7 / 13
第7話 甘くて苦い時間(叶芽)
しおりを挟む
「——以上です。皆さん、お疲れ様でした」
初老の教授がそう締めくくると、叶芽のグループワークのメンバーたちは挨拶もそこそこに、講義室を出ていった。
叶芽もやりきった感いっぱいに伸びをして退出すると、冬真のいる別棟に向かう。隣接した校舎は、食事に移動する人がほとんどだった。叶芽はガラガラの講義室に頭をのぞかせる。すると、冬真は机で座ったまま眠っていた。
その無防備な寝顔を見て、叶芽は思わず笑顔で近づく——が、
「うーん……叶芽って柔らかい。もっと触らせて……」
冬真の寝言に衝撃を受けた叶芽は、顔を真っ赤にして冬真の肩を揺さぶった。
「おい! 変なこと言うなよ!」
「優しくするから~」
「こらあ!」
あまりの恥ずかしさに耐えきれなくなった叶芽は、思わず冬真の両頬をつねる。
すると、冬真は驚いた様子で目を開けた。
「なんて夢見てるんだよ!」
「……ん? 叶芽?」
何もなかったように、ぼんやりとした顔で見上げる冬真に、叶芽は苦笑する。
問題発言を、他の生徒に聞かれなかっただけマシだろう。そう、思うことにした。
なんだかんだ、冬真に甘い叶芽なのである。
「起きろよ。この教室、別の講義で使われるから早く出ないと」
「え? 夢? さっきの夢だった?」
「夢の内容までは聞かないけど……堂々と寝すぎ」
「ああ、昨日は遅くまで発表の練習してたから」
「とりあえず移動しよう」
叶芽が疲れた顔をして講義室を出ると、冬真も慌てて追いかける。
よく晴れた並木道は相変わらず冬枯れていたが、電飾で無理やり賑やかにされていた。
叶芽は白い息を吐き出しながら、冬真に尋ねる。
「どうする? このあとランチ?」
途端に、尻尾を振る犬のように目をキラキラさせる冬真。
ようやく忙しさも落ち着いて、一緒にいることが多くなった二人だが、冬真のわかりやすさに、叶芽は苦笑するしかなかった。
しかも、両想いと知ってからの冬真は、以前のように遠慮することもなく。あからさまな態度をとった。
「ねぇ、昼間から飲むのはナシ?」
「ナシだよナシ! 下心見え見えなんだけど」
「恋人に下心持たない奴なんていないだろ?」
開き直る冬真に、叶芽は思わず周囲を確認する。
だが挙動不審な叶芽と違い、冬真の方は堂々としたものだった。
「ちょっと、外で恋人とか言うなよ」
「え? 何がダメなの?」
「お前は……なんでそんなに自由人なんだ」
「叶芽は気にしすぎだよ。あんまり気にするとハゲるよ」
「……とにかく、飲むなら夜にしよう。まずは昼めし」
「わかった」
夜なら叶芽も相手をするとわかって、冬真は笑みをこぼす。
そのわかりやすさに叶芽が苦笑していると——ふいに、叶芽の手を繋ごうとして冬真が触れた。が、叶芽は即座にその手を払いのけた。
「だから、外でイチャつくのはナシ!」
「なんでダメなんだよ」
不服そうに口を尖らせる冬真に、叶芽はため息を吐く。
「周りからどんな目で見られるかわからないんだぞ?」
「俺は見せつけたい。叶芽が俺のものだって」
「……やめてよ、恥ずかしい」
思わず冬真から顔を背ける叶芽だが、耳が熱くなるのを感じた。
冬真の甘い言葉に慣れない叶芽は、突き放すような態度をとるが、そんな叶芽を見て何を思ったのか冬真は満足げに笑っていた。
***
「それでさ、俺が思っていた以上にこのテーマが難しくて……資料がもっと必要なんだよね」
「うん」
「だから明日また資料を見直そうと思ってるんだけど、図書館で借りなおすのも面倒だし、いっそ何冊かは買おうかと思って」
「うん」
「聞いてる?」
「うん」
「冬真?」
「話は終わった?」
「お前は……」
「じゃあさ、キスしてもいい?」
「ほんとにそのことしか頭にないのな……それで成績いいんだからムカつく」
冬真のマンションでいつものように呑んでいた叶芽だが、相変わらず愚痴ばかりにもかかわらず、冬真は始終嬉しそうな顔をしていた。
