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再び宮廷へ
[1]ー5
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「リリィ=ブランシュ嬢、私と踊っていただけますか?」
右手を体の前に添えて優雅に腰を折ったアルに、リリィは目をしばたたかせる。
本当にアルなの?
目の前の彼は口調が丁寧なだけでなく、長い前髪はきちんと後ろに流されてあり、服装の乱れもない。見違えるほど立派な〝皇子様〟だ。
「リリィ?」
再度呼びかけられてはっとした。腑抜けている場合ではない。
なにごともなかったかのように、ドレスの裾を持ち上げて腰を落とし、完璧なカーテシーをする。
「わたくしでよろしければ喜んで」
にこりと微笑むとアルはリリィの手を取り、ホールの中央へと向かった。
足を止め背中に手を添えた。息を吸い込みながら背筋を伸ばす。合図などないのに最初の一歩を踏み出すタイミングが自然と伝わってくる。
三拍子のリズムに合わせてステップを踏む。やっぱり今までのどの相手よりも踊りやすい。
ただの雇われ剣士ではない気はしていたけど、よもや帝国の皇太子だったなんて思っても見なかった。
騙された! と地団駄を踏みたい気持ちがステップに出ないようにしなければ。うっかり足を踏んだら大ごとだ。なにせ相手は皇太子なのだから。
「なにを考えてらっしゃるのですか、リリィ=ブランシュ」
小さく尋ねられて視線を上げると深緑の瞳と目があった。くっきりとした二重まぶたが縁取られた切れ長の目に、小さく心臓が跳ねる。
彼の目を見るとなぜかいつもこんなふうに胸が落ち着かなくなる。
だけどそれを相手に気取られるのはなんだか悔しい。まぶたを伏せて「恐れながら」と口にする。
「拙いステップで殿下のおみ足を踏まぬようにと緊張いたしております」
途端、ぷっと小さく吹き出す声がした。
「ご冗談。私の経験の中で、あなたは群を抜いてダンスがお上手だ」
「お褒めのお言葉、恐悦至極にございます」
よく言うわ。本当に踏んでやろうかしら。
思考とまったく別の言葉がよどみなく口から出てくる。彼はくつくつと肩を揺らして笑ったあと、声のトーンを低く落とした。
「まあ、おまえになら思い切り踏まれてみるのもいいかもな」
「なっ……」
がらりと変わった口調にぎょっとする。意味もさっぱりわからない。
一瞬動揺を表に出してしまったけれど、耳に届く優雅な音楽に自分がどこにいるのか思い出し、即座に気持ちを立て直す。
「お戯れを。皇太子殿下」
「アルでいいと言っただろう、リリィ」
それにはイエスともノーとも言わず、微笑みだけを返しておく。
「先ほどはありがとうございました。大変助かりましたわ」
「先ほど? ああ、あの虚言癖女と色ボケ王子か」
「色ボっ……お言葉が過ぎますわ。誰かに聞かれたらどうなさるおつもりですか」
「誰も聞いちゃいないさ。それに聞かれたところで、どうにかできるものならすればいい」
そんな怖いもの知らずが、この場にいるとは思えない。
堂々と言うべきか不遜と言うべきか、そういうところは〝アル〟のときと変わらないのだなと思ったら、なんだかおかしくなった。
「ふふふ」と忍び笑いを漏らしながらステップを踏む。アルのリードはやはりとても踊りやすい。
ドレスの裾が大きく円を描いて舞う。広がる裾にシャンデリアからの光が当たって、エメラルドグリーンのタフタがキラキラと輝く。まるで無数の星が瞬いているようだ。
「美しいな」
「え?」
「皆がおまえに注目している」
「それはわたくしにではなく、殿下にですわ」
「相変わらずわかってないな。第四王子の許嫁でなければ声をかけたいという輩がどれだけいたと思っている」
「どれだけって……。もしかして、殿下はわたくしのことを以前からご存じだったのですか?」
「まあな」
「そう、だったのですか……」
彼は最初から全部知っていたのだ。辺境の街で出会ったのが、悪女の噂で社交界を追放された伯爵令嬢だということを。
かわいそうに思っていたから、助けてくれたのだろうか。さっきのこともだが、辺境の別邸でのことも。
一緒に過ごした日々が急速に色を失っていく。
「知らぬこととはいえ大変な失礼をいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます。アルフレッド皇太子殿下」
「リリ――」
「ご厚意は一生忘れませんわ」
にこりと微笑んだところで曲が止んだ。
ドレスの裾を持ち上げながら足を引き、腰を落とす。これまでで一番優雅に見えるよう、頭のてっぺんからつま先まで全神経をカーテシーに注ぐ。
「失礼いたします」
きびすを返したところで「待て」と止められた。
いったいなんの用がまだあるというのだろう。同情や憐憫なんて欲しくない。
胸の中がすうっと冷えていくのを感じながら振り返った。
「約束がまだ残っている」
「約束……」
「俺が何者か当てられたら、願いをひとつ聞く約束だっただろう?」
「あ!」
そうだった。〝アル〟がそんなことを言っていたな、と思い出す。
「望みはなんだ。〝俺にできること〟ならなんでもいい」
自分が彼にしてもらいたいことは、いったいなんだろう。
リリィはじっと黙って考える。
ゆっくりと視線を持ち上げ、目の前の彼を見た。
「では――」
リリィが言い終えると、深緑の瞳が大きく見開かれた。
右手を体の前に添えて優雅に腰を折ったアルに、リリィは目をしばたたかせる。
本当にアルなの?
