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第1話 片思い(冬真)
しおりを挟む金沢冬真は大学の花と呼ばれている。
色素の薄い髪に、印象的な同色の瞳。モデルのような長身が道を歩けば、花が咲いたように色めき立つ。そんな女性たちの反応からついた異名だが、本人はとくに気にする風もなく。飄々とした顔で歩くものだから、周囲はますます興味をそそられた。
そして今日も冬真は、大学内の冬枯れた並木道で痛いほどの視線を浴びながら歩く。ただ、無表情を装ってはいるが、やや浮わついた顔をしていた。
なぜならこれから始まる講義で会いたい人に会えるのだ。
胸の高鳴りを感じながらステップを踏んでいると、周囲は微笑ましそうな顔をした。
ちなみに冬真の会いたい人というのは、片思い中の相手だった。
同じ大学内に好きな人がいるのは、幸運かもしれない。同じ空間にいて、接する機会も多いのだから。だが、嬉しいことばかりでもなかった。
相手は簡単にはいかない──同性なのだ。
今の世の中、同性のパートナーを持つ人間がいないわけではないが。
ある程度は寛容な世の中になったからといって、告白するハードルが下がったわけでもなく。簡単に気持ちを告げることができそうになかった。
マイノリティである限り、相手の気持ちが同じである可能性は低いのだ。
かといって、日毎募っていく想いを見ないふりすることもできず。
冬真は今日も胸を躍らせながら、近代的なコンクリート打ちっぱなし校舎の——講義室のドアに手をかける。
すると、親友の相原叶芽が窓際で手を振った。
「あ、冬真! 昨日はどうだった?」
その無邪気な笑顔に、冬真は自然と相好を崩した。
何を隠そう、好きな人というのは、叶芽のことなのだから。
冬真は講義室に入るなり、熱のこもった目で、親友を視界に捉える。
染めたことのない艶やかな黒髪に伏し目がちにも見える切れ長の瞳。
どちらかと言えば色気のある目をしているが、笑うと可愛い雰囲気になるのが叶芽の魅力だった。
目が合うだけでぞくりとした。
だが冬真はやましい気持ちなどおくびにも出さずに親友の仮面で笑顔を作る。
朝イチの話題は、昨日の合コンについてだった。
「ダメだったよ、収穫なし」
並んで座った冬真が肩を竦めてみせると、叶芽は呆れた顔をする。そんな顔も可愛いと思ってしまう冬真だが、ポーカーフェイスを貫いていた。
だが冬真に悪気がないのを見て、叶芽はますます不機嫌な顔をする。
「合コンに行きたいっていうから、集めてあげたのに。またダメだったの?」
ため息を落とす叶芽の、トレーナーからのぞく肩を見つめる。
冬真は無意識のうちに、叶芽の肌ばかり見ていた。
(首周りが広すぎ……なんでそんなに無防備でいられるんだろう)
などと考えながらも、冬真は相変わらず表情には出さない。それどころか、咎めるような目を、叶芽に向ける。
「集めた本人が合コンに来ないっていうのもおかしくない? 叶芽だって、今フリーなんだろ?」
「……いいんだよ、俺は。今じゅうぶん幸せだから」
叶芽は口癖のように『自分は幸せだ』と言う。その言葉は、いつも鋭い槍となって、冬真の胸を刺した。
自分は叶芽といるだけでこんなに苦しいのに、どうして叶芽だけが幸せなんだろう……などと、一人思い悩んでいることを、叶芽が知るはずもなく。
なので叶芽に当てつけるように合コンをセッティングさせていたが、悲しくなるのは冬真のほうだった。
「いいよな、叶芽は毎日が楽しそうで」
「冬真こそ、そんなに幸せになりたいなら、さっさと彼女を作ればいいのに」
「今回も好みの子がいなかったんだよ」
ぶっきらぼうに返すと、叶芽はますます呆れた顔をする。さすがに毎日のように女の子を振ってばかりいるのは、おかしいだろう。
しかも合コンの度に、叶芽と比べてしまう自分がいた。それでどれだけ好きかを自覚するもの、日に日に膨らむ気持ちを持て余すしかなかった。
(ああ、好きだ、好きだ、好きだ)
叶芽に言えたらどれだけ幸せだろうか。
そしてこの地獄はいったいいつまで続くのだろうか。
いっそ叶芽と距離をとりたいと思ったこともあったが、それでも目で追ってしまう自分がいて、どうにも制御ができなかった。
それに恋をして初めてわかった。自分がどれだけ独占欲の強い人間かを。
自分以外が叶芽の傍にいると、たまらず嫌な気持ちになった。だから冬真は、報われないとわかっていても、叶芽の傍にいることを選んだのだ。
