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寝間に忍び込まれる茶の間女の話──『我衣』より
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ほうほうの体で引き下がったる吉弥はどうしたものかた考えあぐねた。
神仏に誓うとまで言いだした以上、ことのほんとうのところはともかく、もう二度と若殿にこの件を持ち出すことはできない。あそこまでの若殿のご様子からすると、すずが嘘をついていることになる。人のよさげなすずだが、ひょっとすると、御家に禍する恐ろしい企みを秘めていないとまで思えてくる。
──すずにじかに問いただそうかしら。
もう少し事のなりたちを自分で明らかにしようかとも思ったが、結局、止めた。もし、すずが悪巧みをしているなら、ますますややこしいことになるかもしれず、こういう入り組んだ話を持ち込む相談先が、この家中のものにあったからである。
吉弥は女中部屋のある別棟に廊下を渡って移った。部屋に戻るためではなく、その続きにある隠居部屋、といってもいまは「老女」のために使われている一画が目当てだった。
「老女」は、文机の前にすわって、なにか書き物をしていた。
「どうかしましたか」
吉弥を招き入れると、とつぜん来て、仕事の手を止めさせたことになにも触れずに、さっそく問題をきりだすように促した。
──ほんとうに、この人は頼れるわ。
奥向きの使用人をみなまとめる役務である「老女」という呼び方には似つかわしくない、年を経てますます輝くような美人であった。
裕福な町人の娘で、小さい頃から、歌舞音曲以外にも、いろいろな習い事、教育を受けて、この家に入った。といっても、嫁入り前の修業に奥女中としてきたのでない。正妻の体が弱く、なかなか子供が得られなかった当主が、妾として求めたのであった。
そうして、男子を出生した。つまり、若殿の実母でもあった。
妾が子供を為すと、役はすんだと実家に戻し、他家に再縁させるということはよくあることだ。
しかし滝橋の場合は、当主からも、家中からもそういう話はでなかった。奥女中として、奥方にかわるほど、奥向きの仕事をこなしていたからである。
生まれながらの聡いたちで、旗本の家政、武家の仕来りをするすると理解した。地位に求められるしっかりとした部下の手綱さばきのいっぽうで、ねっからの明るい気性ゆえに、武家らしい厳めしい習いにも、笑顔をついこぼしてしまう優しさが、家中になくてはならないものとなっていた。
さきほどの若殿とのことを吉弥から聞いて滝橋は笑い出した。
「それはねえ、吉弥、若殿ではありませんよ」
滝橋にこにこと笑っていたが、その続きを聞いて吉弥はギョッとした。
「父君でございましょうよ。……父君はよい御歳をして、ちょこちょこ女の子たちにちょっかいをだしておられると見えます。……機会をみつけて白状させてみせましょう」
滝橋に怒った様子はなく、淡々と当主の素行を口にする。それだけに、老女のいうことはたしかだと、吉弥はまずは安心と引き下がった。
だが、ことは滝橋のいうようにすらすらとはいかなかった。
当主も、若殿とおなじように、にべもなくすずとの関わりを否定したのである。
「わしが、なんで、あんな醜い小娘のもとに忍び込んだりするものか。へんな嫉妬を持たれるようなことは、なにもしとらんぞ」
さすがに息子のように感情を剥き出しにすることなかったが、父子でいわんとすることは同じだった。
神仏に誓うとまで言いだした以上、ことのほんとうのところはともかく、もう二度と若殿にこの件を持ち出すことはできない。あそこまでの若殿のご様子からすると、すずが嘘をついていることになる。人のよさげなすずだが、ひょっとすると、御家に禍する恐ろしい企みを秘めていないとまで思えてくる。
──すずにじかに問いただそうかしら。
もう少し事のなりたちを自分で明らかにしようかとも思ったが、結局、止めた。もし、すずが悪巧みをしているなら、ますますややこしいことになるかもしれず、こういう入り組んだ話を持ち込む相談先が、この家中のものにあったからである。
吉弥は女中部屋のある別棟に廊下を渡って移った。部屋に戻るためではなく、その続きにある隠居部屋、といってもいまは「老女」のために使われている一画が目当てだった。
「老女」は、文机の前にすわって、なにか書き物をしていた。
「どうかしましたか」
吉弥を招き入れると、とつぜん来て、仕事の手を止めさせたことになにも触れずに、さっそく問題をきりだすように促した。
──ほんとうに、この人は頼れるわ。
奥向きの使用人をみなまとめる役務である「老女」という呼び方には似つかわしくない、年を経てますます輝くような美人であった。
裕福な町人の娘で、小さい頃から、歌舞音曲以外にも、いろいろな習い事、教育を受けて、この家に入った。といっても、嫁入り前の修業に奥女中としてきたのでない。正妻の体が弱く、なかなか子供が得られなかった当主が、妾として求めたのであった。
そうして、男子を出生した。つまり、若殿の実母でもあった。
妾が子供を為すと、役はすんだと実家に戻し、他家に再縁させるということはよくあることだ。
しかし滝橋の場合は、当主からも、家中からもそういう話はでなかった。奥女中として、奥方にかわるほど、奥向きの仕事をこなしていたからである。
生まれながらの聡いたちで、旗本の家政、武家の仕来りをするすると理解した。地位に求められるしっかりとした部下の手綱さばきのいっぽうで、ねっからの明るい気性ゆえに、武家らしい厳めしい習いにも、笑顔をついこぼしてしまう優しさが、家中になくてはならないものとなっていた。
さきほどの若殿とのことを吉弥から聞いて滝橋は笑い出した。
「それはねえ、吉弥、若殿ではありませんよ」
滝橋にこにこと笑っていたが、その続きを聞いて吉弥はギョッとした。
「父君でございましょうよ。……父君はよい御歳をして、ちょこちょこ女の子たちにちょっかいをだしておられると見えます。……機会をみつけて白状させてみせましょう」
滝橋に怒った様子はなく、淡々と当主の素行を口にする。それだけに、老女のいうことはたしかだと、吉弥はまずは安心と引き下がった。
だが、ことは滝橋のいうようにすらすらとはいかなかった。
当主も、若殿とおなじように、にべもなくすずとの関わりを否定したのである。
「わしが、なんで、あんな醜い小娘のもとに忍び込んだりするものか。へんな嫉妬を持たれるようなことは、なにもしとらんぞ」
さすがに息子のように感情を剥き出しにすることなかったが、父子でいわんとすることは同じだった。
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