どうしょういむ

田原摩耶

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性悪双子から逃れようと友人に泣きついたけど詰んだ。二日目。

幼馴染という関係

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 酷い目に遭った、どころの話ではない。
 どれ程の間気を失っていただろうか。長い間のようにも感じたし、実際はほんの数分の間だけだったかもしれない。ハッと意識を取り戻し、目を開けば見慣れない天井が目に付いた。そして辺りに響くのは脳味噌を揺さぶるほどの喧しい店内BGM。
 全体的に暗く、ゲーム筐体の光電が明かりの代わりになっている周囲を見渡し、ここがサダと遊びに来ていたアミューズメント施設だということを思い出す。
 そしてそんな店内のラウンジのベンチに俺は寝かされていたようだ。
 すぐ隣に誰かの気配を感じた。

「……美甘、気が付いたのか?」

 頭上から落ちてくる心配そうな声。その声がする方へと眼球を動かし、見上げればそこにはサダがこちらを見ていた。目が合えば、サダは心底ほっとしたように息を吐く。

「サダ……?」
「具合はどうだ?」
「ん……大丈夫だ」

 そういえば、あいつは――宋都は。
 気を失うまで人の体で好き放題しやがったあのにっくき男の姿を慌てて探そうとした時だった。

「――あ? なんだ、もう起きたのかよ、美甘」

 ラウンジの入口傍、どっから調達してきたのか美味そうなアイス片手に戻ってきた宋都に内心ぎくりとした。

「宋都、お前……っ!」
「おっと、あんま無理すんなよ。お前、昔っから体よえーからまたはしゃいでるとぶっ倒れるぞ」

 お前、どの口で言ってんだ。元はといえばお前のせいだろうが、と文句のひとつやふたつ言ってやりたかったのに起き上がろうとしただけで下半身が鈍く痛んで立ち上がることすらもできなかった。
 思わず「うう」と呻く俺に、サダは「無理するなよ」とすぐに腰を支えてくれる。にやにや笑いながらアイスを齧るどっかの悪魔とは大違いだ。サダの優しさにじーんと目頭が熱くなる。

 しかし、この状況はなんなのだ。
 ……そうだ、俺は主に宋都のせいで便所で気を失って、それで――。

「どうした、美甘。まだ意識がはっきりしていないのか?」
「サダ、俺……」
「慈光のやつが偶然、男子便所で倒れてたっていうお前を見つけてここまで運ぶのを手伝ってくれたんだよ。……随分と戻ってこなかったから心配したんだけど、悪い。俺があのときもっと早くお前の体調に気付いとけばよかった」

 ごめん、と項垂れるサダ。突っ込みたいことは色々あった。主に宋都関連だ。けどサダは一ミリも悪くない、寧ろごめんなさいすべきはそこであっという間にアイスのコーンまで平らげる男だ。

「サダ、お前は悪くない。俺のは体質みたいなもんだし……」
「そうそう、俺は昔っからこいつと一緒にいたからしってけど、大体のやつは知らねーしなあ」

「寧ろ知らなくても普通だからさ、それ。気にすんなよ」なんて言いながら笑う宋都にこいつこの野郎と睨めば、「んだよ」と宋都に睨み返される。なんでお前の方がちょっと切れ気味なんだよ、わけわかんねえよこいつ。

「ま、まぁ……でも、本当に助かったよ。慈光、ありがとな。付き合ってもらって悪かったな、後は俺がこいつのこと見ておくから」

 意外なことに、そう宋都相手に切り出したのはサダの方だった。
 そうだ、サダは宋都が俺を連れ戻すためにやってきたということを知らないのか。サダからしてみれば、宋都はただの通りすがりなわけだ。
 サダを前に、宋都は「そうかあ?」とこちらを見てくる。やつと目を合わせたくなくて俺は必死に視線を逸らしていた。
 宋都の考えは恐らくこうだろう――俺の口から、サダとの予定を断れ、と。どうせそう言いたいのだろう。こいつの考えていることなど手に取るようにわかる。
 だってそのためにわざわざ燕斗に命じられてここまで来たのだから。

