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圏ガクの夏休み
二日目
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弁当効果は凄まじく、翌日の早朝点呼には十人近い残留一年が顔を出していた。その中に香月はいなかったが、スバルたちの置き土産である歯抜け共はほぼ全員が揃っており、そいつらの悲惨な容貌と、オレに対する威嚇で、小吉さんは何度も硬直し、人の背中に隠れて泣いている。
さすがに敵の前で涙を拭ってやる事は躊躇われたので、せめて歯抜け共に見えないよう壁になっていると、オレのシャツを掴んで引っ張る小吉さんがぼやいた。
「二日目から、こんなに大勢が参加するなんて驚いたぞ。去年は一週間くらい、ずっとおれ一人だったのに」
人数が増えたと言う事は、恐らく下山に使われるのはバスだろう。歯抜け共は鬱陶しいが、飛び跳ねる軽トラでの恐怖体験を回避出来ると思えば、ありがたいとさえ思えてくる…………この人数を軽トラの荷台に乗せて運ぶ事はないと思いたい。
「昨日は何もしなかったけど、奉仕活動って具体的にどんな事をやるの?」
背後に潜む経験者にたずねると、
「んーとな、多分、空き地の草刈りとかだと思うぞ。個別で仕事もらうのは慣れてからだと思うから」
朝っぱらから少しうんざりしてしまう答えが返ってきた。昨日、村中を歩き回り見てきた景色は、その『空き地』のオンパレードだったからだ。
「個別の仕事は、昨日やっただろ? 病院の庭掃除。あんな感じで、地元の人の家で色々お手伝いさせてもらうんだ。主にお年寄りが多いかな。なんかそういう部署? がお役所にあるらしくて、お役人さんと一緒にやるんだ」
市役所の職員に同行して、老人の家で雑用をやるって事か。
「ど、どっどどどっどうしたぁ? なんで、なんなんでおこ、怒ってるんだぁ」
昨日、すれ違った住人の態度を思い出して、オレは軽く舌打ちしてしまった。小吉さんがブルブル震えだしたので、慌てて理由を説明すると、空元気が丸わかりの声で「そんな人ばっかりじゃないから、大丈夫だぞ」と教えてくれる。
「そういう人の所にも行く事あるけどさ。お役人さんも村主さんも、ちゃんとおれらを信じてくれてるから、何言われても平気なんだ。だから、心配しなくていいからな!」
小吉さんの言葉に頷きながらも、頭の中ではやっぱり納得出来なかった。小吉さんの口から『信じてくれてる』なんて言葉が出る事自体がおかしいのだ。『疑う』奴がいなきゃ、『信じる』なんて大層な言葉、表に出て来る類いのものじゃない。
腹の底で燻る怒りに気付かれないよう、平静を装う。美味しい飯の為だと思えば、我慢出来るかな……自信のないオレの肩を小吉さんがポンと叩いた。振り返ると目を真っ赤に腫らした先輩が「まかせとけ」と言いたげな顔をしていた。
集合時間になり、食堂に姿を見せたのは、担任ではなく別の教師だった。奉仕作業の引率は、教師の中でローテーションするらしい。
送迎も軽トラではなくバス。気怠げなテンションでゾロゾロと移動する歯抜け共を先に乗車させてから、オレと小吉さんはバスに乗り込む。奴らは当然のように教師から遠い席、奥から座席を埋めていくので、今日も昨日と同じ運転席の後ろ、ポッカリ空いた最前列に腰を下ろす。
「なあなあ、夷川。あいつらの怪我って、もしかして稲っちがやったのか? それともお前?」
体を縮こませ、後ろの奴らの視界に入らないよう姿を隠しながら、わずかな顎の動きで背後を指し、小吉さんが小声で聞いてきた。あの冗談みたいな悲惨な顔で、散々オレに因縁をつけてきやがったので、側に居てくれた小吉さんが怯え心配するのも無理はない。とばっちりを受けてしまった小吉さんに申し訳なく思いながらも、スバルたちのやらかした事を説明すると「お前のともだちはバカだなぁ」と笑って済ませてくれた。
