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12 褒美として望むもの(ゼインside)
しおりを挟む魔王を斃し、俺たちは魔境との境に設置していた野営地へ戻ると、ミリアを待っていた仲間たちが駆け寄り安堵の声で彼女を迎えた。
ミリアは、本当に皆に慕われている。
この国の誰もが彼女に手を伸ばし、救われ、癒やされ、その存在を崇める。
……あの優しく透き通る笑みを、俺が欲しいなどと。
こんな醜い男が抱いて良い感情ではないことは、分かり切っている。
だが、それでも胸の奥で名も持たぬ獣のように、形のない渇望だけが俺の中で蠢いていた。
凱旋の道のりでは、城門前に溢れた民衆がミリアを見て歓声を上げた。
花びらが雨のように降り注ぎ、多くの者が涙を流しながら彼女の名を叫んでいた。
その耳に届く歓声は、なぜかささくれのように痛む。彼らはミリアを称え、祝福する。
彼女に相応しいのは、美しい英雄のはずだ。その喝采の中、ミリアの隣に立つべきなのは……俺ではない。
だが、彼女の隣には俺が立ちたい。そんな浅ましい願いが喉元まで競り上がる。
みっともない感情だ。こんなもの、自分の中にあると知りたくもなかった。
ミリアは国王陛下との謁見のために自室へと下がったが、その背を見送る俺の心は静かに軋んでいた。
このあと、国王陛下への報告を終えれば、俺はすぐに辺境へ戻ることになるだろう。ミリアともそれきりだ。
それが正しい。
そう思おうとしたが、胸に生じた空白がどうしても埋まらなかった。
謁見の間で、陛下は討伐隊を称えてくださった。だが、俺の意識は別の方向へ向かっていた。
ミリアが、俺を一瞥した瞬間。彼女に視線を向けられただけで、胸の奥の空虚が炙られたように疼く。
──あぁ、駄目だ。
その感情に気付いた矢先だった。
「勇者ゼイン。此度の魔王討伐の功労、まことに得難い。ゆえに、褒美として望むものを下げ渡そう。望みはあるか?」
王の声が降りかかった瞬間、俺の内側から黒い奔流が噴き上がった。
欲しいものは、一つ。ずっと胸の奥に隠し、押し潰し、諦めろと言い聞かせてきた願望。
それが牙を剥いて表に出ようとした。危険なほどの熱が胸に宿ったが、表情を変えぬよう強引に押さえ込んだ。
「それは、どのようなものでも良いのでしょうか?」
落ち着いた声を装った。だが胸の奥は、灼けるように熱い。
「ああ、何でも良いぞ」
何でも。
ならば──
俺が欲しいものは、たった一つだ。
「では褒美として、ミリア嬢を貰い受ける」
言葉を放った瞬間、広間は悲鳴のようなざわめきに包まれた。
叫び声、拒絶の声、非難。予想通り、周囲は俺を“化物が聖女を攫う”と捉えた。構わない。俺は、ただ、彼女を失いたくなかった。
逃がさぬようにミリアへ歩む。触れれば壊れそうなほど細い腰に腕を回し、軽々と抱き上げた。
胸に落ちる体温。息を呑む小さな声。彼女が俺の腕の中にいる。それが、こんなにも甘美なことだとは思わなかった。
「国王陛下が仰せになったことだ」
次々と止めに入る者たちへ淡々と告げる。予想通り、俺が睨むだけで彼らは退いた。
広間を抜ける頃には、胸の奥は高揚と焦燥が複雑に絡みあっていた。
──このまま連れて行ってしまえ。
そんな囁きが、頭の奥で響く。
正門へ出ると、辺境伯家の紋章を掲げた馬車が待っていた。
