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第三章 仲直りの、ドーナツケーキ
5.口喧嘩
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その数日後のことだった。
土曜日だから、「魔女のドーナツ」にも客の入りが多い。ひとの波が途切れたところで快がキッチンにもどり作業をしていると、店先から言い争うような声が聞こえてきた。
――だれだよ、ひとの店の前で。
厄介ごとには関わりたくないのだが、ほかの客に迷惑だし売上に影響があっても困る。そう思ってため息まじりにキッチンから出てみて、快は目をまたたいた。
「なにそれ、もう知らんわ、あほ!」
言い捨てて背中を向ける少女。そして店先に取り残されたのはぶっきらぼう男子高校生、勇樹だった。快が唖然としている前で、勇樹は彼女を追おうとする。だがその足は動かず、結局その場に立ち尽くした。そのまま、ぎゅっとくちびるをかむ。
ふと目が合った。
「あーっと、いらっしゃいませ。さっきの、彼女さんか?」
「……そんなとこ」
ドアを開けて勇樹に声をかけると、彼はこわばっていた顔をすこしだけゆるめて眉を下げ、うなずいた。そういう顔をすると一気になさけなさが増して、どうにかしてあげなければという気持ちを快に抱かせる。
「とりあえず入れ、寒いだろ」
「快さん、ごめん。店の前で騒がしくして」
「いいよ。ほかの客もいないしな。子どもはにぎやかなくらいが、ちょうどいいさ」
乾いた風が吹き抜ける。勇樹は大人しく店の中に入り、ショーケースを眺めた。いい匂い、とぼそりとつぶやく高校生に微笑む。甘いドーナツは香りだけでも心の栄養になる。
「嫌だって言ってたわりには、彼女さんを連れてきてくれたんだな」
「まあ、一応……。結局喧嘩になったけど」
「なにがあったんだ?」
勇樹は視線をさまよわせる。たっぷり迷う時間を空けたが、幸いほかの客がやって来ることもなかったから、快は急かさずに見守った。
「べつに……、なんもなかった。でもなんか、小さいことで口喧嘩になって、それが発展して、あんな感じ」
「自分が自分じゃないような、ってところか?」
「それ忘れてって言うたやん。あ、ドーナツ、今日はプレーンがいい」
「まいど」
紙袋にドーナツを詰めてやりながら、快は勇樹の様子をうかがう。いまは変なところはない。だが――、さきほど恋人と言い争っていた勇樹は、すこしおかしかった。たしかにあれは、いつもの勇樹ではない。嫌な予感が的中したか。
「勇樹、口を滑らせること以外で、調子が悪いことはないか?」
「ないけど……、なんで?」
「ちょっと気になって」
「なんなん、怖いやん。前も変なこと訊いてこんかった?」
「悪いって。とくに意味はないよ」
勇樹は顔をしかめて、紙袋を受け取ると背を向けた。今日は早々に帰るらしい。本当はもうすこし話を聞きたいところだが、引き止めるのも不自然だろう。いまは彼もひとりになって落ち着きたいだろうし。
だがそんな彼の足もとに、なにかが見えたような気がした。
快はとっさに勇樹の腕をつかんで引き止める。
「うわっ。なに、快さん」
「あ、いや……」
言葉に詰まる。見えたように感じたものは、いまは影も形もない。一瞬で消えてしまった。だが確実に、なにかがいた。それは人間とは一線を画すような存在だろう。
勇樹は憑かれている。
あの影は、そういうものだった。
しかし説明がむずかしいし、いますぐに快が対応できるものでもない。憑き物落としなんて専門外だ。ひとまず影は消えたから、それでよしとするしかない。後ろ髪を引かれる思いで、勇樹の腕をはなした。
「勇樹、なにかあったら、またすぐに来い」
「ほんま、なんなん。あ、快さん流のナンパ術?」
「ナンパじゃない。俺はそこそこ顔がいいから、そういうことする必要はないからな」
ごまかすためにも冗談めかして言えば、勇樹は嫌そうな顔になった。
「言い返せんのが腹立つわ。ええなあ、イギリスの血」
「そうだろう。ま、常連が困ってたら見過ごせないってだけの話だ。遠慮せず、なんでも相談に来たらいいさ。お代はドーナツな」
「はいはい、わかりました。そうしますー」
勇樹は面倒そうに返事をしながら店を出ていった。快はその様子をうかがっていたが、またなにかに憑かれるようなことはない。それでも快は落ち着かず、勇樹の姿が見えなくなってもしばらく道の先を見つづけていた。
やがてぽつぽつと客が訪れるようになり、快は流れるようにドーナツを売っていたが、どうしても頭の片隅で勇樹のことを考えてしまうのを止められなかった。なにせ、彼が妙なことに巻き込まれてしまったのは、快のせいかもしれないと気づいたのだ。
