私を裁いたその口で、今さら赦しを乞うのですか?

榛乃

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 やけにはっきりと、強く確信めいた口調でそう言い放ったベル様の双眸から、私は内心ひどく狼狽えながら、そっと視線を逸らす。いくら彼ほどの高位神が告げたこととはいえ、だからといってすぐにそれを受け入れることなど、とても出来そうにない。そもそも、理解することが出来ないだ。頭が彼の言葉に追いつかないというよりは、そのひとつひとつを噛み砕いて呑み込むことが、どうしても。簡単なように思えて、それは決して容易なことではない。

「厳密に言えば、“ルシエルの力”には違いないんだけどね。“聖女の力”ってのは、もとを辿ればあいつの力が源だから」

 まるで独り言のようにそう呟くベル様へ静かに目を戻すと、彼は気怠げな様子で祭壇を――恐らくはその上に飾られた主神像を――眺めていた。興味なさげな瞳で。
 人間が作った偶像というものは、神々の目にはどのように映っているのだろう。ここにはルシエル様の像しか飾られてはいないけれど、王都の外れにある大礼拝堂には、もちろんベル様の威厳ある巨像が据えられている。もしかしたら彼も、それを見たことがあるかもしれない。自身を祀っている由緒正しい場所を、知らないはずはないのだから。

「まあどちらにせよ、あの子を救ったのは君だよ。ルシエルじゃない。それは揺るぎない事実だ」

 嫣然と微笑みながら、ベル様は再び私に視線を据える。その射抜くような眼差しに、思わず心臓がどくりと跳ねた。

 これまで私が対話したことのある神は、あの無表情で感情の起伏に乏しいルシエル様だけだ。そのせいか、ベル様のような飄々とした言動には、どうにもついていけない。翻弄されてしまう、というのだろうか。もし相手が人間であれば、そうはならないのだろうけれど。ベル様の場合は、これまでに読んだ多くの書物に記されていた姿とあまりにかけ離れすぎていて、余計にそう感じてしまうのかもしれない。

 尤も、それはお前の勝手な思い込みに過ぎない、と言われれば、確かにそうなのだけれど。人に様々な性格があるように、神々もまたあらゆる性格をもっているのだろう。

「ですが、私は……これまであんな力を発現したことなど、一度もありません」

 ベル様の、いっそ純粋ともいえる真っ直ぐな視線を戸惑いながらも受け止めつつ、私は色褪せたスカートの端をひっそりと握り締める。

「私は“本物の聖女”ではないと断じられ、王都を追われた身です。“魔女”である私が、“聖女の力”を使えるなんて……そんなはずは、ありません」

 それに、と胸の中で言葉を付け足し、私はそっと目を伏せる。
 聖女の力――瘴気を祓ったり、病を癒したり――が人々に信じられている一方で、それは大昔の人々が創り上げた架空の話に過ぎない、と囁く者もまた少なくなかった。ただの物語であり、所詮は“人間”でしかない聖女が、神のような力を持つはずがない、と。そう考える者は、平民ではなく、意外にも上流階級の者や、信仰に生きるはずの聖職者に多かった。――アリス嬢の神託を聞いて、彼らがどう思ったのかは、分からないけれど。

 信徒や聖職者を束ねる大主教も、聖女の力を発現出来ない私に対して「大丈夫、焦る必要はない」とやさしく声をかけてくれていたけれど――。当時は彼なりの気遣いなのだろうと思っていたその言葉は、もしかしたら、聖女の力などただの創作でしかないと思っていた故なのかもしれない。なにせ、最後に聖女がその力を見せたのは、もう百年以上も昔のことなのだから。
 
「それって、王都にいた頃の話だろ? そりゃあ、発現しなくて当然さ」

 けれど、そんな私の考えを、ベル様は苦笑まじりにあっさりと否定した。呆れたような声音で。まるで、「そんなことも分からないのか」と言わんばかりに。でもそれは、責めているような響きでは決してなかった。

「だってルシエルは、もうあそこにはいないんだから」

 そう言って、彼は戯けたように肩を竦める。確かにルシエル様は、あそこ――王都、或いは大聖堂――へ戻った憶えはない、と言っていた。てっきりそれは、あの審判の時だけのことなのだと、そう思っていたのだけれど。ベル様の口からこぼれた、“もう”というたったひとつの言葉が、どうしてだか“長い年月”を指しているように感じられる。もうずっと――気の遠くなるような長い年月の間ずっと、彼はあそこにいなかったのだ、と、そう言っているように。

「君も知ってるだろうけど、神と聖女は“ふたりでひとつ”なんだよ。この理は、今も昔も変わらない」

 神と聖女に見立てたように、彼は白く長い指を二本、ぴんと立てる。

「君の傍に、ルシエルはいなかった。だから君は、聖女の力を発現することが出来なかった。ただそれだけだよ」

 簡単なことだろう? と付け加え、ベル様はくつりと喉を鳴らして笑った。目を見開き、間抜けな顔をした私が、よほど面白かったのかもしれない。でも今の私には、その情けなく崩れた表情を整えるだけの余裕はなかった。ふたりでひとつ。理。だから君は――。ベル様の紡いだ言葉を、私は半ば呆然としながら、何度も何度も頭の中で繰り返す。言われた理屈は、確かに簡単なことだ。簡単ではあるけれど、しかしそれを事実として呑み込めるかといえば、それはとても難しいことだった。

「まあ、“聖女の力”なんて、今はもう創り話としか思われてないみたいだけど」

 的確な指摘に、私はぎくりとして、肩を震わせる。けれど、再び欠伸をこぼすベル様は、私のその反応にも、そして自分の口にした真実にも、興味はまるでないようだった。

「人間の信仰なんて、所詮はそんなもんだよ」

 長椅子から悠然と腰を上げ、ベル様は両手を天井に突き上げ、ぐっと伸びをする。それから、ふと何かに気付いたように、肩越しにちらりと背後へ目を遣った。整然と並ぶ長椅子に縁取られ真っ直ぐに伸びる身廊の、その先に佇む木製の扉へと。

「さて、そろそろ帰ろうかな。どうやらお客さんが来たみたいだし」
「え?」

 彼の視線を追って、私もまた入口へと視線を向ける。その瞬間、扉を叩く鈍い音が、朝の清らかな空気に包まれた堂内に響き渡った。ほんの少しだけ、ルシエル様の横顔が脳裏を過ったけれど、私はそれをすぐに頭の外へと追い払う。神であり、ここを寝床としている彼が、わざわざ扉をノックなんてするはずがない。

 しかし、人々の記憶からすっかり忘れ去られてしまったように廃れたこの礼拝堂に、果たして誰が訪ねてくるというのだろう。思い浮かぶ顔はなく、疑問を抱きながらベル様へ目を戻すと、しかしそこには既に彼の姿はなかった。

 私は小走りで身廊を進み、内側からかけられた――かけた憶えはないのだけど――錠を解いて、ゆっくりと扉を引き開く。途端に強い光に容赦なく照らされ、私は反射的に目を細めた。朝の陽光は、まるで空気に光の粒が含まれているみたいに、とても眩しい。

 しかし、その眩しさにも次第に目が慣れてゆき、私はゆっくりと、閉じかけていた瞼を持ち上げる。
 そんな私の視界に映り込んだのは、清潔な朝陽を背に受けながらやさしく微笑むロアンさんの姿だった。
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