わかりやすいのは良いことだが、あからさますぎて、叶芽は時々困ることもあった。
今までとは違う関係になったことで、やたら甘い雰囲気を垂れ流す冬真だが、居心地の悪い思いをするのは叶芽ばかりだった。
落ち着かない気持ちになった叶芽は、酒で誤魔化そうとグラスに口をつける——が、おかわりをしようとしたところで、グラスを冬真に取り上げられた。
「待ってよ、まだ俺は呑み足りないんだ」
「じゃあ、俺が呑ませてやるよ」
叶芽の手から奪い取った酒を口に含んだ冬真は、そのまま叶芽の口に移して……深いキスをする。ソファに押し倒す勢いで口づけられた叶芽は、やや泣きそうな顔で冬真を押し返す。その震えて力ない腕を掴んだ冬真は、ゆっくりと離れながら、ぺろりと唇を舐めた。
「夢よりもずっと甘いね」
冬真の真っ直ぐな視線が怖くなり、叶芽は思わず離れようとするが、抱きしめてくる腕はびくともしなかった。
そして何度も唇に食らいつかれた後、ようやく解放された叶芽は、大きな息を吐く。
「ちょっと冬真、盛りすぎ」
叶芽が文句を言うと、冬真は再び叶芽を抱きしめる。
冬真の抱きしめる力があまりに強くて、叶芽が抵抗すると、逃がすまいと腕に力をこめられた。
本心を告げたことを、今さら後悔しても遅かった。
今まで大人しかっただけに、冬真がこれほど欲を秘めていたとは思いもよらず。言葉で攻められる以上に、動揺することが多くなった。
そして冬真は熱に浮かされたような顔で叶芽に覆いかぶさると、静かに告げる。
「今日こそ……いいよね?」
「え、ええ⁉︎ ……いや、まだちょっと」
「ちょっと何?」
「心の準備ができてないから、無理」
「あーあ、夢の中の叶芽はあんなに可愛かったのに」
冬真の呟きに、ムッとした叶芽は冬真の下からすり抜ける。
「じゃあ、可愛い奴を探せばいいだろ」
「叶芽」
「俺、もう帰る」
「待って、叶芽」
背中から再び抱きしめられて、叶芽は動けなくなる。
本気で抵抗しても、冬真のバカヂカラからは逃げられなかった。
「離せよ」
「嫌だ」
「お前にとって都合のいい奴を探せばいいんだよ」
「泣くなよ」
「泣いてなんかない」
「ごめん、俺が焦りすぎたから」
「お前は簡単に言うけどな……お、俺は……怖いんだからな」
「ビビッてる叶芽も可愛い」
「ビビッてるって言うなよ。それに可愛い可愛い連呼しすぎなんだよ」
「本当のことだから」
「……はあ、もう冬真には負けるよ」
「じゃあさ、毎日少しずつ触れるのはどう?」
「毎日少しずつ?」
「少しずつ進むなら、怖くないだろ?」
正面に回り込んで、叶芽を見つめてくる目は穏やかだった。まるで子供をあやすように頭を撫でる冬真に、叶芽の気持ちが解されてゆく。
そのせいか、叶芽は警戒心もそこそこに、軽い口調で尋ねる。
「少しずつ……か、じゃあ、初日はどこまで?」
「首まで?」
「なんだよそれ」
叶芽が破顔すると、近くで固唾を呑む音が響いた。
「少しずつならいいかも」
冗談だと思っていた。まるで他人事のように言うと、冬真の目が光を帯びる。だが冬真の変化に、叶芽は気づかなかった。
そして冬真は、人の好い笑みを浮かべて、砕けた調子で言った。
「よし、とりあえず寝室へ行こう」
「なんで寝室なんだよ」
「雰囲気作り」
「お前は、何を言ってるんだか」
再び笑顔を見せると、冬真のほうからまたごくりという音が聞こえた。
その時の叶芽は完全に油断していた。
冬真の頭の中が叶芽でいっぱいになっていることにも気づかず、叶芽は冬真に言われるがまま寝室に向かった。
***
「はは、くすぐったい」
冬真が叶芽の首に唇を押し付けると、叶芽は無邪気に笑った。
そして、キスで口を塞がれた叶芽は、それに応えるようにして目を閉じる。
触れただけで胸が温まる──そんなキスは叶芽にとって初めてだった。
「……はあ、今日は泊まっていこうかな。なんだか眠くなってきた……って、ちょっと冬真?」
酒がよい具合にまわる中、冬真の唇は叶芽の首から鎖骨のあたりに移動した。少しだけ背筋がゾッとする。冬真の行動に、すでに何かを予感していた。
