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六月十九日
35・10円のオレンジガム
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昨日は、4日振りに里志が保育園へ登園したので、私も保育時間中に航空写真の仕事を慌ただしく済ませた。
だが、里志の風邪は熱こそ下がったが、咳と鼻水は頑固に続いていた。まだまだ小夜に会わせることは危険なので、中央病院へ連れて行くことはためらわれた。
ところが、今朝から酷い下痢にみまわれた私は、体もだるく再び目まいがして、里志を保育園へ送って行ける状態ではなかった。
仕方がないので保育園へ電話をかけ、休ませることにした。
電話の向こうは、園長であった。
「入院中のお子さんはいかがですか……? お父さんが倒れたりしたら、それこそおしまいですよ。だから、気をしっかり持って頑張って下さいね。大丈夫……、大丈夫ですよ。貴方の心掛けなら、絶対にお子さんは助かります。そう信じなければ……」
と、激励してくれた。
「ありがとうございます。なんとか頑張ります」
と答えたものの、私は体力の限界を感じていた。
とうとう、来るべきところまで来てしまったのだろうかと、肩を落とした。
下痢は、午前中に4回も便所へ通うほど酷く、吐き気と目まいも伴って、起きていることさえ辛い状態だった。
ビタミン剤と整腸剤を飲んで、座椅子にぐったりともたれているより方法はなかった。
里志が一人で寂しい思いをするだろうと思うと、私が布団に入って眠るわけにはいかない。
私は里志の付き合いに、見たくもないテレビを見るともなしに見ていたが、テレビがゆっくりと回っているように見えるのだ。
トランプ遊びやぬり絵など、吐き気を耐えながらの里志の相手は非常に辛いものであった。昼食の準備は尚更苦痛である。食欲のない時に、食べ物の臭いは益々吐き気を強くするからだ。
だが、里志だけには栄養価の高い物を食べさせなければと、必死の思いでこしらえた。昼食を終えて暫くすると、活気のない私を遊び相手にしていては満足出来なかったのか、
「お父さん、大丈夫……?」
などと優しい言葉を吐きながら、いつの間にか里志は、私の隣のもう一つの座椅子にもたれて眠ってしまっていた。同時に、私もうとうとと眠っていたらしい。目覚めると、午後3時半頃であった。
僅かな時間ではあるが、久し振りに昼寝をした。少しでも体調の回復が望めるかと期待したが、それは無理なようだった。目まいも吐き気も治まらず、しぶり腹を感じて便所へ走ると、やはり下痢も治ってはいなかった。
このまま倒れてしまったら、一体どうすれば良いのか、私は途方に暮れた。
一日中寝ていられる日があれば、恐らく忘れたように治ってしまうに違いないのだが、そんな暇は出来そうにない。
ぐったりと寝込んでしまいたいような自分の体をもてあましながら、私は玄関へ出た。内職者が、仕上げた背広を持って来たからである。
その婦人は、私の顔を見るや、
「顔色が悪いねえ……。あまり無理しないように……」
と、気遣ってくれた。
その背広を受け取ると、新しい背広を渡さなければならない。伝票に製品番号を書き込んだりするのだが、僅かな作業にも吐き気が伴ってしまう。耐え難きを耐え、という心境であった。
物音に、眠っていた里志が目を覚ました。
起きるとすぐ、喉が乾いたからジュースが欲しいと言うので、栄養価の高い果汁100パーセントのオレンジジュースを飲ませた。
そして吐き気に耐えながら、先ほどの婦人が持って来た背広の検査を始めた。その製品は、会社から受け取って以来5日経っていたので、どうしても今日中に納めなければならない物だった。
「お父さん、お菓子ほしい」
と、里志が言った。
「そこら辺に置いてあるから、探してみなさい」
私は苦痛に耐えながら、素っ気なく言った。
「なんにもないよ」
と、暫くして里志は言った。
「買いに行ってよ」