目の前の彼は口調が丁寧なだけでなく、長い前髪はきちんと後ろに流されてあり、服装の乱れもない。見違えるほど立派な〝皇子様〟だ。
「リリィ?」
再度呼びかけられてはっとした。腑抜けている場合ではない。
なにごともなかったかのように、ドレスの裾を持ち上げて腰を落とし、完璧なカーテシーをする。
「わたくしでよろしければ喜んで」
にこりと微笑むとアルはリリィの手を取り、ホールの中央へと向かった。
足を止め背中に手を添えた。息を吸い込みながら背筋を伸ばす。合図などないのに最初の一歩を踏み出すタイミングが自然と伝わってくる。
三拍子のリズムに合わせてステップを踏む。やっぱり今までのどの相手よりも踊りやすい。
ただの雇われ剣士ではない気はしていたけど、よもや帝国の皇太子だったなんて思っても見なかった。
騙された! と地団駄を踏みたい気持ちがステップに出ないようにしなければ。うっかり足を踏んだら大ごとだ。なにせ相手は皇太子なのだから。
「なにを考えてらっしゃるのですか、リリィ=ブランシュ」
小さく尋ねられて視線を上げると深緑の瞳と目があった。くっきりとした二重まぶたが縁取られた切れ長の目に、小さく心臓が跳ねる。
彼の目を見るとなぜかいつもこんなふうに胸が落ち着かなくなる。
だけどそれを相手に気取られるのはなんだか悔しい。まぶたを伏せて「恐れながら」と口にする。
「拙いステップで殿下のおみ足を踏まぬようにと緊張いたしております」
途端、ぷっと小さく吹き出す声がした。
「ご冗談。私の経験の中で、あなたは群を抜いてダンスがお上手だ」
「お褒めのお言葉、恐悦至極にございます」
よく言うわ。本当に踏んでやろうかしら。
思考とまったく別の言葉がよどみなく口から出てくる。彼はくつくつと肩を揺らして笑ったあと、声のトーンを低く落とした。
「まあ、おまえになら思い切り踏まれてみるのもいいかもな」
「なっ……」
がらりと変わった口調にぎょっとする。意味もさっぱりわからない。
一瞬動揺を表に出してしまったけれど、耳に届く優雅な音楽に自分がどこにいるのか思い出し、即座に気持ちを立て直す。
「お戯れを。皇太子殿下」
「アルでいいと言っただろう、リリィ」
それにはイエスともノーとも言わず、微笑みだけを返しておく。
「先ほどはありがとうございました。大変助かりましたわ」
「先ほど? ああ、あの虚言癖女と色ボケ王子か」
「色ボっ……お言葉が過ぎますわ。誰かに聞かれたらどうなさるおつもりですか」
「誰も聞いちゃいないさ。それに聞かれたところで、どうにかできるものならすればいい」
そんな怖いもの知らずが、この場にいるとは思えない。
堂々と言うべきか不遜と言うべきか、そういうところは〝アル〟のときと変わらないのだなと思ったら、なんだかおかしくなった。
「ふふふ」と忍び笑いを漏らしながらステップを踏む。アルのリードはやはりとても踊りやすい。
ドレスの裾が大きく円を描いて舞う。広がる裾にシャンデリアからの光が当たって、エメラルドグリーンのタフタがキラキラと輝く。まるで無数の星が瞬いているようだ。
「美しいな」
「え?」
「皆がおまえに注目している」
「それはわたくしにではなく、殿下にですわ」
「相変わらずわかってないな。第四王子の許嫁でなければ声をかけたいという輩がどれだけいたと思っている」
「どれだけって……。もしかして、殿下はわたくしのことを以前からご存じだったのですか?」
「まあな」
「そう、だったのですか……」
彼は最初から全部知っていたのだ。辺境の街で出会ったのが、悪女の噂で社交界を追放された伯爵令嬢だということを。
かわいそうに思っていたから、助けてくれたのだろうか。さっきのこともだが、辺境の別邸でのことも。
一緒に過ごした日々が急速に色を失っていく。
「知らぬこととはいえ大変な失礼をいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます。アルフレッド皇太子殿下」
「リリ――」
「ご厚意は一生忘れませんわ」
にこりと微笑んだところで曲が止んだ。
ドレスの裾を持ち上げながら足を引き、腰を落とす。これまでで一番優雅に見えるよう、頭のてっぺんからつま先まで全神経をカーテシーに注ぐ。
「失礼いたします」
きびすを返したところで「待て」と止められた。
いったいなんの用がまだあるというのだろう。同情や憐憫なんて欲しくない。
胸の中がすうっと冷えていくのを感じながら振り返った。
「約束がまだ残っている」
「約束……」
「俺が何者か当てられたら、願いをひとつ聞く約束だっただろう?」
「あ!」
そうだった。〝アル〟がそんなことを言っていたな、と思い出す。
「望みはなんだ。〝俺にできること〟ならなんでもいい」
自分が彼にしてもらいたいことは、いったいなんだろう。
リリィはじっと黙って考える。
ゆっくりと視線を持ち上げ、目の前の彼を見た。
「では――」
リリィが言い終えると、深緑の瞳が大きく見開かれた。
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