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第三章
第四十四話 雷帝の園
しおりを挟む頭の上からしたたり落ちてくる、真っ赤な粘液のようにどろりとした、灼熱の焔の波が幾度も打ち付けて来る。
その最中に、自分の体が一部分だけでも終わることなく、炎に焼かれる痛みを感じることもないことに、アニスは閉じていた目をそっとひらいた。
すぐそこにあるのは、少年というよりも男子。
戦いに挑むことを決意した、男性の横顔。
そして、いまそれに直面している、そんな緊迫感に満ちた顔をしていた。
これまで何度も目にしてきたそれは、アニスにとっていつもすぐに失われていくものだった。
いつもいつも。
兵士たちは自分を守り、城を守り、国を守るために犠牲になって死んでいったのだ。
また同じことを繰り返すことしている。
そのことに気づいたアニスは、はっとなり、自分を守ってくれている相手、エリオット目をそらしてしまう。
今度は、まだ年若い彼を、そんな危険な目にさらしてしまったのだと、自覚したからだった。
心の中に気まずい感覚を覚えた途端、エリオットがこちらに気付き不器用に微笑んだ。
「そんなもの一体どこで……」
「祖父から与えられました。何かあった時に使うようにと。まさかこんなすぐに使うことになるなんて思わなかったけど」
黄金の腕輪が彼の右腕に輝いている。
アニスはそれが何かをよく知っていた。
「対都市殲滅戦攻守魔導兵器……」
「よくご存知ですね。どんなものか、使ってみるまで分かりませんでした……もうあまりもちそうにないけど」
雷帝の園。
それは数百年前に開発・実用化された古い古代魔導兵器の一種だ。
当時の人間は魔族や竜族と三すくみの戦いを強いられていて、最も魔導科学が花開いた時期でもあった。
雷帝の園は、使用者を中心として、半径数メートル以内を現実空間から遮断し、特別な異空間を内部に構築する。
現実世界と異世界を隔絶する壁はエネルギーの塊で、常に雷が放出されており、それがさも美しい満開の花開く庭園に似ていることから、その名が与えられた。
使用用途は『捕獲』。決して、防壁として利用するものではないし、こういった扱い方をする者も、数百年の歴史上から見て、そうは多くない。
押し寄せる業火の波と、それを受け横に長し、時には対立して激しい雷火が咲く。青に白、黄色に朱、透けるような紫に……どす黒い闇色の焔もそこにはあった。
今まさに、たった一枚の見えない魔法の壁で、アニスたちは生きながらえているのだ。
それもすべて、エリオットの卓越した、魔導具を操るセンスによるものだった。
「これは竜を封じ込めたり、都市の周囲に展開することで、徐々にとらえた敵を弱らせて捕縛するための武器、だったと思うけれど?」
「……やっぱりこういう使い方はおかしいですか?」
「おかしいも何も、聞いたことすらない。私もいくつか使ったことはあるけど、それは全部敵を封じ込めるため。自分がその中に入って、攻撃から身を守るために使用するなんて、考えたことすらなかったわ」
呆れたものね、とアニスは正直に感想を口にした。
隣を見ると、いつもは子うるさい黒狼が、なんだか人が変わったようにしゅんっとして黙りこくっている。
どうしたのよ、と問いかけたら、尻尾の先をそっと差し出してきた。
よくよく見ると、真っ黒な夜の闇のなかですらも濡れたように光るそれが、いまはどこか勢いを無くしたかのように見えなくもない。
「……毛先がコゲちゃって……大事な尻尾なのに」
「なんだびっくりした。よかったじゃない毛先だけで」
「よく無いの! 尻尾を持たないアニスには理解できないんだわ、この気持ちわ!」
「あなたねー。こんな状況下でしっぽのことなんて、よく構ってられるわね」
「状況下?」
ほら、とアニスは天井や左右を示してやる。
そこでは炎の巨人から押し寄せる炎の波と、それを中に入れまいと攻防を続け七色に染まる、魔法壁があった。
「死ぬ時はみんな一緒だから」
「そんなこと言わないでよ!」
「でもほら……」
みんな道連れに、と言われそれがまるで予言のように聞こえてしまい、エリオットもアニスも顔面を蒼白にする。
その中にいてただ一人、リンシャウッドだけはどこかのほほんとして、平静を保っていた。
尾の焦げたことが余程ショックで、彼女にだけ平常心を保たせているのかもしれない。
みしっ、みしっと魔法壁が嫌な音を立て始めていた。
徐々にその広さが、ゆっくりと内側に縮んでくるのは気のせいだろうか。
ついでに、エリオットの顔も蒼白から土気色になりつつあり、彼の目は一心不乱に、右腕の黄金環を見つめていた。
「二人ともそんなこと言ってる場合じゃない。もうそんなにもちませんよ」
「どうしてそう分かるのですか」
リンシャウッドがまだいけそうだけど、と首を傾げる。
青年は黒狼に腕を伸ばして、金色から黒く変色していくそれを見せた。
「魔導具の寿命が近づいている?」
「そう考えてもらっていいと思います。どうしますか、このままだともってあと5分。逃げ場所は……」
エリオットが歩ける限り、この結界は移動しながら保つことができるはずだ。
三人は首を振って周囲を確認した。
自分たちが立っている周囲ニメートルほどの外側は、崩落したようになり溶岩によって削り取られている。
その向こう側にあるのは、もちろん、溶岩の小川だ。
今も、熱さに耐え切れなくなった岸辺の大木がその中になだれ込み――ジュワーっと音を立てて蒸気に変化した。
これは自分たちの未来の姿だ、思わずそう確信してしまうアニスたちをあざ笑うかのように、ぐらっ、ぐらっと足元が揺れる。
「なになにっ?」
「足場が徐々に削られているんだよ! このままだと」
「倒壊する――っ」
逃げなければ。
しかし一体どこにどうやって逃げる。
左右の幅数メートルは溶岩の川に塞がれていて、飛び込むことも、飛び越えることも人間では不可能だ。
獣人のリンシャウッドならば、と思ってアニスは見たが黒狼は静かに首を振る。
絶体絶命。
そして、ただ一つの救いとなるのが、巨人からの攻撃が止んだことだ。
彼は他の場所から打ち込まれる遠隔の魔法攻撃に興味を引かれたのか、アニスたちに獰猛な勢いで炎をけしかけるのを辞めていた。
見るとはるか先の丘の上。
一本だけ立っている巨木の中腹に、幾人かの魔法使いと思しき人物がいて、その人々が氷や水の魔法を炎の巨人に浴びせかけている。
それはあまりにも効果が弱く、届いた瞬間に蒸発しそうなものではあったが――。
今この瞬間、アニスたちの生死をわけたのは、確かだった。
「どうしますか……。これが崩れるのを待って、向こう岸に飛び移るっていう方法もあるけども」
「そこまで待ってる間に、魔法の壁が消えたら意味がない」
「じゃあ……?」
「みんな地面に捕まって。打ち上げるから!」
とっさに放たれたその一言に、他の二人は反射的に意味を理解して、行動に移る。
エリオットがしゃがみこみ、リンシャウッドは地面にへばりついていた。
アニスは両手で大地を包み込むと、静かに魔力をその内側に練り込んでいく。
「回復ポーションです」
「ありがとう」
エリオットが瓶の蓋を開け、飲ませてくれたそれにより、薄くなっていた魔力が限定的にだが、蘇る。
アニスは渾身の力を振り絞り、自分たちが立っている地面を弾丸の代わりにして、高く空へと打ち上げた。
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