里志は私にせがんだが、現在の体調ではそれも億劫である。
あまりお金を遣うと貧乏になるとか、小夜の入院費が出せなくなるとか、そう言って聞かせた。だが、それでも母親も妹もいない今、幼い里志にとっては、どれほど寂しいかしれない。そう思い直し、私は百円玉を一つ渡して、一人で買いに行かせることにした。
「自動車には気をつけなさい」
と言う私の声を、聞くか聞かないかのうちに、里志は外へ飛び出して行った。
間もなく戻って来ると、里志は九十円の釣り銭を私に返した。
「10円のオレンジガム、一個だけ買って来た」
と言うのである。
どうしたことかと、驚いて訊ねると、
「あんまりお金遣うと、小夜の入院のお金払えないと困るもん……。小夜が治らなかったら、可哀想だよ……」
と、寂し気に言うのである。
「そうか……。里志、ありがとう。里志はやっぱりお父さんの子だ。里志が我慢するなら、お父さんも頑張る……。今は二人だけで寂しいけど、そのうち小夜も治って、お母さんも帰って来る……。それまで頑張るんだ……」
そう言って私は、思わず知らず里志を抱きしめていた。
やっとのことで背広の検査を終えた頃、中川氏から電話がかかって来た。航空写真の注文分が仕上がっているから取りに来てほしいとのことだった。
私は、困り果ててしまった。
注文を出した側の幼稚園からは、早く持って来いと催促の電話がかかっている。航空写真ともなれば、やはり珍しさも手伝ってか、撮影すれば早く見本が見たい。そして注文すれば、早く手元へ届けてほしいと考えるのが人情なのかもしれなかった。
そうなると、こちら側も出来れば早く届けて喜ばせてやりたいのも人情ではある。
ところが、この酷い下痢と目まいと吐き気は、中川氏の家まで仕上がり品を取りに行くことを不可能だと物語っている。
仕方なく、現在の体調を中川氏に話すと、途中まで持って来てやると言ってくれた。そして、どこかで待ち合わせて受け取れば良いということになった。
ありがたいことではあったが、今日のところは途中まで行くのも不安である。車を運転して、もしも事故でも起こしたら、それこそ不幸の上に不幸を積み重ねることになってしまうからだ。
とにかく明日まで待って、体調が少しでも回復していれば、ということにした。
中川氏からの電話が切れると、待っていたようにすぐまた電話が鳴った。妻からであった。
小夜はどうかと訊ねると、もう熱も出ないようだと、妻は幾分安心したように言った。
しかし、食欲がないのはどうしたものかと言う。入院以来、初めて食べることを許された時のあの限りない食欲は、どこへ行ってしまったのだろうか……。
「もしもし……。パパ……、パパ……」
と、小夜が受話器を取って言っている。
里志が話したいと言うので、私の持っている受話器を渡すと、いつものように寂し気に、優しい声で話し出した。
「小夜……。早く退院出来るように、ご飯たくさん食べなさいね」
などと、大人びたことを言っている。
向こうで妻が、「はい、食べますよって言いなさい」と、小夜を促しているのが小さく聞こえる。
「たべるよ」
と、小夜の声も聞こえた。
そんな他愛もない会話が里志と小夜の間で続いた。私が替わると妻が出て、暫く私が行かないので、小夜が「パパは?」と、時折思い出したように口にすると言うのだ。
そして、妻自身が風邪を引いてしまい、38度5分もの熱があると言うのだ。小夜の看病をしなければならない身で、大変なことになってしまったものである。
「マスクを買って行こうか」
私が言うと、売店に売っているからいいと答えた。
だがどちらにしても、私が車の運転をするには危険な体調だったので、今日や明日病院を訪れるのは無理かもしれなかった。
もしも体調が良くなったとしたら、明日は中川氏の家へ行かなければならないと、私は妻に告げた。
「行くとしたら、里志はどうする? 連れて行く?」
と、妻は里志のことを心配している。
「いや、今日は俺の体調が悪くて保育園へ送って行けなかったけど、明日はなんとか送って行けると思うから、一人で行って来る」
