契約結婚なら「愛さない」なんて条件は曖昧すぎると思うの

七辻ゆゆ

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「では、こちらにサインを」

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「そう……ですね、間違いのないようシンプルにいたしましょう」

 次期侯爵様と契約書面を考えるなんて、たぶんおそらく死ぬまでもうないだろうし。
 ジュディは文書をひっくり返し、裏面にペンを走らせた。

「ガルテノ・ノーサンフェディア侯爵令息(以降甲)と、ジュディ・エランカ子爵令嬢(以降乙)は、以下の通り契約します」

 とにかく極力シンプルに。ジュディの家は平民向けの商売を行っており、契約書もよく見るものだ。しかし、正式に習ったわけではない。
 誤解や取り違いのないよう、シンプルに書くしかない。

「甲と乙は婚姻関係となるが、これは互いの利益のためのものである。子供は必要とせず、また、一般的な夫婦のような尊重し合う関係を目指すものではない」
「愛してはならない、愛した場合は離縁とはっきり書いてくれ」
「それなのですが、愛していないことをどう証明しますか?」
「証明……?」

 以前の契約書の大きな問題だったところだ。
 どう説明したものかどうか、ジュディは少し考えた。

「……証明の手段がないと困ります。閣下が「愛したな」と言えばすぐに契約破棄できることになってしまいます」
「私が愛されたと思えば、それで充分だと思うが。くだらない言い訳をされてはたまらない」
「こちらとしましては、何をしようと閣下の言葉ひとつで報酬が受け取れないので、詐欺だと感じます」
「そんなことはしない。我がノーサンフェディアの名にかけて」
「互いに信用できない相手であるからこその、契約です」
「む……」

 キレだしたらそれはそれで「話はなかったことに」でおしまいだ。
 偉そうな態度のわりに、ガルテノが怒り出すことはなかった。やはり相当に後が無いのかもしれない。

「そもそも、なんのための結婚なのですか?」

 体面のための結婚だと思っていたが、まだはっきり聞いていなかった。聞く以前の問題だったからだ。

 リンが平民なら結婚できないのはわかる。この国で貴賤結婚は禁じられている。
 しかし、独身でも爵位を継ぐことはできるのだ。貴族女性と必ず結婚しなければならないわけではない。

 貴族の結婚はたいていが子供をつくるためのものだ。しかしガルテノは、子供は求めないと書いていた。

「……殿下の狩猟の会だ。既婚者のみが入れる」
「なるほど、本当に、結婚したという形だけが必要なのですね」

 現在の王太子殿下は狩猟が趣味だ。ただの趣味の会などと思ってはならない。誰だって仲の良い相手を大事にするものであり、大事なことは密室の中で決められるのだ。
 誠実さで貴族はやっていけないというのは、このあたりだ。結局は太鼓持ちになってなんとか権力者の懐に入りこまなければ、いいものは得られない。

「三年で良いのですか?」
「既婚者のみというのは、あくまで体裁のためだ。離婚したからと脱会を求められることはないはずだ」
「……ああ、狩猟の会の集まりと称して、娼婦を呼んで乱痴気騒ぎをしていた記事が平民の間で人気でしたね」

 結婚したからと大人しくなる男ばかりではないが、世間的には、既婚者のほうが信頼できるとされている。家族があるから、それほどおかしなことはしないだろうと思われるのだ。
 要は会の印象が「独身男が集まっている」とならなければ良いのだ。それでひとまずは既婚者に限定したということだろう。三年もすれば記事の印象も消えている。

「わかりました。それなら、愛さないとか曖昧な話ではなく、別居というのはどうでしょう?」
「愛していると愛していないには明確な差がある。曖昧ではない」
「顔を合わせなければ愛もないでしょうから、ええと、三年の間、甲と乙は別居とし、互いの住居に入らない。問題ありますか?」

 愛について語っても得るものはないだろう。
 求めているのは相互理解ではなく、お互い納得のいく契約である。

「どこに住むというのだ」
「当家は商売をしているので、アーバー街に店があります。そこにひとまず住み込みでいささせてもらおうかと」
「は? 結婚するんだぞ」
「はい。結婚したからと、実家の店にいてはいけないという法律はないですよ。閣下はアーバー街に行かれることはありますか?」
「平民の街だろう。そんな場所に用などない」
「それはよかったです。では、これで愛さない問題は解決ですね」
「解決……?」

 ガルテノが困惑した様子で考え込んでいるが、特に反論がないようなのでジュディは話を進めた。

「婚姻より三年で離縁とする。そのさい、乙には五百ロナが支払われる。乙に契約違反があった場合、即時離縁とし、五百ロナは支払われない。甲に契約違反があった場合、即時離婚とし、乙に五百ロナを支払うものとする」
「むぅ……」
「こうしておけば、殿下に不都合があれば、いつでも五百ロナを支払うことで離縁できますよ」
「……そうか!」

 ガルテノがぱっと表情を輝かせた。
 ジュディは自分が詐欺師になったような気がした。しかし無駄に時間を使わされて、五百ロナもらえないというのは避けたい。

(というか、次期侯爵様にとって五百ロナくらいはした金なんだろうな。いいなあ……)

 ついつい羨ましくなった。そうだ、罪悪感など持つ必要はない。そもそも向こうから提案してきたことなのだ。

「しかしこれではリンの安全が保証されていない」
「わたくしは本邸に行きませんので、その方とお会いすることもないのでは?」
「これまでまとわりついてきた女どもは、揃ってリンに危害をくわえた。自分の手は汚さず、手下やならず者を使ってだ。どれだけリンが泣かされてきたことか……!」
「なるほど」

 ジュディは頷いた。

「それは困りましたね。リンさんが危害を加えられたら離縁とする、とつければ良いかと思いましたが、他にリンさんを狙っている方をいるのでは、わたくしは冤罪を押し付けられることになります」
「な……それは……」
「リンさんに護衛をつけるなどはしていないのですか?」
「しているが……リンは自由を愛している」
「自由を愛している」

 思わず復唱してしまった。
 こんな話をしていて、よくそんな詩的な表現が出てくるものだ。

(要するに護衛から勝手に離れてしまうということね。ひどい目に合ってるならそんなことするかしら。学習しない方なのかしら。……このひとの恋人なら、ありそうと思ってしまうわね)

 そんな人なら関わりたくない。
 というか契約結婚のあと、誰かを殺すとしたらガルテノではないだろうか。結婚したばかりの嫁でも法律上は家族なので、いくばくか財産を受け取れる可能性がある。

 リンとやらを殺す意味は全くない。

(まあ、恋人が今までひどい目にあってきたなら、心配するのも普通なのかも)

 それでも、それがガルテノの問題なら、ジュディが努力する義務はないだろう。

「では、監視人を雇ってわたくしを見張っておけばどうでしょう?」
「えっ、いいのか?」
「店の邪魔にならないなら構いませんよ。あ、でも、貴族社会にいる方は目立つので、身分を隠して働ける方でお願いします」
「わかった。すぐに手配しよう」

 ジュディはにこにこと頷いた。
 もうすっかり、ガルテノが契約する気になっているからだ。五百ロナが頭の中で踊る。それにその雇われた見張りも、店で働いてくれるかもしれない。給料はガルテノ持ちの人材だ。

「わたくしが不審な行動をしていないのにリンさんに何かあったら、他に犯人がいるわけですから、しっかり調査をお願いします」
「ああ、もちろんだ」
「では、こちらにサインを」
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