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第一章
第1話 めざせ脱過労死
しおりを挟むーー救急医療の原則。
『まずは自分の身を守れ』
私は、それを守れなかった。
間違えた。だから、もう二度と間違えないと決めた。
……けれど。
結局見過ごすことなんて、できなかった。
診療所の空気が、どこか緊迫に染まる。
少女ーークラリスはぴく、と顔を上げた。
その時だった。
「先生!!妻が!妻が倒れて!!」
バンッ、と戸を蹴破るような音が響いた。
診療所に、男の悲痛な叫び声が飛び込んでくる。
その背には、ぐったりと肩にもたれかかった女の姿――。
頬は蒼白、唇は紫がかり、呼吸は浅い。今にも意識が途切れそうだった。
「ほかでも診てもらったけど駄目で……ここならって噂を聞いて……!」
診療所の中は混雑していた。
壁際に並ぶベッドはほぼ満床。苦しむ人、眠る人、大人も子どもも。
白衣を着た者たちが、そのあいだを慌ただしく行き交っている。
その中――
一つのベッドの隙間から、ひょこりと小さな影が顔を出した。
白衣に身を包んだ少女。クラリスは、ずれかけていた口布を鼻まで引き上げ、ゆっくりと立ち上がる。
「……やばそうだね。見せてみて」
すた、と足を運び、女の前へ。
彼女は額に汗を浮かべ、低く呻いた。
「いたい……頭がいたい……」
「意識はあるね…呼吸脈拍は問題なし、ゆっくりベッドへ。なるべく刺激を与えないで」
クラリスはすぐに両手を動かし、問診と身体診察に取りかかる。
と、その背後から、気の抜けたような声が飛ぶ。
「おい、クラ。気をつけろよ?今日、だいぶ魔力使ってるだろ」
「そうだね。……過労死ライン見えてきてる」
冗談めかした言葉に、クラリスはふっと口元を緩める。
――過労死。
どこか懐かしい単語だった。
16年前。
彼女は“前世”で、救急医だった。
朝も昼も夜も超えて、地獄の30時間勤務。
心臓がひとつ、どくんと鳴ったかと思えば――
気がつけばこの世界で、赤ん坊になっていた。
(……まあ、いろいろあったよね。うん、ほんとに)
クラリスは胸の内でぼやきつつ、診察を終えると背後へ振り返った。
「ヴィル!」
「はい!」
緊張気味に眉を上げ、白衣を着た青年がベッドの間から小走りで現れる。
「頭、アキシャル(軸位断)いける?」
「うん」
ヴィルが手をかざすと、ぱぁっと柔らかな光が広がった。
その掌には、透明な脳の輪切り像が、上から下へと流れていく。
細い血管が脈を打ち、淡い赤がゆらりと揺れる。
「SAH(くも膜下出血)だ……」
いつの間にか背後にいた青年――ルスカが、小さく息を呑んだ。
「鎮痛で行くか?」
「いや……この分布なら――フィー!カレル!」
呼ばれたふたりが駆け寄る。
少女・フィーリアはぱっと花が咲くように笑い、青年・カレルは少し目を伏せてベッドサイドへ立った。
「発症は30分前。頭部を1時間前まで巻き戻せる?」
「もちろん!」
フィーリアの掌から魔力の光が広がる。
患者の頭部をやわらかく包み、室内の空気がひやりと震える。
その瞬間――
「あれ?痛く……ない?」
女は瞬きを繰り返し、ぽつりと呟いた。
「さすがフィー。じゃあ、ヴィル。血管だけもう一度。左MCA(中大脳動脈)分岐部あたりじゃないかと思う」
クラリスがフィーの頭をぽんぽんと撫でると、ヴィルが再び手を掲げる。
浮かび上がった血管像――その一部に、不自然な膨らみがあった。
「……やっぱり。動脈瘤」
クラリスはぴょんと小さく跳ねる。
「カレル、根本、塞いでくれる?」
「私は姫様の命令しか聞きません」
むっと目を逸らすカレル。
しかし、フィーリアがにっこりと笑って言う。
「命令よ、カレル」
「……仰せのままに」
前髪を指先でかき上げ、掌を掲げるカレル。
ばちりと閃光が走り、焦げたような匂いが一瞬漂った。
「ヴィル、確認」
「うん……根本、焼灼完了。瘤、縮小」
「よし。フィー、巻き戻し解除」
「はい!」
光が吸い込まれるように収束し、部屋の空気がすっと軽くなる。
全ての魔力が収まったあと――女は、しばらく瞬きをしていた。
「どう?」
クラリスが微笑んで覗き込むと、女はぽつりと呟いた。
「……痛みが、消えた」
その声に、付き添いの男が目を潤ませ、女の手を握る。
「ありがとうございました……前の先生の“まじない”は効かなくて、もう駄目かと……」
「よかった」
クラリスもまた、安心したように笑った。
すると、その腕にふわりと何かが飛び込んでくる。
「お姉様、今日はずいぶんとお忙しかったですわね。もっと、お話したかったのに」
フィーリアが、頬をふくれっ面で抱きついてくる。
「ほんとだよね……頑張りすぎると、怖いんだよね……」
クラリスは青ざめた顔で、そっと唾を飲み込んだ。
「がんばりすぎたら、また志半ばで死んじゃうっ……!」
思い出すのは、あの最期を迎えた駐車場。
突然の心停止。
転生先で赤ちゃんに戻ったあの日。
「今世こそは、大金持ちになって、豪邸のプールサイドでカクテル飲んで寝転ぶ毎日を送るって決めたんだから!」
ぎゅっと握りしめた拳が、小さく震えていた。
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