頑張らない政略結婚

ひろか

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 目を覚ますと、シオンさんが私の手を握ってくれていました。
 あれ? ここは、食堂?

「よかった……気がついたか、気分は?」
 不安そうに揺れる瞳で覗き込むシオンさんですが、何か、いつもと違う気が……。

「ルイーゼ」

 ああ……、そうだわ、シオンさんは……。

「う、うぅ……」
「あっ、待って、泣かないでくれっ!」
 ポロポロ溢れる涙は止まってくれません。

 ノックの音と、セルシオ様を呼ぶセバス声がしました。
「セルシオ様! お客様が――」
「今は誰にも会えない! 立て込んでいると帰ってもらえ!」
「それが――」

「リー…、ルイーゼ、すぐに戻るから話をしよう」

 枕に伏して泣く私に、聞いたこともない優しい声で言葉を残して出て行きました。ひどい、まだシオンさんのフリをするなんて……。

「う、うぇぇー…「ルイーゼ!!」にゃ!?」
 扉を蹴り開けたような豪快な音を立てて入って来たのは、
「ノ、ノエル?」
「ルイーゼ! 大丈夫か!? 倒れたって「うん、ノエル、貴方どうしてここに」ルイーゼが来ないから!「あ、ごめん、締め切り」そんなことはいいんだっ」

兄妹きょうだいだったのか……」
 呟いた、困惑顔のセルシオ様です。

「……ごめん、ルイーゼ、この人めんどくさいから僕らのこと話した」
「ううん、私は構わないわ」
 めんどくさいって……、セルシオ様に良い印象を持っていないノエルです。

 ノエルと私は同じ母から生まれた父親違いの兄妹です。
 ノエルは父親の色を継ぎ髪は黒に近い濃紺色。私は母の色を継ぎ髪は白金、瞳は私もノエルもスミレ色。
 顔立ちも似てもいないので兄妹なんて気づかれたことはありませんし、良い印象を持たれない話しですから口外しませんが……、ノエルは私のたった一人の兄なのです。

 で? と、ノエルはセルシオ様に向き直ります。
「ルイーゼを監禁ってどういうつもり?」
「にゃ!」「なっ!」

「監禁なんてする訳ないだろ! ルイーゼは私の子供を身籠っているのだから!」
「はぁあ?」

 セルシオ様の言葉に険悪な顔になるノエルです。そう、そうです、私は……。
 ノエルの登場で引っ込んだ涙が盛り上がります。

「ふぇ、うー…「ルイーゼ!?」」

「ノエルぅ、私、弄ばれてたのぉぉ!」
「弄んでなんてない!」

 抱きつこうとしたノエルを突き飛ばし、セルシオ様が私の両手を握りしめます。

「では、どうしてシオンなんて名乗ったのですか?」
「名を姿を偽っていたことは謝る! リーゼに近づきたかったんだ!」
「ずっとリーゼわたしを騙していたの!?」
リーゼに対しする気持ちに嘘ではない!」
「貴方は結婚してるのに……」
リーゼと共に生きたいと、気持ちが抑えられなくなったんだ」
「でも、リーゼわたしとは初めから遊びだったのでしょ?」
リーゼに遊びで触れたのではない!」
リーゼわたしと一緒になりたいって言ったのに……うっ」
「本当だ、リーゼと一緒になる為に準備をしていたんだ」
「嘘よっ! 平民のリーゼわたしと結婚できるわけがないわ!」
ルイーゼとは離婚した! すぐにリーゼ君を迎えに行く気だった!」