最後に引率の教師がバスに乗り込んできた。授業を受け持って貰った事のない、今日の引率教師は、不機嫌さ全開で眉間に深い皺を刻んでいたが、小吉さんの(背後を気にしてか、やや音量の絞られた)元気な挨拶を聞くや「物好きな奴だなあ、お前は」と相好を崩した。
そこだけ見ると穏やかな一日になりそうに思えたが、この五十絡みの野村という今日の引率は、何故か片手に使い古された感のある木刀を握っていたりするので、緊張感は微塵も薄れる事がなかった。
圏ガクでは、教師がこういった武器をこれ見よがしに所持している場合、脅しの類いではなく本気で生徒に叩き込んでくるから要注意なのだ。
目の前の凶器に視線を取られていると、いきなり木刀が床に突き刺さる勢いで打ち鳴らされた。鈍い音が足の裏に伝わってきて、思わず窓際の小吉さんの方へ自然と体が逃げる。
「おい、てめぇら! タダ飯食えると思うなよ。死ぬ気で働かねぇ奴には、活を入れてやるから覚悟しとけ、いいな!」
ざわついていた背後が一瞬で沈黙する。沈黙を返事と受け取ったのか、野村は木刀をその場に残し、運転席へ勢いよく座り、壊れそうなエンジンをかけた。そして、バスが揺れるくらい思い切りアクセルを踏み付け、軽トラの時と同様に車体を跳ねさせる荒々しい運転で圏ガクを出発した。昨日の軽トラを経験したオレらは、同じ場所で跳ねるバスに慌てて、掴まれる場所にしがみつき、舌を噛まないよう歯を食いしばった。
本気で床に突き刺さったままの木刀を横目に、昨日のような穏やかな一日は、もう二度とないかもしれないと覚悟する。
物の数秒でバス中は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。荒っぽい運転が圏ガク教師にとっては必須技能なのかもしれない。
昨日は『軽トラだから激しく揺れ跳ねたのだ』と思ったものだが、校門を越えて数秒、その認識は間違いだと気付かされた。車種なんて関係なく、足場の悪い山道を爆走したら、走行時間の十分の一くらいは空中で過ごすのだと実感したからだ。さすがに外へ転がり落ちる事はなさそうだが、何度となく後方座席から、通路に放り出された奴らが横に転がってきていた。
「腹へったなぁ~」
軽トラの荷台ですら(例え何度落ちようが)乗りこなす小吉さんは慣れたもので、手摺りをしっかり握り体を固定しながら、暢気な事をぼやいている。この揺れの中で、吐き気ではなく空腹を訴える神経は、こちらの驚きを軽く越えて尊敬に値した。朝食がトマトだけだったオレも、恐らくは同じ腹具合なはずだが、同意するのは難しかった。
山を下りる頃には、誰一人として口を開く者はいなくなっていた。後方から、バスの振動に掻き消される程度の苦悶の声が聞こえたが、暫くするとそれすら聞こえなくなる。
昨日と同様に人目のある下山後の運転は、嫌味なくらい穏やかで、公民館に着くとまたも駐車場の隅の隅に行儀良くバスは停車した。
学校では散々威嚇してくれた歯抜け共は、皆一様にげっそりしていて、這うようにバスを降りていく。その最後尾に並び外へ出ると、昨日と同じように村主さんが元気な挨拶で出迎えてくれた。
まるでゾンビの整列な歯抜け共を見て苦笑した村主さんは「まずは朝ご飯にしましょうか」と公民館の中へとオレたちを案内してくれる。
通されたのは、教室くらいの会議室だった。ゾンビが次々に席に沈んでいく中、村主さんに「手伝って」と声をかけられたオレらは、引率の野村に断りを入れ、部屋を後にする。
「こんなに早く人数が集まるとは思わなかったわ。さすがにこの人数で喫茶店に押しかける訳にはいかないものね」
確かに昨日ご馳走になった喫茶店では、全員入りきらないだろう。
「と言う訳で、今から朝ご飯を調達に行きましょう」
