元救急医クラリスの異世界診療録 ―今度こそ、自分本位に生き抜きます―

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第二章

第9話 医者はたまに勇者やります

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翌朝。
昨晩の雷雨が嘘のように晴れ渡り、澄み切った青空が広がっていた。



しかし宿屋の一角には、そんな空に見合わない空気が漂っていた。

「村の人に聞き込みにいこ?医学も何事も、一に準備二に準備、三四に準備、五に準備なんだから!」

「やだってば。なんで僕が行くのさ」

アニは椅子にふんぞり返り、ぷいと顔を背ける。

先ほどからこのやりとりは繰り返されていて、早三回目だ。

「もういいんじゃないか?置いていけば」

ルスカは何度もため息をついている。

「だってさ、アニも現場に行くんでしょ?
万が一私たちがやられたら、逃げなきゃいけないじゃない?」

「は? 死ぬ気なの?」

「そうじゃないけど……魔物は身分の区別なんてしないし、死ぬ可能性も頭に入れておかないと」

「……」

アニは横を向いたまま黙り込む。
クラリスは困惑し、ルスカは無言で本のページを目で追っている。

その中で、ただ一人ヴィルだけがアニをじっと観察していた。
そして、ふっとやわらかく目を細める。

「ねえ、クラ?」
「ん?」

ヴィルはクラリスと視線を交わし、
そのあとアニの方へ静かに視線を送った。

――ちょっと僕に任せて。
そう伝えるような、ごく小さな合図。

クラリスは気づいて、こくりと頷く。

「ルスカ!とりあえず宿の人に地図借りに行こ!」

「……?あ、ああ」

ルスカは戸惑いながらも、クラリスと共に受付へ向かった。

ロビーに残されたのは、ヴィルとアニだけ。

ヴィルはアニの前にしゃがみ込み、そっとその目線に合わせた。アニはちらりとヴィルに視線を移し、そしてまたすぐ逸らした。

「外、行かない?今日、すごくいい天気だよ。きっと気持ちいいよ」

「だから行かないってば!」

アニはぷいと顔をそむける。

ヴィルは少しだけ首を傾げ、まるで同じ問いをやさしく置き直すみたいに言った。

「具合は、どう?」

その一言に、アニの肩がびくりと揺れた。

ゆっくりとヴィルの方へ顔を向けると、ヴィルは真正面から目を合わせる。

「昨日の馬車の時から、ずっと辛そうだったでしょ。乗り物酔いかな?……心配してたんだ」

どくん、とアニの心臓が跳ねる。

(なんで……そんなの、誰にも見抜かれたことなかったのに)

アニが目を丸くする様子に、ヴィルはくすりと笑った。

「僕ね、兄姉が11人いるんだ。甥も姪もいて……今は20人かな。よく面倒みてるから、人の体調の変化、すぐわかるんだ」

「こ、子供扱いするな……っ!」

「そんなつもりじゃないよ。ただ、気づけるだけ。でもそれって、けっこう便利なんだ」

ヴィルはそっと微笑み、すっと立ち上がった。

「それでね…そんな僕からの提案だけど。
気持ち悪い時、外の風を浴びるとすっきりしたりするよ。……ちょっとだけ、歩いてみない?」

ヴィルが手を差し出す。

(乗り物酔いなんかじゃない。この気持ち悪さは……でも)

アニはその手を、じっと、長いこと見つめた。

そして――ほんの少しだけ唇を噛んで、小さく頷き、そっとその手を取った。








「ヴィルにアニ!来てくれるのね、ありがとう!」

クラリスは近づいてくる二人を見つけると、まずヴィルにだけ小さく目配せし、その直後ぱっと明るい笑顔に変わった。

「宿屋の人に聞いたんだけど、魔物に襲われるようになったのは最近みたい。
直近で被害にあったのは……この家と、この家の人」

クラリスが地図を広げると、ヴィルとアニは自然と彼女の両側に立ち、覗き込む。

2箇所は少し離れていた。

「時間ももったいないし、二手に分かれましょ。えっと……」

クラリスがちら、とヴィルを見上げる。
視線が合うと、ヴィルは小さく頷いた。

その頷きを確認したクラリスは、ためらわずに決める。

「じゃあ、わたしとルスカ。ヴィルとアニで!お昼の鐘が鳴ったらまたここに集合ね!」

クラリスはルスカと目を合わせて歩き出し、ヴィルとアニに向けて手を振った。








クラリスとルスカはふたり地図を見ながら辺りを見回していた。

「あれかな?大きな倉庫があるからわかるっていってた」

「ああ。おそらくそうだろうな」

「それにしても……」

クラリスはきょろきょろと見回した。
何軒もの全焼している家。

「昨日は寝てて気付かなかったけど……多くない?これって……何か、関係してるのかな?」

「……あると、思っていたほうがいいだろうな」

ルスカは焼け落ちた家の前にしゃがみ、焦げ落ちた馬の玩具をつまみ上げた。
煤にまみれた木片が、指の間で音もなく砕ける。

その光景に、クラリスは胸が詰まって何も言えなかった。

(……寄ってきてない?死亡フラグ……?)