と、私は答えた。
実際、里志を連れて行くと、中川氏との仕事の打ち合わせも雑談も何も出来ずに帰って来てしまう。後で再びどちらかから電話をかけて話さなければならないことが多いからである。
ともあれ、妻が熱を出してしまったことが、私の一番の不安材料になった。このまま彼女が倒れてしまったら、一体どうなるのだろうと思った。
妻の母が、週に一度ぐらいずつ泊まりに来てくれているとは言うものの、そう毎日毎夜は無理である。付き添い人が一度熱を出したら、恐らく長引くに違いない。看病をおろそかにする訳にはいかないから、自分の体を休めている暇などないのだ。
「一度、ゆっくり家で寝てみたい……」
妻は、情けない声で言った。
私自身が体力の限界を感じている時、彼女もやはり限界を訴え始めたのだ。
ああ、とうとう土壇場まで来てしまったという感じがした。
それを聞いて、ますます私の目まいは酷くなったような気がした。受話器を持った私の右手は、つい耳から離れてだらりと下へ降ろしてしまい、左手は床についてしまった。吐き気が伴って、再び話す気力が失せてしまっている。
離れた受話器から小さな声で、「もしもし、もしもし」と妻の声が聞こえる。我に返ったように、私はもう一度耳に受話器をあてがった。しかし今度は下腹が痛くなり、「出そうだから」と言って、受話器を置いて便所へ走った。
流れるような水になった下痢便が、尿をしたた滴らせるに似た音を立てて落ち、それが容態の悪さを思い知らせているようであった。
私は、便所の中で手を合わせ、どうか明日になったら嘘のように治っていますようにと祈った。神仏にではなく、私自身の体と精神力に対して祈ったのである。
もし、小夜が完治して帰って来たとしても両親が不健康な体を持て余していたら、小夜は退院後も不幸な生活を送ることになる。
私が一人で家庭を守っているための精神疲労や、妻の看病疲れが極限に至って、思いもよらない不治の病になってしまったら……そう考えると、戦慄が走るのである。極限状態に陥ると、胃潰瘍になったり、時には癌が突発する恐れがあると聞くからであった。
だが、里志の風邪は熱こそ下がったが、咳と鼻水は頑固に続いていた。まだまだ小夜に会わせることは危険なので、中央病院へ連れて行くことはためらわれた。
ところが、今朝から酷い下痢にみまわれた私は、体もだるく再び目まいがして、里志を保育園へ送って行ける状態ではなかった。
仕方がないので保育園へ電話をかけ、休ませることにした。
電話の向こうは、園長であった。
「入院中のお子さんはいかがですか……? お父さんが倒れたりしたら、それこそおしまいですよ。だから、気をしっかり持って頑張って下さいね。大丈夫……、大丈夫ですよ。貴方の心掛けなら、絶対にお子さんは助かります。そう信じなければ……」
と、激励してくれた。
「ありがとうございます。なんとか頑張ります」
と答えたものの、私は体力の限界を感じていた。
とうとう、来るべきところまで来てしまったのだろうかと、肩を落とした。
下痢は、午前中に4回も便所へ通うほど酷く、吐き気と目まいも伴って、起きていることさえ辛い状態だった。
ビタミン剤と整腸剤を飲んで、座椅子にぐったりともたれているより方法はなかった。
里志が一人で寂しい思いをするだろうと思うと、私が布団に入って眠るわけにはいかない。
私は里志の付き合いに、見たくもないテレビを見るともなしに見ていたが、テレビがゆっくりと回っているように見えるのだ。
トランプ遊びやぬり絵など、吐き気を耐えながらの里志の相手は非常に辛いものであった。昼食の準備は尚更苦痛である。食欲のない時に、食べ物の臭いは益々吐き気を強くするからだ。
だが、里志だけには栄養価の高い物を食べさせなければと、必死の思いでこしらえた。昼食を終えて暫くすると、活気のない私を遊び相手にしていては満足出来なかったのか、
「お父さん、大丈夫……?」