公民館の裏口だろうか? そこを出ると数台の自転車が止められていた。公民館の物ならしく、古いタイプの自転車だったが、ちゃんと手入れがされてあるようで、不用心にも鍵がついていない。村主さんは勝手知ったるで「ついてきて」と言うや颯爽と自転車に跨がり、走り出してしまった。
慌ててオレも自転車に飛び乗り、ペダルを漕ぎ出したが、何故か前に全く進まなかった。おかしいと思い振り返ると、泣きそうな顔の小吉さんが荷台を掴んでいた。
「おれ、自転車乗れないんだ」
この世の終わりでも見たような沈んだ声だ。
「じゃあ、オレの後ろに乗る?」
走って追いかけるという選択肢もなくはないが、一緒に廊下を走った感じから、小吉さんの足では村主さんに追いつけまい。最善と思われる提案をすると、どんよりしていた顔色がパッと晴れ渡った。
「ここか? ここに乗ったらいいのか? よぅし、出発進行だ!」
荷台に飛び乗り、即このテンション。朝から元気だなぁと、ちょっと溜め息を吐きながら、オレは再びペダルを漕ぎ出した。
「おぉー、おお、おぉぉー!」
漕ぎ始め、二人乗りをしているせいで、バランスが上手く取れず、ふらふらと蛇行しながら自転車は動き出す。公民館を出て道に出る頃には、真っ直ぐ走れるようになったのだが、
「あだっ! あだだ! いだいっ! 痛! いだだだだだ」
すぐに小吉さんの足が車輪に巻き込まれ、急ブレーキをかけられた。半ば倒れるように自転車を降りると、自転車と一緒に道に倒れてしまった小吉さんが涙目で訴えてくる。
「オレのせいで、夷川まで自転車に乗れなくなっちまった」
謝りながら泣き出す小吉さんを助け起こし、乗り方をレクチャー。再びチャレンジするも、何故か足を巻き込ませてしまい二度目の転倒。
「小吉さん、乗ってる間、足をこう横に開脚しといて下さい。そしたら、絶対に大丈夫だから」
だいぶ乱暴な対策だが、早朝の道ではすれ違っても徒歩の人くらいだったので、大丈夫だろうと言ってみたが、開脚しながら乗り続けるにはバランス感覚が必要だったらしく、ものの数メートル走っただけで、小吉さんは自転車から転がり落ちてしまった。
慌てて助けに戻ると、何故か嬉しそうな顔で「もっかいやろう!」と意気込む小吉さん。
「ちょっとコツが掴めてきた気がするんだ。大丈夫、谷垣先生の軽トラで鍛えられてるから!」
そりゃあ軽トラから放り出されるよりは、ダメージ少ないだろうが、こんな調子では今日も小吉さんは病院送りになってしまう。しかもその原因はオレの運転だ。
先に自転車に跨がり、早く早くと急かす小吉さんに
「オレの腰でもどこでもいいから、ちゃんと持って乗れ!」
注意というか指示を出す。転がり落ちない為にはそれしかないだろう、てか、さっきまではどこを持って乗っていたのやら。
渋々「わかった」と答える小吉さんは、オレのシャツを摘まむみたいにチョイと掴んだ。振り返ると『後輩にすがりつくなんて先輩としての威厳が』みたいな顔をして拗ねている。
何度となく涙を拭わせた相手に何を今更! その謎のこだわりにイラッとしたオレは、小吉さんの腕を掴むと、強引に自分の腰に巻き付けてやった。背中に押しつけられた小吉さんが怒ったような声を上げるので、相手するのが面倒になって
「ほら、出発するから足上げて」
そう声をかけるなり、オレはグンとペダルを踏み込んだ。
その後、自転車は軽快に走り、オレたちは見事に迷子になった。すっかり姿の見えなくなった村主さんを直感で追いかけたので、まあ無理のない話。幸い、村主さんがすぐに気付いて迎えに来てくれたのだが、厳重に注意を受けてしまった。
奉仕活動中に脱走したと見なされる行為をした場合、執行猶予なしに反省室行き。しかも、片道切符。残りの夏休みをあの地下室でずっと過ごす事になるとか。
もちろん食事は缶詰、その事実に震え上がったオレたちは、全力で脱走の意思はなかったと弁明した。
