投獄された聖女は祈るのをやめ、自由を満喫している。

七辻ゆゆ

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偽聖女の安堵

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「マイラ! まだ近づくのか……!?」
 御者台からの男の声に、マイラは前方を確認した。
 大きすぎる闇に距離感がつかめない。このまま走り続ければ、闇にまで飛び込んでしまいそうだ。
「……止めて」
「あ、ああ……」

 馬車が止まる。
 マイラは馬車を降りかけ、リーリエを振り向いて口を開いた。

「その……」
「どうしたの?」
 ありえない、とマイラは思う。
 どうしたの、という状況ではないはずだ。けれど表情には出さずに、リーリエに手を差し伸べた。
「手を、握っていてくれない?」
 するとリーリエはぱっと笑顔になり「もちろん!」と手を握るのだ。

 マイラは薄ら寒いものを感じながら、リーリエと共に馬車を降りた。とにかく現場までリーリエを連れて行くことだ。そうすればきっと、どうにかなる。
 消失は目前にある。
 闇が、もう視界の半分を占めている。

「マイラ! 危険だ」
「……でも、行かなきゃ」
 男が止めようとするのを振り切った。マイラだって行きたくなどなかった。だが、そうしなければ故郷は消え去ってしまう。
「大丈夫。あなたは待ってて」

 貧しい家、貧しい暮らし、だがマイラにとって一番いい頃の思い出だった。王都に出てからは乾いた記憶しかない。
 いい暮らしがしたかった。そして母を楽にしてあげるのだと、そう思っていた。そのはずが国が滅びかけている。

「リーリエ」
 止まりがちな足をどうにか進めていく。闇を見れば見るほどに、その救いようのなさに身がすくんだ。
 ひたすらな闇だ。
 否、それは闇というものでさえないかもしれない。無だ。

 しかしリーリエは踊るようだった。うっすらと笑顔を浮かべて、楽しげに闇に向かっていくのだった。
 怖気が走る。
 マイラは震える手になんとか力を入れ、リーリエを離さないでいる。

 逃げたかった。
 逃げるわけにはいかない。

 マイラは国を騙してでも高貴な立場になりたかった。人がよい暮らしを望むのが、いったいどんな悪だというのだろう。
 だが国を滅ぼしたいわけではなかった。マイラはこの国が嫌いではない。
 自分の生まれ育った国なのだ。

「……なんだか、楽し、そう、ね」
 震える声で言うと、リーリエは恥ずかしそうに笑った。
「果てを見るのは初めてだから」
 初めてだから、何だ。

「怖くないの……?」
「え? でも、飲み込まれたら大陸に飛ぶって聞いたよ」
「怖いじゃないの……!」
「そうかしら」
 リーリエは困ったように首を傾げた。

「知らないところに行くのよ。リーリエ、外の国のこと知ってるの?」
「知らないわ」
「……それでどうして怖くないの」
「だって」

 リーリエはまた首を傾げてマイラを伺ってくる。
 心配そうな目だ。マイラはそんな目で見られるのが嫌いではない。上手く頼れば色んなものを引き出せる。
 そのはずだ。
 けれど今は、忌々しかった。
(助けてくれないくせに)
 すぐにでもリーリエが祈りを捧げればいいのだ。そうすれば、この国は消失から逃れられるはずなのだ。

「私は、外のことを知らないから」
「……」
「楽しいの」
 知らないから。

「大陸はどんなところなのかしら」
 リーリエは興味が隠しきれない様子で熱っぽく呟いた。マイラはなんとも言えずに、ただ怯えながら歩いた。

「あっ……!」
 そして目前に闇があった。
 マイラは恐れ、一歩退いたが、リーリエが手を握っているので、逃げることはできなかった。

 足元が今にも崩れそうに、目眩がした。
 果ての地だった。途切れた地面からぽろぽろと土が落ち、闇に飲み込まれていく。風は後ろから吹き、行く先には何もない。

 すべてを飲み込む闇だ。
「う、あっ」
 本能的な恐怖に支配され、マイラはこれ以上前にいけない。リーリエはまるで平気な様子でマイラを振り返り、恐ろしいことを言った。

「まだ先に行けるよ」
「やめて……!」
「……」
「やめて、ここで、いい……大丈夫、だから」

 マイラはすでに後悔していた。
 じり、じり、とこちらを嬲るように、消失はゆっくりと近づいてくる。リーリエが手を離して先に進んだ。

「リーリエ!」
「大丈夫」
 果ての国の果て、突端に立ち、リーリエは闇を覗き込んでいる。その足元がじりじりと崩れ、崩れ、
(……止まった?)

 リーリエのいる場所だけが残り、その周囲は変わらず削れていく。
「やっぱり……、そう……」
 少しだけの安堵をマイラは感じていた。

 自分のやっていることは間違っていない。リーリエこそが神に愛された聖女なのだ。この国を救うことができるのだ。
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