訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果

柴野

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第三話 逃亡してみる②

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「次こそは必ず!!」

 ぎゅっと拳を固めたわたしは、次なる作戦を立てた。
 数日に一度、仕事で侯爵様が屋敷を空けるらしい。その時を見計らって脱出し、うまく逃亡しさえすれば邪魔されないのでは?という我ながらかなりの名案だ。

 お飾りとはいえ侯爵夫人であるし、一応王族の血が流れているわたしの頼みを無下にはできないだろう。そう思って馬車を出してもらうことにしたのだけれど、意外と想像以上に大変だった。

「お、お出かけを……」

 出かけたいから馬車を出してほしい。
 言うべきことはたったそれだけ。しかしお仕着せの人物を目の前にすると、どうしても声が萎んでしまう。

「お出かけ、ですか?」

「そうです! あのっ、馬車をお願いできますか!」

 誰かに頼みごとをするのなんて初めてだった。

 悲鳴のように上げたその言葉を聞き入れ、使用人たちは慌てて用意してくれた。
 そのことにこっそり安堵しつつ、わたしは逃亡用の資金となる宝石をまたもや懐に詰めて出発した。

 そして馬車の窓を開け、御者にも気づかれないよう馬車を抜け出す――その算段だったのだが。

「きみは野獣か。……いや、野獣よりはずっと利口で扱いづらいか。まったく、油断も隙もないとはこのことだな」

「ふぁっ!?」

 馬車から飛び降りた瞬間、なぜか侯爵様の乗った馬車がわたしの目の前で止まった。
 中から降りてきた侯爵様は相変わらずの冷たい目だったが、それより呆れの色が濃いようにも見えた。

「屋敷に帰ってもきみの姿が見当たらず、メイドに聞けば出かけると言っていたと言うからどうせ逃げ出すつもりなのだろうと考えて追ってきたが、まさかここまでやるとは。きみはそんなに監禁されたいか? これは王命での結婚。愛はなくとも、違えることは罪になる」

 そんなの、知っている。
 けれどそれがどうした。わたしは逃げると決めたのだ。
 だから、辛い日々にも耐え続けてきた。

 見逃してくださいだとか、もう帰りませんだとか。
 そんな風に強気に言いたかったけれど、体が震えて、そんな偉そうな言葉はどうしても出てこなかった。

「今日のところは帰ります。買い物も、後日できることですし」

「ということは明日、また抜け出す気か」

 わたしはその問いかけに答えられなかった。答えたくなかった。
 侯爵様はわたしの返答を得ることを諦めたのか、それとも最初から期待していなかったのか、侯爵様が口を開く。

「……わかった。なら、俺がきみを連れて帰る。心配せずとも護衛がいるから不埒な真似をしたりはしない」

 言い終えるなり彼はわたしを横抱きにして、馬車に乗り込んでしまう。
 ――これ、十分不埒な真似だと思うんですけど!?

 叫びたいのに口から漏れるのはひゅうひゅうという掠れた息だけ。
 逃げなくては。今すぐこの腕から逃げなくては。捕まる。監禁される。もしくは追い出されて城で殺される。
 悪い想像ばかりが頭の中を駆け巡って、わたしはぎゅっと目を閉じた。

 それからどうなったのかは、よく覚えていない。
 気づいたら侯爵邸の寝室で寝かされていた。心地の良いベッドの感触を味わいながら身を起こすと、すぐ横に侯爵様の姿があったのでわたしはギョッとした。

「どうしてここに……」

「目を離したらきみはまた逃げようとするだろう。それにきみがうなされていたので、離れるに離れられなかった」

 そういえば、何か夢を見ていた気がする。
 王子たちの鬱憤を晴らすための道具として殴られ蹴られて罵声を浴びせられながら、使用人たちがわたしを嘲笑う声の中、助けなんて誰も来なくて、わたしを産んだ母と、彼女を孕ませた父のことを恨みながら泣く、そんな夢。

 いつものことだ。侯爵様との婚姻を命じられるまでは毎日がそうだった。
 そこに戻されるなんてことは、絶対に嫌だと改めて思った。わたしは絶対にここから逃亡してみせる。

「大丈夫です、わたしは。今日は大人しく寝ておきますから」

「――――」

「逃げる気はありませんよ、もう。心配なら部屋の外に見張りで使用人を置いてくださっても構いません」

 そう言いながらもわたしは、今度はどう逃げようかと考え始めていた。
 四度目の逃亡。窓を割っての庭園ルートはダメ、厨房からも無理、外に出ても追ってくる……となればどうすればいいのだろう。

 この屋敷は三階建てになっている。
 例えばこの寝室の床に穴を開け、ちょうど真下、二階にある物置へ降りて、そこで隠し通路を探すというのもありかも知れない。
 それともさらに一階下にある浴室へ行き、また窓からの脱走を図るか――。

 そしてその作戦を実行すべく、わたしは侯爵様が出て行くのを待った。
 しかし数分経ち、半時間経っても彼はまだわたしの目の前にいた。

「あの……」

「信用ならない。見張りは俺がする」

「えっ」

「見張りは俺がすると、そう言った」

 わたしは彼の言葉が信じられず、目を見開いたまま固まってしまった。
 今、侯爵様は言ったのである。見張りに立つと。つまりわたしはこの人に一日中監視されるということなのだろうか。

 それは困る。非常に困る。
 他の使用人ならば賄賂を贈るなり隙を見て逃げるなりすればどうにかいける。しかしこの、逃亡しようとするわたしを毎度毎度見つけては連れ戻す厄介な侯爵様に見られていては、絶対に無理だった。

「侯爵様にはお仕事があるはずです!」

 半ば悲鳴のような声を上げ、どうにか彼を遠ざけようとする。
 しかし。

「仕事ならここでやる。そうすれば何も問題ないだろう」

「……うぅ」

 言い返せなかった。
 それに、侯爵様の薄青の目を見ればわかった。彼が本気なのだと。

 三度目の逃亡を失敗したのがどれほど痛恨のミスだったのかを思い知る。

「仕方がありません。数ヶ月は大人しくして、それから逃げるという手も……」

 とりあえずは様子見に徹した方がいい。変に刺激をしたら、侯爵様がどんな強硬手段に出るかわからないからと言い訳をして、どうにか自分を納得させた。

 そういうわけで、わたしは侯爵様に見張られることになったのだった。
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