だが、叶芽は冗談めかして、冬真の頭を軽く叩いた。
「こら、首だけだろ?」
すると、冬真は一瞬動きを止めた。が、すぐにまた首筋に口づける。舌が這う感覚に、少し恐れを抱きながらも、まだ笑って許した。
「はは、だからくすぐったいって……って、おい」
薄いトレーナーのすそからするりと滑りこんできた手に、叶芽はビクリとする。
その手は叶芽の腹を這うようにしてのぼっていった。
さすがに叶芽は怖くなって、冬真の手を止めようとする。だが、叶芽の手は簡単に払われた。
とうとう怒りが沸騰した叶芽は、冬真を睨みつける。
「や、やめろって! おい」
「寝室に入るってことは、そういうことだよ」
「そういうことって——」
様子がおかしい冬真を押し退けようとすると、ものすごい力で押さえつけられた。
その本気の力にゾッとした叶芽は慌てて逃げようとするが、冬真からは逃げられなかった。
トレーナーを剥ぎ取られて焦った叶芽は、覆いかぶさる冬真に懇願する。
「ちょっと冬真、お願いだからやめ……て」
「叶芽、可愛い」
「お前はそれしか言わないのか」
「ねぇ、いいでしょ?」
「よくない! ──ひゃっ」
冬真の手が体の上で動くたび、叶芽は声をもらした。
「叶芽、愛してる」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
叶芽は泣きそうな声で再び懇願する──が、今度は無視された。
冬真の息遣いが間近で聞こえてゾッとする中、叶芽は抵抗を試みるが。
(やばい、呑みすぎたせいで力が入らない)
恐怖も相まって、どうしても震えてしまう手は、冬真を止めるどころか、もはや押し返すことも出来なかった。
「嫌だったら、もっと抵抗しなよ」
冬真の言葉にカチンときた叶芽は、恐怖を追い払って、なんとか本気で冬真を殴った。だが、酒のせいで力の入らない手では、じゃれるようにしか当てられず。冬真に腕を掴み取られる。
そして冬真は叶芽の手にキスをして、そのまま下へと移動していった。
「ちょ、ほんとに、お願いだから……やめて」
今度こそ本気の懇願だった。
だが冬真はそれすら嬉しそうな様子で、叶芽を啄むことをやめなかった。
それからあっと言う間に素肌で重なりあった二人だが。心が追いついていないせいか、抵抗しか感じられず。
叶芽はそれから泣いたり、騒いだり、怒ってみたりして、冬真の目を覚まさせようとするが、どれも効かなかった。
好き勝手にされることに、動揺よりも羞恥心が勝っていた。
あまりに恥ずかしくて震える叶芽を、容赦なく愛撫する冬真。
女性との経験も少ない叶芽にとっては、驚きの連続で。
未知の感覚でも、ひたすら我慢するしかなかった。
途中からはもう頭が真っ白で、叶芽は何をされているのかもよくわからなかったが、気づけば朝を迎えていた。
初老の教授がそう締めくくると、叶芽のグループワークのメンバーたちは挨拶もそこそこに、講義室を出ていった。
叶芽もやりきった感いっぱいに伸びをして退出すると、冬真のいる別棟に向かう。隣接した校舎は、食事に移動する人がほとんどだった。叶芽はガラガラの講義室に頭をのぞかせる。すると、冬真は机で座ったまま眠っていた。
その無防備な寝顔を見て、叶芽は思わず笑顔で近づく——が、
「うーん……叶芽って柔らかい。もっと触らせて……」
冬真の寝言に衝撃を受けた叶芽は、顔を真っ赤にして冬真の肩を揺さぶった。
「おい! 変なこと言うなよ!」
「優しくするから~」
「こらあ!」
あまりの恥ずかしさに耐えきれなくなった叶芽は、思わず冬真の両頬をつねる。
すると、冬真は驚いた様子で目を開けた。
「なんて夢見てるんだよ!」
「……ん? 叶芽?」
何もなかったように、ぼんやりとした顔で見上げる冬真に、叶芽は苦笑する。
問題発言を、他の生徒に聞かれなかっただけマシだろう。そう、思うことにした。
なんだかんだ、冬真に甘い叶芽なのである。
