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第二章 縁結びの、ミニドーナツ
7.消えた少年2
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「わたし、万葉集が好きなんです」
「はあ、万葉集……、京都らしくていいですね」
と相づちを打ってみたものの、快は万葉集を読まないし、名前くらいしか知らない。それ以上のリアクションを取ることができなかった。
というか万葉集は奈良時代のものだった気がする。京都というより、奈良にゆかりがあるのだったっけ。まずい、京都のひとにも奈良のひとにも怒られそうだ。
なんとも言えずあいまいに笑っていると、葉月は申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません、本当に流行にうとくて。皆さんにとって興味のない話しかできないんです」
「いやいや、俺が無知なだけなので。それで、瓜生くんって子も万葉集が好きだったんですか?」
「はい。はじめて、ひとと話があって驚きました」
葉月の表情がやわらぐ。その顔だけで、葉月と瓜生の親しさがわかるというものだ。
しかし瓜生は、いなくなってしまった。
「突然、瓜生くんの姿を見かけなくなって。連絡先とかなにも知らないから、捜しようもないんです」
ふらりと落ち合い、すこし話をして、別れる。そんな関係が心地よくて、あえて連絡先を交換することはしなかったそうだ。けれどいまとなっては、交換しておけばよかったと葉月は後悔を語った。
「ドーナツ、瓜生くんと食べようと思って買うのに彼がいないから、食べる気になれなくて。あの、だから、よければ食べてください」
そっと紙袋を差し出そうとする葉月に、快はどうしたものかと迷う。さすがに受け取るのは気が引ける。だが、ひなたはちがったらしい。
「どーなつ!」
ひなたの声にそちらを見れば、とても物欲しそうな顔が待っていた。視線はすっかり紙袋に注がれている。快はたしなめるように言った。
「ひなた、今日のぶんのドーナツは昼に食べただろ。ドーナツは一日ひとつだ。太るぞ」
「どーなつは、あながあるから、かろりーぜろ」
「それは迷信だ」
「でも、てれびでいってた」
「テレビも間違ったことを言うんだよ」
むっとひなたが頬を膨らませる。おそらくここが家であれば猫耳としっぽを出しておねだりしてきたのだろうけれど、葉月がいるために、ぐっとこらえたようだ。そこは評価しよう。
快に言っても無駄だと判断したのか、ひなたはつぎに葉月に目線で訴えかける。
「えっと、よかったら、明日のぶんに……」
葉月がおずおずと紙袋をさらに押し出す。ひなたがぱっと顔を明るくさせるのが、ほのかな月明かりでもよくわかった。快は盛大にため息をつく。
「じゃあ、ひとついただきます。もうひとつは葉月さんが食べてください」
「え?」
「いっしょに食べるひとがいなくて困ってるんでしょう? じゃあ、ひなたがいっしょに食べますから、葉月さんもどうぞ」
相手が瓜生でなければ意味がないのかもしれないけれど、さすがに店主が客から商品を譲られるのも妙な気分だ。それに自分で食べるよりは、客に食べてほしい。
ひなたは快と葉月の間に座り直して、紙袋を開けた。入っているのは、抹茶ドーナツと、チョコドーナツだ。
「どっち?」
ずい、と紙袋の中身を見せる形で葉月に差し出す。幼いひなたが立派にレディーファーストをしているものだから、快は笑ってしまった。つられたように、葉月も目を細める。
「えっとじゃあ、チョコ……はあげるから、抹茶をもらいます」
ひなたが一瞬悲しそうな顔をしたから、葉月は言い直した。抹茶は甘さ控えめだ。ひなたも食べることはできるが、趣味ではない。レディーファーストを気取ったわりに、詰めが甘かった。
「すみません。気を遣ってもらって」
「いえ、わたしも配慮が足りませんでした。小さい子は、チョコのほうがいいですよね」
なんて会話は、幸せそうにチョコドーナツにかじりつくひなたには聞こえていないらしい。葉月はやわらかな視線をひなたに向けてから、抹茶ドーナツを食べる。
「うん、おいしいです」
「それはよかった」
ふたりがドーナツを食べ終わるのを待って、快は訊いた。
「瓜生くんがいなくなった心当たりは、あるんですか?」
