、でも私は臆することなく近付いた。眉を顰めるルシウスのことなどまるで気にせず、彼の隣に――拳三つ分くらいの距離をあけて――腰を降ろし、抱えていた紙袋の中からオレンジをひとつ取り出して、ずいっと無言で差し出した私は、さながら“奇妙で図々しい子ども”だったことだろう。でも、私はそれで構わなかった。出会ったばかりの男の子に嫌われたところで、何だというのだろう。

 差し出したオレンジと私の顔を交互に見ながら、ルシウスは眉根をますます寄せ、怪訝な顔をしていた。「馬鹿にするな」とでも、もしかしたら言いたかったのかもしれない。貴族の娘だと一目で分かるような格好をした私は、あの時の彼には、多分敵だったのだろうから。ルシウスの身につけていた服は、明らかに質素過ぎる粗悪なものだった。袖口の糸がほつれたシャツ、破れ目を繕ったらしい跡のあるズボン。慈善活動に熱心だった母の言葉を借りるなら、彼は正に“恵まれない子ども”の側だった。実際ルシウスは貧民街の出身で、両親の顔を知らないまま育ち、近くの孤児院で生活をしていた。もちろん私がそれを知ったのは、もう少し関係が深まった後でのことだったけれど。

 私は宙ぶらりんみたいになったオレンジを引っ込め、脇目も振らずにそれを剥いた。掌も指も爪の間もべとべとにしながら。母や姉がそれを見たら、きっと呆れ返ったことだろう。貴族の娘らしくしなさい、と、母は叱ったに違いない。
 けれどそこには母も姉もおらず、黙々とオレンジを剥く私と、雑木林を睨むように眺める少年しかいないのだから、何も問題はない、と思った。司祭も礼拝者も、小鳥も犬も猫もいない、たったふたりだけの静かな場所。その異様な空気を、でも私は嫌だとは思わなかった。寧ろ、何故かとても落ち着く、と思ったものだ。

 不器用に剥いたオレンジの半分を差し出すと、ルシウスはまた眉間に深い皺を寄せ、今度は私と目を合わそうともしなかった。まるでここに私など存在していないかのように。意識の外側に、全て追い遣って。
 それでも手を引っ込めようとしない私に、彼はやがて深々と溜息を吐き出して、やれやれと言いたげに肩を竦めた。明らかに戯けと分かる調子で。しかしそれは、呆れでも諦めでもなかった。冷たい怒りの滲んだ、侮蔑。彼はそれを、少しも隠そうとはしなかった。
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