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王子の到着
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マイラは諦めない。
リーリエの後ろをふらつきながらついてくる。リーリエはもう構わなかった。好きなところに行き、好きなようにする。
「待って……待ってよ、本当に……考えてみて。皆、困るの……あっ!」
マイラは何かに躓いて転んだようだった。
すぐに立ち上がればいいのに、なぜか転んだままで止まっている。
不思議だった。リーリエだって何度も転んだが、立ち上がらない意味なんてない。そんなにやる気がないのに、人にはどうしろこうしろとよく言うものだ。
「あ」
頬を撫でられた気がして空を見上げる。
雨だった。さらさらと、世界にいくつもの線が入っている。
「きれい」
冷たく優しい針が次々に落ちてくる。リーリエは楽しくなって、くるりと回りながら歩いた。伸ばした腕に、肩に、足に、気持ちのいい冷たさが落ちる。
雨はそれほど強くならず、いつまでもさらさらとしていた。
ふいに気になってリーリエは、また消失の際に移動した。雨がどのよう落ちるのか見てみたかったのだ。
「雨、雨、」
口ずさみながら覗き込んだ闇にも、吸い込まれるように雨は落ちていた。
空を見上げる。
空の半分も闇に変わっていた。
半分の空から雨が落ちて、半分の地面、半分の闇に吸われる。闇は濡れないらしかった。どれほど雨が刺さっても、気にした様子もない。
リーリエはそれを飽きずに眺めた。
少ない雨とはいえ、少しずつ、少しずつ地面には水たまりができていく。
「リー、リエ、様」
振り向くとマイラもひどく濡れて、死人のようによろめきながら近づいてきた。ふわふわとしていた髪もべっとりと落ちて、もはや魔法のような愛らしさはない。
「祈りを……」
と、リーリエはマイラの後ろに視線を向けた。
地面を打つ振動を感じたのだった。たん、たん、と力強く弾むそれは、ここしばらくずっと感じてきたものだ。
「馬?」
濡れて、廃墟と化した町の中を、馬に乗った男が駆けてきた。水が飛び散る。状況に似合わない、あまりにも美しい白馬であった。
「マイラ!」
馬上から彼、バルカス王子は叫んだ。
雨の中、彼の目には愛しい人の姿がはっきりと見えた。それだけしか見えなかったと言ってもいい。
マイラはひどく疲れ果てた様子で、王子に視線を向けることさえなかった。
服も靴も、体も泥だらけ、彼女を彩っていた無邪気な愛らしささえ消えていたが、王子を幻滅させることはなかった。
自分が選んだ女が美しくないわけがない。
「大丈夫か! 遅くなった……!」
王子は悔しさをこめて告げながら馬を降り、マイラに手を差し伸べた。
「ああ、俺が遅れたばっかりに……可哀想に。急いで来たんだが、供があまりに愚鈍でな。もっと早く置いてくればよかった」
神をも恐れぬ者共の陰謀で、まともな供を連れてこられなかったのだ。それでも間に合ったのは、これこそ神の采配だろうと王子は思う。
万が一、聖女であるマイラに何かあったなら。邪魔をした者共は地獄に落ちるだろう。
「マイラ? もう大丈夫だ」
動かないマイラに腕を回し、力強く抱き上げた。ともかくマイラさえ無事ならいいのだ。マイラと自分がいれば、崩れ果てた土地もいずれ復帰するだろう。
しかしマイラは嫌がるように身を捩り、王子の腕から抜け出そうとした。
「どうした……?」
「リーリエが」
はっとして、王子はマイラの視線の先を見た。
小雨の降る中だ。
リーリエが楽しげにぱちゃぱちゃと水たまりに足を入れては踊っている。あいも変わらず狂人の沙汰だ。
「あの気狂いが、おまえをここまでつれてきたのだな?」
気狂いのやったことだと許すには度を超している。マイラは聖女だ。聖女をかどわかしたものは罰せられるべきだ。
「リーリエを、」
「いいだろう」
王子は腰の剣に手をやった。
自分の剣は取り戻せる状況ではなかったので、道中で買ったものだ。供があまり金を持っていなかったので、粗末なものになっている。とにかく使えない供であった。
それでも許そう。マイラの行き先と思われる場所を、会議の間から聞き出してきた。その一点のみを褒めて許してやろう。褒美を与えるほどではないが。
このまなくらも、神に選ばれし王子の手にあれば名剣と変わるはずだ。
(剣を握るのは久方ぶりだ)
教師がもう教えることはないと言ったので、それ以来、剣に触れることはなかった。常に鍛錬を怠らなかった兄には努力の才があったが、自分には天の才があったのだ。
「苦しませずに罰してやろう」
