18 / 18
スローライフを満喫したい
[1]ー3
しおりを挟む
「犬小屋が欲しいと言っただろう」
番犬よりは近いが、微妙に違っている。
正確には『犬小屋でもお願いいたしましょうか』だ。
もともと辺境の屋敷での生活が落ち着いたら、犬を飼おうと思っていた。前世のときから憧れのひとつだったのだ。
田舎暮らしと言えば畑仕事とニワトリと大きな犬。自分でも笑えるくらい安直な発想だが、この人生もいつ終わりを迎えるかわからないのだから、叶えられるものは貪欲に叶えていきたい。
だからと言って帝国の皇太子に犬小屋作りを頼む者がどこにいるというのだろう。ただの居候に頼むのとはわけが違う。
遠回しに『皇太子殿下にしていただくようなことはなにもございません』と、冗談交じりに断ったつもりだった。
「小屋のついでだ。中身もあった方がいいだろう?」
気が利くだろうと言わんばかりの笑みに、リリィは思わず額を押さえた。
「皇太子殿下……」
「アルでいい」
まだ言うか。
令嬢らしくないツッコミが心の中で湧き上がるが、必死に抑え込む。相手は帝国の皇太子だ。彼の人となりはなんとなくわかっているが、あまり失礼な態度を取ることはできない。
そこでやっと、自分がまだひと言もお礼を口にしていないことに気がついた。
予想外の贈り物もそうだが、王妃との一件もある。あんなにすっきりと解決したのは、彼が口添えしてくれたおかげに違いない。
相手の地位など関係ない。受けた恩にお礼をするのは、人として当たり前の道義である。
「殿下のご厚意に心より感謝いたします」
スカートの裾を持ち上げて腰を落とすと、アルが眉を持ち上げた。
どこかおかしいところでもあったのだろうか。
舞踏会とは違いくるぶしから下は見えているが、カーテシーは完璧なはずだ。
伏せた視線によく磨かれた革のつま先が入り込む。距離の近さにギョッとした瞬間、伸びてきた手に頬をすくい上げられた。
「……っ」
見開いた両目に整った顔が映る。森の奥深くでこんこんと湧き出る泉のような色をした虹彩にくぎ付けになった。
至近距離から見つめられ、いや応なしに鼓動が加速していく。お願いだからもう少し離れてほしい。
「お、お戯れを、皇太子殿下」
「〝アル〟だ」
更に距離を詰められ、顔が真っ赤になりなにも考えらなくなった。
「アル! わかったから離れて!」
思わず叫んだら、彼が満足そうに微笑んで離れた。
もしかして、またからかわれたの?
暴れる心臓をなだめていると、アルがすたすたとソファーに戻り、どしんと腰を落とした。
「今日の昼は?」
「はい?」
「昼飯は決まっているのか?」
「夏野菜と手打ち麺ですわ」
「悪くないな」
口角を持ち上げたアルが不敵に微笑む。
「犬小屋が完成するまでの間、またよろしくな」
目を見張ってその場に静止していると、玄関の方からにぎやかな声が聞こえてくる。ジャン達が戻ってきたのだ。
熱い中作業に勤しんでくれた彼らに早く食事を出してあげなければ。
リリィは大きく息を吐きだすと、顔を上げた。
「わかりました、アル。ここにいらっしゃる間は〝前と同じように〟させていただきますわ」
「ああ、よろしくな、リリィ」
目を細めた彼の足元で茶色い尻尾がふさふさと揺れる。
呼びに来たマノンに食事の人数がひとり増えることを伝え、自分も昼食準備に取りかかることにした。
さて、腕によりをかけて作りますわよ。
だれが来ようと、自分がすることは変わらない。せっかく手に入れたこの暮らしを満喫するだけだ。
リリィは袖をまくり上げながら、キッチンへと向かった。
【おわり】
番犬よりは近いが、微妙に違っている。
正確には『犬小屋でもお願いいたしましょうか』だ。
もともと辺境の屋敷での生活が落ち着いたら、犬を飼おうと思っていた。前世のときから憧れのひとつだったのだ。
田舎暮らしと言えば畑仕事とニワトリと大きな犬。自分でも笑えるくらい安直な発想だが、この人生もいつ終わりを迎えるかわからないのだから、叶えられるものは貪欲に叶えていきたい。
だからと言って帝国の皇太子に犬小屋作りを頼む者がどこにいるというのだろう。ただの居候に頼むのとはわけが違う。
遠回しに『皇太子殿下にしていただくようなことはなにもございません』と、冗談交じりに断ったつもりだった。
「小屋のついでだ。中身もあった方がいいだろう?」
気が利くだろうと言わんばかりの笑みに、リリィは思わず額を押さえた。
「皇太子殿下……」
「アルでいい」
まだ言うか。
令嬢らしくないツッコミが心の中で湧き上がるが、必死に抑え込む。相手は帝国の皇太子だ。彼の人となりはなんとなくわかっているが、あまり失礼な態度を取ることはできない。
そこでやっと、自分がまだひと言もお礼を口にしていないことに気がついた。
予想外の贈り物もそうだが、王妃との一件もある。あんなにすっきりと解決したのは、彼が口添えしてくれたおかげに違いない。
相手の地位など関係ない。受けた恩にお礼をするのは、人として当たり前の道義である。
「殿下のご厚意に心より感謝いたします」
スカートの裾を持ち上げて腰を落とすと、アルが眉を持ち上げた。
どこかおかしいところでもあったのだろうか。
舞踏会とは違いくるぶしから下は見えているが、カーテシーは完璧なはずだ。
伏せた視線によく磨かれた革のつま先が入り込む。距離の近さにギョッとした瞬間、伸びてきた手に頬をすくい上げられた。
「……っ」
見開いた両目に整った顔が映る。森の奥深くでこんこんと湧き出る泉のような色をした虹彩にくぎ付けになった。
至近距離から見つめられ、いや応なしに鼓動が加速していく。お願いだからもう少し離れてほしい。
「お、お戯れを、皇太子殿下」
「〝アル〟だ」
更に距離を詰められ、顔が真っ赤になりなにも考えらなくなった。
「アル! わかったから離れて!」
思わず叫んだら、彼が満足そうに微笑んで離れた。
もしかして、またからかわれたの?
暴れる心臓をなだめていると、アルがすたすたとソファーに戻り、どしんと腰を落とした。
「今日の昼は?」
「はい?」
「昼飯は決まっているのか?」
「夏野菜と手打ち麺ですわ」
「悪くないな」
口角を持ち上げたアルが不敵に微笑む。
「犬小屋が完成するまでの間、またよろしくな」
目を見張ってその場に静止していると、玄関の方からにぎやかな声が聞こえてくる。ジャン達が戻ってきたのだ。
熱い中作業に勤しんでくれた彼らに早く食事を出してあげなければ。
リリィは大きく息を吐きだすと、顔を上げた。
「わかりました、アル。ここにいらっしゃる間は〝前と同じように〟させていただきますわ」
「ああ、よろしくな、リリィ」
目を細めた彼の足元で茶色い尻尾がふさふさと揺れる。
呼びに来たマノンに食事の人数がひとり増えることを伝え、自分も昼食準備に取りかかることにした。
さて、腕によりをかけて作りますわよ。
だれが来ようと、自分がすることは変わらない。せっかく手に入れたこの暮らしを満喫するだけだ。
リリィは袖をまくり上げながら、キッチンへと向かった。
【おわり】
57
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(4件)
あなたにおすすめの小説
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!
ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。
なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。
婚約破棄は大歓迎! 悪役令嬢は辺境でぐうたらスローライフを送りたい ~二度寝を邪魔する奴は、王太子でも許しません~
小林 れい
ファンタジー
煌びやかな夜会で、婚約者であるジークフリート王太子から「婚約破棄」を突きつけられた公爵令嬢ユーラリア。 「身に覚えのない罪」で断罪される彼女に、周囲は同情の視線を向けるが——。
(((きたぁぁぁ! 自由だ! これで毎日、お昼過ぎまで寝られる!!)))
実は彼女、前世の記憶を持つ転生者。 過労死した前世の反省から、今世の目標は「絶対に働かないこと」。 王妃教育という名の地獄から解放されたユーラリアは、慰謝料として手に入れた北の果ての別荘へと意気揚々と旅立つ。
待っていたのは、フカフカの羽毛布団と、静かな森。 彼女はただ、お菓子を食べて、二度寝をして、ダラダラ過ごしたいだけだった。
しかし——。 「眩しいから」と魔法で空を曇らせれば、**『干ばつを救った聖女』と崇められ。 「動くのが面倒だから」と転移魔法でティーカップを寄せれば、『失伝した超魔法の使い手』**と驚愕される。
さらに、自分を捨てたはずの王太子が「君の愛が恋しい」と泣きつき、隣国の冷徹な軍事公爵までが「君の合理的な休息術に興味がある」と別荘に居座り始めて……!?
「お願いですから、私の睡眠を邪魔しないでいただけますか?」
勘違いと怠惰が加速する、最強ニート令嬢のスローライフ(?)物語!