「起きろよ。この教室、別の講義で使われるから早く出ないと」
「え? 夢? さっきの夢だった?」
「夢の内容までは聞かないけど……堂々と寝すぎ」
「ああ、昨日は遅くまで発表の練習してたから」
「とりあえず移動しよう」
叶芽が疲れた顔をして講義室を出ると、冬真も慌てて追いかける。
よく晴れた並木道は相変わらず冬枯れていたが、電飾で無理やり賑やかにされていた。
叶芽は白い息を吐き出しながら、冬真に尋ねる。
「どうする? このあとランチ?」
途端に、尻尾を振る犬のように目をキラキラさせる冬真。
ようやく忙しさも落ち着いて、一緒にいることが多くなった二人だが、冬真のわかりやすさに、叶芽は苦笑するしかなかった。
しかも、両想いと知ってからの冬真は、以前のように遠慮することもなく。あからさまな態度をとった。
「ねぇ、昼間から飲むのはナシ?」
「ナシだよナシ! 下心見え見えなんだけど」
「恋人に下心持たない奴なんていないだろ?」
開き直る冬真に、叶芽は思わず周囲を確認する。
だが挙動不審な叶芽と違い、冬真の方は堂々としたものだった。
「ちょっと、外で恋人とか言うなよ」
「え? 何がダメなの?」
「お前は……なんでそんなに自由人なんだ」
「叶芽は気にしすぎだよ。あんまり気にするとハゲるよ」
「……とにかく、飲むなら夜にしよう。まずは昼めし」
「わかった」
夜なら叶芽も相手をするとわかって、冬真は笑みをこぼす。
そのわかりやすさに叶芽が苦笑していると——ふいに、叶芽の手を繋ごうとして冬真が触れた。が、叶芽は即座にその手を払いのけた。
「だから、外でイチャつくのはナシ!」
「なんでダメなんだよ」
不服そうに口を尖らせる冬真に、叶芽はため息を吐く。
「周りからどんな目で見られるかわからないんだぞ?」
「俺は見せつけたい。叶芽が俺のものだって」
「……やめてよ、恥ずかしい」
思わず冬真から顔を背ける叶芽だが、耳が熱くなるのを感じた。
冬真の甘い言葉に慣れない叶芽は、突き放すような態度をとるが、そんな叶芽を見て何を思ったのか冬真は満足げに笑っていた。
***
「それでさ、俺が思っていた以上にこのテーマが難しくて……資料がもっと必要なんだよね」
「うん」
「だから明日また資料を見直そうと思ってるんだけど、図書館で借りなおすのも面倒だし、いっそ何冊かは買おうかと思って」
「うん」
「聞いてる?」
「うん」
「冬真?」
「話は終わった?」
「お前は……」
「じゃあさ、キスしてもいい?」
「ほんとにそのことしか頭にないのな……それで成績いいんだからムカつく」
冬真のマンションでいつものように呑んでいた叶芽だが、相変わらず愚痴ばかりにもかかわらず、冬真は始終嬉しそうな顔をしていた。
わかりやすいのは良いことだが、あからさますぎて、叶芽は時々困ることもあった。
今までとは違う関係になったことで、やたら甘い雰囲気を垂れ流す冬真だが、居心地の悪い思いをするのは叶芽ばかりだった。
落ち着かない気持ちになった叶芽は、酒で誤魔化そうとグラスに口をつける——が、おかわりをしようとしたところで、グラスを冬真に取り上げられた。
「待ってよ、まだ俺は呑み足りないんだ」
「じゃあ、俺が呑ませてやるよ」
叶芽の手から奪い取った酒を口に含んだ冬真は、そのまま叶芽の口に移して……深いキスをする。ソファに押し倒す勢いで口づけられた叶芽は、やや泣きそうな顔で冬真を押し返す。その震えて力ない腕を掴んだ冬真は、ゆっくりと離れながら、ぺろりと唇を舐めた。
「夢よりもずっと甘いね」
冬真の真っ直ぐな視線が怖くなり、叶芽は思わず離れようとするが、抱きしめてくる腕はびくともしなかった。
そして何度も唇に食らいつかれた後、ようやく解放された叶芽は、大きな息を吐く。
「ちょっと冬真、盛りすぎ」
叶芽が文句を言うと、冬真は再び叶芽を抱きしめる。
冬真の抱きしめる力があまりに強くて、叶芽が抵抗すると、逃がすまいと腕に力をこめられた。