葉月はこくんと最後のひとかけらを飲み込んで、考えるような間を置く。それから、ゆっくりと首をふった。
「……ありません」
「はあ、万葉集……、京都らしくていいですね」
と相づちを打ってみたものの、快は万葉集を読まないし、名前くらいしか知らない。それ以上のリアクションを取ることができなかった。
というか万葉集は奈良時代のものだった気がする。京都というより、奈良にゆかりがあるのだったっけ。まずい、京都のひとにも奈良のひとにも怒られそうだ。
なんとも言えずあいまいに笑っていると、葉月は申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません、本当に流行にうとくて。皆さんにとって興味のない話しかできないんです」
「いやいや、俺が無知なだけなので。それで、瓜生くんって子も万葉集が好きだったんですか?」
「はい。はじめて、ひとと話があって驚きました」
葉月の表情がやわらぐ。その顔だけで、葉月と瓜生の親しさがわかるというものだ。
しかし瓜生は、いなくなってしまった。
「突然、瓜生くんの姿を見かけなくなって。連絡先とかなにも知らないから、捜しようもないんです」
ふらりと落ち合い、すこし話をして、別れる。そんな関係が心地よくて、あえて連絡先を交換することはしなかったそうだ。けれどいまとなっては、交換しておけばよかったと葉月は後悔を語った。
「ドーナツ、瓜生くんと食べようと思って買うのに彼がいないから、食べる気になれなくて。あの、だから、よければ食べてください」
そっと紙袋を差し出そうとする葉月に、快はどうしたものかと迷う。さすがに受け取るのは気が引ける。だが、ひなたはちがったらしい。
「どーなつ!」
ひなたの声にそちらを見れば、とても物欲しそうな顔が待っていた。視線はすっかり紙袋に注がれている。快はたしなめるように言った。
「ひなた、今日のぶんのドーナツは昼に食べただろ。ドーナツは一日ひとつだ。太るぞ」
「どーなつは、あながあるから、かろりーぜろ」
「それは迷信だ」
「でも、てれびでいってた」
「テレビも間違ったことを言うんだよ」
むっとひなたが頬を膨らませる。おそらくここが家であれば猫耳としっぽを出しておねだりしてきたのだろうけれど、葉月がいるために、ぐっとこらえたようだ。そこは評価しよう。
快に言っても無駄だと判断したのか、ひなたはつぎに葉月に目線で訴えかける。
「えっと、よかったら、明日のぶんに……」
葉月がおずおずと紙袋をさらに押し出す。ひなたがぱっと顔を明るくさせるのが、ほのかな月明かりでもよくわかった。快は盛大にため息をつく。
「じゃあ、ひとついただきます。もうひとつは葉月さんが食べてください」
「え?」
「いっしょに食べるひとがいなくて困ってるんでしょう? じゃあ、ひなたがいっしょに食べますから、葉月さんもどうぞ」
相手が瓜生でなければ意味がないのかもしれないけれど、さすがに店主が客から商品を譲られるのも妙な気分だ。それに自分で食べるよりは、客に食べてほしい。
ひなたは快と葉月の間に座り直して、紙袋を開けた。入っているのは、抹茶ドーナツと、チョコドーナツだ。
「どっち?」
ずい、と紙袋の中身を見せる形で葉月に差し出す。幼いひなたが立派にレディーファーストをしているものだから、快は笑ってしまった。つられたように、葉月も目を細める。
「えっとじゃあ、チョコ……はあげるから、抹茶をもらいます」
ひなたが一瞬悲しそうな顔をしたから、葉月は言い直した。抹茶は甘さ控えめだ。ひなたも食べることはできるが、趣味ではない。レディーファーストを気取ったわりに、詰めが甘かった。
「すみません。気を遣ってもらって」
「いえ、わたしも配慮が足りませんでした。小さい子は、チョコのほうがいいですよね」
なんて会話は、幸せそうにチョコドーナツにかじりつくひなたには聞こえていないらしい。葉月はやわらかな視線をひなたに向けてから、抹茶ドーナツを食べる。
「うん、おいしいです」
「それはよかった」
ふたりがドーナツを食べ終わるのを待って、快は訊いた。
「瓜生くんがいなくなった心当たりは、あるんですか?」
葉月はこくんと最後のひとかけらを飲み込んで、考えるような間を置く。それから、ゆっくりと首をふった。
「……ありません」
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