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前編
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「ねえ姉さん、どうせ再来年には死ぬのに、どうしてご飯なんて食べるの? そんな良いものを食べたってどうせ無駄じゃない。ねえ、どうして食べてるの?」
ねっとりと息苦しくなるような声で妹が言う。
私はそうして、一緒に泣いてくれた妹がもう存在しないことを知ったのだ。
私はゲマーニ村のベベ。今年で14になる。10でお父さんを亡くして、次の生贄に選ばれた。
ゲマーニ村は痩せた貧しい土地にある。収穫を支えているのは豊富な水量の川だ。そこにはアンカラウンという神がいて、村人の良い行いには美しい水を、悪い行いには汚い水を流すと言われている。
良い行いというのは、神に感謝して生贄を差し出すことだ。
生贄は神に捧げられる栄誉を得て、村人から尊敬されて育つ。
そんな、馬鹿馬鹿しい話だ。
全部うそだ。
だって私は知っている。子供の頃に見てしまった。川に流れついた若い女の死体、生贄の成れの果て。
噛み跡のついた乳房はそれでも村人と違う白い色をしていた。私と同じ色。両頬は腫れ上がって化け物のようだった。白い足が折れて変な方向に曲がり、陰部は頬より腫れ上がって血にまみれていた。
そして虚無に濁った目が空を見上げていた。
あの光景が目に焼き付いている。
神であるはずがない。
神なら邪神だ。そうでなければただの魔物だ。私は魔物に捧げられ、あんなふうに死ぬのだ。ひどい匂いの、腐った肉になるのだ。
「働いてもないくせに、なんでお腹が減るの? ねえ、そんな怠け者だから生贄に選ばれたんじゃない?」
いらいらと握ったり開いたりしている妹の手、爪には泥が入り込んで取れず、関節は膨れ上がって固まっている。そして日に焼けた、健康な村の女の姿だった。
10の年から座敷牢に閉じ込められた私とは似ても似つかない。
あの悪夢のような日、私が生贄に選ばれたのだと村人が伝えに来た。母さんは私を抱きしめて泣いた。母と私が泣くのを見て、妹も泣いた。
でもそれから私は座敷牢に閉じ込められて、母さんは会いに来てもくれない。
妹はまるで私を憎んでいるかのように、ギラギラした目で見てくる。
「ねえっ! 聞いてるの? おかしいわよ。どうして姉さんだけ働きもしないでご飯を食べてるの? おかしいわ、おかしい、おかしいじゃないのっ!」
「2年後に死ぬからよ」
「あたしなんてっ、母さんとあたしなんて、明日死んでもおかしくないじゃない!」
「そう」
私は知っていた。
私が生贄に選ばれたのは、怠け者だからじゃない。もちろん私に特別な能力があったわけでもない。
父さんが死んだからだ。
母さん一人じゃ、二人の子供を育てられない。そう思われたから、村のみんなは私を生贄にした。
それは親切だったらしい。そう言われた。私が生贄に選ばれて、捧げ物をしに村の人達が現れて、くどくど、言うのだ。名誉なことだ、これが一番いいことだ、みんなにとっても、私にとっても。飢えて死ぬよりましだろう?
近所のおばさんが、一緒に遊んだ友達が、父さんの友達だったおじさんが、優しいおばあさんが、言うのだ。
化け物の慰みものになって死ぬ未来があって良かったね。
「あたしが今日どれだけ働いたか知ってる? それでどれだけ食べ物がもらえたか知ってる? どうして何もしない姉さんだけ、のうのうとご飯を食べてるの!」
どうしてだろう。
私はきれいな格好をして充分な食事をしていても、ちっとも幸せではない。
だって死ぬのだ。2年後には動かない死体になる。ただの物体になる。何も話せない、何もできない、ひたすらに暗闇の中にいる……そして消えてしまう、もう何もない。
でも私は母さんと妹のためなら、それでもいいと一度は覚悟をしたのだ。
実際、父さんがいなくなって、母さんと妹の生活は楽ではないらしい。こうやってたびたび罵倒しに来るくらいだ。
(私への供物で生きているくせに)
私はそう、思ってしまう。
生贄には村人から供物が捧げられる。それは私に供されるけれど、余分は生贄を出す家族に分け与えられる。
私が生贄にならなければ、妹はもっと苦しい生活をしていたはずだ。私が生贄になったから。私が失った未来のぶん、妹に未来ができた。
「じゃあ、代わってあげましょうか?」
二人のためなら生贄になろうと決めたのに。
私にはもう、そんな気持ちがなかった。こんな目で見られるなら、こんな理不尽な罵倒を受けるなら、会いにも来ない母親と、私の気持ちなど考えもしないこの女のために死にたくない。