だが相変わらず冬真を友達としか見ていない親友は、冬真に脈がないことを言い聞かせるかのように、平然と地雷を踏んだ。
「冬真は大学内で一番カッコいいって言われてるし、めちゃくちゃモテるのにもったいないね。俺が冬真だったら、すぐに彼女作りそう」
「どうでもいい子にモテたって仕方ないよ」
「どうでもいいなんて、ひどいこと言うよね」
叶芽が少しだけ怒り口調で口を尖らせる。
そんな怒った顔さえも愛しくてたまらないと思うのは、もはや末期だろう。
だが冬真の懊悩も知らず、叶芽は説教を始める。
「あのね、冬真。冬真を想う人の中には本気の子だっているんだよ? それ全部に向き合ってとは言わないから、せめて相手の気持ちを汲むことを覚えて?」
「ね?」と、可愛く首を傾ける叶芽を見て、冬真は怪訝な顔をする。
わざとやっているのか、あざとすぎて可愛さよりも憎さが勝った。
だが相変わらず表情管理が得意な冬真は、意識しているなどとは微塵も思わせずに、関係ないことを口にする。
「で、叶芽の今日の予定は?」
「午後はとくにないけど」
「じゃあ、呑みに行く?」
「俺が酒苦手なのを知ってて言ってるでしょ?」
「あはは、叶芽は呑んだら三秒で寝るんだよな?」
「わかってるなら、言わないでよ」
本当は知っていた、叶芽が酒に強いことも。
だがなぜだかわからないが、叶芽は冬真の誘いをいつも断った。
最初は本当に酒が苦手だと思っていた冬真だが、共通の友人が叶芽と呑んだ時のことを喋った。
下戸どころか、叶芽は浴びるほど呑むとさえ聞いた。
そのことを本人は秘密にしたいらしいが、友人のほうがうっかり教えてくれたのだ。
だから知りたかった。どうして叶芽が冬真の誘いを断るのか。
冬真と呑むことに、何か不安があるのなら払拭したい。
だがそんなことすら、冬真は聞くことができず。今日も友達のふりをして、何気ない遊びに誘う。精一杯の勇気で。
「……なあ、叶芽。あとで散歩に行かないか?」
「はあ? 散歩? この寒空の下で?」
「寒いからいいんだよ」
寒さは自分の衝動を抑えてくれる。
この恋心を悟られないためにも、場所の選択は重要だった。
***
大学からバスで三十分の場所には、湖と街が一望できる灯台がある。夜は絶好のデートスポットだが、人気のない昼間に行くのが冬真は好きだった。
だが叶芽はというと、寒さにめっぽう弱いこともあり、見晴らしの良い灯台の下で冬真を睨みつける。
「ほら、やっぱり寒いじゃん!」
「この寒さの下で見る景色だから綺麗なんだよ。それがわからないなんて、叶芽はお子様だな」
「なんでそう悪態をつくかな。俺になにか恨みでもあるわけ?」
「それはあるかも」
「なんだよそれ、いったい何を恨んでるの?」
「なんだろうな」
すべてが愛しすぎて、この時間がずっと続けばいいと冬真は思う。
だが学生でいられるのもあと一年と少し。
卒業すれば、今のように一緒にいられることはなくなるだろう。卒業後のことは想像もつかなかった。
「なあ、座らないか」
「ええ? この寒い中、あえて冷たいベンチに?」
「お、意外とあったかい」
冬真は目の前のベンチにどっかり座ると、叶芽に向かって余裕の顔を見せる。本当は刺すような冷たさにもかかわらず、なんでもない風を装えば、叶芽は目を丸くした。
「え? ほんと? ……って、冷たっ!」
騙されてベンチに座った叶芽を見て、冬真は声を上げて笑った。
すぐに人を信じるところは、叶芽の良いところだが、少々将来が不安でもあった。
「んもう」
そして怒った顔をしながらも、決して冬真を責めたりもせず。優しい顔で一緒に笑う叶芽。
そんな風に、隣にいてくれる親友が、愛しすぎて。抱きしめたい気持ちを必死にのみこんだ。
————ああ、苦しい。だけど、愛しい。
自分だけを見てほしいとは言えない。
それでもせめて自分だけの親友であってほしいと切に願う。
だがそんな冬真の内心を知らない叶芽は、隣でただ寒そうに縮こまっていた。
あまりにも寒そうな叶芽を見て、さすがに反省した冬真は苦笑する。
「……こうすれば温かいだろ」
「え」
冬真は叶芽の手に自分の手を重ねる。
すると、そのささやかなぬくもりに、叶芽は破顔した。
「冬真の手よりホッカイロが欲しいよ」
文句を言いながらも、楽しそうな叶芽を見て、冬真は離さないとばかりに、重ねた手に力を込めた。
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