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エピローグ
〜境界を進む船〜
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船が港を出るとき、3回汽笛を鳴らすのは後進する合図だそうだ。
が、いままさに夜の和歌山港を出航するこの貨客船に至っては、もう一つ意味がある。
それは音で魔を祓うこと。
かつて陰陽師は密教の作法を取り入れ、親指と人差指を弾いて音を出す弾指という魔除けを行なったという。
これは今でも禅僧や密教僧が作法として伝えており、この船の汽笛にもそんな霊力が込められているのだという。
わたしが乗り込んだのは、裏九鬼船団が運行するフェリーの特別便。
紀伊半島をぐるっと巡って太平洋ルートで下北半島まで北上、津軽海峡を横断して小樽へと入港するまる3日間の船旅だ。
特殊文化遺産に関する全国集会が北海道で開催されるとのことで、帰郷するわたしのためにトクブンのオサカベさんがチケットを手配してくれたのだった。
航路上の結界を更新しながら進むこの船には、西日本各地の結界守たちが乗り込んでいると聞いたけど、人影はまばらで静かなものだった。
フェリーというものに初めて乗ったわたしは、その内装の華麗さや充実した設備にびっくりしてしまった。
なんというか、ホテルがそのまま洋上に浮かんでいるような感じで、海が見える大浴場なんて非日常の贅沢だ。
夜なので沿岸の夜景や小さな漁り火が目にも眩い。
明るいときに入浴すれば、大海原の借景がさぞ素晴らしいだろう。
ほとんど貸し切りのお湯から上がってぺたぺたと船内を探検していると、食堂ホールに隣接してバーラウンジが設けられていた。
何か飲もうと思ってその扉を押し開くと、雰囲気のあるほの暗さに胸が締め付けられるような思いがした。
「いらっしゃいませ」
若い男性のバーテンダーが静かに迎えてくれ、わたしはカウンターチェアに腰掛ける。
お風呂上がりなのでごくごく飲める軽いものをと思っていたのに、わたしはなぜかスコッチのロックを頼んでいた。しかもダブルで。
鮮やかな手際で整えてくれたグラスを愛でるでもなく、わたしはほとんど一息にそれを飲み干した。
40度もある強い蒸留酒は喉の奥を焼き、おなかの底で一気に揮発して燃え上がった。
わたしの飲み方を心配して、バーテンダーがチェイサーにお水を出してくれる。
「あの…日本酒ベースのカクテルはありますか」
「日本酒――。少々お待ちくださいませ」
強い酒で急激に酔いが回り、お行儀が悪いと思いつつわたしはカウンターに突っ伏してしまった。
こうしていると、bar暦でのユラさんのことばかり思い出される。
紀伊にいる間、とうとう彼女がどうなったのか報せはなかった。
胸が苦しい。
あとからあとから涙が溢れて止まらない。
と、バーテンダーの戻る気配がして、すぐ前でお酒を調えるカラカラという音がしている。
きっと何も聞かずにいてくれるだろうけど、腕の中でできるだけ涙を拭って目を上げた。
すっ、とタンブラーが差し出された。
けれどその指は、明らかに男性のものではない。
「どうぞ。"キイ・ミュール"です」
涼やかな声のする方に、ずーっと視線を上げてゆく。
白いシャツにネクタイ、ウエストコート。
長い髪をきっちりアップにまとめて、左に流した前髪をヘアピンで止めている。
クールな眼差しの、とてもハンサムな女性。
「………あぁ……」
わたしの意思と関係なくぼろぼろと涙が落ちる。
もっとよく見たい人の顔がわからなくなってしまう。
わたしの両目に、ふいにやさしくハンカチが押しあてられた。
ユラさんの手と一緒にしっかり握りしめ、声を上げて泣いた。
これが夢ではない証拠に、彼女の手はほんのりと温かかった。
ユラさんはきっとちょっと困ったような顔をして、それでも少し微笑みながら、わたしが泣きやむまで待ってくれるだろう。
