ザ・ライヤーズ・ジャーナル

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インドチャイナの仮面

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 そういうわけで、ここは小さな亜細亜の町なのだ。文章を作成するタイプライターもかなりの年代物しかない。だが、このタイプライターで書くのは嫌いじゃない。おそらく私が敬愛するジュール・ベルヌもこれを使っていたのではないだろうか。
 少し前から、ある家に下宿するようになった。比較的、この辺りでは大きな邸宅だ。その二階の一室が私の執筆部屋だ。研究機関の人脈のお陰で安価な下宿代で済む。感謝である。



土地の事情があるが、水道関係はロンドンみたいに便利ではない。だが、シャーロック・ホームズが居たビクトリア時代のロンドンを思えば、似たようなものだったろう・・・。ビクトリア時代は、その後に繋がる国際文化が開花した時代だった。市民文化が大きな力を持つようになった時代なのだ。今でも世界はその影響を大きく受けてさえいる。こうして今飲んでいるティーの文化もその時代に市民に一般化したと聞く。シャーロック・ホームズを書いたコナン・ドイルは、南米に恐竜が今も棲息していると信じていた。そういう夢、好きだ。南米には行ったことはないが、いつの日か行きたいと思っている。
 そうこうしている内に、トゥトゥべを迎えに行く時間だ。

 しばらく運転するとメコンが見えてきた。トゥトゥべは楽しくみんなと水泳の練習が出来たようだ。「トゥトゥべ!」
 呼ぶと、彼は車に乗り込んだ。彼のうしろを、茶色の犬がついてきて一緒に車に乗り込むのだった・・・。それは、ヨーロッパの方の犬種で、たしかダックスフント・・・。さっきまで泳いでいたようで、足の毛から水がタラタラと滴っている。その足で助手席に乗ったものだから、キオスクで購入した『國際電影』マガジンがベチョベチョだ・・・。



 この犬は結局、私のところに居座り、私がリチャードと名付けて育てることになる。
 トゥトゥべは帰りの車の中で、スクールで知り合った『スーソ』という名の女の子の話ばかりしていた。



私にも経験がある。なんとなく恋愛感情を持ち始める時期だ。私は話をそっと聴いているだけにした。

 私の住んだ町はイギリス人はGODWINと呼んでいた。サントメ聖堂のある、インドのチェンナイをイギリス人はMADRASと呼ぶように現地語の発音が難しい場合、彼らは英語名を町に付けた。このGODWINには、小さなイギリスの研究機関が置かれていたが、それは名ばかりで実際はただの小屋のような所だった。駐在していたイギリス人も、一、二名。



香港とロンドンは親密な関係にあった。ロンドンの情報は香港を通して、東南アジアに入って来た。香港浸會大學が、ひとつの大きなイギリス情報センターであったので、私は東南アジア・香港間を何度も行き来した。私の正式な学籍を香港浸會大學にトランスファーしたからでもあった。
 インドチャイナは多くの面でカルチャーショックもあり、また気候も独特だった。だが、私は興味をそそられた。興味をそそられるということは、私にとって大切なポイントだった。
 知っての通り、インドチャイナは七月、雨季に見舞われる。香水は必要だ。その日も雨が降ってきた。土砂降りになった。
 コロニアル風のトゥトゥべの家が見えてきた。トゥトゥべはまたスーソに会いたいと言う。
「分かったよ、トゥトゥべ。おめでとう。君の青春の悩みの始まりだよ。それは人生を素晴らしくする悩みなんだ。おめでとう! また行こう!」私はそう言ってトゥトゥべと別れた。ダックスフントはダットサンの助手席に居座り続けた・・・。 スコールの土砂降りはますます酷くなった。
 トゥトゥべを家へ送り届けたあとは、かなり道路はぬかるんだ。私のダットサンはぐるぐると悲鳴を上げながら走った。このダットサンは戦前に東南アジアに支店を出していたという鮎川コンツェルンの社用車だったようだ。戦後、英国軍に接収され巡り巡って私のところに来たという訳。



 私は母方の祖父の名から取って、ダックスフントにリチャードという名を与えた。
 リチャードはダットサンの車内で何度か激しくクシャミした。土砂降りで窓を閉め切っていたから、トルコ産・香水メーカー、SHIRLEY MAYの『NAVY FIGHT POUR HOMME』の香りが充満していたのだ。少し、つけ過ぎたかな、私は思った。しかし、それもいいだろう。いいじゃないか。

 その日、下宿に戻ると、香港から手紙が届いていた。仮面の研究をしている香港の博士からだ。丁老師、といった。日々の生活で『仮面研究』のことを忘れそうになることもあった。「仮面に関わることは危険かも知れない」といった旨だった。

 彼はルバイヤートなどの民衆の詩のほか、名もなき詩人の創作を集めている。彼の手紙に挟まれていたのは名もなき詩人の文章だった :
『仮面を追う者は、仮面に翻弄される。その仮面とは何か。それは魔法的。それは古代の獣を起こす。その仮面を被りし者の、真の顔は怒りに満つ。それが古代の獣を目覚めさせる。その顔は憎しみの顔。孤独と狂気のプライドは仮面を求める。狂った自意識、狂った全能感だ。異常な支配欲の裏側に孤独が潜んでいるかもしれない。仮面の強大な力の中で、仮面を被りし者は異常な自己絶対化と自己神格化を行う。それは神への冒涜、神と人々への感謝の欠如。怒りと憎しみに囚われ破壊の王となる。』

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