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第三章 仲直りの、ドーナツケーキ
17.追いかけて2
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魔法使いと使い魔は、深い縁で結ばれる。魔法使いは使い魔の手助けを受ける代わりに、魔力を差し出す。仲たがいすれば魔力の受け渡しが滞り、使い魔が弱ることだってあるのだ。信頼関係のうえに成り立つのが、使い魔の契約だった。
快とひなたの契約は、たとえ快が忘れていても解けることはなかったのだろう。
ひなたを忘れていた快はイギリスに渡ったことで、ひなたに魔力を渡していなかった。だからひなたは衰弱していた。ひなたが子猫のままなのも、それが関係しているのかもしれない。
それでも、帰国してひなたと再会することで、無意識のうちでも快はひなたに魔力を与えていたのだと思う。魔力入りのドーナツを食べさせていたこともよかったのかもしれない。ひなたは次第に回復していった。
が、またいま「自分の知らない記憶をひなたは知っているのかも」と快が不審を抱いていたことで、歯車が狂ってしまった。ひなたが体調を崩しているのは、ストレスだけが原因ではなかったのだろう。魔法使いに詳しくない日本の付喪神の医者には、そこまで見抜けなかったのだと思う。
「これ以上あなたのそばにいては、ひなたは弱る一方でしょう。だから、すこし強引ではありますが、連れ出させてもらいました。ああでも、この状況はひなた自身も了承していることですから、あなたのせいではありませんよ」
ルナは、快の心情を察しているように先んじて言った。
「あなたの記憶を消せば、ひなたも苦しむ。それを重々承知のうえで、ひなたは決めたのです」
「だから気に病むな、って言いたいのか。そんなの無理だ」
ルナは、快をじっと見つめる。
「あなたがひなたを忘れたままでいたなら、ほとぼりが冷めるまでひなたを連れて雲隠れしようと思っていました。でも思い出したなら……。あの子を助けることができますか」
「ああ。頼まれなくても、そのつもりだ」
快は深くうなずく。
雨脚は強まっていき、その音がわずらわしいほどだった。ルナがうなずく。
「では、頼みます。あの子を真に救えるのは、主人であるあなただけですから」
その言葉を皮切りに、快は再び飛んだ。今度こそ、ひなたに追いついて話をしよう。謝ろう、これまでのいろいろなことを。
ぐっとほうきの柄をにぎり、たいして速さも出せない自分の魔法ではあるものの、最大限の速さで空を駆けた。
飛んでいる間にも、つぎつぎと記憶に鮮やかな色が灯って、よみがえっていく。多くの記憶に、ひなたは快とともにいた。散歩するときも、八尋と遊ぶときも、家にいるときも。いつでも、そばにいたはずだった。
どうして簡単に忘れることができてしまったのだろう。ひどい裏切りに思えた。たとえ魔女として優秀だった祖母の魔法のせいだとしても、なぜ忘れてしまえたのだ。大切な存在だったのに。
情けない。なんて情けない。
嵐山に夜の気配が濃くにじんでいく。雨が降っているために人どおりは少なく、渡月橋もひっそりとしていた。朝から降りつづく雨で、いつもより川の瀬音も強い。ひたすらに雨が地を打つ音と、川が流れていく音だけがした。
「ひなた!」
小さな黒猫は、渡月橋の欄干を駆けていく。
どうして逃げるのだろう。ほうきで飛んで追いかけながら、頬を流れる雨をぬぐった。
いや、当然か。すべて忘れて、ひなたを弱らせてしまったのだから。でももう、ひなたをないがしろにしない。魔力だっていくらでも差し出す。弱ってしまったひなたを助けたい。だからお願いだ。止まってくれ。
「ひなた、もう思い出したから! 止まってくれ!」
振り向くことなく、黒猫は渡月橋を駆け抜ける。
どうして逃げるんだ。ひなたのことが、わからない。これもまた、当然かもしれない。快はひなたのことを忘れて、長い間イギリスで暮らしてきたのだ。ひなたと離れていた時間のほうが長い。簡単に心を理解できるはずがない。
ひなたはずっと、快がイギリスにいる間も、忘れなかったのだろうか。ずっと日本で快を待っていたのだろうか。
店の前で再会した日、ひなたは緊張していた。それでも、話すうちに幸せそうに笑ってくれた。快のそばから離れようとしなかった――、それが答えだろう。
「頼むひなた。止まってくれ……!」
絞り出した声は悲愴なものだった。その声に、やっとひなたが顔だけで振り返る。もうすこしで渡月橋を渡り終えるというところだった。
