【魔法使いの世界を旅する一年 2010/12〜】

Zezilia Hastler

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ラシア編 Side 空

9日目 またシチュー

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 ぼくは目を覚ました。

 日が登っている。
 いつもは日が登る前に目を覚ますぼくにとって、こういった1日の始まりは珍しかった。
 今は何時だろう。
 あちらの世界から持ってきた時計はあったが、こちらの世界の時計はなかった。
 テキトーなところで調達しよう。

 ぼくは、半透明のシェルターからそう離れていないところにある、バジリスクの死体を見た。
 鱗の表面がテカテカと光っている。
 表面に貼った霜が、太陽の光によって溶けたのだろう。

 ぼくは、朝の空気を浴びようと、シェルターの外に出て、すぐに戻った。
 バジリスクの血の匂いが半端なかった。
 鉄のような匂いに混じって、スーパーの鮮魚コーナーのような匂いもする。
 ぼくは、鼻栓を二つ生み出して、両方の穴にねじ込んだ。
 森の中で、誰にも見られていないから、見た目を気にする必要もなかった。
 なんだったら、素っ裸になって文明から解放された自由と爽快感に浸っても良い。
 ジェロームくんは猫だから、ぼくの裸を見たところで、ふーん、としか思わないだろう。
 そう思うと、なんだか安心感の後にムカつく感じもふつふつと湧き上がってきた気がしたけれど、ぼくは一体全体何にキレているのか。

 ぼくは、ほんのちょっとだけシェルター内部に入り込んでしまったバジリスクの異臭を打ち消すべく、リュックサックからお香を取り出して、それに火をつけた。
 お香から立ち上る煙を見て、ふと気が付いた。
 そういえば、最近タバコを吸っていないな……。
 こちらに来る前、ゾーイさんに買ってもらった手巻きタバコには、まだ手をつけていなかった。
 確かに香りは悪くないけれど、タバコを美味いと思う感覚がいまいちわからない。
 グロリアは、どうしてあんなものをひっきりなしに吸っているんだろう。
 タバコを吸っていれば落ち着くけど、それは多分、おっぱいを吸っていた頃を彷彿とさせるからだろう。
 何かを吸って落ち着くというのは、哺乳類に共通する本能のような気がする。
 ぼくは、談話室の暖炉前で過ごした日々を思い出して、暫しの間その思い出に浸り、肩を竦めた。

 お腹が空いた。

 結局、作るものはシチュー以外にない。
 昨日、ジェロームくんに言われて気がついたけれど、確かに、森の中で美味しい肉の香りを漂わせるのは賢くないし、学園のキャンプ教室で出た食事は確かにベジタリアンが狂喜乱舞しそうなメニューばかりだった。
 カレーはどうなんだろう。
 ルーの原材料には、牛肉などと書かれているけれど……。

 ジェロームくんは、シェルターの隅ですやすやと眠っていた。 

 ぼくは、シチューにすることにした。
 広い日本には、シチューをご飯にかける家庭もあるらしい。
 ぼくもやってみようか。
 ぼくは、フライパンに水を貼り、火にかけて、沸騰する前に、こちらで買った米をザラザラぁ……、と、フライパンに注いだ。
 透明の膜を魔力で生み出し、それで蓋をする。
 シチューを作り、チーズをこれでもかと入れる。

 今日はどれくらい進めるかな……。
 バジリスクの全長は150mという話だった。
 今日は、300mくらいまで上がって、森を見下ろしながら進むことにしよう。
 森の中を飛ぶのも楽しいけれど、今日のところは安全に行くことにした。

 ぼくは、テーブルを生み出した。
 そうこうしているうちに、お米が炊けた。
 ぼくは、少し硬めのご飯が好きだった。
 ご飯を木の器に盛り、その上に、チーズと野菜と大豆たっぷりのシチューを乗せる。

 ジェロームくんは、料理の香りに目を覚ました。

 彼は、その小さな鼻をクンクンさせた。『なんだこの匂い?』と、シェルターの隅で焚いているお香に近づき、その小さな前足で、お香をツンツンした。

「熱いよっ。気をつけな」

『良い匂いだな』と、ジェロームくんは顔をしかめながら言ったけれど、その声色には、皮肉のような感じはこれっぽっちもなかった。『でも、食事の時には嗅ぎたくない』

「あいよ」ぼくは指を振るった。お香の先が、じゅっ……、と、音を立て、火が消えた。お香の先に水滴を生み出したのだ。「食べよ」

『おぉ、なんだ、またシチューかよ』

「あぁん?」文句あんなら自分で作れや。

 ジェロームくんは肩を竦めた。『美味そうだな』と、ジェロームくんは、先日そうしたように、口を開けっぱなしにして、そこから、コォォォーっ! と冷風を放った。

「チーズと豆沢山入ってる」と、ぼくは、黒猫型のドライヤーに言った。「カレーって、大丈夫かな。原材料に牛肉が入ってるんだけど」ぼくは、リュックサックからカレールーを取り出した。

『なんだそれ? チョコか?』どういう仕組みなのか、ジェロームくんはドライヤーモードのまま言葉を口にした。

「違う。カレー。ちょっと辛いの」

 ジェロームくんは、ぴくんっ、と弾かれたように姿勢を正し、口を閉じて、ぼくを見た。彼の体はまだ微振動を続けており、彼の鼻の穴からは、相変わらず、コォォォ……、と、音が漏れていた。