腕の中のミリアは震え、涙を浮かべている。その姿に胸が締め付けられる一方で、抱き締める腕に力が入る。
「すまない、ミリア。辺境に連れて行く。王城には帰れないと思ってほしい」
そう言いながら胸の内側はひどく熱かった。彼女を泣かせている申し訳なさより、自分の腕の中にいる幸福感が勝ってしまっている。どれほど最低なことをしているか、分かっているのに。
馬車に乗り込むと、アルフが蒼白な顔で叫んだ。
「ゼ、ゼイン様!? その方はどなたですか? まさか、拐ってきたのではないでしょうね!」
拐った──その認識も当然だろう。
「アルフ。心配するな、ちゃんと国王陛下には許可を取ってある」
「そうはいっても……」
アルフの嘆息のあとに続いた言葉は、耳に慣れたものばかりだった。
俺の醜さ、威圧、化物のようだという評価。それでも、辺境で皆に慕われているという慰め。いつものことだ。
「アルフ。お前、それは褒めているのか貶しているのか」
「もちろん、最大級に褒めております! そんな醜貌と言われるゼイン様を──」
アルフは俺に寄り添ってくれる女性はいないかもしれない、そう皆が陰ながら心配していたと語る。その言葉を聞きながら、視線をミリアに向けた。
ミリアは泣いている。それが俺の望む理由であってほしいと願ってしまう。だが、その願いが叶わぬことは歴然としていた。
「まさか、このレベルの方をお連れするとは夢にも思いませんよ。ご令嬢には許可を得たのですか? どう見ても、泣いてるじゃないですか」
アルフの非難めいた言葉に、俺は黙った。否定も肯定もできない。
ミリアは、俺の腕の中で震え続けている。彼女を見ているだけで、胸の奥から湧き上がる熱は強くなる。
こんな熱、今まで感じたことがない。罪悪感も、後悔も、常識も、もう役に立たない。視線を合わせると、彼女の瞳が揺れ涙が光った。
そして俺は、抑えられなかった。
「すまないが、俺はもうお前を手放せそうにない」
言ってしまった。重く、熱く、濁った本音。彼女を縛り付けるような言葉を。
ミリアは息を漏らし、俺の腕の中で意識を手放した。その小さな身体の重みが、俺の胸に沈み込む。
漏れた本音が、今も喉奥に張り付いて離れない。
重く、濁った独占欲だった。俺にしては珍しく感情が制御できなかった。
ミリアを抱きかかえて帰還した俺を見て、辺境伯の城は騒然となった。
「旦那様……その方は……!?」
「意識のない女性を勝手に連れ帰るなんて……!」
普段俺を心底慕い、忠義を捧げてくれる家令でさえ困惑の色を隠さなかった。
侍女頭は目を丸くし、ひそひそと侍女たちがざわつく。
「まさか……拉致?」
「いえ、ゼイン様に限ってそんなはずは……」
鬱陶しいほどのざわめきが耳に刺さる。だが、俺はそれらをすべて遮り捨てた。
「部屋を用意しろ。それから、必要な世話人をすべて整えろ」
短く命じ、誰の意見も聞く気はなかった。彼女を帰したくない。ただ、それだけが胸の奥に渦巻いていた。
ミリアを客室に寝かせたあと、執務室に戻った俺の後を追ってきたアルフは、俺の様子を見て深いため息をついた。
「ゼイン様。……お気持ちは分かりますが、せめて話し合いを。彼女と話し合って、辺境地に滞在してもらうよう説得しましょう。それが最も穏当です」
俺は短く息を吐き、ゆっくりと視線だけを向けた。
「“ここに滞在してほしい”などと言って、素直にそれに応じる女性がいると思うか?」