 だとしても、だ。
 この双子には逆らいたくはない。ないけど、サダんちに泊まるのだって俺は楽しみにしていたのだ。だって初めての双子以外の友達だし、こいつらと一緒にいるよりも優しいサダと一緒にいる方がいいに決まってる。

 そんな気持ちが確かに俺の中にはあった。だからこそ、いや、宋都に裏切られた直後ということもあってか簡単に宋都の言いなりにはなりたくない。
 ……そんな反骨精神のようなものが俺の胸の奥で芽生えていたのだ。

 だから、「そういうことだから」と俺は喉奥から声を振り絞る。

「……そういうことだから、燕斗にも言っといて」

 今夜はあの家には帰らない。そう、震えそうになるのを堪えるように隣にいたサダの腕をきゅっと握りしめれば、サダは少しだけ驚いたように「美甘」とこちらを見下ろすのだ。

 ――ああ、言ってしまった。
 恐怖がないといえばウソになる。けれど燕斗にも逆らってしまったのも事実だし、もうここまでくればヤケクソだという気持ちもあった。

 そして、俺がここまで強く出ることができたのは宋都――この男のお陰でもあった。
 もし邪魔するならお前に無理矢理犯されたって言うからな、と視線で訴えかければどうやら宋都にも伝わったようだ。宋都は「めんどくせー」と大きな溜息を吐き、そしてすっかり興味失せたかのように肩を竦めた。

「あーそうかよ、じゃ勝手にしろ」
「え……」
「えってなんだよ、お前から言い出したんだろうが。美甘」

 確かにそうだけど、まさか、宋都は本当に俺達を見逃してくれるというのか。
 ……いやまだ信用するな、こいつの気分は音速で変わるといっても過言ではないのだ。
「でも、燕斗はいいのか?」と恐る恐る尋ねれば、宋都は「しらねーよ」と吐き捨てる。

「しらねえってなんだよ」
「まあ普通にブチ切れるだろうな。あいつ、お前と一緒にいれるの楽しみにしてたしな」
「う……で、でも」
「ああ、でもお前はあいつが鬱陶しいんだろ?」
「そこまでは言ってないだろ」
「逃げてる時点で一緒だっての」

「だよなぁ、サダ」と目を丸くさせていたサダに突然絡み出す宋都。
「おい」こいつのことをサダって言って良いのは俺だけだぞ、と宋都からサダを庇おうとすれば宋都はそんな俺を見て鼻で笑うのだ。

「まあ、精々頑張ればいい。今回は俺はお前を見つけられなかった、ということにしといてやる」

 本当にどういう風の吹き回しなのだ、と呆れて宋都を見上げれば宋都は冷ややかな笑みを浮かべるのだった。

「その代わり、フォローもしてやんねえから。尻拭いは自分でしろよ」

 これで、イーブンだからな。そう宋都は笑いながらその場をさっさと立ち去った。
 まさか、イーブンというのは人のケツを掘ったことと天秤にかけて言っているのではあるまいな。
 ――だとしたら、あまりにも軽すぎやしないか。
 そんなおれの悲痛な心の叫びが宋都に届くはずもなく、あいつは本当に俺達を見逃がしたのだった。

 本当にこれでよかったのか。大丈夫だろうか。燕斗のやつ、怒らないだろうか。本当にちゃんと宋都は上手くやってくれるんだろうか。

 不安と安堵でグチャグチャになってるようだった。
 宋都にまた殴られるのではないかと思って身構えていたお陰で、硬く握ってた拳は真っ白になっていた。

「………………」
「美甘、おい、美甘?」
「んえっ?」
「大丈夫か? やっぱりまだ具合悪いんじゃ……」

 こちらを覗き込んでくるサダに肩を揺さぶられ、はっとする。
 そうだ、今はサダがいるんだ。
 燕斗の動向は気になったが、一先ず宋都だけでも納得させられたのは大きい。そう思うことにしておこう。
 そう自分に言い聞かせながらも、俺は「うん、大丈夫」と頷き返せばサダは「そうか」とホッとしたように息を吐く。