「今回は私の監督不行き届きだから、心配しなくてもいいわよ。比較的まだ元気そうだった君たちには、無理言って手伝って貰ってる訳だし」
小吉さんが自転車に乗れない事も伝えると、村主さんは自転車を降り、三人で歩きながら目的地へと向かう事になった。
さすがに敵の前で涙を拭ってやる事は躊躇われたので、せめて歯抜け共に見えないよう壁になっていると、オレのシャツを掴んで引っ張る小吉さんがぼやいた。
「二日目から、こんなに大勢が参加するなんて驚いたぞ。去年は一週間くらい、ずっとおれ一人だったのに」
人数が増えたと言う事は、恐らく下山に使われるのはバスだろう。歯抜け共は鬱陶しいが、飛び跳ねる軽トラでの恐怖体験を回避出来ると思えば、ありがたいとさえ思えてくる…………この人数を軽トラの荷台に乗せて運ぶ事はないと思いたい。
「昨日は何もしなかったけど、奉仕活動って具体的にどんな事をやるの?」
背後に潜む経験者にたずねると、
「んーとな、多分、空き地の草刈りとかだと思うぞ。個別で仕事もらうのは慣れてからだと思うから」
朝っぱらから少しうんざりしてしまう答えが返ってきた。昨日、村中を歩き回り見てきた景色は、その『空き地』のオンパレードだったからだ。
「個別の仕事は、昨日やっただろ? 病院の庭掃除。あんな感じで、地元の人の家で色々お手伝いさせてもらうんだ。主にお年寄りが多いかな。なんかそういう部署? がお役所にあるらしくて、お役人さんと一緒にやるんだ」
市役所の職員に同行して、老人の家で雑用をやるって事か。
「ど、どっどどどっどうしたぁ? なんで、なんなんでおこ、怒ってるんだぁ」
昨日、すれ違った住人の態度を思い出して、オレは軽く舌打ちしてしまった。小吉さんがブルブル震えだしたので、慌てて理由を説明すると、空元気が丸わかりの声で「そんな人ばっかりじゃないから、大丈夫だぞ」と教えてくれる。
「そういう人の所にも行く事あるけどさ。お役人さんも村主さんも、ちゃんとおれらを信じてくれてるから、何言われても平気なんだ。だから、心配しなくていいからな!」
小吉さんの言葉に頷きながらも、頭の中ではやっぱり納得出来なかった。小吉さんの口から『信じてくれてる』なんて言葉が出る事自体がおかしいのだ。『疑う』奴がいなきゃ、『信じる』なんて大層な言葉、表に出て来る類いのものじゃない。
腹の底で燻る怒りに気付かれないよう、平静を装う。美味しい飯の為だと思えば、我慢出来るかな……自信のないオレの肩を小吉さんがポンと叩いた。振り返ると目を真っ赤に腫らした先輩が「まかせとけ」と言いたげな顔をしていた。
集合時間になり、食堂に姿を見せたのは、担任ではなく別の教師だった。奉仕作業の引率は、教師の中でローテーションするらしい。
送迎も軽トラではなくバス。気怠げなテンションでゾロゾロと移動する歯抜け共を先に乗車させてから、オレと小吉さんはバスに乗り込む。奴らは当然のように教師から遠い席、奥から座席を埋めていくので、今日も昨日と同じ運転席の後ろ、ポッカリ空いた最前列に腰を下ろす。
「なあなあ、夷川。あいつらの怪我って、もしかして稲っちがやったのか? それともお前?」
体を縮こませ、後ろの奴らの視界に入らないよう姿を隠しながら、わずかな顎の動きで背後を指し、小吉さんが小声で聞いてきた。あの冗談みたいな悲惨な顔で、散々オレに因縁をつけてきやがったので、側に居てくれた小吉さんが怯え心配するのも無理はない。とばっちりを受けてしまった小吉さんに申し訳なく思いながらも、スバルたちのやらかした事を説明すると「お前のともだちはバカだなぁ」と笑って済ませてくれた。
最後に引率の教師がバスに乗り込んできた。授業を受け持って貰った事のない、今日の引率教師は、不機嫌さ全開で眉間に深い皺を刻んでいたが、小吉さんの(背後を気にしてか、やや音量の絞られた)元気な挨拶を聞くや「物好きな奴だなあ、お前は」と相好を崩した。