本心を告げたことを、今さら後悔しても遅かった。
今まで大人しかっただけに、冬真がこれほど欲を秘めていたとは思いもよらず。言葉で攻められる以上に、動揺することが多くなった。
そして冬真は熱に浮かされたような顔で叶芽に覆いかぶさると、静かに告げる。
「今日こそ……いいよね?」
「え、ええ⁉︎ ……いや、まだちょっと」
「ちょっと何?」
「心の準備ができてないから、無理」
「あーあ、夢の中の叶芽はあんなに可愛かったのに」
冬真の呟きに、ムッとした叶芽は冬真の下からすり抜ける。
「じゃあ、可愛い奴を探せばいいだろ」
「叶芽」
「俺、もう帰る」
「待って、叶芽」
背中から再び抱きしめられて、叶芽は動けなくなる。
本気で抵抗しても、冬真のバカヂカラからは逃げられなかった。
「離せよ」
「嫌だ」
「お前にとって都合のいい奴を探せばいいんだよ」
「泣くなよ」
「泣いてなんかない」
「ごめん、俺が焦りすぎたから」
「お前は簡単に言うけどな……お、俺は……怖いんだからな」
「ビビッてる叶芽も可愛い」
「ビビッてるって言うなよ。それに可愛い可愛い連呼しすぎなんだよ」
「本当のことだから」
「……はあ、もう冬真には負けるよ」
「じゃあさ、毎日少しずつ触れるのはどう?」
「毎日少しずつ?」
「少しずつ進むなら、怖くないだろ?」
正面に回り込んで、叶芽を見つめてくる目は穏やかだった。まるで子供をあやすように頭を撫でる冬真に、叶芽の気持ちが解されてゆく。
そのせいか、叶芽は警戒心もそこそこに、軽い口調で尋ねる。
「少しずつ……か、じゃあ、初日はどこまで?」
「首まで?」
「なんだよそれ」
叶芽が破顔すると、近くで固唾を呑む音が響いた。
「少しずつならいいかも」
冗談だと思っていた。まるで他人事のように言うと、冬真の目が光を帯びる。だが冬真の変化に、叶芽は気づかなかった。
そして冬真は、人の好い笑みを浮かべて、砕けた調子で言った。
「よし、とりあえず寝室へ行こう」
「なんで寝室なんだよ」
「雰囲気作り」
「お前は、何を言ってるんだか」
再び笑顔を見せると、冬真のほうからまたごくりという音が聞こえた。
その時の叶芽は完全に油断していた。
冬真の頭の中が叶芽でいっぱいになっていることにも気づかず、叶芽は冬真に言われるがまま寝室に向かった。
***
「はは、くすぐったい」
冬真が叶芽の首に唇を押し付けると、叶芽は無邪気に笑った。
そして、キスで口を塞がれた叶芽は、それに応えるようにして目を閉じる。
触れただけで胸が温まる──そんなキスは叶芽にとって初めてだった。
「……はあ、今日は泊まっていこうかな。なんだか眠くなってきた……って、ちょっと冬真?」
酒がよい具合にまわる中、冬真の唇は叶芽の首から鎖骨のあたりに移動した。少しだけ背筋がゾッとする。冬真の行動に、すでに何かを予感していた。
だが、叶芽は冗談めかして、冬真の頭を軽く叩いた。
「こら、首だけだろ?」
すると、冬真は一瞬動きを止めた。が、すぐにまた首筋に口づける。舌が這う感覚に、少し恐れを抱きながらも、まだ笑って許した。
「はは、だからくすぐったいって……って、おい」
薄いトレーナーのすそからするりと滑りこんできた手に、叶芽はビクリとする。
その手は叶芽の腹を這うようにしてのぼっていった。
さすがに叶芽は怖くなって、冬真の手を止めようとする。だが、叶芽の手は簡単に払われた。
とうとう怒りが沸騰した叶芽は、冬真を睨みつける。
「や、やめろって! おい」
「寝室に入るってことは、そういうことだよ」
「そういうことって——」
様子がおかしい冬真を押し退けようとすると、ものすごい力で押さえつけられた。
その本気の力にゾッとした叶芽は慌てて逃げようとするが、冬真からは逃げられなかった。
トレーナーを剥ぎ取られて焦った叶芽は、覆いかぶさる冬真に懇願する。
「ちょっと冬真、お願いだからやめ……て」
「叶芽、可愛い」
「お前はそれしか言わないのか」
「ねぇ、いいでしょ?」