「それにしても慈光弟、だよな。あいつわざわざお前を探しに来てたって……」
「そういうやつなんだよ、過保護ってか……」
「なるほどな。こりゃ大変そうだけど……今回ばかりはあいつが来てくれて本当良かったよ、まさかお前が倒れてるなんて思わなかったし」
「……はは」

 そもそも気絶させられたのもあいつのせいなんだけどな、と喉先まで出かかったがこらえた。偉いぞ俺。

「そうだ、喉乾いてないか? 歩くのキツそうだったらタクシー呼ぶし……」
「あー、大丈夫。歩ける」
「けど……」
「なんだよ、サダも結構過保護派か?」

 うりうり、とサダを肘で突けば「茶化すなよ」とサダは困ったように眉尻を垂れさせる。

「けど、あの兄弟が過保護になんのもわかる気がしてきた。……お前、なんだか危なっかしいもん」
「危なっかしい? 俺が? 嘘だろ、俺ほど平和主義者いないぞ……っ?!」
「いや、そーいうんじゃなくてさ……まーいいや」
「よくないっ、そこでやめられたら気になるだろっ!」

 なんてサダと言い合いながらも、俺たちは暫くお茶休憩してから店を出た。
 サダはいいやつだ、俺にお茶とアイスも買ってくれた。「熱冷ましとかになるかもしれないから」と言って好きな味を選ばせてくれたし、自分だけもりもりトッピングアイス食って帰った宋都とは大違いである。

 サダの家まで少し距離があるということで結局俺達はタクシーで向かう。
 正直ケツの中の違和感がやべーし歩く度になんか垂れてる気がして気が気でないし、そもそも腰と足の関節がガクガクで動けない俺のせいだ。侘びタクシー代を払おうとしたが、サダは「いらない、なんか可哀想だから」と断って受け入れようとしない。
 そして、結局サダの好意に甘えることになった。


 ◆ ◆ ◆


「ただいま」
「お、お邪魔します……」
「はは、声ちっさ」

 そりゃ声も小さくなる。生まれてこの方慈光家以外の他人の家に入るのなんて親戚除けば無に等しい。
 粗相しないように気をつけつつ、玄関に這いつくばって靴を揃えようとする俺に「美甘、お前そういうことするやつなんだ?」とサダは驚いたような顔をしていた。俺も驚いた。

 サダの家はマンションだった。中は小綺麗で、靴も俺んちや慈光家みたいに脱ぎ散らかされてない。ちゃんと仕舞われてる。
 サダはリビングを無視し、そのまま奥のサダの部屋へと向かうのだ。
 サダの部屋も他の部屋同様片付いていた。ちゃんと机の上に勉強道具が置かれてるし、本棚に漫画本が一冊も並んでない!
 なにもかもが新鮮でキョロキョロしてると「そんなに落ち着かないのか?」とサダに声をかけられた。

「落ち着かない、ってか新鮮って感じ?」
「ふーん。あ、美甘上着もらうよ」
「あ、ドモ……」

 制服の上着を手渡せば、几帳面にハンガーに掛けてくれるサダ。そこらへんに投げ散らかす宋都に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。
「好きに寛いでくれていいからな」とサダは言ってくれたが、ゴミ一つも落ちてない床の上に座るべきかシワ一つないベッドに座るべきか迷って右往左往してしまう。うろうろしてると、「ほら、こっち」とサダにベッドを指された。

「……ん、ここ、座っていいのか?」
「いいに決まってんだろ。どうした?」
「や、なんか……綺麗すぎてどうしたらいいのかわかんなくて……」
「はは、なんだよそれ。褒めてくれてるのか?」

 気の合うサダのことだ、きっとサダも俺と同じ汚部屋仲間と思っていただけに急に心の壁ができてしまったような感覚だ。
 けど、笑った顔は教室でのサダなのだから不思議だ。