「待って」

 低い声にビクリと振り返ります。半眼のノエルです。

「なんとなく分かったけど、ルイーゼは落ち着いて。で、あんたがリーゼに会ってたシオンだと?」
 説明しろと、ギロリとセルシオ様を睨みつけるノエルです。




 温かなお茶が用意されました。私にはフルーツゼリー付きです。美味しいですわ。胸のムカつきも落ち着きます。
 セルシオ様からの説明をノエルは黙って聞いていました。

「結婚する一年前から出会っていたが、婚約者だと気づかなかったと?」
「ええ」「ああ」
 私とセルシオ様は頷きました。

「一年半……、姿と名を偽ってた者同士、お互い詮索されないのをいいことに、何も聞かなかったと?」
「ええ……」「ああ……」

「で、今になってお互いを知ったと?」
『……』
 黙って頷きました。

「はぁぁーー…」
 ノエルは大きくため息して、立ち上がり私の手を取ります。

「さぁ、帰ろうか」
 え? 帰る?
「待ってくれ!」
 セルシオ様も腰を浮かせますが、
「僕はね、あんたたち兄弟に怒ってるんだ」
 呆れの混じる声で、冷めた顔を向けるノエルです。

「 ルイーゼの化粧が濃かったから、気づけなかったのはわかるよ。でもさ、ルイーゼにとって化粧は鎧なんだよ。女性の世界は僕らよりもずっと厳しいんだ。感情を表に出さないように隠し、心を悟られないように抑え、自分を殺し家の利の為に、命じられるままに嫁ぐ。
 その鎧を脱げるのは、共に家の為に生きる伴侶の前だけだったんだ。
 なのにあんたの兄は別の女性を選び家督を捨てた。モノのように婚約者ルイーゼあんたへ渡して。あんたはあんたで、リーゼに出会ったからと婚約者に会おうともせず、ルイーゼ自身を知ろうともしなかった。婚約者であるあんたに対して鎧を脱ぐ間も与えられず、それでも、ルイーゼはこの家の為に、唯一、素の自分でいられた食堂のバイトも辞めることを決めいていたんだ。だが、あんたは何を言った? 結婚式の直前に。
 鎧を脱いだ自分を見せる初夜ですら拒絶したあんたに、ルイーゼは渡せない!」

「待ってください! 彼女とはこれからは「遅い」」

「離婚、したんだろ?」

 口を開けたまま固まるセルシオ様です。そうです、離婚届は受理されたのです。
 セルシオ様は大声で執事を呼びつけました。「馬車を! いや、馬を! 届けを破棄するんだ!!」と、慌てる姿はシオンさんと重なり、胸が痛みます。
 私が好きな平民のシオンさんはどこにもいない人なのです……。

「たとえ破棄ができても、許さないよ。僕らの夢を・・・・・壊したのだからね。ルイーゼが欲しかったら初めからやり直してくれ」




***
「リーゼ、どうか、僕と結婚して下さい」
「はい……」
 黄色い花束を抱えたシオンさんの言葉に涙が止まりません。優しく抱きしめられ「長かった……」と。耳元での震える声は確かに私の大好きなシオンさんです。
 ええ、長かったです、本当に長かったですわ……。
 労わるように広い背中をトントンとすると、パンパンパンッとストップの手がかかりました。

「はい、お終い。帰って良し!」
「短い!」

 シオンさんとノエルの言い合いも、もう見慣れたものです。

 セルシオ様と私の離縁届けの破棄はというと、なりませんでした。私達は赤の他人のままなのです。

 実家へ帰ることも出来ず、私はノエルの屋敷に引き取られました。
 悪阻で体調を崩していた間、何度も私に会いに屋敷へ訪れたセルシオ様ですが、羽虫のようにしっ、しっ、と、追い払っていたノエルです。
 会うことはなくてもセルシオ様から毎日届く手紙には、体調を気づかう言葉と、ルイーゼへの謝罪と、リーゼへの気持ちが書かれてありました。
 そして私の実家へ謝罪したこと、これまでのこと全て話し、もう一度私との婚姻の許しを願ったことが書かれてありました。

 それに対して私は一度も返事をしていません。

 私の中でセルシオ様とシオンさんが繋がらないのです。

 しかし、何度目かの手紙で、一輪の花が一緒に添えられてありました。そう、初めてシオンさんから贈られた黄色の花です。

 少しだけセルシオ様とシオンさんが重なりました。
 いつも最後に書かれている『会いたい』の言葉を指でなぞり、シオンさんのふにゃりとした笑顔が浮かび涙が溢れました。シオンさんに会いたい、です……。