「よくない! ──ひゃっ」
冬真の手が体の上で動くたび、叶芽は声をもらした。
「叶芽、愛してる」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
叶芽は泣きそうな声で再び懇願する──が、今度は無視された。
冬真の息遣いが間近で聞こえてゾッとする中、叶芽は抵抗を試みるが。
(やばい、呑みすぎたせいで力が入らない)
恐怖も相まって、どうしても震えてしまう手は、冬真を止めるどころか、もはや押し返すことも出来なかった。
「嫌だったら、もっと抵抗しなよ」
冬真の言葉にカチンときた叶芽は、恐怖を追い払って、なんとか本気で冬真を殴った。だが、酒のせいで力の入らない手では、じゃれるようにしか当てられず。冬真に腕を掴み取られる。
そして冬真は叶芽の手にキスをして、そのまま下へと移動していった。
「ちょ、ほんとに、お願いだから……やめて」
今度こそ本気の懇願だった。
だが冬真はそれすら嬉しそうな様子で、叶芽を啄むことをやめなかった。
それからあっと言う間に素肌で重なりあった二人だが。心が追いついていないせいか、抵抗しか感じられず。
叶芽はそれから泣いたり、騒いだり、怒ってみたりして、冬真の目を覚まさせようとするが、どれも効かなかった。
好き勝手にされることに、動揺よりも羞恥心が勝っていた。
あまりに恥ずかしくて震える叶芽を、容赦なく愛撫する冬真。
女性との経験も少ない叶芽にとっては、驚きの連続で。
未知の感覚でも、ひたすら我慢するしかなかった。
途中からはもう頭が真っ白で、叶芽は何をされているのかもよくわからなかったが、気づけば朝を迎えていた。
31
あなたにおすすめの小説
白花の檻(はっかのおり)
AzureHaru
BL
その世界には、生まれながらに祝福を受けた者がいる。その祝福は人ならざるほどの美貌を与えられる。
その祝福によって、交わるはずのなかった2人の運命が交わり狂っていく。
この出会いは祝福か、或いは呪いか。
受け――リュシアン。
祝福を授かりながらも、決して傲慢ではなく、いつも穏やかに笑っている青年。
柔らかな白銀の髪、淡い光を湛えた瞳。人々が息を呑むほどの美しさを持つ。
攻め――アーヴィス。
リュシアンと同じく祝福を授かる。リュシアン以上に人の域を逸脱した容姿。
黒曜石のような瞳、彫刻のように整った顔立ち。
王国に名を轟かせる貴族であり、数々の功績を誇る英雄。
刺されて始まる恋もある
神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
【完結】浮薄な文官は嘘をつく
七咲陸
BL
『薄幸文官志望は嘘をつく』 続編。
イヴ=スタームは王立騎士団の経理部の文官であった。
父に「スターム家再興のため、カシミール=グランティーノに近づき、篭絡し、金を引き出せ」と命令を受ける。
イヴはスターム家特有の治癒の力を使って、頭痛に悩んでいたカシミールに近づくことに成功してしまう。
カシミールに、「どうして俺の治癒をするのか教えてくれ」と言われ、焦ったイヴは『カシミールを好きだから』と嘘をついてしまった。
そう、これは───
浮薄で、浅はかな文官が、嘘をついたせいで全てを失った物語。
□『薄幸文官志望は嘘をつく』を読まなくても出来る限り大丈夫なようにしています。
□全17話
死神に狙われた少年は悪魔に甘やかされる
ユーリ
BL
魔法省に悪魔が降り立ったーー世話係に任命された花音は憂鬱だった。だって悪魔が胡散臭い。なのになぜか死神に狙われているからと一緒に住むことになり…しかも悪魔に甘やかされる!?
「お前みたいなドジでバカでかわいいやつが好きなんだよ」スパダリ悪魔×死神に狙われるドジっ子「なんか恋人みたい…」ーー死神に狙われた少年は悪魔に甘やかされる??
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる