オフィスにラブは落ちてねぇ!! ２

噂と駆け引き

３

今日の仕事を終えたのか、緒川支部長が帰り支度を始めた時。

「あっ!!」

峰岸主管が突然大きな声をあげたので、愛美は驚いて肩をビクッと震わせた。

「ビックリした……。急にどうしたんですか？」

高瀬ＦＰが胸を手で押さえながら、峰岸主管の方を見て尋ねた。

「そういえば……迎えに来てくれって娘に頼まれてたの、忘れてた！」
「えっ？」
「もうこんな時間！すぐに出ないと間に合わないわ！菅谷さんを送るって約束したのに……。高瀬ＦＰ……」
「僕、これ終わるまでもう少し掛かりますし、電車通勤です」
「じゃあ支部長、送ってあげて！」

峰岸主管が支部長に話を振った。

「あの……私は大丈夫ですから……」
「菅谷はやまねこのオーナーに送ってもらうから大丈夫だって」

緒川支部長が愛美の方を見もしないでめんどくさそうに呟くと、峰岸主管が緒川支部長の肩をガシッと掴んだ。

「お願いね、支部長？」

その気迫に押され、緒川支部長は大きなため息をついた。

「……わかったよ。送ればいいんだろ」
「良かった！私もう行かなきゃ。それじゃ支部長、菅谷さんの事よろしく！」

峰岸主管が慌てて支部を出ていくと、緒川支部長はしぶしぶと言った様子で鞄を手に立ち上がった。

「高瀬、戸締まり頼む」
「わかりました」
「行くぞ、菅谷」
「ハイ……」

   （うぅ……気まずい……）


愛美が更衣室で着替えている間、緒川支部長は廊下の長椅子に座って待っていた。
意味もなく車のキーを眺めながら、峰岸主管はきっと最初からこうするつもりだったのだなと考える。
本当は健太郎に対して『愛美に手を出すな!!』と言いたいのに、支部長という立場もあり、職員たちの前ではそうする事もできず、イライラして愛美にイヤな言い方をしてしまった。
愛美はどう思っただろう？

  （八つ当たりとか、カッコ悪過ぎだろ……。最悪だ……）



愛美は緒川支部長の車の助手席で、黙ったまま窓の外を眺めていた。
緒川支部長も一言もしゃべらない。
重苦しい沈黙が流れる。

   （どうしよう……何か話した方がいいのかな……）

緒川支部長の留守中に健太郎と病院に行った事を謝った方がいいのか、それとも職場で部外者の健太郎と小競り合いをした事を謝った方がいいのか。
どちらにしても謝るべきなのだろうが、なんと言って謝ればいいのか言葉が思い浮かばない。
散々悩んでいるうちに、一言も発する事なく、車はマンションの前に到着してしまった。

「すみませんでした」

愛美はシートベルトを外し、頭を下げて車を降りようとした。
緒川支部長はエンジンを止めて車を降り、助手席のドアを開けた。

「部屋まで送る」

足に負担をかけないように、緒川支部長は愛美の体を支えた。

「すみません……」

緒川支部長に支えられながら、部屋の前までゆっくりと歩いた。
ドアを開けて玄関に入ると、緒川支部長は突然愛美を軽々と抱き上げた。

   （えっ……?!）

緒川支部長はうろたえる愛美を乱暴にベッドの上に降ろし、愛美に覆い被さって腕を押さえ付けると、噛みつくように唇を塞いだ。
突然の強引で乱暴なキスに驚き、愛美はすくみあがる。
強く掴まれた腕が痛い。
いつもは優しく包み込むように抱きしめてくれる大きな手が、愛美の自由を奪う。
不意に、かつての恋人に何度も殴られ無理やり犯された記憶が、愛美の脳裏を掠めた。

   （イヤ……怖い……!!）

愛美の目から涙が溢れ頬を伝った。
緒川支部長は、愛美が涙を流しながら体を小刻みに震わせている事に気付き、手を離した。

「……ごめん……」

緒川支部長は拳をギュッと握りしめる。

「愛美にとって……俺ってなんなの？」
「えっ……？」

思いがけない問い掛けに、愛美は耳を疑った。

「仕事中は嫌いな上司で……普段は優しいだけが取り柄の男？優しくないとそばにいる価値もない？」
「なんで……そんな事言うんですか……」
「甘えてもくれない。頼ってもくれない。あいつにならなんでも言えるのに……俺には安心してわがままも言えない？」
「そんなこと……！」
「俺は愛美が思ってるほど優しくもないし、大人でもない。つまらないことで嫉妬もするし、八つ当たりだってするよ。こんな俺、愛美にとってホントに必要？」

愛美は黙り込んだまま何も答えなかった。

「……やっぱり何も言ってくれないんだ。優しくない俺なんか好きじゃないか」

緒川支部長は愛美に背を向けて玄関に向かう。

「明日から、まともに歩けるようになるまで有休取れ。いいな」

仕事中と同じようにそう言って、緒川支部長は部屋を出ていった。
愛美は何も答えられないまま、その背中を見送った。
一人になると、後から後からこぼれ落ちた涙が頬にいくつもの筋を作った。

「大好きなのに……なんで……？」