などと優しい言葉を吐きながら、いつの間にか里志は、私の隣のもう一つの座椅子にもたれて眠ってしまっていた。同時に、私もうとうとと眠っていたらしい。目覚めると、午後3時半頃であった。
僅かな時間ではあるが、久し振りに昼寝をした。少しでも体調の回復が望めるかと期待したが、それは無理なようだった。目まいも吐き気も治まらず、しぶり腹を感じて便所へ走ると、やはり下痢も治ってはいなかった。
このまま倒れてしまったら、一体どうすれば良いのか、私は途方に暮れた。
一日中寝ていられる日があれば、恐らく忘れたように治ってしまうに違いないのだが、そんな暇は出来そうにない。
ぐったりと寝込んでしまいたいような自分の体をもてあましながら、私は玄関へ出た。内職者が、仕上げた背広を持って来たからである。
その婦人は、私の顔を見るや、
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と、気遣ってくれた。
その背広を受け取ると、新しい背広を渡さなければならない。伝票に製品番号を書き込んだりするのだが、僅かな作業にも吐き気が伴ってしまう。耐え難きを耐え、という心境であった。
物音に、眠っていた里志が目を覚ました。
起きるとすぐ、喉が乾いたからジュースが欲しいと言うので、栄養価の高い果汁100パーセントのオレンジジュースを飲ませた。
そして吐き気に耐えながら、先ほどの婦人が持って来た背広の検査を始めた。その製品は、会社から受け取って以来5日経っていたので、どうしても今日中に納めなければならない物だった。
「お父さん、お菓子ほしい」
と、里志が言った。
「そこら辺に置いてあるから、探してみなさい」
私は苦痛に耐えながら、素っ気なく言った。
「なんにもないよ」
と、暫くして里志は言った。
「買いに行ってよ」
里志は私にせがんだが、現在の体調ではそれも億劫である。
あまりお金を遣うと貧乏になるとか、小夜の入院費が出せなくなるとか、そう言って聞かせた。だが、それでも母親も妹もいない今、幼い里志にとっては、どれほど寂しいかしれない。そう思い直し、私は百円玉を一つ渡して、一人で買いに行かせることにした。
「自動車には気をつけなさい」
と言う私の声を、聞くか聞かないかのうちに、里志は外へ飛び出して行った。
間もなく戻って来ると、里志は九十円の釣り銭を私に返した。
「10円のオレンジガム、一個だけ買って来た」
と言うのである。
どうしたことかと、驚いて訊ねると、
「あんまりお金遣うと、小夜の入院のお金払えないと困るもん……。小夜が治らなかったら、可哀想だよ……」
と、寂し気に言うのである。
「そうか……。里志、ありがとう。里志はやっぱりお父さんの子だ。里志が我慢するなら、お父さんも頑張る……。今は二人だけで寂しいけど、そのうち小夜も治って、お母さんも帰って来る……。それまで頑張るんだ……」
そう言って私は、思わず知らず里志を抱きしめていた。
やっとのことで背広の検査を終えた頃、中川氏から電話がかかって来た。航空写真の注文分が仕上がっているから取りに来てほしいとのことだった。
私は、困り果ててしまった。
注文を出した側の幼稚園からは、早く持って来いと催促の電話がかかっている。航空写真ともなれば、やはり珍しさも手伝ってか、撮影すれば早く見本が見たい。そして注文すれば、早く手元へ届けてほしいと考えるのが人情なのかもしれなかった。
そうなると、こちら側も出来れば早く届けて喜ばせてやりたいのも人情ではある。
ところが、この酷い下痢と目まいと吐き気は、中川氏の家まで仕上がり品を取りに行くことを不可能だと物語っている。
仕方なく、現在の体調を中川氏に話すと、途中まで持って来てやると言ってくれた。そして、どこかで待ち合わせて受け取れば良いということになった。
ありがたいことではあったが、今日のところは途中まで行くのも不安である。車を運転して、もしも事故でも起こしたら、それこそ不幸の上に不幸を積み重ねることになってしまうからだ。
とにかく明日まで待って、体調が少しでも回復していれば、ということにした。