 「もう、あんまり意地悪もできないなぁ……」と、私の頭を撫でてくれたノエルです。そして、翌日、花束を抱え正装をしたセルシオ様が屋敷に訪れたのですが……、彼の姿を目にした途端、身動きが取れなくなりました。私の様子に気づいたノエルが視界からセルシオ様を隠します。

「私が好きなのは、貴方ではありません……」

 ノエルの陰から息を呑む様子が伝わりました。
 私も、自分の口からこぼれた言葉に驚いていました。

 セルシオ様はシオンさんだと繋がったはずなのに……、違うと、そう感じるのです。

「ごめんなさい……」

 私が好きになったあの人は、やっぱり存在しないのですね……。
 しかし――

「……リーゼ、また、くるから」
 ノエルの背中で隠された彼の声は、優しいシオンさんのものでした。

 その翌日も、花束を抱え、髪を崩し黒縁のメガネをしたセルシオ様が来て下さいましたが、「はい、はい、やりなおーし!」と、セルシオ様を追い出してしまったのです。戸惑う私に「顔が一瞬強張ったから」と。ノエルには気づかれていました。髪型とメガネが同じでも正装した姿は私の好きなシオンさんではありえないことです。感じた違和感が素直に顔に現れるなんて、化粧ヨロイがないとダメですね……。

 それから、毎日花束を抱えて屋敷を訪れては「やり直しー」とノエルに追い出されること二週間。 やっと、跳ねた髪に黒縁メガネくたびれたシャツの、私が大好きなシオンさんが来てくれました! やっと会えた彼の姿に涙が止まりませんでした。


 ノエルの願いは結婚式のやり直し。


「僕たちの夢を叶えてくれるよね?」
 セルシオ様はノエルから結婚式のスケッチを見せられたそうです。
 眉間にしわを寄せたセルシオ様と、強張った笑顔を貼りつけた私の花嫁姿。

 ノエルが実父の元へ引き取られ、離れ離れになった私のために笑顔の絵をたくさん描いてくれたノエルです。

「世界で一番幸せな笑顔をするのは花嫁なんだって、僕はルイーゼが一番綺麗で幸せな瞬間を描きたいんだ、綺麗な花嫁を見せてよ」
「うん! 私の一番幸せな笑顔を描いてね!」


 幼いころの約束が、今日叶うのです。


「ルイーゼ、すごく綺麗だよ」
「ふふ、ありがと、ノエル! 一番綺麗に描いてね」

「リーゼ、綺麗だよ、僕のためにこんなに美しくなってくれるなんて……」
「シオンさんも、素敵よ」

 セルシオ様と離婚して五ヶ月。食堂の女将さんや、常連のおじさんたちに祝福され、私は大好きなシオンさんのお嫁さんになりました。

 前髪を下ろし、黒縁メガネの時のセルシオ様はシオンさんなのです。
 あの隙のない頭の先から爪先まで整ったセルシオ様の側では、私は笑うことができなくなっていたのです。
 セルシオ様はお仕事以外は髪を崩し、メガネを掛け、私の大好きなシオンさんでいてくれます。

「今までルイーゼを蔑ろにしておいて」
 ノエルの大きな独り言に頬を引きつらせるシオンさんです。

「全く、腹立つけど、ルイーゼがこんな笑顔をするのはシオンの前・・・・・だけだからね」

 大きなキャンバスには、黄色い花束を手に跪くシオンさんと笑顔の私。あの日のプロポーズの絵です。

 この絵を見た時も「白金の乙女のモデルは君だったのか!?」と、シオンさんは驚き、興奮していました。
 初めて目にした“白金の乙女”が初恋の相手なのだと、リーゼを見た時は絵から抜け出たのかと、そう思ったそうです。何としても近づきたかったんだと、照れた様子のシオンさんでした。
 
 出会う前からずっと、シオンさんは私を想っていてくれたのに、私たちは随分と遠回りをしていました。
 シオンさんの側でなら私は本当の私でいられます。


「ずっと私の大好きなシオンさんでいてくださいね!」
 もちろんですと、ふにゃりとした大好きな笑顔で応えてくれたシオンさんです。






***読んでくださり、ありがとうございました***
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