クラリスの背中に、冷たい汗が流れた。






「あれは恐ろしかったね……今思い出しても震える」

顔や手足に包帯を巻いたおじさんが、苦々しげに吐き捨てた。

「お辛いところをごめんなさい。でも、わたしたち、その魔物を討伐にきたんです。どんな魔物でした?」

「あんたたちが……討伐?」

おじさんはクラリスたちを上から下まで値踏みするように見る。
武器一つ持たない少女、無表情で腰に剣を下げた黒髪の男。

「言いたかねえが……大丈夫か?
何人も“討伐に行く”って言って山に登って……帰ってきてねえ」

クラリスはぶるりと震える。

(……最悪、魔物消せばいい、よね……?)

怒れるアニの顔を想像しながら、クラリスは頷いた。

「大丈夫か……?……まあ、無理はするなよ……あの日はなーー」

おじさんが語る話はこうだった。

その日、おじさんは魔石を台車に積み、倉庫へ運んでいた。
ふと暗くなり空を見上げると、大量の鳥。

倉庫に逃げ込む間もなく、急降下してきた鳥たちに魔石を奪われ、顔も服もつつかれて怪我を負ったという。

「……厄介だな」

ルスカが唸る。

「鳥が1箇所に固まっていればいいが、散っていれば——“消去”を何度も使うことになる」

「それは避けたいよね……過労死する」

クラリスも小さく息を吐く。

「ところで、おじさん。この辺りは魔石の産地なんですか?」

「ああ。あの山は鉱山だ。よく取れる洞窟もある。だから俺たちは魔物には慣れてたんだが……」

そこでおじさんは顔を曇らせた。

「ある日突然洞窟の前に“湖”ができちまってな」

「湖が……できた?雨とかでもなく?」

「ああ。いきなりだ。その上、あの鳥どもまで集まってきやがって、近寄れなくなっちまった」

「そんなこと、あるのかな……?」

クラリスが腕を組み、数秒だけ思案していた、その時。

おじさんが、血が滲んで汚れた包帯を掻いた。

「おじさん。その怪我……見せてもらえませんか?」

「あ?いいけど……綺麗なもんじゃねえぞ」

おじさんは困惑したように言いながら、ゆっくり包帯をほどいていく。

露わになった肌には、赤み、水疱、そしてところどころに黒ずんだ跡が残っていた。

見た瞬間、クラリスの表情から温度が消えた。

「……これは、ただの傷じゃない」

ルスカも息を呑む。
クラリスは村の一点に目をやった。

(あれって、もしかして……)

魔石の洞窟のそばに、急にできた湖。
そこに集まる鳥。
そして、村を襲って、魔石を奪っていった。

焼けた家。
この傷。

点と点が、ゆっくりと線になっていく。

(……繋がってる)

ルスカと短く視線を交わし、頷いた。

「おじさん、お願いがあります。売り物にならない魔石でいいので、少しだけ分けていただけますか?」

「あ、ああ。それくらいなら……」

「ありがとう。それから、これ」

クラリスはリュックから小瓶を出し、そっと手渡した。

「その傷、火傷です。毎日よく洗って、この薬を塗ってください。包帯も毎日取り替えてね」

「や、火傷……?突かれた跡じゃねえのか?あんたたち、なんなんだ?なんでそんなことわかるんだ?」

クラリスはルスカと目を合わせ微笑んだ。

「わたしたち、医者よ。
……たまに勇者業もやってるの」

横でルスカが、ふっと笑みを浮かべた。


(……魔物、きっと簡単じゃない)

クラリスは、胸の奥に引っかかる違和感を振り払えなかった。

(だって討伐に行った人たちは、誰も「戻っていない」)

ただ追い払われたのではない。
逃げられなかったのだ。

(……当然帰るつもりでみんなを巻き込んでるけど……本当は、一人で行くべき、なのかもな……)

胸の前で握った手を、ルスカは何も言わずに見ていた。
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