「そういえば、サダのお母さんは? 挨拶とか……」
「ああ、うちの親夜働いてるから基本夜は俺一人なんだよな」
「あ、そうなのか? すげえ……」
「すげえのか?」

「でもま、ちゃんと友達泊まりに来るって伝えてたから飯は用意してくれたっぽい」よかったな、とサダは笑った。
 サダの友達という言葉にじーんとしつつ、俺は改めてサダのことなんにも知らないんだなと思った。ま、話すようになったのも高校に入ってなんだから仕方ないけど、サダのことを知れば知るほど常々そんな風に思い知らされるのだった。




 サダの家でテレビ見ながら晩飯食って、風呂借りて、そんで眠たくなるまで対戦ゲームしたり漫画読んだりして。
 そうそうこれだ、これが俺の求めていた理想の高校生活だ!と息巻いて今晩は絶対オールしてサダと遊び尽くすぞと意気込んだのが十五分前のことだ。

「んー……」
「おい美甘、寝るならベッドで寝ろよ」
「寝ない……眠たくねーし……」
「船漕ぎながら言うことかよ。……ほら」

 伸びてきた手に両脇を抱えられ、そのまま持ち上げられる。
「やだ、寝ない」とジタバタするが、思いの外サダの力は強くてあっさりとベッドに寝かしつけられることとなった。

「美甘、おやすみ」
「やだ……」
「やだってなんだよ」
「明日になったら、また帰らなきゃいけなくなるの……やだ……」

 そのときの俺の頭の中はというと、睡魔やらなんやらでどろっどろに溶けていた。
 それでも明確に形として残っていたのは『まだサダと遊んでいたい』という気持ちだけで、この気持ちを正直にサダに告げれば、サダは少しだけ驚いたような顔をした。

「じゃあこれからここで暮らすか?」

 なんて、冗談混じりサダの指先が前髪に触れる。
 半開きの瞼の向こう、視界が暗くなった。覗き込んでくるサダの影が覆い被さってきたのだろう。

「ん、それ……最高だ。毎日、サダと遊びたい……お前んち居心地いいし……」
「そりゃどうも。……ほら、早く寝な。明日また朝起きて、それから遊ぼうと思えば遊べるだろ」
「うん……」

 なんだか懐かしい気持ちになってくる。何故だろうか。
 頭撫でてくるサダの手が存外優しくて、俺はあっという間に睡魔の底へと突き落とされたのだった。
 それにしても、人んちのベッドってなんでこんなに気持ちいいのだろうか。サダの家だからだろうか。
 あいつらの部屋のベッドも負けじとふかふかだけど、こんなに安心して眠れたのは初めてかもしれない。
 しみじみ考えながら俺はそのまま眠りについた。


 ――そして翌朝。
 途中で叩き起こされることもなく、すやすやと爆睡していた俺は久しぶりに自主的に目を覚ますことに成功した。
 こんなに気持ちいい朝はいつぶりだろうか。余程心身疲弊していたのかもしれない。
 大きく伸びをしながら俺は辺りを見渡した。
 サダの部屋の中、俺しかいない。サダ、もう一足先に起きたのだろうか。というか、あいつ昨日どこで寝たんだろうか。
 思いながら取り敢えずベッドを降りようとしたとき、部屋の外でなにやら声が聞こえてきた。

 サダと……サダのお母さんだろうか?
そうまだ微睡んでいた頭を慌てて覚醒させ、一応いつお会いしても恥ずかしくないように髪を手櫛で整える。
 それからリビングの方へとそろりと向かったとき、俺は驚愕の光景を目の当たりにすることとなった。

 テレビもついていない無音のリビングの中、そこにいたのはサダと、もう一つの影。ソファーに腰をかけて座っていたそいつは扉から現れる俺の方を見て「美甘、おはよう」と笑ったのだ。

「……え」

 ――そこにいたのは、慈光燕斗だった。
 制服姿のやつはいつもと変わらない笑顔を浮かべていた。そのやや離れたところに腰をかけていたサダは、どこか疲れたような顔をして「おはよう、美甘」と俺を見るのだ。目があい、『悪い、バレた』とサダの唇が確かに動いたような気がした。