「それは……ですが、ゼイン様も今の状況が良くないことくらい分かっておられますよね?」
アルフの言葉に、わずかに目を細めながら苦笑した。
「ああ……本当は分かっているさ。」
そう、彼女の意思を確認するべきだ。
話し合いを避けるなど、騎士としても、男としても正しくない。俺は自分の手袋を外しながら深く息を落とした。
「だが今、彼女に否定の言葉を浴びせられたら」
「……?」
「俺は、彼女をここに閉じ込めてしまう自信がある」
アルフが目を見開いた。俺の口から出た声は驚くほど静かだった。
「そうなると分かっているから……今は近づけない。彼女の口から“ここにいたくない”と聞いた瞬間、俺は彼女の自由を奪うだろう。」
歪んだ独占欲を自覚した上で、それでも止められない自分がいる。短く目を閉じた。まぶたの裏に、彼女の怯えた顔を思い浮かべる。
「少しだけでいい。彼女と向き合うための……心の整理をする時間がほしい」
アルフは黙り込んだ。俺がここまで弱さを見せるのは珍しいからだろう。
「アルフ、俺は周囲の反応も見えている。身を引いた方がいいのは分かっているんだ」
自嘲するように笑う。
「それでも……今の俺では、まともに判断できない」
彼女に触れたい気持ちと、触れてはならない理性。その狭間で、ただ静かに立ち尽くしていた。
「彼女を俺の部屋に近づけるな。俺が許可するまでだ」
アルフはしばらくの沈黙のあと、深く頷いた。
俺の独占を、暴走寸前の危うい感情を、止められないと悟ったのだろう。
この城に彼女がいる。触れられるほどの距離に。呼吸の音が届くほど近くに。
胸が熱く、痛いほどに高鳴る。
「ミリア……」
彼女に拒絶されてしまえば、なにをしてしまうか分からない。
抱きしめるだけでは済まない気がしていた。
翌朝。
「ミリア様がお目覚めになりました」と侍女頭が報告に来た。
胸が弾けるほど嬉しかった。けれど、同時に怖さが襲ってきた。
会えば、きっと俺は“縛り付けてでも手放したくない”という衝動のままに動いてしまう。
(……まだ駄目だ。今会えば、俺は終わる)
「しばらく、ミリアには休養を取らせろ。会うのはもう少し時間が経ってからにする」
侍女頭が驚きと、どこか安堵の入り混じった顔で頷いた。
側に控えていたアルフは苦い顔をしたが、「……畏まりました」と渋々承諾した。
それから、何度もアルフは「ミリア様が、ゼイン様に会いたいとおっしゃっています」と伝えてきた。
その言葉だけで胸が締め付けられる。
彼女が会いたいと言っている。それが嬉しくて苦しい。だが会ってしまえば、彼女から出る言葉は俺が求めているものではないだろう。
もし彼女の口から「王都へ帰りたい」と告げられた瞬間に、俺は正気を保てない。だから、自分に言い聞かせた。
(いずれ落ち着けば、手放せる……)
俺は城の地下にある隠し部屋に籠った。
本来は当主だけが知る緊急時の避難部屋だ。そこに山積みになった書類を持ち込み、日が暮れても朝になっても、書類に視線を落とし続けた。
執務に没頭していれば、狂気じみた独占欲から逃れられる気がした。
……ただの逃げだと分かっていても、他に方法がなかった。
昼も夜も忘れて書類に埋もれていた時だ。
ふいに、体を包むような強烈な魔力のうねりを感じた。
(……これは!?)
王城の召喚陣で感じたものと同じ──いや、それ以上に俺に強く干渉してくる魔力の気配。
(ミリア──!?)
