契約結婚なら「愛さない」なんて条件は曖昧すぎると思うの

七辻ゆゆ

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「ジュディさんって人、いるかしら」

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「ガルテノ・ノーサンフェディア侯爵令息(以降甲)と、ジュディ・エランカ子爵令嬢(以降乙)は、以下の通り契約します」

「甲と乙は婚姻関係となるが、これは互いの利益のためのものである。子供は必要とせず、また、一般的な夫婦のような尊重し合う関係を目指すものではない」

「三年の間、甲と乙は別居とし、互いの住居に入らない」

「甲は乙がゴーダの娘リンに危害を加えないよう、見張りを派遣する。乙はそれを許容する。見張りを行う者について、甲は可能な限り、乙の周囲に不審に思われない人物を選択する」

「婚姻より三年で離縁とする。そのさい、乙には五百ロナが支払われる」

「乙に契約違反があった場合、即時離縁とし、五百ロナは支払われない。甲に契約違反があった場合、即時離縁とし、乙に五百ロナを支払うものとする」




 サインと日付の入った契約書をにこにこと眺め、しっかり隠し棚にしまった。
 契約書は三枚作り、一枚はガルテノが持ち、一枚は公証機関に預けてある。

 そして先日、二人は式をあげた。次期侯爵の式としてはありえない質素さだったが、それでも最低限のことはした。国にも届け出をしたので問題ないだろう。

(このまま三年待てば五百ロナ。ああ、楽しみ。結婚資金にしてもいいし、下町でのんびりするのもいいな、なんなら物価の安い隣国で生活基盤を整えることも……)

 未来は明るい。
 ジュディはうきうき、でも3年後だ、と自分を落ち着かせた。結婚してからまだ一週間も経っていない。三年後までは実家の経営するこの店の住み込み責任者だ。
 もっとも、小さな頃から店の手伝いはしていたので、別に苦労しそうな三年というわけでもない。五百ロナをもらっても、しばらく働いたっていいのだ。

「あ、ロッテンさん、おはようございます」
「ジュデイちゃんおはよう。今日もよろしくおねがいします」
「店の前、きれいにしてくれてたんですね!」
「こういうのも給料のうちだからねえ、役に立てると嬉しいよ」

 ロッテンは見た目、いかにもそのへんにいる気の良いおばちゃんだ。この見た目を活かしてあちこちに潜入し、情報を得るのが得意らしい。
 今はガルテノに雇われて、ジュデイの見張りをしている。

「でも、やらなくてもお給料は変わらないんですよね?」
「そうだけど、そもそも楽な仕事なんだよ。ジュディちゃんに気づかれてもいいってんだから」
「それそんな違いますか?」
「そうねえ、だいぶねえ。あんまり楽な仕事だと心配になっちゃって」
「長いと三年かかりますけど……」
「そのくらい、いつものことよ。ひとつの目的のために、真面目に事務員の仕事を五年続けたこともあるし」
「あはは、仕事のための仕事ですか」

 彼女は明るく、ジュディにない経験の話で楽しませてくれる。
 いい人が来てくれて良かったと思いつつ、ジュディは今日も開店準備をした。平民用の雑貨を使う店は、女性たちの憩いの場にもなっている。ロッテンのような人が先に雑談してくれていると、あとの客も入りやすいだろう。

「夜は別の人がいるんですよね?」
「うん、そう。あたしもその人とは会ったことがないけど」
「やることなくて大変そう」
「そうよねえ。暗いし。まあ、明かりなしで動く人はいないから、気を抜いててもそうそう見逃すことはないみたい」
「あ、確かに」

 夜も見張っているのは、夜のうちにこそこそならず者と連絡を取り合う可能性があるからだろう。
 ジュディにはそんな予定もツテも金もないので、まったくご苦労なことだ。使われているお金を思ってもちょっと切ない。でも、五百ロナと同じで侯爵家の息子には気にする額ではないのだろう。

「でもならず者って暗闇で密談するんじゃないですか?」
「ターゲットの情報とか、依頼料の受け渡しとか、さすがに厳しいんじゃないかしら」

「こんにちは」
「あら、いらっしゃい!」
「いらっしゃいませ」
「ちょっと早く来ちゃった。ごめんなさい」
「大丈夫ですよ、今、闇の仕事人の話をしていて」
「え、なにそれ」
「闇の仕事人って、やっぱり夜も明かりを持たないのかなって」
「うーん……さすがにそれは転びそうよ」

「こんにちは、糸がほしいんだけど……」
「いらっしゃいませ!」
「あ、ロゼッタさん、今、闇の仕事人の話をしてて」
「え? 悪人に天誅を下すっていう、あのおとぎ話の?」
「やだ、あれは光の仕事人よお」
「子供たちのヒーローだものね」
「でもやってることは闇討ちじゃない?」

 よくわからない話が続いているのを聞きながら、ジュディは頼まれた品物を用意する。急かされることはないが、仕事は仕事だ。

 そんなふうに時が過ぎ、今日もそれなりの売上で終わりそうだ。一生続けようとは思わないけれど、そんなに悪い日常ではない。
 五百ロナもらっても、やっぱり少しくらい続けてもいい。

 そんなことを思っていると、また客が入店した。

「いらっしゃいませ。何かご入用ですか?」

 見ない客である。
 常連のように雑談を求めてきたわけではないだろうと、ジュディはすぐに声をかける。

 若く可憐な女性だった。
 この店に来るのは既婚女性が多いので、少し浮いていた。若いだけでなく持ち物が少し高級そうなのだ。
 けれど貴族にしては、所作に品がない。どちらかというと娼婦のように、体を見せつけてくるような動きだ。可憐な雰囲気とちぐはぐで、魅力的というべきか、似合っていないと言うべきか、人によって感想が変わりそうだ。

「ジュディさんって人、いるかしら」
「はい、わたくしです」
「……まあ」

 すると彼女は大げさに目を見開いて驚いてみせた。落ちそうな瞳だ。それから口元に手をやり、嫌な笑い方をした。
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