そこだけ見ると穏やかな一日になりそうに思えたが、この五十絡みの野村という今日の引率は、何故か片手に使い古された感のある木刀を握っていたりするので、緊張感は微塵も薄れる事がなかった。
圏ガクでは、教師がこういった武器をこれ見よがしに所持している場合、脅しの類いではなく本気で生徒に叩き込んでくるから要注意なのだ。
目の前の凶器に視線を取られていると、いきなり木刀が床に突き刺さる勢いで打ち鳴らされた。鈍い音が足の裏に伝わってきて、思わず窓際の小吉さんの方へ自然と体が逃げる。
「おい、てめぇら! タダ飯食えると思うなよ。死ぬ気で働かねぇ奴には、活を入れてやるから覚悟しとけ、いいな!」
ざわついていた背後が一瞬で沈黙する。沈黙を返事と受け取ったのか、野村は木刀をその場に残し、運転席へ勢いよく座り、壊れそうなエンジンをかけた。そして、バスが揺れるくらい思い切りアクセルを踏み付け、軽トラの時と同様に車体を跳ねさせる荒々しい運転で圏ガクを出発した。昨日の軽トラを経験したオレらは、同じ場所で跳ねるバスに慌てて、掴まれる場所にしがみつき、舌を噛まないよう歯を食いしばった。
本気で床に突き刺さったままの木刀を横目に、昨日のような穏やかな一日は、もう二度とないかもしれないと覚悟する。
物の数秒でバス中は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。荒っぽい運転が圏ガク教師にとっては必須技能なのかもしれない。
昨日は『軽トラだから激しく揺れ跳ねたのだ』と思ったものだが、校門を越えて数秒、その認識は間違いだと気付かされた。車種なんて関係なく、足場の悪い山道を爆走したら、走行時間の十分の一くらいは空中で過ごすのだと実感したからだ。さすがに外へ転がり落ちる事はなさそうだが、何度となく後方座席から、通路に放り出された奴らが横に転がってきていた。
「腹へったなぁ~」
軽トラの荷台ですら(例え何度落ちようが)乗りこなす小吉さんは慣れたもので、手摺りをしっかり握り体を固定しながら、暢気な事をぼやいている。この揺れの中で、吐き気ではなく空腹を訴える神経は、こちらの驚きを軽く越えて尊敬に値した。朝食がトマトだけだったオレも、恐らくは同じ腹具合なはずだが、同意するのは難しかった。
山を下りる頃には、誰一人として口を開く者はいなくなっていた。後方から、バスの振動に掻き消される程度の苦悶の声が聞こえたが、暫くするとそれすら聞こえなくなる。
昨日と同様に人目のある下山後の運転は、嫌味なくらい穏やかで、公民館に着くとまたも駐車場の隅の隅に行儀良くバスは停車した。
学校では散々威嚇してくれた歯抜け共は、皆一様にげっそりしていて、這うようにバスを降りていく。その最後尾に並び外へ出ると、昨日と同じように村主さんが元気な挨拶で出迎えてくれた。
まるでゾンビの整列な歯抜け共を見て苦笑した村主さんは「まずは朝ご飯にしましょうか」と公民館の中へとオレたちを案内してくれる。
通されたのは、教室くらいの会議室だった。ゾンビが次々に席に沈んでいく中、村主さんに「手伝って」と声をかけられたオレらは、引率の野村に断りを入れ、部屋を後にする。
「こんなに早く人数が集まるとは思わなかったわ。さすがにこの人数で喫茶店に押しかける訳にはいかないものね」
確かに昨日ご馳走になった喫茶店では、全員入りきらないだろう。
「と言う訳で、今から朝ご飯を調達に行きましょう」
公民館の裏口だろうか? そこを出ると数台の自転車が止められていた。公民館の物ならしく、古いタイプの自転車だったが、ちゃんと手入れがされてあるようで、不用心にも鍵がついていない。村主さんは勝手知ったるで「ついてきて」と言うや颯爽と自転車に跨がり、走り出してしまった。