「ぇ、燕斗……な、なんでお前が……」
「なんでって、決まってるだろ? お前が君完きみさだに迷惑かけてるかもって思って迎えに来たんだよ」
「は」
「けど良かったな、君完がいいやつで。途中で起こすのは可哀想だから朝までせめて寝かせてやってくれだとさ」

 さ、サダ……お前……。
 感動しそうになる反面、その言い方からすると燕斗がここにきたのは俺が寝たあとってことか。
 どこから特定したのかわからないが、まさかここまで来るとは思っていなかった……わけではない。燕斗ならばやり兼ねないという頭があっただけにただひたすらサダに申し訳なかった。

「じゃ、もう気分転換にはなっただろ。……帰るよ、美甘」

 そして立ち上がる燕斗はそのまま目の前までやってくるのだ。俺の答えなど無視して、掴まれた手首を引っ張られる。

「う、ま、待って……」
「まだなにか?」
「サダにお礼もまだ言えてない……」
「俺がちゃんとお前の代わりに言ってやったから大丈夫だ。……なあ、君完」
「……ああ、そうだな」

 本当かよ、だとしてもお前絶対他にも余計なことも言ってるだろ。
 こんな疲れ切ったサダの顔見たことないぞ。

 本当は限界まで抵抗したいところだったが、そんなことよりもいち早くサダの家からこの悪魔を連れて帰ることがサダのためになるのではないか。そう考えてしまって、それ以上俺は燕斗になにも言い返せなかった。

「次、学校でちゃんと洗って返すから! ごめんな、ありがとうサダ……!」
「いいから、そういうの」

 燕斗に引きずられながらもサダに感謝を述べれば、「いいから、そういうの」と燕斗は更に腕を掴む。その力強さに堪らず「痛ぇ……っ」と呻いたとき、先程まで黙っていたサダが「慈光」と声をかけるのだ。俺を見たまま、静かに。

「どうした、君完」
「……もう少し、美甘に優しくしてやれよ。痛がってるだろ」
「さ、サダ……」

 お前は本当にいいやつだな、とじーんとしていたときだった。
 俺は気付いてしまった、そのときの燕斗の目に。1ミリも笑っていない、笑みの形だけをつくったその目に。

「――……善処するよ」

 小さく息を吐き出すように、燕斗は続ける。
 他人から見たらいつもと変わらない、穏やかな燕斗の態度だろう。
 けれど手首に食い込む指や、怒りを堪えるような溜息、そして普段よりもトーンの落ちた声――それらは俺にとって最も恐れるものでもあった。
それ以上サダは何も言わなかったし、俺も言わなかった。否、言えなかった。
 恐怖で震えながら、そのまま俺は燕斗に引きずられながらサダの家を後にすることになったのだ。




 サダの家のマンションを出てからもずっと、燕斗は無言だった。
 そのくせ、掴んだままの俺の手は離そうとしないのだから余計不気味で仕方ない。
 けれど、流石に俺にも限界というものがある。

「え、んと……っ、待って、燕斗……っ!」

 住宅街のど真ん中。思わず声を上げれば、燕斗はようやく足を止めた。

「どうした? 美甘」

 そして、こちらを振り返った燕斗はいつもと変わらない笑顔を浮かべるのだ。
 ああ、まただ。こいつはこういうやつだと俺はよく知っていた。
 言いたいことがあるのならハッキリ言えばいいのに、言わない。どう見ても、俺でも分かるくらい怒ってるくせにその肝心の不満を口にしないのだ。

「……っ、どうしたじゃないだろ。……手、痛い」

 離してくれ、と言いかけたが「駄目だ」と燕斗に先に釘を刺されてしまう。

「手を離したら、またどっかに逃げるだろ」

 ……それは否定できないけどもだ。
 元はといえば人が逃げたくなるようなことをしてきたお前らのせいなんだからな。なんて、言えたらどれだけ早いのだろうか。
 本音を口に出来ないのは俺も同じかもしれない。