そしてやさしい紀伊の言葉で、今夜の閉店をそっと告げるのだろう。
―完―
が、いままさに夜の和歌山港を出航するこの貨客船に至っては、もう一つ意味がある。
それは音で魔を祓うこと。
かつて陰陽師は密教の作法を取り入れ、親指と人差指を弾いて音を出す弾指という魔除けを行なったという。
これは今でも禅僧や密教僧が作法として伝えており、この船の汽笛にもそんな霊力が込められているのだという。
わたしが乗り込んだのは、裏九鬼船団が運行するフェリーの特別便。
紀伊半島をぐるっと巡って太平洋ルートで下北半島まで北上、津軽海峡を横断して小樽へと入港するまる3日間の船旅だ。
特殊文化遺産に関する全国集会が北海道で開催されるとのことで、帰郷するわたしのためにトクブンのオサカベさんがチケットを手配してくれたのだった。
航路上の結界を更新しながら進むこの船には、西日本各地の結界守たちが乗り込んでいると聞いたけど、人影はまばらで静かなものだった。
フェリーというものに初めて乗ったわたしは、その内装の華麗さや充実した設備にびっくりしてしまった。
なんというか、ホテルがそのまま洋上に浮かんでいるような感じで、海が見える大浴場なんて非日常の贅沢だ。
夜なので沿岸の夜景や小さな漁り火が目にも眩い。
明るいときに入浴すれば、大海原の借景がさぞ素晴らしいだろう。
ほとんど貸し切りのお湯から上がってぺたぺたと船内を探検していると、食堂ホールに隣接してバーラウンジが設けられていた。
何か飲もうと思ってその扉を押し開くと、雰囲気のあるほの暗さに胸が締め付けられるような思いがした。
「いらっしゃいませ」
若い男性のバーテンダーが静かに迎えてくれ、わたしはカウンターチェアに腰掛ける。
お風呂上がりなのでごくごく飲める軽いものをと思っていたのに、わたしはなぜかスコッチのロックを頼んでいた。しかもダブルで。
鮮やかな手際で整えてくれたグラスを愛でるでもなく、わたしはほとんど一息にそれを飲み干した。
40度もある強い蒸留酒は喉の奥を焼き、おなかの底で一気に揮発して燃え上がった。
わたしの飲み方を心配して、バーテンダーがチェイサーにお水を出してくれる。
「あの…日本酒ベースのカクテルはありますか」
「日本酒――。少々お待ちくださいませ」
強い酒で急激に酔いが回り、お行儀が悪いと思いつつわたしはカウンターに突っ伏してしまった。
こうしていると、bar暦でのユラさんのことばかり思い出される。
紀伊にいる間、とうとう彼女がどうなったのか報せはなかった。
胸が苦しい。
あとからあとから涙が溢れて止まらない。
と、バーテンダーの戻る気配がして、すぐ前でお酒を調えるカラカラという音がしている。
きっと何も聞かずにいてくれるだろうけど、腕の中でできるだけ涙を拭って目を上げた。
すっ、とタンブラーが差し出された。
けれどその指は、明らかに男性のものではない。
「どうぞ。"キイ・ミュール"です」
涼やかな声のする方に、ずーっと視線を上げてゆく。
白いシャツにネクタイ、ウエストコート。
長い髪をきっちりアップにまとめて、左に流した前髪をヘアピンで止めている。
クールな眼差しの、とてもハンサムな女性。
「………あぁ……」
わたしの意思と関係なくぼろぼろと涙が落ちる。
もっとよく見たい人の顔がわからなくなってしまう。
わたしの両目に、ふいにやさしくハンカチが押しあてられた。
ユラさんの手と一緒にしっかり握りしめ、声を上げて泣いた。
これが夢ではない証拠に、彼女の手はほんのりと温かかった。
ユラさんはきっとちょっと困ったような顔をして、それでも少し微笑みながら、わたしが泣きやむまで待ってくれるだろう。
そしてやさしい紀伊の言葉で、今夜の閉店をそっと告げるのだろう。
―完―
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