その名前が頭をよぎった瞬間、視界が歪み、黄金色の激しい光が広がった。
光の奔流が収まると、俺は屋敷の中庭に立っていた。
そこには今にも泣き出しそうな顔のミリアがいた。足元には中庭一面に刻まれた巨大な魔法陣。
「……ミリア?」
声が震えた。その瞬間、彼女の涙が堰を切った。
「なんで私に会ってくれないのですか」
「なんでもう抱きしめてくれないのですか」
「ここまで連れてきておいて何なのですか!」
その訴えは刺すように真っ直ぐで、胸の奥で誤魔化していた気持ちを容赦なく抉り立てる。
──彼女を泣かせた原因は俺だ。
堪える理由など、一つもなかった。俺は距離を詰め、彼女を強く抱きしめた。
「すまない、なんて泣いているのだ」
「ゼイン様が私を放っておくからじゃないですか」
嗚咽まじりの声が衣を湿らせる。その小さな震えを感じた瞬間、胸の奥が焼けただれるように熱くなった。
「そんなこと俺の前で言うな。俺はお前を二度と手放せなくなってしまう。王都へ帰れなくなるぞ」
脅すような言葉なのに、声はひどく掠れる。ミリアは迷わず囁いた。
「それで良いです……」
ミリアがぎゅっと腕を回して抱きついてくる。その温もりが、俺の理性を静かに壊した。
──終わった。
もう俺は、本当に彼女を手放せない。
「せっかくお前を解放しようと思ったのに……」
苦しい本音が漏れたあと、俺ははっきりと彼女に告げた。
「ミリア、お前のことが好きだ。俺の妻になってほしい」
「はい! 私もゼイン様をお慕いしております」
迷いの欠片もない即答。胸の奥に熱いものが込み上がると同時に、不安も湧き上がった。
「本気か? ミリアは目が悪いのか?」
正気を失いそうなほど愛しくて、だがそんなことを言い出す彼女が心配で、思わずそんな言葉がこぼれた。
ミリアはムッと頬を膨らませる。
「私にとっては、ゼイン様はこの国で、この世界で一番かっこいい男性です」
そのままミリアは俺の顔を両手で掴み、躊躇いもなくキスしてきた。触れたのはほんの一瞬だったのに、
胸の奥まで熱が駆け上がってくる。
(……可愛い)
ミリアの唇が離れた瞬間、使用人たちの歓声と悲鳴が遠くで上がる。
その反応でようやく我に返ったが、もう遅い。俺はミリアを抱き寄せ、低く囁いた。
「よし。言質は取ったからな」
勝利の笑みを浮かべて彼女を抱え上げた。
「ここでは、みんなの目に触れると毒だからな」
「どこへ?」
「俺の私室に行くぞ」
ミリアは真っ赤になって暴れたが、俺は一切気にせず歩き続ける。
使用人たちが道をあけ、祝福の声を上げながら見送る。
廊下にその声が響く中、ミリアがそっと顔を伏せて言った。
「あ、あの……ちょっと待ってください……」
「ミリアが煽ったんだ。俺は待てない」
歩みは緩めない。
しかし私室の前に来た瞬間──俺の足が自然と止まった。
「……なんだ、これは」
扉がなかった。扉は跡形もなく吹き飛び、壁の石材が崩れ落ちている。俺の執務机が丸見えだ。
ミリアが真っ青になって震えながら言った。
「あの……すみません、ゼイン様を探していたんですけど……鍵がかかっていましたので……」
つまり──
(ドアをぶち抜いたのか)
突拍子もないが、それは俺に会うための行動だと思うと可愛すぎて、思わず笑みが漏れる。
「……ミリア」
ミリアは恥ずかしさに潤んだ瞳で俺を見上げていた。その姿が、どうしようもなく愛おしい。
俺は彼女に、そっと優しく唇を落とした。触れた瞬間、ミリアがぱっと花が咲くような笑顔があまりに眩しく胸が熱くなる。
(どうしてこんなに……可愛いんだ)
軽く触れただけなのに、さっきの突然のキスよりも俺の心臓を掴んで離さない。
「……ミリア。お前が泣くのも笑うのも全部この腕で受け止める。この国で一番の男として、お前を守る」
ミリアの瞳が揺れ、胸に顔を埋めてきた。この抱きつき方ひとつで、心が決壊する。胸の奥で、ひとつの確信が形になる。
(俺を、こんなにも包み込んでくれる相手に……出会えるなんて思わなかった)
孤独も、過去も、すべてミリアが軽くしていく。
──俺は、この女を生涯愛し抜く。
そして俺は、この国で一番の男として彼女を守るのだ。
その覚悟が、確かに心を満たしていた。
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