王国最強の天才魔導士は、追放された悪役令嬢の息子でした
由香
ファンタジー
追放された悪役令嬢が選んだのは復讐ではなく、母として息子を守ること。
無自覚天才に育った息子は、魔法を遊び感覚で扱い、王国を震撼させてしまう。
再び招かれたのは、かつて母を追放した国。
礼儀正しく圧倒する息子と、静かに完全勝利する母。
これは、親子が選ぶ“最も美しいざまぁ”。
婚約破棄された公爵令嬢と、処方箋を無視する天才薬師 ――正しい医療は、二人で始めます
ふわふわ
恋愛
「その医療は、本当に正しいと言えますか?」
医療体制への疑問を口にしたことで、
公爵令嬢ミーシャ・ゲートは、
医会の頂点に立つ婚約者ウッド・マウント公爵から
一方的に婚約を破棄される。
――素人の戯言。
――体制批判は不敬。
そう断じられ、
“医療を否定した危険な令嬢”として社交界からも排斥されたミーシャは、
それでも引かなかった。
ならば私は、正しい医療を制度として作る。
一方その頃、国営薬局に現れた謎の新人薬師・ギ・メイ。
彼女は転生者であり、前世の知識を持つ薬師だった。
画一的な万能薬が当然とされる現場で、
彼女は処方箋に書かれたわずかな情報から、
最適な調剤を次々と生み出していく。
「決められた万能薬を使わず、
問題が起きたら、どうするつもりだ?」
そう問われても、彼女は即答する。
「私、失敗しませんから」
(……一度言ってみたかったのよね。このドラマの台詞)
結果は明らかだった。
患者は回復し、評判は広がる。
だが――
制度は、個人の“正
制度を変えようとする令嬢。
現場で結果を出し続ける薬師。
医師、薬局、医会、王宮。
それぞれの立場と正義が衝突する中、
医療改革はやがて「裁き」の局面へと進んでいく。
これは、
転生者の知識で無双するだけでは終わらない医療改革ファンタジー。
正しさとは何か。
責任は誰が負うべきか。
最後に裁かれるのは――
人か、制度か。
悪役令嬢発溺愛幼女着
みおな
ファンタジー
「違います!わたくしは、フローラさんをいじめてなどいません!」
わたくしの声がホールに響いたけれど、誰もわたくしに手を差し伸べて下さることはなかった。
響いたのは、婚約者である王太子殿下の冷たい声。
わたくしに差し伸べられたのは、騎士団長のご子息がわたくしを強く床に押し付ける腕。
冷ややかな周囲のご令嬢ご令息の冷笑。
どうして。
誰もわたくしを信じてくれないまま、わたくしは冷たい牢の中で命を落とした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
丁寧なご返信ありがとうございます。
そうだったのですね!
ぜひ長編化、していただけると嬉しいです!!
読みやすさやキャラクター、展開は凄くよくて楽しんで読ませていただいていました。なのに最後だけ急ぎ足な印象で、つい続きが読みたくて長々書いてしまい申し訳ありません。
楽しみにのんびり待たせていただきます。
katsuko1210さん
実は恋愛ファンタジーものはこれが始めての作品でしたので(普段は大人向け現代恋愛を書いています)、そう言っていただけてとても励みになりました✨
またkatsuko1210さんに楽しんでいただけるようがんばっていこうと思います!
再度のコメントありがとうございましたm(__)m
一気に読みました☺️
番外編などで、その後の二人のを読みたいくらいです😊
chibiさん
ご感想ありがとうございます。
ぼんやりとではありますが続きの構想もありますので、折を見て長編化に挑戦したいと思います。
お読みくださりありがとうございました✨
面白くて読んでいたのですが、不思議なところで終わって少しもやっとしました。
舞踏会から2ヶ月経っていて、罪はなかった事になりそうだったのに、家からの支援が少なく、ジャンの家族だけでは罪のない令嬢の護衛としては少なく感じました。
本人のスローライフ希望とか関係なく、そこはご令嬢として、伯爵家として、違和感を感じました。
だからその後の展開を書くために急いだからかなぁと思ってそのまま読んだら、
アルとの関係もふわっと再会して終わりで、
え、結局許されてないのでは?
え、第四王子どうなった?
え、アルはどうしたいの?
と疑問が浮かんでしまいました。
アルは、辺境で一時過ごしたいだけなのか、
皇太子妃になってほしいのか、
そもそもこのスローライフこのまま続くのか…
番外編とかでもいいので、続きをお願いします
katsuko1210さん
ご感想ありがとうございます。
本作はもともとが他サイトの短編コンテスト用に書いた作品で、あまり深堀りせずに序盤のみで完結となっております。
今後プロットをじっくり練り直し、長編として出せる時が来たらいいなぁとは思っています。
その際にはkatsuko1210さんのご指摘をしっかりご参考にさせていただきますね。
貴重なご意見ありがとうございました✨