相手は狂人だ。
寛容な心で王子は剣を抜こうとした。
「やめて!」
その手をマイラに掴まれた。か細い女の手とは思えない、必死の力だった。
「なっ……?」
「何をするの……!?」
「あ、安心しろマイラ、あの気狂いは、すぐに、成敗……」
マイラに優しく告げながら剣を抜こうとしているのだが、上手くいかない。まさか、女の力に負けるはずがない。
「マイラ、落ち着け!」
王子も動揺していた。どうして抜けないのだ。いろんな方向から引っ張っているのだが、マイラの手が外れない。
「だめ! リーリエが、リーリエ様がいないと、国が滅んでしまう……!」
「何を言う」
どうやらマイラはずいぶん錯乱しているらしい。
王子はマイラをなだめることにした。マイラの力に負けて諦めたのではない。王者としての優しさ、そうだ、優しさだ。
「聖女であるおまえがいれば、この国は救われるのだ。それを邪魔しようとしたのがあの気狂いではないか」
「違う! ……違うの……」
「何が違う」
「……」
マイラはためらう様子を見せた。
何か言いかけたように口を開き、閉じる。そのさまがあまりにも健気で、王子はマイラの細い肩を抱いた。
「大丈夫だ、言ってみろ」
「私は聖女じゃないの」
「……何を馬鹿なことを」
王子は笑った。
そして未だに踊っているリーリエを睨んだ。あの気狂いがマイラに何か言って、不安にさせたに違いない。
「リーリエ様が聖女なの。……私は、聖女にはなれない」
「馬鹿を言うな。マイラこそが聖女。この俺が言うのだから間違いない」
「いいえ、いいえ……」
マイラは大きな瞳で王子を見た。
「あなたの運命はリーリエ様なのです。私などでは、駄目だったのです……」
瞳はうるんで、悲しげに伏せられた。
「おまえ以外に俺の運命がいるものか!」
王子は憤った。マイラを一度強く抱きしめてから、離す。剣を握る。
諸悪の根源を斬り捨てれば、マイラも安心し、わかってくれるだろう。
「偽聖女!」
「バルカス様、だめ……!」
「……マイラ、離れるんだ。あの邪悪なるものはこの俺が始末する」
「だめです、く、国のことを、考えてください!」
「マイラ!」
錯乱した女は離すまいとバルカスにしがみつく。
「おい、マイ……」
王子はよろめいた。
ぐっと踏ん張った地面が、ぽろりと落ちる。
「あ……?」
王子は振り返った。
そこには何もなかった。
リーリエの後ろをふらつきながらついてくる。リーリエはもう構わなかった。好きなところに行き、好きなようにする。
「待って……待ってよ、本当に……考えてみて。皆、困るの……あっ!」
マイラは何かに躓いて転んだようだった。
すぐに立ち上がればいいのに、なぜか転んだままで止まっている。
不思議だった。リーリエだって何度も転んだが、立ち上がらない意味なんてない。そんなにやる気がないのに、人にはどうしろこうしろとよく言うものだ。
「あ」
頬を撫でられた気がして空を見上げる。
雨だった。さらさらと、世界にいくつもの線が入っている。
「きれい」
冷たく優しい針が次々に落ちてくる。リーリエは楽しくなって、くるりと回りながら歩いた。伸ばした腕に、肩に、足に、気持ちのいい冷たさが落ちる。
雨はそれほど強くならず、いつまでもさらさらとしていた。
ふいに気になってリーリエは、また消失の際に移動した。雨がどのよう落ちるのか見てみたかったのだ。
「雨、雨、」
口ずさみながら覗き込んだ闇にも、吸い込まれるように雨は落ちていた。
空を見上げる。
空の半分も闇に変わっていた。
半分の空から雨が落ちて、半分の地面、半分の闇に吸われる。闇は濡れないらしかった。どれほど雨が刺さっても、気にした様子もない。
リーリエはそれを飽きずに眺めた。
少ない雨とはいえ、少しずつ、少しずつ地面には水たまりができていく。
「リー、リエ、様」
振り向くとマイラもひどく濡れて、死人のようによろめきながら近づいてきた。ふわふわとしていた髪もべっとりと落ちて、もはや魔法のような愛らしさはない。
「祈りを……」
と、リーリエはマイラの後ろに視線を向けた。
地面を打つ振動を感じたのだった。たん、たん、と力強く弾むそれは、ここしばらくずっと感じてきたものだ。
「馬?」
濡れて、廃墟と化した町の中を、馬に乗った男が駆けてきた。水が飛び散る。状況に似合わない、あまりにも美しい白馬であった。
「マイラ!」
馬上から彼、バルカス王子は叫んだ。
雨の中、彼の目には愛しい人の姿がはっきりと見えた。それだけしか見えなかったと言ってもいい。
マイラはひどく疲れ果てた様子で、王子に視線を向けることさえなかった。