「どうしたの?」

『辛いの好きっ!』

「ぼくも。でも、大丈夫なのかな。森の中で原材料に牛肉入ってる料理作っても」

『大丈夫だ。何が来ようと俺が守る』 

 黒猫相手に不覚にも胸がときめいてしまったが、それはそれとして、「何か来るリスクがあるってことね。じゃあ、街に着くまでお預けね」

『そんにゃっ!』

「語尾を可愛くしてもダメ」

『ちぇっ、じゃあ、さっさと行こうぜ。グレイなんとかって街に』

「グレイシャーね。明後日くらいかな」

『飛ばせば明日だな』

「そんなに急いでどうするの。旅は目的地にたどり着くことよりも、そこにたどり着くまでの過程にこそ意味があるの」と、ぼくはヴェルの冒険の受け売りを言葉にした。

『それについちゃ同感だが、昨日のあいつの件で分かったろ』と、ジェロームくんは、シェルターの半透明の壁の向こうで横たわっているバジリスクを一瞥した。『森には色んな変態がいる。なんせ、人の目を気にする必要がないからな。周囲への配慮の必要がない状況で本性を露わにするのが生き物って奴らだぜ。こんな変態の巣窟なんかさっさと抜けて、早いところ文明社会に戻ろうぜ』ジェロームくんは、ブウゥン……、と、ドライヤーをオフにして、シチューを食べ始めた。

 ぼくは、ジェロームくんの言葉を聞いて、先程自分の脳裏をよぎった全裸欲求を言い当てられた気がして、なんだか居心地が悪くなった。

『お、美味いっ』と、ジェロームくんは言った。

「お代わりあるよ」

『食いたいけど、パスしとくよ。満腹になると動くのキツくなるし、八分目がちょうど良い』

 ほんとに人間みたいなことを言うな……、この子。

 ぼくは、シチューを食べた。

 うん、確かに美味しい。「そうだ、外すっごい臭いよ」

『あぁ、あの変態のぴー~の匂いだろ』

「ちょっと、食事中に汚い」

『おっと失礼』ジェロームくんはお辞儀をした。『あいつらの血の匂いは、下手すると数千キロ先まで届くからな……、多分、近隣の村が対処するだろ。バジリスクの鱗や革や牙や血は、何かと役に立つがそれなりに強いからな……。狩るのに手こずるんで希少価値が高いんだ』

「君って強いんだね。一瞬でパキーン、って凍ったよね」

『あれはな、魔力を練りながら落ちて行ったんだ。そして、地面に足がついた途端に、一気に地面に魔力を流したんだ。ソラ言ってたろ。自分が戦うなら、地面を凍らせて動きを封じるか、空から魔法を撃ちまくるって』

「実演してくれたんだね」

『有効なアイデアで良かった』

「通じなかったらどうするつもりだったの?」

『そしたらネコパンチだ』ジェロームくんは、しゅっしゅっ、と、前足で空中を殴った。『でもな、あれだけのことして疲れたわ。一晩寝れば戻るかと思ったけど、久々で、戦いの勘が鈍ってたな。今日はソラのこと守ってやれそうにない。もしかしたら、二日か三日は調子戻らないかも』

「だから早く森を抜けたいって言ってたのね」

『ソラになんかあったら……』ジェロームくんは俯いた。

「大丈夫。そしたらぼくが守るよ。旅の仲間だから、支え合いで行こ」

『……ありがとにゃ』

「良いってことにゃん」

 ジェロームくんはぼくを睨みつけた。『真似すんな』

「え、ごめん」

『俺たちネコは真似されんのが一番嫌いなんだ。バカにされてる感じがする』

「そうなんだ……、どおりで……」野良猫とお友達になりたくて、見かける度ににゃーにゃー言いながら近づいて行くと、いつも決まって逃げられるのはそういうことだったのか……。いっつも、なんだこいつ、みたいな目でこちらを見上げながら後退りして、そして、シュタッ! と逃げて行くもんだから、てっきり、ぼくにはその手の才能はないもんだとばかり思っていたが、違った。ぼくはやり方を間違えていたのだ。次はにゃーにゃー言いながらにじり寄るのは辞めておこう。

『そうだ、バジリスクの鱗を何枚か持って行っても良いか?』ジェロームくんは言った。

「良いけど、臭いのはやだな……」

『包むための膜を作るくらいの魔力はあるよ。クレマンスへのお土産にしたいんだ』

 お土産って言うと……。「シスター?」

 ジェロームくんは頷いた。『モン・サン・ミシェルのな。巡礼者に振る舞うご飯も、大聖堂の運営も、タダじゃないんだ。もちろん観光客だってたくさん来るし、教会からの援助もあるが、少しでもな』

「そうだね……」ぼくも、ルナさんや弥子、グロリアやゾーイさん、ユージさんたちに、お土産を買ってあげないと。「クレマンスって良い名前だね」

『しかも美女。去年と今年で、今年の100人の美女に選ばれてた。去年は30位で、今年は32位だった』

「ちょっと下がったね」

『あの子の魅力はメイク無しで可愛いところだからな。つまり?』

「つまり?」

『メイクの勉強をすれば10年連続で1位取れちゃうわけだよ』

「やばい、会いたくなってきた」

『触ったら怒るぞ』

「ぼくとクレマンスさんに撫でられたくないの?」

 ジェロームくんは、数秒ほど考えるように宙を見つめて涎を垂らしたが、はっ、として、頭をぶるぶる振った。『ないっ』

 ぼくは笑った。「涎拭きなよ」

『涎なんか垂れてない』

「垂れてるよ」

『いつものことだ』

「いつも垂らすなよ。変態」ぼくは笑った。

 むっ、とした様子のジェロームくんは、テーブルに飛び乗り、ぼくのほっぺを、ぽふっ、と、ネコパンチした。
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