亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃

文字の大きさ
30 / 50
Main story ¦ リシェル

30

しおりを挟む
「間違えたっていい。過去には戻れなくても、やり直しは何度でもきくからな。新しく道を選んで、また一から始めていけば良い」
「……でも、それだと貴方が疲弊してしまうでしょう。私なんかの為に、貴方がついてくる必要なんてないわ」
「べつに、苦とは思わないさ。君に振り回されるなら、寧ろ嬉しいくらいだ」

 ははっ、と彼は軽やかに笑って、白く大きな掌で私の頭をくしゃりと撫でた。どこか照れ隠しのような、不器用な優しさが滲むその仕草に、胸の奥がつんと痛む。いつもいつも彼はそうだ。私が落ち込む度、ルシウスは決まって、必ず頭を撫でてくれる。昔からずっと。元気づける為に。少しでも笑顔になれるように。初めて撫でられたのがいつだったかなんて、今ではもうすっかり忘れてしまったけれど。それでも、昔から変わらない手つきだ、というのだけは分かる。ちょっと雑だけれど、とてもあたたかい掌。

「だから――」

 髪の毛を撫でるように滑り落ちてきた掌が、右頬をやさしく包み込む。親指の腹でそっと目元を拭われながら、私は言葉の続きを静かに待つ。強い意思のこもった、明るく華やかで、美しく、そしてとても情け深い青い瞳を見つめて。

「生きろ、リシェル。間違いも、他の奴らのことも、気にせずに。ただ自分の為だけに生きろ」

 それは、静かでありながらも凛と芯の通った声だった。迷いも躊躇いも一切なく、ただ真っ直ぐに“生きる”ことを肯定する、ぬくもりと力強さを併せ持った声。それは、真っ暗な闇の中に差す、一筋の光のようだ、と思った。その光を辿ってゆけば、きっと出口に辿り着ける、と、疑う余地すら与えずに、真にそう信じさせてくれる、確かなもの。

「でも……」

 姉が病に罹ってからは、ただひたすらに看病に尽くし、彼女が逝った後は、アルベルトのために“オリヴィア”として生きてきた。そんな日々を重ねるうちに、遠い過去にすっかり置き去りにしてしまった「自分自身の為に生きる」という感覚が、今はもう、どうにも掴めない。それが何だったのか。それがどういうものだったのか。

 口を噤んだまま考え倦ね、あれこれと言葉を探してみるけれど、途切れた声の続きをどうしても紡ぐことができない。そのもどかしさと申し訳なさに顔を歪めて唇を噛み締めると、ルシウスはやれやれと肩を竦めて、小さく苦笑をこぼした。呆れているというより、「仕方ないなあ」と言うみたいに。どこか楽しげに、そして、まるで妹を愛でる兄のように。

「“自分の為に生きる”のが分からないなら、他の奴の為でいい。……ただ、それは両親の為でもアルベルトの為でもなく――」

 言葉を区切り、ルシウスは穏やかに微笑みながら、濡れそぼった唇を、指先でそっと撫ぜた。涙を拭うというより、それはまるで、キスの代わりのような、やさしい愛撫。

「――俺の為に生きてくれ」
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

氷の貴婦人

恋愛
ソフィは幸せな結婚を目の前に控えていた。弾んでいた心を打ち砕かれたのは、結婚相手のアトレーと姉がベッドに居る姿を見た時だった。 呆然としたまま結婚式の日を迎え、その日から彼女の心は壊れていく。 感情が麻痺してしまい、すべてがかすみ越しの出来事に思える。そして、あんなに好きだったアトレーを見ると吐き気をもよおすようになった。 毒の強めなお話で、大人向けテイストです。

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

真実の愛がどうなろうと関係ありません。

希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令息サディアスはメイドのリディと恋に落ちた。 婚約者であった伯爵令嬢フェルネは無残にも婚約を解消されてしまう。 「僕はリディと真実の愛を貫く。誰にも邪魔はさせない!」 サディアスの両親エヴァンズ伯爵夫妻は激怒し、息子を勘当、追放する。 それもそのはずで、フェルネは王家の血を引く名門貴族パートランド伯爵家の一人娘だった。 サディアスからの一方的な婚約解消は決して許されない裏切りだったのだ。 一ヶ月後、愛を信じないフェルネに新たな求婚者が現れる。 若きバラクロフ侯爵レジナルド。 「あら、あなたも真実の愛を実らせようって仰いますの?」 フェルネの曾祖母シャーリンとレジナルドの祖父アルフォンス卿には悲恋の歴史がある。 「子孫の我々が結婚しようと関係ない。聡明な妻が欲しいだけだ」 互いに塩対応だったはずが、気づくとクーデレ夫婦になっていたフェルネとレジナルド。 その頃、真実の愛を貫いたはずのサディアスは…… (予定より長くなってしまった為、完結に伴い短編→長編に変更しました)

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

今さらやり直しは出来ません

mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。 落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。 そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

処理中です...