強い風が吹いた。
欄干は雨に濡れ、滑りやすくなっていたのかもしれない。ひなたの身体が傾ぐ。ひなたのひとみが、驚きにまたたく。
快とひなたの契約は、たとえ快が忘れていても解けることはなかったのだろう。
ひなたを忘れていた快はイギリスに渡ったことで、ひなたに魔力を渡していなかった。だからひなたは衰弱していた。ひなたが子猫のままなのも、それが関係しているのかもしれない。
それでも、帰国してひなたと再会することで、無意識のうちでも快はひなたに魔力を与えていたのだと思う。魔力入りのドーナツを食べさせていたこともよかったのかもしれない。ひなたは次第に回復していった。
が、またいま「自分の知らない記憶をひなたは知っているのかも」と快が不審を抱いていたことで、歯車が狂ってしまった。ひなたが体調を崩しているのは、ストレスだけが原因ではなかったのだろう。魔法使いに詳しくない日本の付喪神の医者には、そこまで見抜けなかったのだと思う。
「これ以上あなたのそばにいては、ひなたは弱る一方でしょう。だから、すこし強引ではありますが、連れ出させてもらいました。ああでも、この状況はひなた自身も了承していることですから、あなたのせいではありませんよ」
ルナは、快の心情を察しているように先んじて言った。
「あなたの記憶を消せば、ひなたも苦しむ。それを重々承知のうえで、ひなたは決めたのです」
「だから気に病むな、って言いたいのか。そんなの無理だ」
ルナは、快をじっと見つめる。
「あなたがひなたを忘れたままでいたなら、ほとぼりが冷めるまでひなたを連れて雲隠れしようと思っていました。でも思い出したなら……。あの子を助けることができますか」
「ああ。頼まれなくても、そのつもりだ」
快は深くうなずく。
雨脚は強まっていき、その音がわずらわしいほどだった。ルナがうなずく。
「では、頼みます。あの子を真に救えるのは、主人であるあなただけですから」
その言葉を皮切りに、快は再び飛んだ。今度こそ、ひなたに追いついて話をしよう。謝ろう、これまでのいろいろなことを。
ぐっとほうきの柄をにぎり、たいして速さも出せない自分の魔法ではあるものの、最大限の速さで空を駆けた。
飛んでいる間にも、つぎつぎと記憶に鮮やかな色が灯って、よみがえっていく。多くの記憶に、ひなたは快とともにいた。散歩するときも、八尋と遊ぶときも、家にいるときも。いつでも、そばにいたはずだった。
どうして簡単に忘れることができてしまったのだろう。ひどい裏切りに思えた。たとえ魔女として優秀だった祖母の魔法のせいだとしても、なぜ忘れてしまえたのだ。大切な存在だったのに。
情けない。なんて情けない。
嵐山に夜の気配が濃くにじんでいく。雨が降っているために人どおりは少なく、渡月橋もひっそりとしていた。朝から降りつづく雨で、いつもより川の瀬音も強い。ひたすらに雨が地を打つ音と、川が流れていく音だけがした。
「ひなた!」
小さな黒猫は、渡月橋の欄干を駆けていく。
どうして逃げるのだろう。ほうきで飛んで追いかけながら、頬を流れる雨をぬぐった。
いや、当然か。すべて忘れて、ひなたを弱らせてしまったのだから。でももう、ひなたをないがしろにしない。魔力だっていくらでも差し出す。弱ってしまったひなたを助けたい。だからお願いだ。止まってくれ。
「ひなた、もう思い出したから! 止まってくれ!」
振り向くことなく、黒猫は渡月橋を駆け抜ける。
どうして逃げるんだ。ひなたのことが、わからない。これもまた、当然かもしれない。快はひなたのことを忘れて、長い間イギリスで暮らしてきたのだ。ひなたと離れていた時間のほうが長い。簡単に心を理解できるはずがない。
ひなたはずっと、快がイギリスにいる間も、忘れなかったのだろうか。ずっと日本で快を待っていたのだろうか。
店の前で再会した日、ひなたは緊張していた。それでも、話すうちに幸せそうに笑ってくれた。快のそばから離れようとしなかった――、それが答えだろう。
「頼むひなた。止まってくれ……!」
絞り出した声は悲愴なものだった。その声に、やっとひなたが顔だけで振り返る。もうすこしで渡月橋を渡り終えるというところだった。
強い風が吹いた。
欄干は雨に濡れ、滑りやすくなっていたのかもしれない。ひなたの身体が傾ぐ。ひなたのひとみが、驚きにまたたく。
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