中川氏からの電話が切れると、待っていたようにすぐまた電話が鳴った。妻からであった。
小夜はどうかと訊ねると、もう熱も出ないようだと、妻は幾分安心したように言った。
しかし、食欲がないのはどうしたものかと言う。入院以来、初めて食べることを許された時のあの限りない食欲は、どこへ行ってしまったのだろうか……。
「もしもし……。パパ……、パパ……」
と、小夜が受話器を取って言っている。
里志が話したいと言うので、私の持っている受話器を渡すと、いつものように寂し気に、優しい声で話し出した。
「小夜……。早く退院出来るように、ご飯たくさん食べなさいね」
などと、大人びたことを言っている。
向こうで妻が、「はい、食べますよって言いなさい」と、小夜を促しているのが小さく聞こえる。
「たべるよ」
と、小夜の声も聞こえた。
そんな他愛もない会話が里志と小夜の間で続いた。私が替わると妻が出て、暫く私が行かないので、小夜が「パパは?」と、時折思い出したように口にすると言うのだ。
そして、妻自身が風邪を引いてしまい、38度5分もの熱があると言うのだ。小夜の看病をしなければならない身で、大変なことになってしまったものである。
「マスクを買って行こうか」
私が言うと、売店に売っているからいいと答えた。
だがどちらにしても、私が車の運転をするには危険な体調だったので、今日や明日病院を訪れるのは無理かもしれなかった。
もしも体調が良くなったとしたら、明日は中川氏の家へ行かなければならないと、私は妻に告げた。
「行くとしたら、里志はどうする? 連れて行く?」
と、妻は里志のことを心配している。
「いや、今日は俺の体調が悪くて保育園へ送って行けなかったけど、明日はなんとか送って行けると思うから、一人で行って来る」
と、私は答えた。
実際、里志を連れて行くと、中川氏との仕事の打ち合わせも雑談も何も出来ずに帰って来てしまう。後で再びどちらかから電話をかけて話さなければならないことが多いからである。
ともあれ、妻が熱を出してしまったことが、私の一番の不安材料になった。このまま彼女が倒れてしまったら、一体どうなるのだろうと思った。
妻の母が、週に一度ぐらいずつ泊まりに来てくれているとは言うものの、そう毎日毎夜は無理である。付き添い人が一度熱を出したら、恐らく長引くに違いない。看病をおろそかにする訳にはいかないから、自分の体を休めている暇などないのだ。
「一度、ゆっくり家で寝てみたい……」
妻は、情けない声で言った。
私自身が体力の限界を感じている時、彼女もやはり限界を訴え始めたのだ。
ああ、とうとう土壇場まで来てしまったという感じがした。
それを聞いて、ますます私の目まいは酷くなったような気がした。受話器を持った私の右手は、つい耳から離れてだらりと下へ降ろしてしまい、左手は床についてしまった。吐き気が伴って、再び話す気力が失せてしまっている。
離れた受話器から小さな声で、「もしもし、もしもし」と妻の声が聞こえる。我に返ったように、私はもう一度耳に受話器をあてがった。しかし今度は下腹が痛くなり、「出そうだから」と言って、受話器を置いて便所へ走った。
流れるような水になった下痢便が、尿をしたた滴らせるに似た音を立てて落ち、それが容態の悪さを思い知らせているようであった。
私は、便所の中で手を合わせ、どうか明日になったら嘘のように治っていますようにと祈った。神仏にではなく、私自身の体と精神力に対して祈ったのである。
もし、小夜が完治して帰って来たとしても両親が不健康な体を持て余していたら、小夜は退院後も不幸な生活を送ることになる。
私が一人で家庭を守っているための精神疲労や、妻の看病疲れが極限に至って、思いもよらない不治の病になってしまったら……そう考えると、戦慄が走るのである。極限状態に陥ると、胃潰瘍になったり、時には癌が突発する恐れがあると聞くからであった。
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