「……別に、逃げない」
「本当?」
「ああ」
「……でも、やっぱ駄目」

 どっちだよ、と言いかけたとき、ぐっと燕斗に腕を引っ張られる。そして再度歩き出す燕斗に、思わず足が縺れそうになりながらも俺は「燕斗!」と声を上げた。
 今度は燕斗は立ち止まらなかった。
 俺の方を振り返ろうともしないまま「美甘が悪いんだよ」とやつは口にする。

「お、俺のせいかよ……」
「君完に迷惑かけるなよ」

 しかもなんか説教までされる始末だ。
 実際、サダに迷惑をかけてしまったのは確かだ。けど、そもそもサダに直接的に迷惑かけたのはお前だろ。燕斗。
 そう喉元まで出かかって、言葉を飲み込んだ。反抗の代わりにぎゅっと拳に力が入る。
 そして、歩いていた燕斗の目がこちらを向いた。

「え、なに……」
「美甘、お前今『迷惑かけたのはお前の方だろ』って思っただろ」
「え……」

 バレてるし。
 冷や汗が滲む。けど、「そんなことない」なんて気の利いたフォローの言葉は出てこなかった。実際そうなのだから。
 ほんの数秒、俺が否定もできないのを肯定と捉えたようだ。いきなり立ち止まる燕斗にそのまま腕を引っ張られ、心臓が止まりそうになった。

「や、……っ!」

 やめろ、殴るな、と慌てて片腕で頭を被ったときだった。
 片手を掴み上げられ、引っ張られるように足元が浮きそうになり恐怖のあまり心臓が停まりそうになる。

「ぼ、暴力は……っ」

 やめろ、と慌てて目を瞑れば、顎を掴まれる。
 燕斗の指に首の付け根を掴まれ、そのまま更に顔を上げさせられた。
 そして真正面、こちらを覗き込む燕斗とばちりと視線が絡み合った。

「なんだそれ、殴ってほしいのか」
「え、燕斗……」
「俺はそういう野蛮なことはしない。知ってるだろ」
「じゃ、じゃあ……」

 降ろせよ、と続けるよりも先に唇を塞がれる。ほんの少し、開いた隙間から滑り込まされる舌先はそのままぬるりと喉の奥まで入り込んでくる。
 驚いて腰を引こうとするが、浮きそうになったまま伸びた身体ではそれすらも儘ならない。
 せめて舌から逃げようと顔を反らすが、顎下を掴んだ燕斗の手がそれを邪魔するのだ。

「ん、う゛……っ! んん……っ!」

 朝っぱらとは言えどだ、いつどこで人が通るかも分からない道端でキスをしてくる燕斗にただ青ざめた。
 窄めようとしていた舌ごと絡み取られ、そのまま舌の根本から先っぽまで絡めとるように巻き付けられた長い舌によって唇の外まで引きずり出される。

「ん゛、ぅうぅ~~っ!」

 ぢゅぶ、と音を立てて舌の先っぽを吸い上げられ、燕斗の口の中まで引きずり込まれた。
 舌伝いに唾液を流し込まれ、受け止めきれずに溢れた唾液がとろりと唇の端から顎の下まで流れて落ちていく。
 可愛らしいキスなんてものではない。開いた喉に直接注ぎ込まれる燕斗の唾液を飲まされ、吐き出すことも許されないまま溜まった唾液に耐えきれず喉の奥へと落ちていく燕斗の体液。
 俺の口の中が空になったのを確認して、ようやく燕斗は俺から舌を抜き、地面へと下ろしてくれた。

「……っ、は、ふ……っ」

 突然のキスに耐えきれず、そのまま道路の端に座り込む俺を見下ろしたまま燕斗は「立ちなよ、美甘」と続けるのだ。

「帰るよ、俺たちの家に」

「話はそこでゆっくり聞くから」モヤがかったように痺れる思考の中、俺は逃げ出すことを諦めていた。こくりと頷き返せば、そのまま燕斗に身体を抱き起こされる。
 これから先のことなど考えたら気が気ではなかったが、道端で恥ずかしい目に遭わされるくらいなら部屋のほうがまだマシだ。
 そんな考えが俺の中にはあった。
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