亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃

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Side story ¦ ルシウス

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 ――まず、赤いチューリップ。これの花言葉は、“愛の告白”だ。

 ゆっくりと身体を横に向け、眠っているリシェルを起こさぬよう細心の注意を払いながら、彼女の小さな体を上着ごと片腕で抱き締める。上着のせいで幾分厚みはあるが、しかし腕の中の彼女は、思っていた以上にか細く、脆く、繊細だった。少しでも力を入れたら、粉々に砕け散ってしまうのではないかと思うほど。

 何故もっと早く助け出さなかったのだろう。護りたいと、あれほど思っていながら。どうして見守ることに徹してしまったのだろう。今更遅いと分かっていても、後悔ばかりが荒波のように押し寄せ、その罪悪感と切なさに、胸が締め付けられる。アルベルトに背を押されなければ、もしかしたらずっと何も変わらなかったかもしれない。

 だからこそ、これからは――。抱き締める腕にほんの僅かだけ力をこめながら、触れ合った部分から伝わってくる彼女のやわらかなぬくもりを噛み締める。だからこそこれからは、彼女を世界で一番の幸せ者にしてやりたいと思う。誰がなんと言おうと。誰に呆れられようと。そんなものは関係ない。彼女がいつも笑顔でいられるなら。彼女がいつも幸せでいられるなら。その為なら、何だってしてやれる。

 ある意味アルベルトも連れ去りの共犯である以上、侯爵家は口出しをしてこないだろう。問題は、彼女に“オリヴィア”として生きることを課したモランディーヌ家だが、そこは殿下がどうにかしてくれると、しっかり約束を取り付けてある。無論ただというわけではなく、相応の――もしかしたら相応以上の――対価、つまりは仕事を請け負うことになってしまいはしたけれど。しかし、それで“王族”という絶対権力を味方につけられるのなら安いものだ。殿下の専属になる、という契約書を、笑顔という無言の圧力で書かされたのには、幾分不満は残っているけれど。

 ――次は白いチューリップだけど、これがまあなかなか難しい花言葉でね。

 どこからともなく、ふわふわと飛んできた白い蝶が、リシェルの頭の上に静かにとまる。それは薄っすらと透けた大きな羽を数度動かし、薄青いきらめきを散らして、音もなくすうっと消えていった。まるで夜気の中へ溶けるように。

 ――実はこの色にはね、“失恋”という悪い花言葉があるんだよ。だからあまり好まれなくてね。こんなにも清廉で美しいのに。

 リシェルが、自身の創り出した“オリヴィア”と完全に決別するには、まだ少し時間がかかるだろう。心の奥に深く根付いた、アルベルトへの恋心を潔く手放すことも。もしかしたらそれには、もっともっと時間が要るかもしれない。途方もない長い時間が。
 けれど、彼女が“リシェル”として生きたいと思うなら。“リシェル”として自分だけの人生を歩んでいきたいと思うのなら。俺はどれだけ時間がかかろうと、彼女を支えていくつもりだ。誰よりも一番近くで。たとえ彼女が、俺のことを愛してくれなくても。

 ――だがねえ、白いチューリップには、ちゃあんと良い花言葉もあるんだよ。

 いや、それは違うな。くつりと喉奥で笑いながら、艷やかな淡い金色の髪の毛に、するりと指を通す。俺のことを愛してくれなくてもいい、なんて、それはただの欺瞞だ。本当は彼女に愛されたいと思っている。アルベルト以上に。そう思うのは、でも当たり前のことだろう。リシェルが一途にアルベルトを想い続けていたように、俺もまた彼女を一途に想い続けているのだから。昔も、今も。それこそ、俺の人生の全てを差し出せるくらいに。
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