土曜日だから、「魔女のドーナツ」にも客の入りが多い。ひとの波が途切れたところで快がキッチンにもどり作業をしていると、店先から言い争うような声が聞こえてきた。
――だれだよ、ひとの店の前で。
厄介ごとには関わりたくないのだが、ほかの客に迷惑だし売上に影響があっても困る。そう思ってため息まじりにキッチンから出てみて、快は目をまたたいた。
「なにそれ、もう知らんわ、あほ!」
言い捨てて背中を向ける少女。そして店先に取り残されたのはぶっきらぼう男子高校生、勇樹だった。快が唖然としている前で、勇樹は彼女を追おうとする。だがその足は動かず、結局その場に立ち尽くした。そのまま、ぎゅっとくちびるをかむ。
ふと目が合った。
「あーっと、いらっしゃいませ。さっきの、彼女さんか?」
「……そんなとこ」
ドアを開けて勇樹に声をかけると、彼はこわばっていた顔をすこしだけゆるめて眉を下げ、うなずいた。そういう顔をすると一気になさけなさが増して、どうにかしてあげなければという気持ちを快に抱かせる。
「とりあえず入れ、寒いだろ」
「快さん、ごめん。店の前で騒がしくして」
「いいよ。ほかの客もいないしな。子どもはにぎやかなくらいが、ちょうどいいさ」
乾いた風が吹き抜ける。勇樹は大人しく店の中に入り、ショーケースを眺めた。いい匂い、とぼそりとつぶやく高校生に微笑む。甘いドーナツは香りだけでも心の栄養になる。
「嫌だって言ってたわりには、彼女さんを連れてきてくれたんだな」
「まあ、一応……。結局喧嘩になったけど」
「なにがあったんだ?」
勇樹は視線をさまよわせる。たっぷり迷う時間を空けたが、幸いほかの客がやって来ることもなかったから、快は急かさずに見守った。
「べつに……、なんもなかった。でもなんか、小さいことで口喧嘩になって、それが発展して、あんな感じ」
「自分が自分じゃないような、ってところか?」
「それ忘れてって言うたやん。あ、ドーナツ、今日はプレーンがいい」
「まいど」
紙袋にドーナツを詰めてやりながら、快は勇樹の様子をうかがう。いまは変なところはない。だが――、さきほど恋人と言い争っていた勇樹は、すこしおかしかった。たしかにあれは、いつもの勇樹ではない。嫌な予感が的中したか。
「勇樹、口を滑らせること以外で、調子が悪いことはないか?」
「ないけど……、なんで?」
「ちょっと気になって」
「なんなん、怖いやん。前も変なこと訊いてこんかった?」
「悪いって。とくに意味はないよ」
勇樹は顔をしかめて、紙袋を受け取ると背を向けた。今日は早々に帰るらしい。本当はもうすこし話を聞きたいところだが、引き止めるのも不自然だろう。いまは彼もひとりになって落ち着きたいだろうし。
だがそんな彼の足もとに、なにかが見えたような気がした。
快はとっさに勇樹の腕をつかんで引き止める。
「うわっ。なに、快さん」
「あ、いや……」
言葉に詰まる。見えたように感じたものは、いまは影も形もない。一瞬で消えてしまった。だが確実に、なにかがいた。それは人間とは一線を画すような存在だろう。
勇樹は憑かれている。
あの影は、そういうものだった。
しかし説明がむずかしいし、いますぐに快が対応できるものでもない。憑き物落としなんて専門外だ。ひとまず影は消えたから、それでよしとするしかない。後ろ髪を引かれる思いで、勇樹の腕をはなした。
「勇樹、なにかあったら、またすぐに来い」
「ほんま、なんなん。あ、快さん流のナンパ術?」
「ナンパじゃない。俺はそこそこ顔がいいから、そういうことする必要はないからな」
ごまかすためにも冗談めかして言えば、勇樹は嫌そうな顔になった。
「言い返せんのが腹立つわ。ええなあ、イギリスの血」
「そうだろう。ま、常連が困ってたら見過ごせないってだけの話だ。遠慮せず、なんでも相談に来たらいいさ。お代はドーナツな」
「はいはい、わかりました。そうしますー」
勇樹は面倒そうに返事をしながら店を出ていった。快はその様子をうかがっていたが、またなにかに憑かれるようなことはない。それでも快は落ち着かず、勇樹の姿が見えなくなってもしばらく道の先を見つづけていた。
やがてぽつぽつと客が訪れるようになり、快は流れるようにドーナツを売っていたが、どうしても頭の片隅で勇樹のことを考えてしまうのを止められなかった。なにせ、彼が妙なことに巻き込まれてしまったのは、快のせいかもしれないと気づいたのだ。
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