服も靴も、体も泥だらけ、彼女を彩っていた無邪気な愛らしささえ消えていたが、王子を幻滅させることはなかった。
自分が選んだ女が美しくないわけがない。
「大丈夫か! 遅くなった……!」
王子は悔しさをこめて告げながら馬を降り、マイラに手を差し伸べた。
「ああ、俺が遅れたばっかりに……可哀想に。急いで来たんだが、供があまりに愚鈍でな。もっと早く置いてくればよかった」
神をも恐れぬ者共の陰謀で、まともな供を連れてこられなかったのだ。それでも間に合ったのは、これこそ神の采配だろうと王子は思う。
万が一、聖女であるマイラに何かあったなら。邪魔をした者共は地獄に落ちるだろう。
「マイラ? もう大丈夫だ」
動かないマイラに腕を回し、力強く抱き上げた。ともかくマイラさえ無事ならいいのだ。マイラと自分がいれば、崩れ果てた土地もいずれ復帰するだろう。
しかしマイラは嫌がるように身を捩り、王子の腕から抜け出そうとした。
「どうした……?」
「リーリエが」
はっとして、王子はマイラの視線の先を見た。
小雨の降る中だ。
リーリエが楽しげにぱちゃぱちゃと水たまりに足を入れては踊っている。あいも変わらず狂人の沙汰だ。
「あの気狂いが、おまえをここまでつれてきたのだな?」
気狂いのやったことだと許すには度を超している。マイラは聖女だ。聖女をかどわかしたものは罰せられるべきだ。
「リーリエを、」
「いいだろう」
王子は腰の剣に手をやった。
自分の剣は取り戻せる状況ではなかったので、道中で買ったものだ。供があまり金を持っていなかったので、粗末なものになっている。とにかく使えない供であった。
それでも許そう。マイラの行き先と思われる場所を、会議の間から聞き出してきた。その一点のみを褒めて許してやろう。褒美を与えるほどではないが。
このまなくらも、神に選ばれし王子の手にあれば名剣と変わるはずだ。
(剣を握るのは久方ぶりだ)
教師がもう教えることはないと言ったので、それ以来、剣に触れることはなかった。常に鍛錬を怠らなかった兄には努力の才があったが、自分には天の才があったのだ。
「苦しませずに罰してやろう」
相手は狂人だ。
寛容な心で王子は剣を抜こうとした。
「やめて!」
その手をマイラに掴まれた。か細い女の手とは思えない、必死の力だった。
「なっ……?」
「何をするの……!?」
「あ、安心しろマイラ、あの気狂いは、すぐに、成敗……」
マイラに優しく告げながら剣を抜こうとしているのだが、上手くいかない。まさか、女の力に負けるはずがない。
「マイラ、落ち着け!」
王子も動揺していた。どうして抜けないのだ。いろんな方向から引っ張っているのだが、マイラの手が外れない。
「だめ! リーリエが、リーリエ様がいないと、国が滅んでしまう……!」
「何を言う」
どうやらマイラはずいぶん錯乱しているらしい。
王子はマイラをなだめることにした。マイラの力に負けて諦めたのではない。王者としての優しさ、そうだ、優しさだ。
「聖女であるおまえがいれば、この国は救われるのだ。それを邪魔しようとしたのがあの気狂いではないか」
「違う! ……違うの……」
「何が違う」
「……」
マイラはためらう様子を見せた。
何か言いかけたように口を開き、閉じる。そのさまがあまりにも健気で、王子はマイラの細い肩を抱いた。
「大丈夫だ、言ってみろ」
「私は聖女じゃないの」
「……何を馬鹿なことを」
王子は笑った。
そして未だに踊っているリーリエを睨んだ。あの気狂いがマイラに何か言って、不安にさせたに違いない。
「リーリエ様が聖女なの。……私は、聖女にはなれない」
「馬鹿を言うな。マイラこそが聖女。この俺が言うのだから間違いない」
「いいえ、いいえ……」
マイラは大きな瞳で王子を見た。
「あなたの運命はリーリエ様なのです。私などでは、駄目だったのです……」
瞳はうるんで、悲しげに伏せられた。
「おまえ以外に俺の運命がいるものか!」
王子は憤った。マイラを一度強く抱きしめてから、離す。剣を握る。
諸悪の根源を斬り捨てれば、マイラも安心し、わかってくれるだろう。
「偽聖女!」
「バルカス様、だめ……!」
「……マイラ、離れるんだ。あの邪悪なるものはこの俺が始末する」
「だめです、く、国のことを、考えてください!」
「マイラ!」
錯乱した女は離すまいとバルカスにしがみつく。
「おい、マイ……」
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「あ……?」
王子は振り返った。
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