慌ててオレも自転車に飛び乗り、ペダルを漕ぎ出したが、何故か前に全く進まなかった。おかしいと思い振り返ると、泣きそうな顔の小吉さんが荷台を掴んでいた。
「おれ、自転車乗れないんだ」
この世の終わりでも見たような沈んだ声だ。
「じゃあ、オレの後ろに乗る?」
走って追いかけるという選択肢もなくはないが、一緒に廊下を走った感じから、小吉さんの足では村主さんに追いつけまい。最善と思われる提案をすると、どんよりしていた顔色がパッと晴れ渡った。
「ここか? ここに乗ったらいいのか? よぅし、出発進行だ!」
荷台に飛び乗り、即このテンション。朝から元気だなぁと、ちょっと溜め息を吐きながら、オレは再びペダルを漕ぎ出した。
「おぉー、おお、おぉぉー!」
漕ぎ始め、二人乗りをしているせいで、バランスが上手く取れず、ふらふらと蛇行しながら自転車は動き出す。公民館を出て道に出る頃には、真っ直ぐ走れるようになったのだが、
「あだっ! あだだ! いだいっ! 痛! いだだだだだ」
すぐに小吉さんの足が車輪に巻き込まれ、急ブレーキをかけられた。半ば倒れるように自転車を降りると、自転車と一緒に道に倒れてしまった小吉さんが涙目で訴えてくる。
「オレのせいで、夷川まで自転車に乗れなくなっちまった」
謝りながら泣き出す小吉さんを助け起こし、乗り方をレクチャー。再びチャレンジするも、何故か足を巻き込ませてしまい二度目の転倒。
「小吉さん、乗ってる間、足をこう横に開脚しといて下さい。そしたら、絶対に大丈夫だから」
だいぶ乱暴な対策だが、早朝の道ではすれ違っても徒歩の人くらいだったので、大丈夫だろうと言ってみたが、開脚しながら乗り続けるにはバランス感覚が必要だったらしく、ものの数メートル走っただけで、小吉さんは自転車から転がり落ちてしまった。
慌てて助けに戻ると、何故か嬉しそうな顔で「もっかいやろう!」と意気込む小吉さん。
「ちょっとコツが掴めてきた気がするんだ。大丈夫、谷垣先生の軽トラで鍛えられてるから!」
そりゃあ軽トラから放り出されるよりは、ダメージ少ないだろうが、こんな調子では今日も小吉さんは病院送りになってしまう。しかもその原因はオレの運転だ。
先に自転車に跨がり、早く早くと急かす小吉さんに
「オレの腰でもどこでもいいから、ちゃんと持って乗れ!」
注意というか指示を出す。転がり落ちない為にはそれしかないだろう、てか、さっきまではどこを持って乗っていたのやら。
渋々「わかった」と答える小吉さんは、オレのシャツを摘まむみたいにチョイと掴んだ。振り返ると『後輩にすがりつくなんて先輩としての威厳が』みたいな顔をして拗ねている。
何度となく涙を拭わせた相手に何を今更! その謎のこだわりにイラッとしたオレは、小吉さんの腕を掴むと、強引に自分の腰に巻き付けてやった。背中に押しつけられた小吉さんが怒ったような声を上げるので、相手するのが面倒になって
「ほら、出発するから足上げて」
そう声をかけるなり、オレはグンとペダルを踏み込んだ。
その後、自転車は軽快に走り、オレたちは見事に迷子になった。すっかり姿の見えなくなった村主さんを直感で追いかけたので、まあ無理のない話。幸い、村主さんがすぐに気付いて迎えに来てくれたのだが、厳重に注意を受けてしまった。
奉仕活動中に脱走したと見なされる行為をした場合、執行猶予なしに反省室行き。しかも、片道切符。残りの夏休みをあの地下室でずっと過ごす事になるとか。
もちろん食事は缶詰、その事実に震え上がったオレたちは、全力で脱走の意思はなかったと弁明した。
「今回は私の監督不行き届きだから、心配しなくてもいいわよ。比較的まだ元気そうだった君たちには、無理言って手伝って貰ってる訳だし」
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