肌が黒くなっても爪が剥がれ落ちても私は生きたかった。
妹は目を見開いたあとで、耳障りな金切り声をあげた。
ねっとりと息苦しくなるような声で妹が言う。
私はそうして、一緒に泣いてくれた妹がもう存在しないことを知ったのだ。
私はゲマーニ村のベベ。今年で14になる。10でお父さんを亡くして、次の生贄に選ばれた。
ゲマーニ村は痩せた貧しい土地にある。収穫を支えているのは豊富な水量の川だ。そこにはアンカラウンという神がいて、村人の良い行いには美しい水を、悪い行いには汚い水を流すと言われている。
良い行いというのは、神に感謝して生贄を差し出すことだ。
生贄は神に捧げられる栄誉を得て、村人から尊敬されて育つ。
そんな、馬鹿馬鹿しい話だ。
全部うそだ。
だって私は知っている。子供の頃に見てしまった。川に流れついた若い女の死体、生贄の成れの果て。
噛み跡のついた乳房はそれでも村人と違う白い色をしていた。私と同じ色。両頬は腫れ上がって化け物のようだった。白い足が折れて変な方向に曲がり、陰部は頬より腫れ上がって血にまみれていた。
そして虚無に濁った目が空を見上げていた。
あの光景が目に焼き付いている。
神であるはずがない。
神なら邪神だ。そうでなければただの魔物だ。私は魔物に捧げられ、あんなふうに死ぬのだ。ひどい匂いの、腐った肉になるのだ。
「働いてもないくせに、なんでお腹が減るの? ねえ、そんな怠け者だから生贄に選ばれたんじゃない?」
いらいらと握ったり開いたりしている妹の手、爪には泥が入り込んで取れず、関節は膨れ上がって固まっている。そして日に焼けた、健康な村の女の姿だった。
10の年から座敷牢に閉じ込められた私とは似ても似つかない。
あの悪夢のような日、私が生贄に選ばれたのだと村人が伝えに来た。母さんは私を抱きしめて泣いた。母と私が泣くのを見て、妹も泣いた。
でもそれから私は座敷牢に閉じ込められて、母さんは会いに来てもくれない。
妹はまるで私を憎んでいるかのように、ギラギラした目で見てくる。
「ねえっ! 聞いてるの? おかしいわよ。どうして姉さんだけ働きもしないでご飯を食べてるの? おかしいわ、おかしい、おかしいじゃないのっ!」
「2年後に死ぬからよ」
「あたしなんてっ、母さんとあたしなんて、明日死んでもおかしくないじゃない!」
「そう」
私は知っていた。
私が生贄に選ばれたのは、怠け者だからじゃない。もちろん私に特別な能力があったわけでもない。
父さんが死んだからだ。
母さん一人じゃ、二人の子供を育てられない。そう思われたから、村のみんなは私を生贄にした。
それは親切だったらしい。そう言われた。私が生贄に選ばれて、捧げ物をしに村の人達が現れて、くどくど、言うのだ。名誉なことだ、これが一番いいことだ、みんなにとっても、私にとっても。飢えて死ぬよりましだろう?
近所のおばさんが、一緒に遊んだ友達が、父さんの友達だったおじさんが、優しいおばあさんが、言うのだ。
化け物の慰みものになって死ぬ未来があって良かったね。
「あたしが今日どれだけ働いたか知ってる? それでどれだけ食べ物がもらえたか知ってる? どうして何もしない姉さんだけ、のうのうとご飯を食べてるの!」
どうしてだろう。
私はきれいな格好をして充分な食事をしていても、ちっとも幸せではない。
だって死ぬのだ。2年後には動かない死体になる。ただの物体になる。何も話せない、何もできない、ひたすらに暗闇の中にいる……そして消えてしまう、もう何もない。
でも私は母さんと妹のためなら、それでもいいと一度は覚悟をしたのだ。
実際、父さんがいなくなって、母さんと妹の生活は楽ではないらしい。こうやってたびたび罵倒しに来るくらいだ。
(私への供物で生きているくせに)
私はそう、思ってしまう。
生贄には村人から供物が捧げられる。それは私に供されるけれど、余分は生贄を出す家族に分け与えられる。
私が生贄にならなければ、妹はもっと苦しい生活をしていたはずだ。私が生贄になったから。私が失った未来のぶん、妹に未来ができた。
「じゃあ、代わってあげましょうか?」
二人のためなら生贄になろうと決めたのに。
私にはもう、そんな気持ちがなかった。こんな目で見られるなら、こんな理不尽な罵倒を受けるなら、会いにも来ない母親と、私の気持ちなど考えもしないこの女のために死にたくない。
肌が黒くなっても爪が剥がれ落ちても私は生きたかった。
妹は目を見開いたあとで、耳障りな金切り声をあげた。
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